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Bitter Kiss  作者: 海堂莉子
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第48話

 恵人の検査の結果は早々に出された。脳内に異常は発見されなかった。

 一同はホッと胸を撫で下ろした。恵人は傷の状態がある程度落ち着くまでは、こちらに残るように言われている。私の方は、明日退院して良いと言い渡された。

 恵人と翠のことは酷く心配だったが、夏休みも終わって仕事に出なければならないので、後ろ髪を引かれる思い出はあるが、明日、私達は戻る事になった。


 そして、翌日。

 私は、恵人の病室を訪ねた。病室には翠は勿論、翠と恵人のお母さんがいた。お父さん方は仕事がある為、一足先に戻ったのだそうだ。

 私はあらためてお母さん方に頭を下げた。お母さん方はかえって恐縮してしまったように、いいのいいのと何度も言う。

「翠、向こうで待ってるからね。辛かったり、寂しくなったりしたらいつでも電話して。メールでもいいから」

 翠は涙が出そうな潤んだ瞳をして、頷いた。

「恵人、私、先に帰って向こうで待ってるからね」

「思い出せなくて悪いな。でも、お前と俺はきっと仲が良かったんだろうってことは解るよ」

 その物言いは、記憶を失う前の恵人のまんまで、一瞬戸惑ったが、それでも微笑んでこう答えた。

「向こうに戻るまでに、記憶戻ってればいいけど、戻ってなければ、私が意地でも取り戻して見せるから、覚悟しときな」

 そう言って、にやりっと笑う私に恵人は、馬鹿か、と呟いた。

 記憶をなくしていても、恵人の性格は全く変わっていない。一見すると、以前の私達みたいに見えるんだろう。過去をさかのぼれば、出会った頃の私達もあったその日からこんな風に話していたのだ。昨日少し話しただけでこの通り、周りが恵人の記憶が戻ったんじゃないかと錯覚するくらいであった。

「「それじゃ、色々お世話になりました。向こうで待っています」」

 私と圭が声を揃えて言う。別に事前に相談していたわけでもないのだが。

 因みに翠と恵人のお母さん、ついでにうちの母の三人衆は、圭が大好きだ。顔の造作が良いからであるとともに、私と恵人を助けたヒーローであるからだ。圭は気付いていないようだが、陰でまるで少女にかえったようにキャーキャーと言っている。

 『私があと○○年若かったら……』なんて定番の科白を囁き合っている。

 実はこのお三方非常に仲が良い。というのも、高校の時の懇談会で意気投合したらしく、今でも連絡を取り合っているのだ。まあ、うちの母以外は、親戚になってしまったのだが。

 とにもかくにも、温かい目と名残惜しそうな目で見送られたのである。

 病院の出入り口では、須山医師と担当の看護婦さんが見送りに来てくれていた。

「ありがとうございました」

 私と圭、私の両親は声を揃えた。

「お大事になさって下さい。近藤さんのことはご安心を。私がしっかりと見ていますから」

 高らかに笑ってそう言った。

「お大事に」

 看護婦さんもそう言って、笑顔で見送ってくれた。


 次の週から、私達は普通に仕事に出勤した。

 恵人は旅行中の水難事故により入院している事は、すぐにフロア中に知れ渡った。だが、それに私が関わっていると知る者は、ただ一人だけだった。

 その噂――というか入院中というのは本当なのだが――が広まったその日の昼休み。

 お蕎麦屋さんで綾と二人、ざる蕎麦を食べていた。

「で? 何で近藤さんは怪我をしたのかな? ゆうは知ってるんでしょ?」

 綾の鋭い質問に、綾には隠せないかと項垂れた。どうせ、すぐに見破られるだろうとは思っていた。

「私のさ、せいなんだ」

「えっ、どういうこと?」

 私は、あの日あった出来事を綾に話した。綾は話を聞きながらもせっせと蕎麦を啜っている。私は、口を動かさねばならないので、なかなか蕎麦を口に運ぶことが出来ず、私のざるはまだ来た時とほぼ同じ状態だ。

