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Bitter Kiss  作者: 海堂莉子
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第57話

 これは、デジャヴなのかな?

 あの時と同じ。でも、あの時と決定的に違うのは、私の気持ち。今の私は恵人に心が傾いたりしない。

 恵人に抱き締められながら、考えているのは圭の事。きっとこんなこと圭が知ったら心配する。

 それに、翠は悲しむんじゃないのかな。

「恵人、放して。お願い」

 私は、恵人の腕を振り払った。恵人が何故こんな事をするのか私は理解に苦しんだ。

「何で……どうして?」

「俺は、お前が好きなんだよ」

 何を言っているの? 恵人は記憶が戻ったの? 戻った状況でそんな事を言っているというの?

「記憶が戻ったの……?」

「記憶はまだ戻ってねぇ。だけど、今の記憶のない俺が、お前を好きなんだ。記憶を失う前も俺はお前を好きだったんじゃねえのか? お前は知ってるんだろ、教えてくれよ。この気持ちはなんなんだよ。説明してくれよ」

「それは……」

 私が戸惑いながらも声をかけようとした時、フロアの入り口付近で物音がして、ぱっと顔を上げる。

 恵人もパッと振り返った。

「「翠」」

 私と恵人の声が重なった。

 ドアの横に真っ青な顔をした翠がこちらを向き、ふるふると体を震わせて立っていた。眉毛がハの字に下げられ、今にも泣き出しそうな顔をしていた。

「恵人……」

 翠の呟きがなんとか聞こえて来た。翠の声は悲しみと絶望で震え、かすれていた。

「ゆう……」

 翠が私の元へずんずんと近づき、私の前に立った。恵人を見ていた今にも泣き出しそうな顔は消え、憎悪に燃えた鬼のような顔がそこにあった。

 私は、立ち上がろうと腰を上げた瞬間に左頬に衝撃を受け、その衝撃で再度椅子に腰を落とした。

 自分の左頬を手で触れた。じんじんとした痛みと熱があとからやってきた。

 私は、翠を見上げた。翠が口を開く様を見ていた。それは、スロー再生のようにゆっくりと動いているように私の目には映った。

「あんたなんか……、あんたなんか友達でも何でもないわ! 信じてるふりをしてたけど、いつも私は疑ってた。やっぱりね、あんたはいつもそうよ。偽善者ぶって私にいい顔をして、私の大事な物を奪っていく。私はね、事故の時あんたを許したんじゃないわ。許したふりをしたのよ。こんな風に私から恵人を奪おうとするとはね……。あんたに復讐してやる。あんたの大事な物も私が奪ってあげる」

 翠の聞いたことないような怒声をまるで嫌な夢でも見ているんじゃないかと呆然と見ていた。

 翠はそんなぽか〜んと口を半開きにして見上げている私を冷たく見下げると、馬鹿にしたように嘲笑ちょうしょうした。そして言いたい事だけ言うと、踵を返し走り去って行った。

「ゆう……」

 気遣わしげな恵人の声が私に振りかかる。

 どうしてあんたはここに残ってるの? 

 そんな思いを込めてきつく睨みつけた。

「早く追いかけて! 翠が行っちゃうじゃない。早く! 早く追いかけてよ!!!」

 私がそう叫んでも、恵人は動こうとはしなかった。辛そうに私を見下ろしていた。

「俺、解んねえんだよ。翠が俺の妻だって聞かされても全然ピンと来ねえよ。どうしたらいいか解んねえんだ。こんなんで追いかけてもどうにも出来ねえよ。お前のことばかり考えちゃうんだよ。こんな宙ぶらりんの気持ちであいつを引き止めたり出来ねえよ」

 私はがっくりとしていた。

 こんな事になるなんて思ってもみなかった。いや、それは違う。いつかこんなことになると解っていたから、あんなにも不安だったんだ。

 私は、逃げようとしていたのかもしれない。恵人の目から。

「恵人の好きは違うと思う。確かに、記憶を失うもっと前に好きだって言われたことはある。だけど、私は圭を選んだ。恵人には、翠と幸せになって貰いたかった。私は事件が起きた当時、恵人がちゃんと翠と向き合ってくれていたと思ってる。ううん、そう信じてる。あの事件のあった当時、恵人が好きだったのは、私じゃなく翠だったんだって」

 私は真剣な目を恵人に向けた。

「今は、記憶がぐちゃぐちゃで混乱しているだけなんだと思う」

 恵人は私をしばし複雑な気持ちで眺めていたが、一つ大きく溜息をつくと何も言わずに立ち去った。

 一人になって初めて翠の言葉を反芻する。

『あんたの大事な物も私が奪ってあげる』

 私は、その言葉にとりつかれた。

 私の大事なもの……、圭。翠はきっと私から圭を引き離すつもりでいるんだ。私は一人身震いした。

 あんなに可愛い翠が圭を誘惑したら、圭はどうなってしまうの? 私達はどうなってしまうの?

