第7話
私達が辿り着いたのは、大きなゲームセンター。
私のリクエストだったんだけど、最近この辺に出来た大きなゲームセンターに行きたい行きたいと思っていたのだけれど、中々友達と会う機会もないままお預け状態になっていたのだ。
このゲームセンターには、ゲームは勿論、ボーリングやバッティングセンター、卓球場、バレーボール、バドミントン、サッカーなどいろんなスポーツが楽しめる魅力的な場所なのだ。
とりあえず私達は、ゲームのあるフロアをぐるりと回った。
「矢田さん、矢田さん。エアホッケーしましょ、エアホッケー。私強いんですよ。恵人にだって負けたことないんだから」
はしゃいで矢田さんの腕を引っ張りエアホッケーのあるところまで来た。意気揚々と始めたエアホッケーだったが、完全無敵の筈のこの私が矢田さんに1ポイントも取る事が出来ない。矢田さんのディフェンスは完璧で、ゴール出来ないのだ。そのうち、私のほうのゴールに飛び込んでくるのである。
完敗とはこんな事を言うのだろう。かろうじて1ポイントだけ、ゴールを決める事が出来た。私は、かなり悔しい気持ちを隠しもせず「くやしい〜」と矢田さんに恨めしい目を向けた。矢田さんはそんな私をただ、嬉しそうに見ているだけだった。
その後、ボーリングに行って、バドミントンして、卓球もした。どれもこれも私の負け。矢田さんはなんでもこなすスーパーマンみたいだと私は思った。
「なんで、矢田さんは何でもそんなに上手なんですか?」
「スポーツは得意なんだ。でも、ゆうちゃんもかなり得意でしょ? 女の子相手にこんなに苦戦したのは初めてだよ」
あ、やっぱり矢田さんは女の子とよくこういう所に遊びに来るんだなって思った。そりゃそうだよね、こんなに恰好良いんだもん女の子は放っておかないよ。今、矢田さんに彼女がいないのが不思議。
二人は休憩所のようなところで、一息ついてジュースを飲んでいた。
「矢田さんって本当に彼女いないんですか? 本当はいたりして。一人じゃなくて、4人とか5人とか」
その問いに矢田さんは、びっくりして目を丸くした後、くくくっと笑いだし、仕舞には大笑いし始めた。これには、私の方こそびっくりしてしまう。そんな可笑しな質問したつもりもないんだけど…。
「ごめん、ははっ、可笑しくて。健司がここにいたら、もっと笑ってると思うよ。俺ね、疑いようがないんだけど、彼女はいない。一人もね。俺ね、恋愛下手なんだ。疑うんだったら、健司に聞いてごらん。それに、不器用だから4人も5人も相手出来ないよ。多分、一日ももたないんじゃないかと思う。だから、今はゆうちゃん一人」
その流れの中で、ちゃっかり私のことを口にする矢田さんは、絶対恋愛下手じゃないと思うんだけど。
「もう、私のことは言わなくっていいんです」
少し脹れてそっぽを向いて私は言う。矢田さんは、そっぽを向いた私の顔を覗き込む。私は、矢田さんの顔があまりに至近距離に現れたため、あたふたしてしまった。
「矢田さんって恵人に似てる。私のこといつもからかって、私の反応見て笑ってるんだもん」
「彼のことが好きなの?」
私はびっくりして矢田さんの顔をみつめた。「どうして?」私の口から出た言葉は自分が思ったよりも弱々しいものだった。
「君を見ていれば分かるよ。そして、彼も君が好きなんだね。多分、結婚する大分前からずっと、お互いに」
矢田さんは、にこりと笑った。私は何も言う事が出来なかった、何か言おうと口を開くのだが、何もそこから出て来ようとはしなかった。
「健司は気付いてないみたいだよ。だから大丈夫。それに、俺は君が誰を好きでも、君が好きみたいだ」
「え?」
「自分の気持ちに素直に言ってるんだ。俺は君が好きだ」
怖いくらいに真っ直ぐな矢田さんの瞳が私を縛り付けて動けない。言葉を失った私は、思考さえも途絶えただぼんやりと矢田さんの瞳を見ていた。恵人に会いたい……。突然そう思った。あの聞き慣れた恵人の声が聞きたい。あの悪戯っ子のような笑顔が見たい。
「それじゃ、またメール送ってもいいかな?」
「はい」と、私は小さな声で呟いた。矢田さんの突然の告白にまだぼんやりとした頭で、それでも私は矢田さんに笑いかけた。
「今日は、ありがとうございました。楽しかったです」
私は、送っていこうか? という矢田さんの申し出を失礼のないように断ると夕方の駅に消えて行った。
月曜日、出勤すると一番乗りだった。といっても私は大抵いつも一番乗りだ。
デスクを拭いて、床をほうきで掃き、コーヒーメーカをセットする。それから自分用のミルクティーを用意して、漸く自分のデスクに落ち着く。
私は昔からコーヒーが苦手。お子ちゃまだな、なんて恵人には言われ続けている。だって、コーヒーって苦いんだもの、香りはいいのにさ。
ミルクティーを一口飲んで、ほっと一息つく。高校の時から朝早い時間が私はとても好き。だから、人よりも早く来て、こうやって皆が来るまで待つ。この時間に本を読んだり、考え事をしたり、それから友達にメールを打ったりするのだ。
今朝は本を読んでも、メールを打とうとしても思うようにいかない。すぐに余計な雑念が私の頭に浮かんで来てしまう。寺に行って座禅でもして来ようかしら。誰もいないのを良いことに私は特大の溜息をつく。
私がさっきから考えている雑念とは、やはり二人の『けいと』のこと。二日連続で男の人に告白されたのなんて初めてで、戸惑っていた。こういうのをモテ期とかいうのかしら。普通に考えたら、どう考えても矢田さんとお付き合いするのが、一番良い選択肢なんだろう。だけど、私の心は直ぐに違う方向へと方向転換してしまうのだ。矢田さんは素敵で優しくて独身で、だけど矢田さんのことを考えていると必ず浮かんでくるあいつの顔。心はあいつに向かっている。
かつかつかつかつと誰かの靴音が聞こえて来た。私の思考もストップして、誰が来たのかドアを眺めていた。どうか、恵人じゃありませんように…と、神様及び仏様他あらゆる神に懇願する。
靴音が近づいたところで、ぐっと息を呑み、目を瞑る。そして、再度目を開けた時、私が見た者に私はがっくりと肩を落とす。ああ、神様……、いじわるです。私は、日頃の行いが悪かったのですか?
