第25話
「そうだ。ゆうゆにいいもの見せてあげるよ」
食後リビングに移動した私達。暫く他愛もないおしゃべりに花を咲かせいたのだが、突然思い出したように未知が私にそう言った。そして、ちょっと待っててねと、一つの扉の中へ消えていった。そこが恐らく未知の自室なのだろう。そこからがさごそと何かを捜しているような音が聞こえてくる。
「あ〜、何か嫌な予感がする」
矢田さんが未知の自室のドアを見ながらぼそりと呟いた。え? と、私が矢田さんを覗き込んだと同時に、未知がドアを勢い良く開けて出て来た。未知は満足げな顔をしているが、矢田さんは苦虫をかんでいるような顔で未知が持っている物を見ている。それは、恐らくアルバムなのだろう。そして、矢田さんのあの嫌がり方からして、最近のものではなくて、幼き頃の写真。矢田さんは、未知がアルバムを開くのを何とか阻止しようと試みるがそんなものを未知が素直に聞くわけもなく、私も二人の幼い頃の写真を是非とも見たかったので、矢田さんには申し訳ないが、未知に加勢させて貰った。
「ゆうちゃん……」
と、複雑な顔を私に向けたが、私はにこりと笑いかけた。
ごめんなさい、矢田さん。でも、見たいんだものと、私は心の中でそう矢田さんに言い訳をした。
矢田さんは私の笑顔を見て、抵抗するのを止めた。
少し色あせた感じのする表紙を未知がめくると、まず私の目に飛び込んできたのは、ご両親が並んで写っている写真。そして、お母さんの腕に抱っこされている赤ちゃん。
女の子に見えるから、これは未知なのかな。
「これ、お兄ちゃん」
未知が赤ちゃんを指さして、笑いをこらえてそう言った。
「えっ嘘! 超可愛い!!! 女の子みたい」
本当に頬っぺたが丸くて、桃色で、きっと触ったらぷにぷになんだろうなと思った。ぱちくりおめめの中の黒目はまだ何も汚れを知らず、透き通った輝きを放っていた。
「でしょ? お兄ちゃんってば、幼稚園卒園するくらいまで、必ず女の子に間違えられてたんだって。男の子っぽい洋服着てても女の子に間違えられたんだってよ。どんだけ、可愛いんだよって感じだよね」
矢田さんをちらりと見た。止めてくれというように頭を抱えて、項垂れている。
だが、そんな風にされても未知にも私にも止めるつもりは毛頭なかった。
赤ちゃんが段々と成長をし、首が座るようになり、寝返りが出来るようになり、ハイハイ、つかまり立ち、あんよ。その過程通りに何枚もの矢田さんの笑顔がそこに収められていた。1歳になり、2歳になり、そして未知が誕生する。小さいながら一生懸命に未知を抱っこしようとする矢田さんの可愛らしい姿。ページを捲るごとに歳を重ねて行く二人。小学生の頃の二人はどれも泥んこだった。
中学生の入学式の矢田さんは、少し大きめな学生服を身にまとい、頼りなげだが小学生の頃に比べたら、幾分男らしくも見える。
高校生の矢田さんは今より少し若いが見た感じはあまり変わっていないように思う。私の全く知らない女の子と笑って写っている写真があった。私はその写真を見て、胸がぢりりと痛んだ気がした。その痛みを無視して私は写真に見入る。その辺りからの写真には、サッカーをしている矢田さんの姿が多く見られた。
「矢田さん、サッカー部だったんですね」
矢田さんからの返答はない。先程の頭を抱えた状態で、どうやら拗ねてしまったようだ。
「そうそう、お兄ちゃん超上手かったんだよ。女の子にもモテモテだったもんね。あっ、これこの頃の彼女だよね?」
そっか…、そうだよねぇ。こんなに恰好良かったら彼女がいたって当たり前だよね。私みたいな彼氏いない歴5年以上のモテない女とは違うよね。
