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Bitter Kiss  作者: 海堂莉子
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第32話

 私は、圭の顔が近づいてくるのが解ると、そっと目を閉じた。

 圭の唇が今まさに私の唇に重なろうとしたその時、ガチャッという大きな音と共に未知の「ただいま〜」という大きな声が聞こえて来た。

 ハッとして目を開くと、目がくっ付いて見えるほどに近くに圭の顔があって、自分でも驚くような速さでサッと身を引く。

「未知め」

 恨めしげな低い声を圭が呟くので、私はつい吹き出してしまった。それにつられるように圭もまた笑う。

「バンドエイド取って来るよ」

 私の頭にポンと手を乗せそう言うと、私だけをそこに残し、圭がキッチンを出た。

 私はポツンとその場に立ち尽くし、ぼんやりと物思いに耽る。

 今……キス……しようとした……よね。そっか、付き合ってるんだからそういうことも当然あるよね。

 私はその直後よりも、今になって胸の鼓動が激しくなった。あんなに近くで圭を見るのは初めてで、胸のざわめきは一向に止みそうになかった。

「ゆうゆ?」

 声をかけられ、目の前に未知の顔が突如現れたので、慌てて身を引く。

「えっあっ未知。おかえり」

「ただいま。今、沙織も来てるんだ」

 私は初めて沙織さんとここで会ってから、何度か顔を合わせているが、一つ気になっている事がある。

 沙織さんといる時の未知はあまり楽しそうじゃないのだ。いつもの未知の明るさが半減する。最初は、未知の具合が悪いんじゃないかと思っていたのだが、それが沙織さんといる時であると流石に鈍い私でも気付いてしまったのだ。

 何かあったのかな? 二人の間で。

 初めから未知が友達にするタイプじゃないとは思っていたが、未知は友達だって言っていたし、私がとやかく言う事じゃないんだけど、やっぱり気になってしまう。聞いてみたいけど、今は沙織さんがいるから、あとでメールでさりげなく聞いてみようかな。

 そんな事を、先ほどのキス未遂の余韻を残したぼんやり感の中で考えていると、圭がバンドエイドを持って戻って来た。

 私は自分でやるからいいよって言ってるのに、圭は俺がやると言って聞かないので、諦めてお願いすることにした。

 たかだかバンドエイドを巻いて貰っているだけなのに、嬉しいのはなんでなんだろう。

 ありがとう、と圭に微笑むと、圭は照れ臭そうに頭の後ろを掻いていた。

 それから、中断していた料理を再開する。

 未知は沙織さんが来ているので、リビングにいる。いつもなら未知の笑い声が絶えず聞こえるのだが―― 一人でもテレビを見て笑っている声は聞こえるし、私達がキッチンにいても大きな声で私達に話しかけてきたりもする――、殆ど…いや、全く聞こえてこない。

「ねぇ、圭。未知と沙織さん喧嘩でもしてるのかな?」

「えっ? どうして?」

 圭が鶏肉をなべに入れていた手を休めて問い返す。

「うん。いつもだったら未知の笑い声ずっと聞こえてくるのに、全然聞こえてこないよ」

 一瞬、難しい顔をしたが、すぐに穏やかな顔に戻すとこう言った。

「増田さんが来てる時はいつもああだよ。喧嘩してるわけじゃない」

 何となく圭の歯切れが悪い。やっぱり何かあるのかもしれない。私が圭をじっと見ていると、私を見て薄く笑う。

「あとで話すよ」

 うん、解った、とその場でのそれ以上の突っ込んだ質問は控えた。

 私の疑問を全て吹き消すようにいい匂いがしてきた。

「あ〜〜お腹空いた」

 私のぼやきに声を高めて圭が笑う。

「もう、そんなに笑うことないのに。圭はお腹空いてないの?」

 私は頬を膨らませてそういうのだが、こんな時のお決まりで、結局私も笑ってしまうのだ。圭が笑っているだけで、無条件に楽しい気分になって私も笑ってしまう。たとえそれが、怒っている時でも。

