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Bitter Kiss  作者: 海堂莉子
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第6話

 目が覚めた時、自分がどうやって自分の部屋に辿り着いたのかすぐには思いだせなかった。意識の奥で恵人の声がする。唇には恵人の柔らかい感触がまざまざと残っている。それを思い出し、ぼんやりと昨日の出来事を順繰りと記憶を彷徨わせていく。

 頭をブルンブルンと振ると私はリビングに足を踏み入れ、テーブルの上に紙が一枚ある事に気付く。それを手に取った私は軽い眩暈を感じずにはいれなかった。そこにはこう書かれていた。

『気を失ったお前を運ぶのは骨の折れる作業だったよ。ちったあ痩せたらどうだ? それにしても気を失うなんて、そんなに俺のキスは良かったか? P.S 鍵はポストに入れといたよ また月曜日な』

 そのメモ書きを読んで、昨夜の一部始終を思い出した。実際には、気を失った後の事は全く覚えていないのだが、恵人がここまで運んでくれたようだ。最悪……。どんな顔して月曜日にあいつと会えばいいの? まだ土曜日なのに、明後日の月曜日の事を考えて重い気持ちで大きな溜息が洩れる。


 ふと、脱力してソファに座りこむと、リビングに置いてある家電の留守電のボタンが点滅しているのが見えた。はて? 誰かしらと思い留守電の再生ボタンを押した。

『もしもし? 昨日はごめんね、ゆう具合悪くって途中で倒れちゃったんだってね。恵人から部屋まで担いで言ったって聞いたわ。本当にごめんなさい、私無理させてしまって。それでね、昨夜、お店にゆう、携帯忘れて行ってしまったようなの。矢田さんが預っているから連絡が欲しいんですって。携帯番号は、090-○○○○-××××よ。連絡してね。それじゃ、また来週ね』

 ぶつっという音と共に、翠の可愛らしい声も消えて部屋には静寂が訪れた。私は、具合が悪くて倒れたって事になってるんだね…。翠に謝られている事にとても良心がいたんだ。悪いのは、私の方だ。もう二度と、翠を裏切るようなこと、悲しませるようなことはしたくない。絶対に……。

 それにしても、携帯を忘れている? 私は、自分の鞄の中身をがさごそと探り、携帯が本当にない事に気付かされる。矢田さんに連絡しないと、携帯を返してもらわないと後々困る。だけど、矢田さんに連絡することに抵抗がある事が自分でも分かっていた。

 矢田さんは、はっきり言って私の好みのタイプだった。恵人以外の男性を好きにはなりたくなかった。と、考えて何考えてんだ私と自分に疑問を抱く。恵人に翠がいる以上、自分の気持ちはこれ以上露見してはいけなのだ。恵人に自分の気持ちを伝えるわけにはいかないし、恵人の気持ちを受け止めるわけにもいかない。ならば、矢田さんを好きになればいいじゃないか。好みのタイプなんだし。恵人以外の男性を好きになりたくないって、何でそんなこと考えてしまったんだろう。ふふっと自分の馬鹿さ加減に、自虐的な笑みがこぼれた。矢田さんが私を気に入ってくれているのなら、その気持に甘えてみるのもいいのかもしれない。いつまでも、恵人だけを見てもいられないのだから……。


 私は意を決し、矢田さんの携帯の番号を鳴らした。

 何度目かの着信音のあと、ぷつっと呼び出し音が切れて矢田さん本人の声が聞こえてくる。

『もしもし?』

「あの……、私昨日お会いした石川ですけど……」

『ああ、ゆうちゃんだね? 翠ちゃんに言付頼んでおいたんだ。君の家の番号は知らなかったんでね。君の携帯電話は、僕が大切に預からせて貰ってるよ。会えないかな?』

「えっ?」

『君の携帯電話を返したいんだ、会えないかな?』

 「会えないかな?」という言葉に一瞬私はドキリとしてしまった。その後、携帯電話を返す為と聞いて、ほっとしてしまった。一瞬自分に会いたいと言われているんじゃないかと思ってしまった。