私だって中学校の時に短い間だったけど、付き合っていた男の子がいたんだ。男の子の方から告白して来て、私は気になっていた人だったから迷わずОKした。一緒に登下校したり、手を繋いでみたり、デートしたり、一度だけキスだってした。 甘酢っぱい青春の1ページを一応は過ごしていたのだ。だけど、その男の子は付き合いだして1か月たったくらいに私に別れを告げた。その男の言葉は、「なんか違うんだよね。思ってたのと違った」というものだった。私にどんな幻想を抱いていたのかは知らないが、あまりに何様な態度に腹が立ったのを覚えている。確か1年生の終わりか、もしかしたら2年生になっていたかもしれない。その男の子とはそれ以来卒業まで一度も言葉を交わさなかった。
何て自分の思い出に少しばかり浸ってしまった。それにしても何よ、この笑顔……。なんか気にくわない。ってこれ私、昔の彼女にやきもち焼いてるの? そんな馬鹿な、滅相もない。私はぶるぶると首を横に激しく振った。
「ゆうゆ? 何やってんの?」
いや、アハハッと笑って誤魔化す事しか出来なかった。
大学の時の写真は殆どなかった。恐らくサークルかゼミか何かの集団写真が何枚かあるだけだった。
最後の一枚は矢田さんがスーツ姿でびしっと決めている写真。
「あっ、これ入社式の日に家の前で撮った写真だね」
未知の実家の玄関先で撮ったのだろう、玄関に見覚えがある。未知の実家には何度か遊びに言った事があるが、矢田さんと出くわしたことは一度もない。あの家で矢田さんは育ったんだ。遠い記憶を辿る。二階に上がる階段の壁に昔流行ったアニメのキャラクターシールが貼ってあって、未知が昔お兄ちゃんとそこに貼って親に超怒られたと言っていたのを思い出す。
私は矢田さんのその写真をじっと見つめていた。他のどの写真よりも良い笑顔をしている。私に何度もしてくれる、私を落ち着かせてくれるあの笑顔がそこにあった。未知が突然その写真を引き剥がし、私の前に突き出した。え? と私が戸惑っていると、
「あげるよ、これ。この写真気に入ったんでしょ?」
そう言って微笑んだ。頭を未だに抱えていた矢田さんがどの写真だと顔を上げようとしていたので、私は急いで未知からその写真を受け取り鞄の中にしまってしまった。
「未知。ありがと」
うん、と満足そうに未知が微笑む。そう、本当にその写真が私は欲しかったのだ。あの笑顔を、元気がない時のお守りのように持っていたいとそう思っていたのだ。
「どんな写真? もしかして変なやつ?」
「そっ、お兄ちゃんが変顔してるやつだよ。ね、ゆうゆ?」
未知が矢田さんをわざとからかうようににやりと笑ってそう言って私に同意を求めた。う、うんと、私は曖昧に頷いた。矢田さんの私を疑るような視線を上手くかわし、視線が合わないように努めた。
「写真も見終わった事だし、トランプでもしよう」
未知が矢田さんの視線から私を反らせる為にそう言うと、トランプをリビングの小さなテーブルにどんと置いた。大分ねんき物のトランプで、ケースの四隅が丸く削れて丸くなっていた。
「またトランプ?」
矢田さんが嫌そうな表情を顔いっぱいに浮かべている。またと言うくらいなのだから、結構兄妹でやったりしているのだろう。一人っ子の私には羨ましい限りだが、とうの本人達は煩わしいこともあるようだ。
「いいじゃん、トランプ楽しいんだから。ゆうゆはいや?」
「え? 私は別に嫌じゃないよ。トランプ最近やってないから、ちょっと楽しみかな」
「てわけで、2対1でトランプをやる事に決定いたしました」
矢田さんもこの決定に仕方ないなと大袈裟に溜息をつきながらも、いざやるとなると未知と何をするか早速話し合っている。
その日の午後はずっと三人でトランプをして過ごした。久しぶりにやるトランプは、思いのほか楽しくて、最初は渋っていた矢田さんも始まると楽しかったようで、始終笑顔を絶やさなかった。途中、未知と矢田さんがプチ兄妹ゲンカも披露したが、基本的には未知が強く、矢田さんが折れるとパターンが定着しているようだ。矢田さんの少しむきになっている姿も何だか新鮮だった。矢田さんを知れば知るほど、冷静でもクールでもない面を知る。だけど、よく笑って感情を表情に見せてくれる矢田さんの方が私はよっぽど好きだと思った。知れば知るほど、近づけば近づくほど、見れば見るほど矢田さんに容赦なく惹かれて行く自分を目の当たりにする。