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Bitter Kiss  作者: 海堂莉子
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第44話

「あっ、じゃあ俺、ジュースでも買ってきます」

 圭は、母に褒められてどうにも居心地が悪くなったのか、そう言って病室から飛び出して行った。

 父も母も圭の出現(初めからいたが)で、涙は引っ込んでしまったようだ。

「本当に恰好良い人ね。あの照れてるとこなんか、本当可愛いくらい。とにかく良かったわね、いい人と巡り会えて」

 父が少し機嫌の悪そうな表情をしていたが、母はそんな事は一切構わないようだった。

 それでも、母が私を心底心配してくれていた事を知っている。恵人と翠が結婚すると知ったあの日、あんな風に泣いてしまった為に、母は酷く心配していた。

 一人暮らしをするのも最初は反対していた。私が寂しくて、自殺でもするんじゃないかと疑っていた気がする。母にとって、私が恋人を紹介することが、どんなに安心を感じることか、考えなくても容易に想像がつく。

 父も私のことを、大分心配してくれていたようだが、娘の彼氏に会うのはどうやら気が重かったようだ。

「もう、お父さんったら、娘が取られたと思ってしょげてるのよ」

 それだけではなくて、先ほどの母の圭をべた褒めした件も、父の不機嫌の原因ではないかと私は思う。

「そんなことはない。だが、やはり父親としては複雑だな。まあ、彼のような人で良かったよ。お前を大事にしているのがよく解る。彼は自分が傍にいたのに申し訳ないと、何度も俺に謝罪したよ」

 圭が私の為に……。

 涙が出て来そうになった。私が、私のせいで恵人に怪我をさせてしまったと自らを責めているように、圭もまた自分を責めていたんだ。

 圭のせいじゃないのに……。圭は私を助けてくれたのに……。

「私、圭がいなかったらずっと恵人のこと引きずって、この先も一人だったかもしれない。圭が、私に幸せをくれたの。ずっと一緒にいたい…。お父さんとお母さんみたいに。圭はお父さんに謝らなきゃならない事なんて一つもない、圭は私を助けてくれたんだもの」

 私は、父に圭のせいで私がこうなっているとは、決して思われたくなかった。

「解っているよ。私も母さんと一緒で、彼には感謝しているんだよ。あれは、事故だったんだ。彼のせいじゃないし、お前のせいでもない」

 父が子供を諭す柔らかい笑顔で私を見守る父が、口を閉じたのと同じくして、圭が両手に飲み物を一杯に抱えて戻って来た。

 何でそんなに一杯持っているの? と首を傾げると、私のそんな顔を読んでこう言った。

「何がいいか解らなかったから、取り敢えず一通り買って来た。何がいいですか?」

 父と母に視線を移し、圭が笑顔を浮かべてそう言った。父と母が、それぞれ好きな物を受け取ると、圭の笑顔が私に向けられ、ゆうは? と問う。

 私は、スポーツドリンクを貰うと、圭は自分の分にコーヒーを残すと、残りの飲み物を病室内にある冷蔵庫にしまった。

 圭が、私のベッドのわきに戻ってくると、父が口火を切った。

「矢田君、君は私に謝罪していたが、私も家内と同じで、君には感謝しているよ。娘は君と出逢って救われたと言っている。私達は、娘のことが酷く心配だったんだが、娘の口から幸せだと聞いて、心底ホッとしているんだよ。矢田君、君のお陰だよ。うちの娘を愛してくれて、ありがとう」

 普通、こんな話は、私がいない所でこっそりと行われるものなんじゃないだろうか。それなのにお父さんったら、私の前でそんな話するもんだから、私は恥ずかしいんだか、嬉しいんだか、感動しているんだか、呆れているんだかよく解らずに涙ぐんでいた。

「そんな……、俺の方こそゆうさんに幸せ貰って、感謝してるんです」

 父も心なしか涙ぐんでいるように見える。

 圭が結婚の挨拶に来たみたいな雰囲気になっていてなんだか変な感じがした。

 母は、その光景を見守り、目を真っ赤にして、微笑んでいる。

 私の家族はきっと涙腺が緩いんだね。似た者同士の家族なんだ。


 私は、体を長い時間残していると、辛いので、圭に手を貸して貰って、横になった。

「恵人君の容体の方はどうなんだろうか?」

 父の言葉に、そこにいた全員の顔が曇る。

「傷口は、処置して大丈夫だと思います。ただ、まだ意識が戻ってないようなんです。打ったのが頭なので、意識が戻ったら検査を行うそうです」

 そうか、と父は低く呟き、溜息を一つ吐く。今はまだ、恵人の無事を手放しに喜ぶ事は出来ない。

「圭、翠は……翠はどうしてるの?」

 翠は、一人なの? 私にはこんなについていてくれる人がいる。翠には、おじさん、おばさんは来てくれているのかな。そうだといいんだけど……。

「翠ちゃんのご両親も、恵人のご両親も駆けつけてくれていて、付き添ってる。大丈夫だよ」

 そっか、と少し安著の溜息を吐く。

「それじゃあ、私達も挨拶に伺おう。矢田君、案内してくれないか」

「はい」

 父の言葉に圭は僅かな笑顔で答える。だが、その表情は幾分浮かないものに見える。翠が取り乱しているのかもしれない。恵人をあんな目にあわせてしまった私を、憎く思っているのかもしれない。翠は深く恵人を愛しているから、私への思いもただならないものなのかもしれない。

