第24話
「ゆうゆ、お兄ちゃんね。私達が高校生の時からゆうゆのこと好きだったんだよ」
「え?」
私は未知を穴が開くんじゃないかというほど見つめた。未知の真剣な表情は嘘をついているようにはどうしても見えなかった。だが、私は矢田さんとは会った事はなかった筈だけど。
「私達の引退試合の日覚えてる? あの日、お兄ちゃん応援に来てくれてたの。その時に、私とペアを組んでいるゆうゆに目が止まった。要するに、一目惚れだったみたい。その日、家に帰ったらゆうゆのことばっかり聞くから私ついからかっちゃったの。お兄ちゃんそれ一目惚れなんじゃないのって。図星だったらしくて、それから私が何聞いても話してくれなくなっちゃった。私が紹介してあげようか? って言ってもお前には頼まないって、本当は紹介して欲しいって思ってるのに、意地はっちゃってさ。その後、お兄ちゃん何も言わないからもう諦めたんだって思った。私が言うのもなんだけど、あの顔で優しいでしょ? いろんな女が近寄って来て、その優しさに付け込んで付き合ってもいないのに彼女気取りしたり、言い掛かりを言ってきたりでそのたびにお兄ちゃんが傷ついていた。ゆうゆに会ったあの日からお兄ちゃんが誰かと付き合ったり、好きになることはなかったの。今朝、私問い詰めて洗いざらい吐かせたの。会社に勤めるようになって、高校時代の同級生だった健司さんと偶然同じ会社で再会して、それで翠さんの写真を見せて貰った時に笑顔で写ってるゆうゆを見つけた。今度は絶対にゆうゆと出会いたいって、あの時意地なんて張らずに紹介してもらえば良かったって後悔してた。ゆうゆの事がたった一度見ただけの、全然話したこともない、知らない女の子なのに、こんなに忘れられないなんて思いもよらなかったって。だから、健司さんに紹介して貰えるように頼んだんだって。正直、私もお兄ちゃんに悪いことしたって思ってたの。高校3年の夏、二人が出会えなかったのは私のせいだって。だから、私、お兄ちゃんが今日ゆうゆを連れて来た事、凄くすご〜く嬉しいの」
未知の瞳はうるうると輝き、涙が零れそうになっている。本当に未知は自分のせいで私達が出会えなかったんだと心の底から悔いていたのがよく解った。
もし、あの頃に矢田さんに出会っていたならば、今とは状況は違っていたのだろうか。未知に矢田さんを紹介されたとしたならば、恵人に会う前になっていただろう。私は、矢田さんを好きになったのだろうか。恵人に会っても好きにならなかったのだろうか。
こんな事を考えてみたところで何の足しにもならないのだが、考えずにはいられなかった。
「お兄ちゃんのこと好きになってとは言えないけど、そうなったらいいなって思ってる」
「私も……、そう思ってるよ」
未知は私の言葉に首を傾げた。
「私も矢田さんを好きになれたらいいなって思ってる。ただ、恵人を想っていた期間と一緒にいる時間があまりにも多くて、中々私の中からあいつが消えてくれない。私、もうこんな苦しい気持ちは捨てたい。誰かと…、矢田さんと幸せになりたい」
好きになる時はあんなにあっという間なのに、忘れるのにはどうしてこんなに時間がかかるんだろう。私だって、恵人をすぐに忘れていたら、翠と付き合い始めた時点ですぐにこの気持ちと決別する事が出来ていたら、もっと違う誰かと楽しい学生生活が送れたかもしれないのに。いつまでたっても消えてくれないこの気持ちに、軽い苛立ちを感じた。
「大丈夫だよ、ゆうゆ。そうやって言う事が出来るなら、絶対大丈夫。お兄ちゃんがきっと忘れさせてくれるよ」
未知はそう言って私にお花が咲いたような可愛い微笑みを向けた。
未知はきっと私達のことを暖かく見守ってくれるんだろうなって思う。強力な味方を手に入れたようで凄く頼もしかった。私は、意味もなくふふふっと笑いが込み上げて来た。よく解らないけど、ただ笑いたかった。この苦しい恵人への思いを笑い飛ばしたかったのかもしれない。未知もつられて笑う。こうやって未知と沢山話して、笑い合うのはとても久しぶりで、だけど、二人の雰囲気はあの頃のままで安心した。
