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Bitter Kiss  作者: 海堂莉子
34/71

第34話

 それから一週間たったが、沙織さんが何かをしてくる様子はなかった。

 私は、もう大丈夫なんじゃないかと心の中で安心していた。

 この一週間という期間は、私の気を緩ませる為の沙織さんの作戦だったのかもしれない。

 最初は、無言電話だった。私は、初め、最近間違い電話がやたらに多いな、とのんきに考えていた。無言電話は、多い日は一日に20回以上になる時さえあった。流石にこれは沙織さんの仕業なんじゃないかと疑い始めた。 

 その次の週に入ると、無言電話と並行して、ドアに悪口が書いてある紙が貼られるようになった。『馬鹿女』、『二股女』、『能なし』、『ブス』……。最初こそ腹が立っていたが、そのうちあまりに餓鬼くさいことが書いてあるので、ほとほと呆れかえってしまった。しかも、日がたつにつれて悪口のレパートリーがなくなってしまったらしく、『馬鹿』、『アホ』、『お前の母ちゃんデベソ』とか、小学生でももっといい悪口が出てくるんじゃないかと思えるものまであった。そのうち私は、沙織さんは、今日は何を書いてくるかしら、とちょっとだけそれを見るのが、楽しみになってしまった。

 だって、笑えるんだもん…。書いてある悪口があまりに幼すぎて……。

 それから暫くして、悪口を書くのにも飽きたのか、それとも、悪口が思い浮かばなくなったのかは解らないが、その嫌がらせは消えた。それと入れ替えに、今度はポストに封筒が入っているようになった。封筒の中身は写真。どれも私が写っている写真。

 どこから、いつも隠し撮りしているんだろう。不思議な事に私は、それらの嫌がらせを怖いとは1度も思わなかった。それが、男のストーカーだったなら、いつか襲われるんじゃないかと思って恐怖したのかもしれないが、沙織さんにはどこかそんなことはしないという確信めいたものがあった。

 確かに、沙織さんは圭が大好きで、私に嫉妬して、鋭く睨みつけてはいたが、実際の彼女は恐らく人を傷つけるタイプの人ではないような気がする。

 未知は、私のこんな考え方を危険だという。人は、時として獣のように人格さえも変えてしまうことがあるのだと。未知が沙織さんに出会ったころ、彼女は本当に大人しかった。それは、事実だ。だが、沙織さんの圭への執念は、私達では計り知れないほどに大きいように思う。だから、彼女が何をしでかすか、解ったものじゃない。そう、未知は考えているのだった。

 そうなのかもしれない。でも、違うような気がする……。何の根拠もない、ただの勘。なので、説明しようもないのだ。

 とにかく、いつもどこかで私を見ているのならば、どうにかして出て来て貰いたいと思っていた。会ってもう一度ちゃんと話がしたい。

 沙織さんはどうしたいのか。どうすれば彼女の気持ちが落ち着くのか聞かなければならない。

 相変わらず続いている無言電話の向こう側にいるであろう沙織さんに向かって、話しかけてみるのだが、すぐに切れてしまう。

 圭には一連の嫌がらせは話してあるのだが、沙織さんを決して悪く思わないで欲しいとお願いした。圭は大分怒っていて、警察に届け出ると言っていたが、私がやんわりとそれを辞退した。


 ある夜。

 私は圭に一つ協力を要請した。

 圭と私はいつものように夜の道を歩いていた。

 私のアパートへの帰り道。私は圭に微笑みかけると、自分の右手を圭の左手に絡めた。私が少し恥ずかしげに上目遣いで圭に微笑みかけると、圭は私をとろけさせるような甘い笑顔を返す。

「ねぇ、圭。私、指輪が欲しいの。買ってくれる?」

「いいよ。ゆうの為なら何だって買ってあげるよ」

「本当? 嬉しい」

 私は甘えた声を上げると、圭の腕に飛び付いた。

「ありがと!!! 圭」

 圭は私の頭を優しく撫でてくれる。そして、圭は私を正面から抱き締めた。圭の心臓の音が驚くほど速い。私が顔を上げると、圭の恥かしそうな笑顔に出会う。瞳が輝き、その美しさに私は暫し見惚れた。