『安心した? 俺が携帯電話を返す為に会いたいって言った事。もし、俺がただ純粋に君会いたいって言ったらどうする?』

「えっ? あの……」

 私が本気で戸惑っていると、くくくっと電話の向こうで矢田さんが笑っているのに気付いた。

「からかっているんですか?」

『いや、そんなつもりはないよ。君の狼狽する様子が目に映るようだったもんだから、つい。ごめん。で、会ってくれるのかな?』

「え? それは、勿論。お会いしないと、携帯を返して貰えないですし」

『今日の午後は大丈夫?』

 はいと小さな声で頷いた。正直、どんな用があるにせよ、この男と二人で会うのは心細かった。こんな時、恵人について来て貰ったらいいのだが、昨日の今日だし、土日の夫婦の団欒を邪魔するのもどうかと思うし……。

 

 私は、矢田さんが指定した喫茶店で矢田さんが来るのを待っていた。指定された喫茶店は、とても雰囲気のある明るいお店で、カップルのお客さんが異様に多かった。私はその喫茶店に指定された13時半よりも30分も早く着いてしまった。持参していた文庫本を読みながら、一人で喫茶店で本を読んでいる寂しい私を周りが見ているのが酷く気になった。

 13時半の5分前くらいになって、矢田さんが姿を現し、私はほっと胸を撫で下ろした。だが、今度は周りの矢田さんを見る目と、あんな子があんなカッコいい人と付き合ってんの? というような目が私を容赦なく突き刺していく。私がいたたまれないあまり下を向いていたので、矢田さんは私を心配してくれたようだ。

「ごめん、待った? あれ、どうしたの、具合でも悪い?」

「いいえ、体はどこも悪くないです。強いて言うなら頭と顔でしょうか?」

 私は俯いたままそう言うと、矢田さんはくすくすと笑った。

「ねえ、顔上げて俺に顔を見せてくれない? 俺、ゆうちゃんの顔大好きなんだけどな」

 矢田さんは、私の気持ちと周りの視線を知ってってやっているのか、わざと大きい声で恥かしい事を言ってのけた。

「ぎゃ〜〜〜、やめて下さい!!! 矢田さん、分かってるんでしょ? 周りの私を見る目に」

 矢田さんは、すました顔で首を傾げる。ちょうど水を持って来たウェイトレスにコーヒーを頼んだ。矢田さんは、恰好良い。それは、私だけでなく周りの女性もそう思っているのがいやでも分かる。どうして矢田さんは私と会いたいと言ったのだろうか? そもそも健司さんが翠の写真を矢田さんに見せて、その写真の中に私が写っててそれを見て私に会いたいと言ってくれたって翠は言っていた。何でだろう? 昨日は、恵人に無理矢理引っ張り出されてしまったので、何も聞く事が出来なかったのだ。

「あの……、一つお聞きしてもいいですか?」

「どうぞ」

 矢田さんは、嬉しそうに眩しそうに私を見ている。眩しいのは矢田さんのほうなのに……。

「どうして私と会いたいなんて思ったんですか?」

「君に一目惚れしたから」

「嘘……ですよね?」

 矢田さんは、首を振った。

「どうして私なんですか? それに、写真を見て一目惚れとか言わないですよね?」

 私は、何となく矢田さんにからかわれているんじゃないかと思い、やや喧嘩腰にそう尋ねた。

「怒んないでよ。でも、一目惚れなのは本当。一度会ってるんだよ、君に。会ったというよりも見たってほうがこの場合しっくりくるのかもしれない。君の姿を遠くから見ただけ」

