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Bitter Kiss  作者: 海堂莉子
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第49話

「翠、こっち来て。恵人の隣に来て」

 私は自分の家なのに、所在無げに立っている翠を呼んだ。

「恵人は、翠が奥さんだって聞いているよね?」

 正面に座る恵人に、そう問いかけた。恵人は戸惑いながら、ああと低く頷いた。

「じゃあ、翠ってどんな奥さんだったと思う?」

 私は畳みかけるように恵人に質問した。戸惑いながらも、恵人は諦めたように口を開いた。

「大人しくて、俺の面倒をかいがいしく見てくれる出来た奥さんかな?」

「うん、解った。翠、いつも翠がするようにしてみて。そうだな、恵人が帰って来た時のコミュニケーションを、いつもどおりにやってみて。恵人は記憶なんか失ってない、そう思って」

 私は、翠にそう言った。翠も恵人も戸惑っていた。圭は、私が何をしたいのか解っているのかいないのか、笑って見ていた。

「でも……」

「でもじゃない。毎日やっていた事でしょ? さっさとやる」

 私は翠をせっついた。翠はどうしようもないと思ったのか、意を決したように恵人を見た。そして、いつも恵人に見せる極上の笑顔を作った。

「おかえり〜、恵人。会えなくって寂しかったよ」

 そして、恵人の首に抱きついた。

 翠の科白の最後にハートマークがついているようだった。翠はやっぱり可愛い。そうしみじみ納得する私。圭は微笑ましいと言った感じで眺めている。

 恵人が、翠の頭を撫でた。それは、恵人が記憶を失くす前に毎日やっていた光景だった。

 私も翠もびっくりした。私は思わず立ち上がり、恵人を見つめた。

「思い出したの?」

 大きな声で私はそう言った。

「いや……、何か勝手に体が動いた…」

 あまりの私の勢いにたじたじになった恵人は、申し訳なさそうに小さな声でそう呟いた。

「……なんだ」

 私はがっくりと、ソファに腰をおろした。

「でもさ、体は覚えってるってことだよね?」

 私は隣に座っている圭に同意を求めた。

「うん、そうかもしれない。恵人は、この家に戻って来て、どこに何があるとか解ったのか?」

「ああ、そういや考えなくてもトイレがどこにあるとか解ったな……」

 やはり、体は覚えているんだ。そっか、完全に忘れたわけじゃないんだ。ちょっと安心した。これなら、会社に復帰しても困ることはないだろう。

「まあ、その事は良しとして、翠のことだけど、翠と恵人はとっても仲が良かったの。確かにかいがいしく恵人の世話を焼いたりするのは当たっているけど、翠は私達の前では、明るくて、甘えたがりで、よく喋るのよ。特に恵人の前では、輝くほどにキラキラしてて、正直大人しいって子ではないよ。翠のこと、まだ思い出せないかな?」

 恵人は、下を向いて聞いていた。

「悪ぃ」

「私のことを忘れてしまうのはいいけど、翠だけでも早く思いだしてあげて……」

 無意識に涙がポロリと零れる。圭がそれに気付いて涙を人指し指ですくってくれる。いつもの習慣(?)で、私は圭の首に腕を回した。圭は、私の背中や頭をよしよしと撫でる。圭って、私の精神安定剤みたいだな。などと、目を瞑って考えていた。

 ふと、あれ、ここどこだったっけ? という疑問が浮かび上がる。さっきまで恵人と話していたような……。

「圭、ここってどこだっけ?」

 圭の耳元で小さな声で尋ねる。

「恵人ん家」

「んぎゃ!!!」

 圭の返答を聞いて、慌てて飛びのく。恐る恐る翠と恵人の方を向くと、むすっとしている恵人と、目をキランキランさせてこちらを凝視している翠と出逢った。

 ぎえっ、やってしまった……。

 私の隣では、「ぶくくっっ」と、圭が笑いを堪えていた。ええ、堪えられてなどいないけど。

「え〜と、ハハハ、何の話だったっけかな〜」

 頭をポリポリ掻きながら、笑って誤魔化そうとした。

 ああっ、なんて馬鹿なの!!!

 翠の最上級に嬉しそうな顔、恵人の冷めた顔。ああっ、もうお願いだから見ないで!!!