「俺も、腹減ってるよ」

 笑いながら圭は言う。

 今日のメニューは、親子丼と豆腐となめこの味噌汁、ほうれん草のおひたし。

 味噌汁を私は担当した。

 キッチンで誰かと二人で立つと、母を思い出す。

 大学時代には、実家に住んでいたが、就職を期に一人暮らしを始めた私は、母が少し懐かしくなってしまった。私はいつも母と二人でキッチンに立ち、料理を作っていたものだった。まあ、殆どは母が作っていて、私は雑用みたいなものだったけど。

 だから、未だにたいして料理が上手にならないのね、きっと。

「今、何考えてた?」

 圭に問われ私は顔を上げる。

「お母さんのこと思い出してた。こんな風に一緒に料理とか作ってたから。えへへっ」

 圭にホームシックにかかってると思われるんじゃないかと思って、笑って誤魔化した。

「お母さんと仲良かったんだ?」

「うん、こうやって料理を作ってる時に悩みとか相談してたの」

「恋の悩みとか?」

「それはなかったかな。大抵は友人関係のこと、あとは進路のこととか」

 でも、たった一度だけ、恋愛の相談に乗ってもらった事がある。というよりも、私の話を聞いて貰っただけなのだが。

 それは、恵人と翠が結婚を決めた時だったと思う。それを聞いて私は、母に私の辛い気持ちを語ったのだ。母と恵人は高校の時からちょくちょく顔を合わせていたし、直接言わなくても母には私の気持が解っていたようだ。

 話している間に、堪え切れずに涙が次から次へと流れて来た。母はただ黙って聞いていた。涙を流しながら、それでも溢れる辛い気持ちを全て吐き出し、横に立つ母を窺うと、母もまた涙を流していた。二人で子供みたいに大きな声でおんおんと大きな声で泣いた。

 結局その日は料理など作れる状況じゃなかったので、出前を取ることにした。

 父が帰って来ると、二人の泣き腫らした目を見て驚いていた。

 私の両親は今でも変わらず仲が良く、娘の前でもまるで新婚カップルかと突っ込みたくなるほどにいちゃいちゃし始めるのだ。

「二人とも一体どうしたんだい?」

 父の問いに再び私は泣きだしてしまい、父は私の背中を優しくさすってくれる。もはや喋ることもままならない私の代わりに私の苦しみを母は父に話して聞かせる。そして、父もまた涙を流す。話終わった時には、父も加わって三人で大泣きだった。

 そう、私の家族はいつもこんな風だった。苦しいことや悲しいことがあると、皆でとことんまで泣く。そうすると、そのあとは笑顔に変わるのだ。不思議なのだが、私達は沢山涙を流した後には、その同じ分だけ笑う。

 小さい時から私が泣いていると、父も母も一緒に泣いていた。一度、どうしてお父さんとお母さんもなくの? と聞いた事がある。まだ私が幼い頃だ。

「ゆうが泣いていると、お父さんもお母さんも悲しくなるんだよ。それに、一人で泣くより、三人で泣く方が心強いだろ?」

 私を抱っこして、頭を優しく撫でながら微笑む父に、私はにっこりと笑い返した。

 あの頃はそれが普通だと思っていた。だけど、大きくなるにつれ、友達のお父さんもお母さんも一緒に泣いたりしないと聞いて、一時期自分の家族はおかしいんじゃないかと思った時もあった。今では、私はこんな自分の家族が好きだし、自慢だと思っている。私たち家族は、悲しい時も楽しい時もいつも同じ気持を共有してきた。私のかけがえのない大事な家族だ。

「いいお母さんなんだ?」

 思い出にタイムスリップしてしまっていた私の顔をのぞき込み、圭が言った。

「うん、お母さんもお父さんも私の自慢だよ」

 ふふっと微笑んで圭を見る。この歳で家族を自慢するのは少し恥ずかしかった。そんな私を優しい瞳で見る圭。その瞳はお父さんがお母さんを見つめる時のものと一緒だった。


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