「それなら尚更何で私なんですか? もっと綺麗な人沢山いるじゃないですか?」

 そう言うと、矢田さんは突然自分の顔を私の顔に近づけて来た。驚いた私は、どうしていいのやら分からず、ただその端正な顔をただ見つめていた。こんなに男の人に見つめられた事のない私(恵人は除いて)にとって、あまりの出来事に心臓の音も早鐘を打っていた。喫茶店の中なのでそれはないかもしれないが、このまま矢田さんが止まらなければ、キスしてしまうかもしれない。

 そんな危惧は全く必要のないものだった。私の顔のすぐ近くまで来るとぴたりと止まりそしてにっこりと微笑んだ。私もつられて笑顔をつくる。

「そうだね。世の中には本当に奇麗な人が他にもいるんだろうけど、でも、それは人それぞれ感じ方が違うじゃない? 俺が物凄く奇麗だなって思う人と君が奇麗だなって思う人は必ずしも一緒じゃないだろ? 人には好みがある。君は、俺の好みのタイプだったんだよ。そして、こうやって話していて分かった事。俺はすでに君に惹かれ始めているってこと。いい歳して君にドキドキしてるよ」

 臆面もなく笑顔でそんな事を言う矢田さんに私は見つめられていた。私は捕らわれた子羊の様に身動き出来ないでいた。さっきまであんなに周りの視線が気になっていたのに今では全く気にならない。

「矢田さんってすっごいモテますよね? さっきから言ってる事凄い気障です。そう言うことあまり言わないで下さい。私そういうのに全然なれてないんですから」

 私はそう言うと、矢田さんを軽く睨みつけた。それから、自分の冷めきったミルクティを一口飲んだ。

「そんなにモテるとも思わないけど、モテるっていうのは健司みたいなのを言うんじゃない? さて、我がシンデレラの忘れ物を渡しておかないと渡し忘れてしまいそうだ。俺はそれでもいいけど、そうしたらもう一度君に会う口実が出来るからね」

 矢田さんは、どこまでが本当でどこまでがからかっているのか私では判断できない事を言う。その度、私は戸惑う。矢田さんは、戸惑う私を見て楽しんでいるように見える。

 私は、渡された携帯を受け取り、「ありがとうございました」と、お礼を言った。

「それとこれ、俺の名刺。ここに俺の携帯とメールのアドレス書いてあるから。出来れば、ゆうちゃんのアドレスも教えてくれないかな?」

 いいですよ、と私は快諾し、たった今貰った名刺に書いてある番号にまず電話した。ワンコール流れたところですぐに切る。そして、メールアドレスにメールを送信した。

『携帯届けて下さって、有難うございます。あまり女の子が喜ぶようなこと言わないで下さいね。それが嘘でも、どうしたらいいのか私分からなくなっちゃいますから』

 矢田さんは送られて来たメールを読み、くくくっと笑った。そして、携帯でメールを作成し始めたようだ。そして、来たメールがこれだ。

『どういたしまして。でも、心外だな。俺は、いつも本音しか言ってないのにな。それに、君が困るようなことは言ってないつもりだよ』

 私は、メールを読み終えて矢田さんを見た。相変わらず穏やかな笑みを浮かべている。「嘘つき」と、私はぼそりと呟いた。

「ゆうちゃんは、これから暇?」

 私は首を傾げ、自分の今日の予定を思い出した。が、思い出す前にこの後の予定は全く入っておらず、思いっきり暇人なのであった。

「お恥ずかしながら、ものっすごい暇です」

 力を込めて言う私を見て、矢田さんはけらけらと笑った。えへへっと私も笑う。矢田さんと話しているととても楽しい気分になれた。たまに、どう対処していいのか分らないくさい台詞を言ったりするが、それも慣れればどうってことないことなように思えてくる。適当に受け流しとけばいいんだもんね。矢田さんは、私にとっては格好良いお兄さんって感じ。自慢のお兄さんみたいな。

「じゃあ、どこかに遊びに行こうか?」

「はい!!!」


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