「え〜と、だから、ごめんって。二人ともそんな目で見ないでよ。ほら、さっき恵人達だって同じことしたわけだし、私だけそんな目で見られるって不公平じゃない? 圭、傍観者みたいに笑ってないで助けてよぅ」

 どうしたらいいのか解らなくなった私は、ぺちゃくちゃと一人で喋り続け、さらには隣で笑っている圭に助けを求めた。

「今日はもう帰る!!!」

 私はそう言って立ち上がった。

「えぇ? ゆう、もう帰っちゃうの?」

 やっと口を開いた翠が慌ててそう言った。

「うん、今日はもう帰るよ。いや〜、流石に恥ずかしいし。また改めてくる。翠、いつも通りに恵人に接しないと駄目だよ。何がきっかけになって記憶が戻るか解らないんだから、なるべく以前のように生活して。ね?」

 翠は、さっき一度恵人に抱き付いて吹っ切れたのか、少し血色の戻ってきた顔で頷いた。

「圭、帰ろう」

 私が圭に呼びかけると頷き、恵人に、じゃあ帰るな、と声をかけた。翠が玄関まで見送ってくれた。

「ゆう、今度いつ来てくれる?」

 翠が、眉をひそめまた不安そうな表情に変わる。私は圭を見上げた。

「俺、今週は忙しいんだ。ゆう、一人で来てあげて」

「うん、解った。翠、水曜日か木曜日に来るよ。またメールする」

 じゃあねと手を振って道路に出た。私は圭の手を取ると上目遣いに見つめる。圭がうん? と首を傾げる。

「今週はお仕事忙しいの? 会えない?」

 今週はあんまり会えないのかなってそう思ったら寂しかった。先週まで、毎日ずっと二人でいたから、急に会えなくなるとなんだか心許ない。

「ごめんな。今週は忙しいんだ。あんまり会えないと思う。帰りが酷く遅くなるだろうし。その分今日はずっと放さないよ」

 圭の言葉にがっかりと項垂れたのも束の間、圭の最後の一言に耳まで赤くなってしまった。

 その夜、私達はお互いの温もりを求めて、抱き合い、そのまま眠りについた。


 ――次の日。

 仕事が終わった後、私は綾と居酒屋にいた。

 綾はがんがんアルコールを摂取していたが、あまりお酒が好きじゃない私は、アルコール度の極めて軽いカクテルをちびちびと舐めていた。

「彼氏が出来ると付き合い悪くなるのよね」

 大分酔いの回ってきた綾が私に絡みだした。

「ごめんね、綾」

「へっへっへ〜、嘘だよ〜ん。本当はゆうに幸せになって欲しくて、今、凄く嬉しいんだよぉ」

 突然、綾がテーブルに突っ伏しておいおいと泣き出した。

 今日の綾の飲み方は明らかにおかしい。普段はこんなに速いピッチで飲んだりしないのに、今日はどうしたというのかしら。会社で嫌な事はなかったように思う。綾は出来る人なので、滅多なことで上司に怒られる事はない。

「綾、大丈夫?」

 私が頭を撫でながら綾に問うと突然がばりと体を起こすと、叫んだ。

「帰る! マスター、おあいそ」

 店のマスターは、はいよっと威勢のいい声を上げた。会計を済ませると、綾の外に出る。

 外に出ると、ほんの少しだけ冷たい空気が混じっている事に気付いた。

 ふらりふらりと歩く綾を、何とか支えようとするのだが、支え切れず、私もふらりふらりと引き摺られる。

 普段、しっかりとしている綾がこんな泥酔状態になることは皆無だ。何かあったのは間違いないのだろう。だが、綾が自ら口を開くまで、私は口を開こうとは思わなかった。

 とにかく、タクシーを拾い、綾の部屋へと向かった。

「今日、弟君は?」

 隣で、気持ちよさそうに笑っている綾に問いかける。

「ん〜? 泊まりぃ」

 恐らく彼女の家にでも行っているに違いない。マンションに着くと、綾から鍵を受け取り、部屋の中に綾を連れて行く。

 綾をソファに座らせると、にゃ〜と言いながら、ソファに倒れこむ。いつも綾は冷蔵庫にミネラルウォーターを常備しているので、冷蔵庫を失礼して一本抜き取り綾に手渡す。

 ふと、テーブルの上に葉書が置いてある事に気付く。私達結婚しましたという類のウェディングドレスを着た女性とタキシードを着込んだ男性の写真だ。パッと目に飛び込んできた差出人の名前、『あらた』。

 これって綾が前に話してくれた大好きな幼馴染の人なんじゃ……。


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