第28話
なぜか私は不安を感じた。
彼女に圭を取られると思ったから? 私は圭と付き合ってもいないのに……。
圭がモテる所を目の当たりにしたから? 圭がモテている場面をしっかりと目撃したのはこれが初めてだ。やっぱり自分では圭とは釣り合わないのかな。
彼女の目が私を責めているように感じたから? 『私はこんなに彼を好きなのにあんたはそうでもないんでしょ?』そう言われている気がした。
私に対する彼女のあの敵意むき出しの目、あそこまで私は誰かを思った事があるだろうか。私にはあそこまでの独占欲はない。それがあったならば、とうの昔に翠から恵人を奪っているに違いないのだから。あの目を見ると不安になるのは、それを見透かされているからなのだろうか。『中途半端な気持ちで彼に近づくな、目障りなんだよ』彼女の心の声がそう言っている。
これって被害妄想なのだろうか。
違う、図星なんだ。まだ自分の気持ちがはっきりしないから、このまま傍にいてもいいんだろうかと、私は圭の傍にいてはいけないんじゃないだろうかと不安になる。中途半端に揺れる気持ちなのに圭の傍にいたいと思ってしまっている。
「話してごらん。何がそんなに不安?」
ああ、また顔に出てるんだな。情けなくて自分がいやになる。圭の顔を見上げる。
「私が……、こんな中途半端な私が圭の傍で、圭を……圭の笑顔や優しさを独り占めしていいのかな?」
「ゆうは、俺の傍にいるのいや? 俺と会うのいやかな?」
私は首が振り落とされてしまうんじゃないかと心配になるくらい激しく首を横に振った。
「じゃあ、何の問題がある?」
「でも……」
私が口を開こうとして圭に制された。
「他の誰でもない俺が、ゆうに傍にいて欲しいって思ってるんだ。これはどっちかっていうと俺の我が儘だと思うんだけどな。ゆうは誰に気兼ねしてるの? 俺を独り占めしたら駄目なの? 俺は俺の意志でゆうに笑いかけるし、会いたくなったら会いに行く。俺が勝手にやっている事だよ。誰がなんて言おうと俺の気持ちは変わらないし、変えるつもりもない。ゆう、昨日未知に聞いたんだろ? 俺のこと」
「えっ? どうして知って……」
これじゃ聞きましたって言っているようなもの。
「ドレッシング買って来てって頼んだのに、冷蔵庫の中にはまだ買ったばかりのドレッシングがあった。あいつは俺を部屋から追い出して、ゆうと二人で話がしたかった。俺を追い出してまで話す事って言ったら俺のことしかない。違う?」
「その通りです。なんか、圭が探偵さんみたいだった」
クスッと笑って私は言う。圭が探偵さん……似合うかもしれない。
「で、何を聞いた? 俺がゆうに一目惚れした話とか?」
うんと、私は素直に頷いた。
「やっぱりか、あのお節介め。余計な事ばっかすんだから。まあ、バレたものは仕方ない。未知が話したのは全部本当だよ。俺は、ゆうが高校時代の最後の大会の時に見たんだ。そして一目惚れした。でも、未知にも言ってないことがある。あの日、俺はゆう、君と言葉を交わしているんだ」
「え?」
「あの日、俺とゆうは擦れ違いざまにぶつかったんだ。その時にゆうの鞄についていたバッチか何かの安全ピンが外れていて俺の腕に刺さったんだ。そんな大したことない怪我だった。安全ピンだからね少しは血が出たが、放っておけば治る程度のもの。だけど、ゆうはそれはもう心配してくれて、ごめんなさいって何度も何度も謝って。それを見てたら面白かった。こんなに小さな怪我なのにこんなに慌ててて、可愛いなって思った。そして、ゆう、君は俺にハンドタオルを手渡してくれた。半ば無理やりに。これ使って下さいって言って走り去っていった。残された俺は唖然とした。タオルを使うほどの血は出てなかったから。その後、俺は未知の試合を観戦しに行った。そうしたら、さっきの女の子が未知と一緒に試合に出ているのを見つけた。