 恵人が記憶喪失になったくだりを話している時には流石の綾も驚き、箸の手を止めた。

 私は話し終えると、とにかく蕎麦を平らげなければならないので、いつものように掻っ込んだ。

「それは、事故だよ。ゆうのせいじゃないよ。もし、私が近藤さんの立場でも同じことしてたと思う。ゆうでもそうするんじゃない?」

 綾は、既に蕎麦を食べ終えていた。私の蕎麦を掻っ込んでいる姿を上から見下ろしながら、優しい声でそう言った。

「うん、すると思う」

 私は、蕎麦の口に入った状態だが、手を口にあて、なんとかそう口にする。

「でしょ? 誰もゆうを悪く思わないよ。それにしても、記憶喪失とはね。流石の私も驚いたわ」

 なぜかワクワクしているように見える綾。何故なのかと問うと、ドラマでした見たことないからと何ともミーハーな考えを持っていた。

 記憶喪失になったのが、私に全く関係のない誰かならそう思えたかもしれないけど、私には無理だ。


 その日の夜、圭と待ち合わせて、一緒に帰った。

 恵人が帰って来たら、圭と会える時間も少なくなってしまうだろう。だから、せめてそれまでは許す限り二人でいようと決めたのだ。

 圭に毎日会っているのに、別れたすぐ後にはすぐに会いたいと思ってしまう。日に日に想いは大きくなるばかりで、自分でもこんな自分が怖くなってくる。想いは尽きないのだろうか。

「ゆう」

 待ち合わせた場所に先に来ていた圭が私を確認すると、大きな口を開き微笑んだ。

 その姿は、飼い主を見つけた犬みたいで、なんだか可愛らしかった。

 大抵この後、どちらかの部屋に行く。必ずどちらかの家に泊まって、夜はいつも一緒だった。半同棲だ。

 圭と私は抱き合い、絡み合うようにいつも寝ていた。どんなに暑い夜でもそれは変わらなかった。

 私達はお互いの体を貪欲に求めていた。私の体は圭の体と相性が良く、何度求めても、足りないと思うほどに私を昇天させた。私達は飽きることなくお互いを求め続けた。

 私と圭の関係は限りなく上手くいっており、こんな幸せでいいのかと怖くなるくらいだった。

 翠からは毎日メールが届いた。恵人の怪我は快方に向かっているが、まだ記憶は戻っていないこと。

 そして、私達が帰って2週間後、恵人は帰って来た。しかし、傷が完全に治ったわけではなく、会社復帰はまだ先のようだ。

「ゆう、久しぶり。会いたかったよ」

 相変わらずの熱烈な抱擁と共に翠はにっこりと笑い、そう言った。2週間前よりも確実に痩せて、精神的にもかなりまいっているように見える。やはり、愛しい人が自分を忘れてしまってもなお傍にいなければならないのは苦しいのだろう。隣で見ていた圭も翠のやつれ方を心配しているようだった。

 家の中に通されると、恵人がソファに座っていた。恵人の方は、見た感じあまり変化がないように思えた。

「恵人、退院おめでとう、それから、おかえり」

 圭は、退院祝いを恵人に手渡した。

「おめでとう、これ、俺とゆうから」

 恵人は、それを受け取り、ありがとう、と言った。

「ワインなの、だけど、今は飲めないでしょ? だから、恵人の記憶が戻ったらみんなで飲もう」

 私は笑って言った。

「うっ、それって俺、かなりプレッシャーじゃねぇか」

 恵人は苦笑いを浮かべながらそう言った。だが、言葉と裏腹にそんなに嫌がっている風ではなかった。

「まっ、頑張って。私達皆協力するんだからさ」

 私がそう言うと、お前には敵わねえ、というふうに笑った。そんな私達を見ていた翠の、悲しそうな顔が何だか気になった。

 高校の時、引っ込み思案だった翠は、恵人と打ち解けるのにも時間がかかった。あの頃と同じく、恵人が全く違う人だと思って、戸惑っているのかもしれない。体は恵人なのに、中身は恵人じゃない。他人行儀に接しられて、どう接すればいいのか解らなくなってしまったのかもしれない。


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