 怖かった。圭が私の前から姿を消してしまったら。怖い。

 大好きな圭の声が聞きたかった。

「もしもし?」

 聞きたかった大好きな声を耳にした途端、ぶわっと涙があふれた。

『ゆう、どうした?』

 私が泣いているのが解ったのだろうか。圭のうんと優しい声が耳に届く。私はなにも言い出せなかった。

 圭は、沈黙の後、電話を切った。ツーツーという異様に大きな音に、圭が私をうんざり思って切ってしまったんだとそう思った。

 圭に嫌われた……かもしれない。

 涙がとめどなく流れ出る。誰もいないのをいいことに大きな声で泣き喚いた。デスクに突っ伏して長いこと泣いた。気持ちが死んでしまったように萎えていた。

 それでも、暫くしてから私はパソコンに向かった。頭には全く入って来なかった。ただ見た映像をそのまま入力していくだけだ。雑念を捨て何も考えずにただ画面と数字だけを見ることに集中した。時折気を緩めると心が勝手に動き出そうとする。首を大きく振り、邪念を振り払おうとした。

 もっと自分の気持ちが強ければいいのに。小さなことでぶれないような強い心が欲しい。そう出来れば圭を何があっても信じていられる。翠がなんと言おうと圭をとことん信じてあげられるだろうに。

 また、余計なことを考えてしまったと自分を叱咤した。いつまでたっても仕事が先に進んでくれない。

 パソコンの画面に誰かの顔が薄っすらと映し出されているのに気付いた。ぱっと後ろを振り向くと、そこには圭が立っていた。優しい笑顔を満面に浮かべて。

 圭……。来てくれたんだ。私は嫌われたんじゃなかったの?

「圭、来てくれたの?」 

 まるで迷子の子供みたいな頼りない自分の声がしんとしたフロアに響いた。

「ゆうが呼んだんだろ? 俺のこと」

 優しい微笑みが一段と大きくなった気がした。

「私が呼んだのが解ったの?」

 私は、電話で何も伝えることが出来なかった。心の中で来てほしい、会いたいとそう願っていただけだ。それは、圭は解ってくれていた。

 圭は、そうだよと、当り前だというように微笑んで言った。

「どうして圭はいつも私のこと何でも解るの?」

「ゆうを愛しているからかな」

 冗談を言っているように軽くいっているが圭の瞳は真剣な炎を燃えたぎっているように見えた。

 私は立ち上がりゆっくりと圭の胸に頭を乗せた。そんな私を包み込むように圭の腕が私の背中にのばされた。

 圭の心臓の音が私の耳に響いてくる。圭の心臓の音が少し早く刻まれている。

 いつもこんなに速いの? それとも、私といる時はいつもドキドキしてくれてるの? 後者なら私と一緒だね。圭、私ね、あなたといる時はいつもドキドキするの。初めて会った日からもう大分たつのにね。この胸の鼓動は変わらない。それどころかどんどん高まっているのかもしれない。

 圭、私ね、一分一秒毎にあなたを好きになるんだよ。もう大人だからきゃーきゃー言えないけど、心の中ではいつも騒いでいるの。あなたに会えればうれしいし、声を聞けば心が揺れる、あなたの姿を見れば涙が出そうになる、あなたの笑顔を見れば自然に笑みが零れる、あなたから貰う好きという言霊は私を優しく包む、あなたに触れられれば私は天に昇る。圭、私の心はあなたといる時にだけ感じるの。幸せを、悲しみを、喜びを、切なさを。楽しいことも苦しいこともあなたと一緒なら素晴らしいものになるのよ。

 そりゃ不安にだってなるよ、でもね、圭のことで不安になるのは本当は嫌じゃないの。だって、圭のことずっと考えていられるでしょ。あなたは私の心の中にいつもいるの。あなたと会っていない時でも。

 こんな気持ち、圭はうざいかな? 嬉しいって思ってくれるかな? ねぇ、圭。聞こえる?


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