大きな声でコート内を走り回って、すっごい汗かいてた。それなのに、君はタオルを持っていなかった。だって、俺に渡してしまったんだからね。リストバンドで拭うには足りないくらいの汗を君はかいてた。だけど、君はそれが気にならないのかそのままで試合を続けていた。君がボールを打つ毎に汗が飛び散った。それが太陽の光に反射してとても奇麗だったんだ。気付いたら俺、未知の応援をしに来た筈なのに、君しか見ていなかったよ。その試合が君にとって最後の試合だった。相手に敗れたけど、君は笑っていた。汗をたくさんかきながら笑っていた。今思えば、あの汗に涙も混じってたのかなって思うけど。俺はね、あの時君を好きになったんだ。あれからずっと君が忘れられなかった。俺の気持ちはあの時から一つも変わってない。いや、寧ろあの時よりも強くなってるくらいだよ」
私は、あの時のことを実は覚えていた。圭だとは勿論今の今まで全然気付かなかった。男の人にぶつかったっていう記憶は私の中に残っている。あの時、私はコートに至急集合してくださいと言う呼び出しを受けて、急いでいた。そんな時に男の人にぶつかってしまって、しかも腕に血を流すほどの怪我をさせてしまって本当にテンパっていたのだ。しかも、その男の人が凄く恰好良くて緊張して、馬鹿みたいにごめんなさいばっかり言ってたのも覚えてる。半ば強引にタオルを押しつけて、とにかく急いでいたからその場を立ち去った。試合中にタオルを渡してしまったから汗を拭けない事に気付いたけど、まあ、汗なんか垂れ流しといていいやとか思ってそのままにしてたんだけど、その姿を圭がずっと見ていたなんて、それを奇麗だなんて……嘘でしょ。
「覚えてます。圭だったんだね」
「あのタオル、今でも持ってるんだ。あれ、俺が貰ってもいいかな?」
「あの、別に構わないですけど、あのタオル凄く臭くなかったかな? あれ、私の汗凄いついてるやつだったのに。凄い慌ててたから汗臭いタオルなんか渡してしまって、ティッシュを渡せば良かったのに」
昔の自分の失態に穴があったら入りたい気分である。
「なんか、あまりの衝撃で、自分が何を不安に思っていたのか解らなくなっちゃった」
「うん、それでいいよ。不安に思う必要なんかないんだから」
ゆうらしいよと、言って圭はけらけらと軽快に笑った。
私の不安が晴れたように、雨も上がっていた。
「ゆう。君の気持ちがまだ俺に向いていないとしても俺は傍にいて欲しいんだ」
「圭の傍にいていいのかな……私」
傘を閉じて、私は圭を見上げてそう問いかけた。
「いいんだよ。俺がゆうにお願いします。俺の傍にいて下さい」
私は驚いた。圭は私の為に頭を下げているのだ。私は何を不安に思ってたんだろう。沙織さんの目が怖かった。圭には私は相応しくないって言われているんだと思った。
でも、私は間違っていたのだ。私が圭に相応しいか相応しくないのかは、圭が決めること。他の誰かが決める事じゃない。圭が私を好きになってくれた。私はまだそれにはっきりと応えられないけど、それでも一緒にいたいのだ。それでいいんじゃないだろうか、私達二人がそうしたいと願うのなら、それが答えなのだから。私は圭を独り占めしているのかもしれない。私の我が儘でも、今、傍にいたいと思う気持ちは嘘じゃない。
「うん。私、圭の傍にいる。私も傍にいたい。まだ、圭の気持ちにきちんと応えられないけど、それでも傍にいたい」
私は圭の下げた頭を抱き締めると、そう言った。圭は私の手を掴んで解くと私をすっぽりと包んだ。
いつもそう、圭は私が気を落としているとこんな風に包んでくれる。外敵から私を守るように。だから私は安心して、その中で眠る事さえ出来るのだ。
ずっとこうしていたい……と思うのは何かが私の中で芽生えたからだろうか。