あの頃はまだ恵人と出会っていなかったから、お互いの好きな人の話とかもその頃にはしていた。でも、本当にお子様で好きな人とどうなりたいかなんてちっとも考えていなかった。目が合った、挨拶した、肩が触れたとそんな小さなことできゃっきゃと騒いでいただけだ。
恋の話よりも、テニスの話とか友人関係の話の方が明らかに多かったのだ。
ガチャっと音がして、矢田さんが帰って来た気配がした。
お迎えがしたくて、私は玄関まで小走りで向かった。
玄関で矢田さんが腰をかがめて靴を脱いでいる。たったそれだけのことなのに、さまになっている。
矢田さんが顔を上げるのを待って、「おかえり」と、笑顔で迎えた。
矢田さんが一瞬にして固まってしまったので、私は首を傾げ、矢田さん? と呼びかけた。はっと我にかえった矢田さんはふっと笑顔になった。その笑顔にドクンと私の心臓が大きな音をたてた。
「今のは反則。俺のハートを鷲掴みにしたよ」
矢田さんはケタケタと笑いながら、そう言った。
「矢田さんのその笑顔も反則です……」
「え、何? ゆうちゃんも鷲掴みにされたの?」
「知りません」
と、笑って言うと踵を返し一足先に歩き始めた。すぐに矢田さんに追いつかれ、矢田さんを横目に見上げると、矢田さんは照れ臭そうにくくくっと笑った。私もふふふっと笑う。
単純に矢田さんと出会えたことを幸せだなっと思う。この先、二人の関係がどんな風になっていったとしても、この出会いは私にとってとても大切な物だと思う。
三人は、ダイニングで未知の作った料理を食べた。
未知の作ったトマトソースパスタも、サラダも、スープもどれも頬っぺたが落ちてしまいそうなほどに美味しかった。
「美味しい。未知がこんなに料理が上手だなんて知らなかった」
確か、高校の時は全く料理は出来なかったような記憶がある。いつの間にこんな上手に料理が出来るようになったのだろう。
「最初はね、超不味かったんだよ。でも、猛特訓してここまでになったのよ」
未知は得意げにそう言った。
「彼氏の為だもんな」
矢田さんがニヤニヤと笑いながら未知を見る。未知がギロッと矢田さんを睨みつける。
「そうよ、良いじゃない。胃袋は掴んでおいた方がいいのよ」
ふんっと鼻息まで聞こえて来そうなほど、強気にそう言った。
「未知、彼氏いるんだ?」
兄弟のプチゲンカ? を聞いていた私は気になって口を挟んだ。
「うん。実はね、ゆうゆも知ってる人だよ」
途端にとろけるような、締まりのない顔に変わる。
「え? もしかして……小出先輩とか?」
小出先輩とは、私達の高校時代のテニス部の一つ上の先輩だった人。実は、未知は小出先輩のことを一年生の頃からずっと好きだったのだ。だが、小出先輩には当時同じ部活内に同級生の彼女がいて、未知には悲しい片想いの日々だった。ただ、小出先輩と未知はとても仲がよく、その事で小出先輩の彼女から睨まれていたりもした。だからといって小出先輩と距離を置くということはしなかった。結局、先輩の卒業までに未知が想いを伝える事はなかった。先輩の卒業後も連絡だけは取っていたようだが、私の知っている限りでは会っているとは聞いていなかった。私と会わなかった期間に恋人にまで登りつめていたということなのだろう。
「うん。やっと先輩の心を射止めたよ」
その笑顔は、自信と幸せに溢れていた。決して楽な道のりじゃなかった筈、彼女だった人と一悶着も二悶着もあっただろうから。それを乗り越え、それでも好きでい続けた未知の笑顔は私にはとても眩しいものだった。
「良かったね」
何だか嬉しくて涙が溢れそうになった私は、何とかそれを堪えて笑顔で言った。
「うん、ありがとう。泣かないでよ、ゆうゆ」
「泣いてないよぉ」
泣かないでと言った未知も涙を浮かべていた。
本当に、本当に良かった。
「ほら、二人とも泣かないで。さ、ご飯を食べよう」
矢田さんの大きい手が、未知の頭を撫でる。そして、その手が私の頭の上にも落ちて来て、そっと撫でてくれた。
私も未知も矢田さんのその言葉に素直に頷き、食事を再開する。
未知の料理は少し冷めてしまったけど、十分美味しかった。