「私も、行っちゃ駄目かな?」

 誰にともなく私は呟いた。

 そして、圭を覗き見ると、父が挨拶に行くと言った時よりもさらに困惑の表情を浮かべていた。

 ああ、やっぱり。

「大丈夫。私は、何を言われても平気」

「だけどゆう、あなたまだ体が動かないんだから、今日は大人しくしていなさい」

 軽い打ち身だ、全身が筋肉痛よりも少し痛い状態、決して動けないわけではない。

 恵人と翠が、どんな状況なのか、どうしても確かめたい。苦しくても、罵られても私は現実から逃げるべきじゃないのだとそう思う。

「圭……」

 お願い、私を連れて行って。私は、その想いを込めた瞳で圭を見つめ、名を呼んだ。圭は、一度ギュッと目を瞑ると、一拍おいてゆっくり目を開いた。

「ゆうさんも、連れて行きます」

「でも……」

 圭の言葉に、母が慌てて反論しようとしたが、父に制された。

「車椅子を使おう。矢田君、娘を乗せてくれるかい?」

「はい」

 圭は車椅子を、ベッド脇へと運んでくると私をあまり動かさないように慎重に抱き上げ、車椅子に乗せる。少し痛むが、我慢出来ないほどではない。

 圭が私の車椅子を押し、その後ろを両親がちょっと遅れてついて来る。

「ゆう、大丈夫?」

 私の頭上から、圭がそっと囁きかける。

 私の体のことを言っているのか、気持ち的な事を言っているのか判断に苦しんだが、小さく首を縦に振った。鈍い痛みが全身を走ったが、気付かれないふりをする。

 私は見ていたようで、周りを一切見ていなかった。自分の部屋からどうやって来たかどうか解らなかった。

 圭の足が止まり、車椅子の動きも止まった。

 私は、ゴキュッと唾を飲み込んだ。

 コンコンコン。

 圭が病室の扉をノックした。

「はい、どうぞ」

 翠の声ではない女性の声が内側から聞こえて来た。

 私は、もう一度ゴクッと唾を飲み込んだ。ここまで来て、逃げ出すわけにはいかないが、本当は物凄く怖かった。逃げ出したい……。怖い。だけど、謝りたい。翠に、謝りたい。

 父がドアを開き、圭が車椅子を押し中に入る。

 恵人はまだ意識が戻っていないようだ。車椅子の目線からでは、恵人の表情は窺い知ることは出来ない。 

 病室には、恵人の両親、翠の両親が立っていた。翠は、恵人の枕元と椅子に座り、恵人の手を祈るように顔の前で握って目を瞑っているようだった。その横顔から見える頬が光っているのは、涙が零れているからなのだろう。

「ゆうちゃん、大丈夫だった?」

 最初に口を開いたのは、恵人のお母さんだった。

「ごめんなさい。私のせいで、恵人をこんな目にあわせてしまいました。本当に、すみませんでした」

「息子は、大丈夫だよ、ゆうちゃん。うちの息子は命を落としたわけじゃない。それに、ゆうちゃんが自分のせいだなんて言う必要はない、あれは事故で、息子が勝手に飛び込んだんだ。私はね、息子がゆうちゃんを見捨てて大怪我をさせたんじゃないって聞いてホッとしているんだ。そんな事したら私は、息子を殴っていただろうと思うよ。息子もゆうちゃんを助けることが出来て本望だと思う。だから、決して自分を責めちゃいけないよ」

 恵人のお母さんは、お父さんの言葉に何度も頷いていた。恵人の両親の優しすぎる言葉にいつしか涙が溢れていた。優しすぎて逆に辛かった。もっと責めてくれていいのに、そう思った。

「そんな……、私のせいだって責めて下さっていいんですよ?」

「ハハハ、そんな必要はないよ」

 恵人のお父さんは、豪快に笑った。

「……せいよ」

 え? 声のする方を私は見た。翠が私を憎く思っている事を隠しもしない鋭い瞳で見下ろしていた。

「ゆう、あんたのせいよ! 何もかも……、あんたのせいよ! 恵人がこうなったのも、私が……幸せになれないのも!!!」


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