第22話
「好き」って切なくて、苦しくて、でも一緒にいたくて……。
そんな気持ちが「好き」ってことだと私は思っていた。恵人を好きな私は、いつもそうだったから。
だけど、矢田さんといる私は、切なさや苦しさの感情はまるで現れない。矢田さんといる時にあるのは、安心と癒しと信頼。一緒にいてとても楽しいが、ずっと一緒にいたいというまでの気持ちは恐らくまだなく、だが、会いたいと思うことはある。
やはり私が矢田さんを思う気持ちは、妹が兄を思う気持ちと似通っている気がする。
「そろそろご飯にしよっか」
未知の一言で、現実へと引き戻される。未知はそう言うとキッチンへとふんふんと鼻唄を歌いながら歩いて行った。
「何か手伝おうか?」
私がその背中へ声をかけると、「ノープロブレム。ゆうゆはお兄ちゃんと話しでもしてて」と返されてしまった。
突然、未知が抜けて、二人きりになってしまった私と矢田さんは何だか気づまりな感じがした。
「ごめん、ゆうちゃん。あいつ本当煩くて。放っといていいから」
矢田さんが眉間に皺を寄せ困った顔でそう言った。もしかしたら、兄弟の中で未知の方が立場が上なのかもしれない。
「全然平気ですよ。久しぶりに会えて嬉しいです。私達高校の時にずっとペア組んでたんですよ」
私は、未知の話をしていたらドンドンと色んな事を思い出していた。
未知と私は高校に入って初めて会ったのだが、それは、入学式の次の日だったと思うが先生に呼び出された時である。呼び出されたと言っても何か不味いことをやったとかではなくて、中学でテニス部に所属していた子は全員招集されたのである。というのもすぐに新人戦があり、入部するしないにかかわらずとにかく大会だけでも出てみないかというもの。そこに未知はいたわけなのだが、正直記憶にない。
私は同じ中学で、テニス部に所属していた友達と相談して、取り敢えず大会に出る事にした。その大会に未知も出ることを決め、そしてその大会から私達のペアの歴史が始まるのであり、すぐに大親友になった。テニス部は練習も結構ハードで、毎日の放課後の練習、雨の日の校舎内での走り込み。休みなど殆どなかったけど、楽しかった。夏休みの合宿では、朝から晩までテニス三昧で、夜は夜練が終わるとすぐに寝てしまったものだ。
試合に負けて悔しくて泣いたり、先生に罵倒されて泣いたり、勝って抱き合って喜んだり、あの頃は色んな事が毎日目まぐるしく通り過ぎていた。
戻りたいな……、あの頃に……。ただ毎日一生懸命に生きていたあの頃に。
私は、思いついたそばから未知との思い出の話を矢田さんに聞かせた。
「今、あの頃は楽しかったな、戻りたいなって思ったでしょ?」
「え?」
矢田さんを見ると肩を震わせて笑っていた。
矢田さんって案外笑い上戸なんだわ。
「あってますけど。私ってそんなに顔に出てます?」
少し不貞腐れた気分でそう言った。自分の気持ちが顔に出るのも、何だか面白くない。恥かしくて顔を俯いていても、それを言い当てられると恥かしさも倍増なのだ。
「出てるよ、ものすごく。ゆうちゃんの反応が凄く面白い。学生時代いじられキャラじゃなかった?」
ものすごくってそこまで私は顔に出てるんだ。何も隠せないんだな、私って。それって良く言えば素直、悪く言えば……。なんかへこみそうだから、これ以上余計な事を考えるのはよそう。
「友達にほんとあんたはいじりがいがあるわって言われたことならありますけど……」
「うん、どんな反応が返ってくるのか試してみたくなるんだよね。見てて飽きない、ずっと見ていたい。ゆうちゃん、好きだよ」
「何で、そこで好きとかの話しになっちゃうんですか!!」