 圭が私の頬にかかった髪を指で優しくはらうと、壊れ物でも扱うように恐る恐る私の頬に触れる。

 愛おしそうに私を見る瞳が、私の身体をふるわせた。やがて圭の顔が私に近づいてくる。私はそれを受けるように、そっと瞳を閉じる。

 圭の唇があと1mmで触れるであろうという位置まで迫った時、私達の行為を妨げる鋭い声がかかる。

「ふざけんじゃないわよ!!! 離れなさい」

 私と圭の甘いキスを無残に遮る声と共にその声の主が姿を現した。私は、圭から離れると、してやったりの笑顔を圭に向ける。そして、その声の主、勿論沙織さん、を見る。

「待ってました、沙織さん。あなたがなかなか出て来てくれないから、私考えたんです。圭とのラブシーンの一つや二つ見せたら、我慢出来なくなって出てくるかなって」 

 私はいまだに怒りで鼻息を荒くしている沙織さんにそう言った。

「今のわざと私の前でやったっていうの?」

 怒りの収まらぬ沙織さんは、歯軋りをしながら悔しそうにそう言う。

「そうですよ。沙織さんがいる前で、私が圭と手を繋いだり、キスをしたところを見ましたか? 沙織さんをこれ以上怒らせないように、そういうことはしないようにしていたんです。でも、声をかけただけでは、出て来てはくれないようだったので、荒療治をさせて貰いました。すみません。気分を害させたことは謝ります。でも、どうしてもお話がしたかったんです。私の部屋に来て頂けますか?」

 私は沙織さんに問いかけてはいたが、返答を求めてはいなかった。私は沙織さんの腕を掴むと、引っ張って歩きだした。最初こそ抵抗していた沙織さんだったが、そのうち諦めて私に引っ張られるがままになっていた。

 圭には、今日は帰ってもらった。私は沙織さんと二人で話がしたかった。圭は、沙織さんが私に危害を加えるんじゃないかと心配して、自分も残ると言ったが、私はそれを良しとしなかった。

 そして部屋に入ると、私は沙織さんの腕を放した。私は奥に通すと座るようにすすめた。

「沙織さんは、私が嫌い?」

「大嫌いよ」

 即答だった。そう言われるだろうことは解っていたが、やはり嬉しいものではない。

「何故?」

 それでも私は挫けそうになる心に鞭打って質問を続ける。

「あんたは、圭人さんに愛されてる。私はあんたの周りをずっと付き纏っていたから解る。あんたは皆から愛されてる。女からも、男からも。ずるい、不公平だ。だからあんたが憎い」

 沙織さんは正座した太腿の上に握りしめた拳を置き、それをじっと見つめている。体中に力を入れていて、何かを我慢しているようだった。

「何がそんなに苦しいの?」

 沙織さんは驚いたように私を見る。そして少し寂しげに口元を歪めた。だが、沙織さんは話そうとはせず、口を閉ざしたままだった。

「沙織さん。私と友達になってくれない?」

 私は、明るい声でそう言った。

「このっ、偽善者! 私がそんなの……くっ」

 沙織さんは言葉の途中で涙を堪え切れずに泣き出してしまった。私は彼女の背中を摩った。

「止めて…いやよ……」

 掠れた声が私の摩る手を拒むが、手を払い除けるわけではなかった。私は沙織さんが泣きやむまで頑として離れなかった。

「私……には、友…達なんて……いな…かった…」

 ぽつりぽつりと沙織さんが語り始めた。

「小さい頃から…ずっと…一人…だった。皆、私を…無視…してた。そこにいるのに…いないふりをする。私には……味方が誰一人いなかった」

 絞り出すように紡ぎ出される沙織さんの言葉。この人は他人と話す事すら本当は苦手なのかもしれない。

「自分から話しかけても?」

 沙織さんは涙で一杯に溜めた目を大きく見開き睨みつけた。

「そんなのやったに決まってるじゃない。何度も……何度も、私なりに頑張ったつもり。だけど、いつも結果は同じだった。そのうちに、諦めるってことを覚えた。自分が傷ついていないってふりが上手くなった。そのうち、本当に自分は一人でも大丈夫なんだって思えるようになった……」

 そこまで言うと、ふぅぇっっんとまた大きく泣きだした。幼い時から受けた、苛め。直接なんらかの嫌がらせを受けていたわけではないようだが、自分という存在をいないものと無視される事も立派な苛めであろう。彼女の傍に一人でも味方がいたら、心にこんな深く大きな穴は開かなかっただろう。

「私、沙織さんの友達になる。あなたの味方になる」

「同情はやめて!」

 沙織さんは金切り声で私に怒鳴りつけた。

「同情で友達になんてなるもんですか。私は、そんなに優しくないわよ」

「誰が自分に嫌がらせした人に友達になってなんて言えるのよ」

「だって、沙織さんの嫌がらせ怖くなかったし、何か笑えた。きっとこんな事したくないんだろうなって思った。助けて欲しいって言ってるんだと思った。私には、そう聞こえたから。だから、助けたいって思ったんだよ」

 沙織さんの怒鳴り声に煽られて私もついつい大きな声でそう言った。

「いけない? 友達を助けたいって思うのはいけないかな?」

 私は突っ伏して泣いている沙織さんをそっと抱き締めた。

「もう、私達友達なんだよ。沙織さんの声が私には聞こえた、それを私が受け取った。もう、その時点で私達は友達なんだよ」

 私の言葉に、沙織さんは戸惑いがちではあったが、頷いてくれた。


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