「おっ、ゆう。おはよう」
この男のテンションが、今日はやけに癪に障る。
「おはようございます、近藤さん。社内では、名前は呼ばないで頂けますか? 以前にもそう言った筈です。それから……金曜日のようなことは、今後一切なさらないようにお願いします」
私は、懇切丁寧に頭を下げた。
「金曜日のことって……俺が好きだって言った事? それともキスした事?」
私は、恵人を思い切り睨みつけた。
「あんた馬鹿? 会社でそんな事口が裂けても言わないで、どこで誰が聞いているのか分らないのよ」
私が、恵人に丁寧な言葉を喋っていたのはほんの僅かな間だけだった。
「ごめん。悪かった、そんなに怒るなよ」
私は、恵人を殴ってやりたくて仕方がなかったが、ここは会社、自制するしかないようだ。
「……両方よ」
へ? と恵人が間抜けな声を出すので苛々と私は声を荒げずにはいられなかった。
「さっきのあんたの質問の答え! もう二度とごめんだわ。翠に顔合わせ出来ないようなことはしたくない」
私は、翠のことを思い唇をきつく噛んだ。
「ごめん、でもあの気持ちは本気だよ。あんなこと冗談でも言わねえよ。それだけは覚えといてくれ」
どうにも返事のしようがない。八方塞がりの私はただ目の前にいるこの男をきらいになれないことが心底悔しくて堪らないのだった。
「翠……何も言ってなかった? 金曜日のこと」
私は気を取り直して翠の話を振った。もう、恵人から愛の言葉は聞きたくなかった。そんな言葉ばかり聞いていたら、私はこの気持ちを抑えられなくなりそうだったから……。
それに、健司さんがすぐに私が帰ってしまった事を翠に話していたら、恵人が中々帰って来ないことを心配し、私との仲を疑うことだってあり得るのではないか。いくら私が具合が悪かったという話を聞いていたとしても、何かが二人の間であったんじゃないだろうかというのが普通なんじゃないか。
「何も言ってなかったよ。だけど、お前携帯忘れたんだって? 翠がお前の家電にメッセージ残しといたからあの男と近々また会うんじゃないかなって言ってたぞ」
恵人の顔が若干険しくなって、私は追い詰められているような気がしてきた。
「土曜日に会って、受け取ったよ」
私は努めて何でもない事の様にそう言った。恵人の視線が痛いように突き刺さる。突然、恵人に手首を掴まれる。凄い強さで……。「痛っっ」と私は呟くが、その声を恵人は無視した。
「お前、あいつと会ったのか? あいつに変な事されなかっただろうな?」
どうしてそんな事を恵人に言われなきゃならないの? どうして私が責められなきゃならないの? どうして恵人はそんなにいつも勝手なの? ずるい……。自分は、翠がいるじゃない。私が他の男の人と会うのがどうしていけないの? そんな事恵人が私に言える権利ある?
「矢田さんはそんな人じゃない……」
私がその先、口を開こうとした時、遠くから誰かが出勤して来たようだった。私は急いで口を噤み、恵人の腕を振りほどいた。手首には、恵人の掴んだ跡が薄っすらと残っていた。その部分だけが、熱を帯びたように熱かった。
喧嘩なんかしたくなかったのに。ただ、私は恵人と笑っていたいのに。こんなことなら、恵人の気持ちなんて聞きたくなかった。一生、私の片想いで終われば良かった。いつか、おじいさんおばあさんになった時に思い出話としてあの頃は好きだったんだよって笑って話せればよかった。お互い同じ気持を抱いているのに、どうしてこんなに苦しいんだろう。