矢田さんはくくくっと笑った。それを見て、私はまたからかわれたのだと悟る。
「ほら、顔真っ赤。目も泳いでる」
「わざとですね? 今、わざと言ったんですね? 今までのも全部嘘なんですか? 私をからかう為の……」
何だろう、よく解らないけど泣きそうだ。さっきは矢田さんのこと好きなのか解らないって思ってるのに、矢田さんが私を好きだって言ったのがもしかしたら私をからかう為のただの嘘だったかもしれないと思ったら、なんだか胸が苦しくなった。矛盾してる……。
頭ではお兄ちゃんのような人だって思っているのに、心は矢田さんの言葉一つにいちいち反応している。
ただ、一つだけはっきりしている事、私の前から矢田さんがいなくなるのだけは、嫌だ。矢田さんと知り合う前には到底戻れないと感じていた。それほどに私の中で矢田さんは、こんなにも大きな存在にいつの間にかなっていたのだ。
「ゆうちゃん、俺は嘘は言ってないよ。ゆうちゃんの反応が見たくて、わざと言う時もあるけど、でもそれは全部本心だから。俺がゆうちゃんが好きなのは、揺るぎがない事実なんだよ。俺が好きだよって言う度に君が顔を真っ赤にするのが嬉しいんだ、君が俺の一言に反応してくれる事が。俺のこと嫌いなら、きっと何の反応も示してくれてないと思うから」
嫌いなら、きっと何の反応も示してくれてないと思うから……。確かに矢田さんの言う通りなのかもしれない。例えば、うちの会社の上司に好きとか言われても、全然反応しないように思う。「あっ、そうですか? 有難うございます」と、適当に受け流すだろう。
待てよ…、考える相手が会社の上司じゃ説得力に欠ける。なにせ年配の方ばかりだし。それじゃ、健司さんだったら? あの人ならいつも甘い科白を言う。そういう所、ちょっと矢田さんと似てる。でも、やっぱり上司の対応と一緒になってしまうだろう。
私って何だかんだ言って、矢田さんをどこか特別な存在に思っているのかもしれない。
あぁぁぁ、解んないや、もういい、考えるのよす。
ただ一つ間違いないのは、私が反応を示すのは、矢田さんと恵人だってこと。
とにかく私は今、矢田さんに本当に好きだと言われて、嬉しいやら、恥かしいやらで、とても矢田さんの顔を見る事は出来そうにない。
「俺が君にキスをしたらどんな反応をするのかな?」
えっ? と呟いて矢田さんを見上げると、思いの外近くに顔があって、びくっとなり固まってしまった。と同時に、何をしようとしているのかに思い至ると慌てて、パニックになった。
「えっ、いやっ、あのっ」
言葉にならない言葉を口にしたが、矢田さんの行動は止まらない。徐々に近づいてくる矢田さんの顔。もう既に矢田さんの吐息が頬をかすめる距離まで来ていた。止めなきゃならないとは思っているものの、どうしたらいいのか頭が上手く回ってくれない。
それというのも近くで見る矢田さんの顔が凄く魅力的で、ただうっとりとその顔を見ていたいと思ってしまったのだ。
近づけば近づくだけ焦る気持ちと、矢田さんの顔をもっと見ていたいと思う気持ちが絡み合う。矢田さんの顔を間近でいろんな角度からじっくりと見てみたかった。
堪らず私は矢田さんの両頬を手でがしりと掴んだ。矢田さんは、びっくりして目をまん丸くして私の顔を見ている。それをやった本人も自分の行動に驚きと何てことしてしまったんだという後悔が瞬時に襲って来た。だが、ここまできて後に引く事は出来ないし、かと言ってこのまま顔見せて下さいって正直に言うのも何だかとても滑稽だ。私は、その状態のまま悩んでいた。矢田さんは、私がこの先どうするつもりなのか目を丸くしたまま、ただひたすら待っていた。