第33話
「よし、ご飯にしようか」
「うん、お腹減り過ぎだよ。じゃあ、私ご飯もるね」
私は人数分の茶碗にごはんを盛りつけると圭に手渡した。圭がごはんの上に盛り付ければ、親子丼の出来上がりである。あとは、味噌汁をよそって、作っておいたおひたしを並べれば出来上がり。
私は未知と沙織さんを呼びにリビングへ。
「ご飯出来たよ、食べよ」
未知は私の声を聞いて、明らかに安著の表情を見せていた。
私がリビングを覗いた時、二人はただひたすらテレビの画面を見ていた。二人とも言葉を交わす事も、目を合わせる気配もない。一体いつから無言の状態だったのだろう。明るいリビングの筈が、どんよりとした黒い空気が漂っている気がする。
未知はその鬱陶しい重い空気から逃れるように素早くキッチンに足を踏み入れる。
沙織さんもゆっくりと立ち上がるとこちらに来る。
未知と圭が並んで座り、圭の正面に私は、腰をおろした。
一斉にいただきますをすると、早速親子丼に口をつける。
「何これ、凄い美味しい〜。圭も天才だね!!!」
私はあまりの美味しさに興奮してそう言う。私の中で、世界で一番おいしいのは、母の親子丼なわけだが、それと同等の味が今まさに口の中に広がっていた。
「ゆうに喜んで貰って良かった。ほら、ゆう。そんなに急いで食べたらむせるよ」
圭にそう言われたそばから、私はむせ咳き込んでしまう。
圭は立ち上がって私の元に来ると、背中を摩って、水を渡される。水を飲んで私はなんとか落ち着いた。
「ありがとう。気をつける」
圭がそれを聞いて、微笑んで頷いた。
圭は自分の席に着くと、親子丼を再び食べ始める。私と違って落ち着いて食べている。私が圭を見ていると、私の視線に気づいた圭が目が細くなくなるほど大きく微笑んだ。私は、沸騰した薬缶みたいに一気に顔が熱くなった。
「ねぇ、ちょっと聞いても良い?」
「「えっ?」」
私と圭の声が見事にハモった。
「二人は付き合いだしたの?」
そうなんだけど……、確かに付き合い始めたんだけど……、何か改めてそう聞かれると気恥ずかしくって、顔が締まらない。
「そうだよ」
圭も照れているのか、それを隠すようにちょっとぶっきらぼうに返事する。
「良かったじゃん、お兄ちゃん。なが〜い片想いだったもんね。ゆうゆ、お兄ちゃんの事よろしく〜」
「うん。ありがとう、未知」
さっきの未知と違って、いつもの明るさが戻って来ていてホッとした。この話題で、一気にダイニングの空気が和やかなものに変わって行った。
ある一角を除いては……。
沙織さんは、いただきますを言った後、何一つ言葉を発しようとはしなかった。
先ほどからそれが気になっていた私は、沙織さんに思い切って話しかけてみようと彼女を見た。
沙織さんは、突然立ち上がると、私をギロッと睨みつけた。
「私の方が相応しい。私の方がずっと圭人さんを愛しているのに。どうして……、どうしてこんな女なの? この女、他に好きな男がいるような女……。私は、絶対に許さない!!!」
私は、たった今起こった出来事があまりに衝撃的すぎて、口を塞ぐ事すら出来なかった。私だけじゃない、未知もまた目を丸くして沙織さんを見ている。圭だけが、冷静だった。
「君の気持ちは有難いけど、俺が好きなのはゆうだけだ。ゆうが誰を好きなのかなんて俺にとってはどうでもいいことだ。ゆうと傍にいられるだけで、俺は幸せだ。ゆうが、俺に相応しい女性かそうじゃないかは、俺が決める。君にとやかく言われる筋合いはない。未知の友達だからと大目には見られない。申し訳ないが、出て行ってくれないか。もうここには来ないでくれ」
