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Bitter Kiss  作者: 海堂莉子
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第52話

「綾、良かったね」

 奈落の底と天国が立て続けに来たみたいね、と綾はけらけらと軽やかに笑っている。つい今しがたまでの綾の陰鬱な表情がまるで幻であったかのような明るい笑顔だった。見ているこっちまでもが楽しくなって来てしまう、そんな幸せそうな笑顔だった。

 私は自分のことのように浮足立っていた。綾の相手である新さんがとてもいい人で良かった。なんせ綾がずっと想い続けていた人なんだもの、綾は必ず幸せになれるだろう。

 なんだかスキップでもしたい気分。

『今日とてもいいことがあったんだよ。今すぐにでも話したいけど、次会った時まで我慢するね』

 私はデスクに戻った後、圭にメールをした。今凄く忙しい時だって解っているから我が儘は言いたくない。最近、忙しいと言いながらなんだかんだと会ってくれるから、きっと圭は疲れているに違いないんだ。

 だが、それからすぐにメールが返って来た。

『うわぁ、凄い気になって仕事が手につかないよ』

『クスクスクス』

 それだけ打って送信した。

『今日は恵人のところに行くの?』、『うん、行こうかなって思ってるけど』

『会いたいな』、『仕事忙しいんでしょ? 昨日も会ったから今日はお預け。少しでも長く体を休めて欲しいから』

『ちぇっ』 

 圭の短い舌うちの返信が可愛くて、職場だということを忘れて笑ってしまった。でも、誰も私の事なんて気にしていなくて助かった。それにしても、改めて良かったと思う、瑛子さんが休みで。こんなとこ見られたらあの目力で黙殺されかねないものね。

 ちらっと綾を見ると、新さんのことでも思い出していたのか、遠くを見て、夢見心地に顔が緩んでいる。

『新さんにマンション行くように言ってたよね。昨日相当酔ってたけど、部屋の状況は大丈夫なの?』

 私は綾にメールを送るべく送信ボタンを押した。そのあと、綾の様子を観察していると、バッグをがさごそしだし、中から携帯を取り出した。どうやら私の送ったメールが早速届いたようだ。綾は私の視線には一向に気付く様子もない。綾は携帯を開き、私のメールを読んで狼狽していた。一人青い顔をして、頭を抱えている。

 昨夜、私が綾を送り届けた時、綾の部屋は泥棒が入ったんじゃないかと疑うくらいに荒れていた。昨日は酔っていたし、朝方新さんから電話があって落ち込んでいただろうし、それを考慮すると綾が部屋を片したとは到底思えないのだ。あの狼狽振りから見て、どうやら私の予想は当たっていたようだ。でも、新さんの第一印象からして、綾のそういうところなんかも全部好きだって思ってくれそう。

 今頃、荒れた部屋を見て、「仕方ないな、綾は……」なんて苦笑を浮かべながらせっせと部屋の掃除に勤しんでいるんじゃないだろうか。

 気にしているのは綾ばかりってことになってるかも。女の子は、そんなの見せたくないんだよね。

 漸く私の視線に気づいた綾が、情けない顔をして助けを求めている。

 ごめん、私に差し伸べられる手はない。頑張れ、綾。

 終業の時間になると、綾はばびゅんというアニメの効果音がきこえてきそうなくらい緊急に、早急に姿を消した。

 綾としては超焦っていたんだろうけど、きっと明日には惚気話が聞けるに違いない。

 綾とは対照的に私はゆっくりと支度をして、近藤家へと向かった。

 

例の如く翠の熱烈な出迎えを受けた。

 前回来た時よりも大分血色がよくなている気がした。部屋に通されると恵人がソファに腰掛け、私を出迎えた。

「よう、来たのか?」

 おざなりの挨拶に、こいつ本当は記憶戻ってるんじゃないのかと疑りたくなる。

「来ちゃ悪かった?」

 私がつんとした顔でそう答えると、恵人は苦笑した。

「いやいや、大歓迎ですけど」

 憎たらしい言い方。でも、こうやって言っている時は本当に歓迎してくれているんだよね。恵人は素直じゃない。つっけんどんにしか話が出来なかったりする。照れ屋で、でも、誰かを(特に私)からかっている時だけは、恐ろしいくらいに饒舌になるのだ。あまのじゃくだから、心から歓迎していて、言葉ではそう言っていても、態度では表せない。 