沙織さんは、悔しそうに涙を溜めながら、それでもなお私を睨み続けていた。そして、椅子から立ち上がると、この部屋を辞そうとしていた。
「待って! ……沙織さんは、本当に圭が好きなんですね。確かに沙織さんから見たら私は相応しくない女なのかもしれない。でも、私は誰になんと言われようと圭の傍にいたいんです。圭が私に俺の前から消えてくれって言うなら私は消えます。だけど、圭以外の人に何を言われようと、悪口を言われようと、後ろ指を指されようと私は平気です。私にはその覚悟は出来ています。私は、沙織さんがなんと言おうとお付き合いを止めるつもりはありません」
私は、自分でも驚くほどに心の底からみなぎる強い意志を感じた。誰になんと言われようと引くつもりは微塵もなかった。
ある程度予測はしていた。圭が、女性にモテる以上、こんな風に言われる事もあるだろうと。そして、沙織さんを初めて見た時からこうなるだろうと。
沙織さんは、私をきつく睨みつけると、何も言わずに部屋を出て行った。
沙織さんが部屋を出て、ドアがバタンと閉まる音を聞いて私は漸く肩の力を抜いた。
「はぁ、やっと終わったね。あの子もうここにはこないわね。私もやっと解放された」
一番最初に口を開いたのは未知だった。
「解放されたって、友達だったんじゃないの?」
未知の口ぶりに私は問いかけた。
「確かに、クラスメイトではあるけど、学校では全く口を利かないわ。そうね、最初は少しは話していたかな、クラスメイトを数人ここに連れて来た時に、お兄ちゃんも家にいたから、その時に多分好きになったのね。それからは、いつもマンションの前で待ってるの。私も一応クラスメイトだし、邪険に扱うわけにもいかなくて。友達だと思った事は、正直一度もないわね。お兄ちゃんも何度も断ってるのに、言い寄られて、迷惑してたのよ。今日も私が帰って来たら、下で待ってたわ。あれは、立派なストーカーよ」
私には、沙織さんの存在が衝撃的だった。確かに私を見る目は尋常じゃないとは思っていたが、ここまで圭に固執していたとは。
「困ってたんだ。気持ちは嬉しいけど、俺は、彼女を好きではなかったし。だけど、未知の学校の同級生だから、冷たくあしらうわけにもいかなかったからね。ゆうの存在を彼女に見せれば、諦めてくれるだろうと思ってたんだけど」
そっか、だからあんなに変な空気だったんだ。未知が沙織さんといても楽しそうじゃなかったのはその為だったのね。
その日の帰り道、私は圭の隣を歩きながら、圭が難しい顔で何かを考えているのが気になっていた。
「圭? まだ、何か心配ごとでもあるの?」
私はそんな圭に、話しかけた。
「うん、未知はもう来ないだろうと言ってたけど……、確かにうちにはもう来ないかもしれない。だけど、帰り際の増田さんの態度を考えると、そんなに簡単に諦めてくれるのかなって思って。もし、逆恨みでゆうに何か嫌がらせでもされたら嫌だなって考えていたんだ」
私に嫌がらせ……か。
私は、あの私を見つめる鋭く光る恨みの籠った目が忘れられない。沙織さんならば、もしかしたらやりかねないのかなと思ってしまう。もし、何らかの嫌がらせを受けた場合私はどう対処すればいいだろう。
胸に重い荷物がどっしりと乗っかっているようで、気が滅入った。
「何かあったらすぐに教えて」
私は圭の言葉に黙って頭を縦に振る。不安になる弱い心は気力で押しつぶした。
「大丈夫だよ。私、絶対負けないんだから、ねっ」
私は圭に笑って見せた。しかし、圭の笑顔からは、心配は消えないようだった。
圭の心配とは対照的に、私の心には熱い闘志が溢れ出ていた。
来るなら来やがれ!!!