 不器用な奴。まあ、慣れてるけどね。

 今の恵人にしてみたら数度会っただけの人かもしれないけど、こちとら恵人のあしらい方くらい熟知しているのさ。

 以前のように翠の手料理を食べ、デザートをリビングで寛ぎながら食べる。本日のデザートは、シュークリームだった。

 恵人と翠の真向かいに座ってアルバムを開く。恵人に思い出話を聞かせる為に。

「ああ、これ高校最後の文化祭の時の写真だ。キャハハ、恵人の恰好最高だよね。私達が高3の時に恵人が転校してきたんだけど。あっ、そういえば私と恵人の出会いは最悪だったよ。恵人が初めて学校に来た日はね、凄い霧で前が全然見えないほどだったの。私って朝早く登校していたから、誰もいないのをいいことに、目を瞑って昇降口まで歩いてみようとしたんだ。そしたら、恵人にぶつかって、『何してんだよ、お前』とか『アホか』とか悪態つかれたんだよ。挙句に職員室までちゃっかり案内させられてさ、あんたの第一印象最悪だったんだから」

「悪かったな。覚えてねぇけど」

 その横柄な態度にムカっとした。

「ゆう、文化祭のことだよ」

 喧嘩になりそうだと思ったのか、翠は必死に軌道修正を図った。あまりに翠が必死なので、恵人を無視して文化祭の続きを話すことにした。

「オッケー、文化祭ね。私達のクラスはね、コスプレ喫茶だったんだ。女子は男のコスプレ、男子は女のコスプレをそれぞれ着たの。翠は執事のコスプレで、私はなんでか孫吾空だったんだよ。でも、私の吾空似合ってたよね、翠?」

 私が話の途中で翠にふると、翠は可愛く頷いた。アルバムの中にはその時の私の写真が入っているんだけど、それを見て恵人が鼻で笑った。

 うわっ、なんかムカつく。どうせ大したことないとか思ってるんでしょ。失礼な奴め。

 あの頃の恵人も、こんな風に鼻で笑って喧嘩になったんだった。今より、私も子供だったからすぐに恵人とは喧嘩になったんだよね。

「恵人が一番大変だったんだから。朝からコスプレなんて着ねぇって駄々こねて逃げ回って、皆で必死に走り回ったんだから。鬼ごっこみたいでなんか楽しかったからいいんだけどさ。結局、捕獲されて無理矢理男子たちに着替えさせられてたよ。その時のコスプレがこれ!」

 アルバムを一枚めくり指さした。そこには、不機嫌そうにそっぽを向いたメイド服姿の恵人が写っていた。

「嘘だろ? 俺が、こんなの着たのか? ああ、人生の汚点だぁ。こんな写真頼むから捨ててくれ!」

 恵人は叫んでいた。

 そんな風に叫んだところで、私にも翠にもこんな最高な写真を捨てる気は1ミクロンもないんだけどね。

「まあ、落ち着きなって。その後が最高なんだからさ。クラス全員でグルになって恵人をミスコンに出場させたんだよ。恵人はステージに上がるまで全然気付かなくって、それを知った時にはかなり怒ってたけど、途中で逃げ出すわけにはいかなくなって、そしてなんとグランプリ取っちゃったんだよ。女の子差し置いてね。いや、あの時の女子の心情は複雑だったよ……」

 うんうんと頷きながら話す私を恵人は見つめていた。その視線に気づいた私は、ん? と首を傾げた。恵人は慌てて視線を逸らした。

「ねぇ、どう? 少しは何か思い出せそう?」

 恵人の微妙な変化になどまるで気付いていない私は、恵人にそう問いかけた。

「いや、全く解らん」

 その言葉を聞いて私も翠もがっくりと来たが、すぐに気を取り直した。

「そっか、すぐには思い出せないよね。大丈夫だよ。そのうちぱっと思い出せるよ。あっ、いけない。そろそろ帰らなくっちゃ」

 壁に掛けられていた時計を見るとすでに10時を過ぎていた。

「俺が送って行くよ」


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