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Bitter Kiss  作者: 海堂莉子
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第20話

季節を表す表現を今まで書き損じていました。

恵人と翠が結婚したのが、春休み。そしてこのストーリーが始まったのは6月です。

 あまりに悩んでいると、矢田さんに失礼だし、矢田さんもこの話はおしまいっていっていたので、私は違う話を矢田さんにふった。

「矢田さんのお家はここから遠いいんですか? 送ってもらっちゃって、終電とか大丈夫なんですか?」

「いや、実はこの近所なんだ」

「え?」

 驚いた私は矢田さんを見上げる。矢田さんはそんな私を可笑しそうに笑っている。

「TSUTAYAがあるだろう? その裏のマンションの5階に妹と一緒に住んでるんだ」

 TSUTAYAと言ったらうちから5分くらいで行ける距離にある。うちから矢田さんちまで目と鼻の先だ。そんなに近くに住んでいるなんて思いもよらなかった。というか、言ってくれれば良かったのに。

「妹はね、ゆうちゃんと同い年なんだ。今度、ゆうちゃん遊びにおいで。妹を紹介するよ。君とはきっと気が合うと思うんだ」

 矢田さんの楽しそうな表情が恵人の家での暗い気持ちを徐々に解き解していく。矢田さんの笑顔を見ていると、不思議と自分も笑顔になって行く。

「矢田さんがいてくれて良かった……」

 私の考えていた事が口をついて出て来てしまった。え? と矢田さんが私の顔を覗き込む。不思議がるのは無理もない。今は、矢田さんの妹さんの話をしている時だったのに、突然こんな事を言ってしまったのだから。

「矢田さんにいっつも助けられてて、きっと今日だって一人でいたらまた泣いてたんじゃないかと思うんです。有難うございます」

 矢田さんはアハハッと軽く笑って、私から顔を逸らした。暗くてよく解らなかったけど、きっと照れてるんだと思う。アパートの前に着くと、私達は自然と向かい合った形で立っていた。

 ここでサヨナラなんだけど、まだ別れたくないような、もう少し喋っていたくて、だけど、お茶を飲んで行きませんかという科白も、じゃあまたという科白も、どっちも言い出せなくて、ただ矢田さんを見て黙り込んでいた。

「明日、ゆうちゃん暇?」

「へ? あっ、はい。暇ですけど……」

「じゃあ、明日うちに遊びにおいでよ」

「へ? あの……はい」

 私は突然の誘いによく解らぬまま返事をすると、矢田さんはにこりと微笑んだ。

 今の笑顔を写真に撮って、引き伸ばして額縁に入れて飾っておきたいとそう瞬時に考えるほど心を揺さぶる笑顔だった。

「じゃあ、明日11時に迎えに行くよ。それじゃ、また明日」

 それだけ言うと矢田さんは踵を返し歩き出した。

 ピンと伸びたその背中をぼんやり見ていた私は、ふと我にかえり、

「おやすみなさい。また、明日」

 小さくなっている矢田さんに声をかけた。近所迷惑にならないようにあまり大きな声を出さなかったのに、矢田さんには聞こえたようで振り返って手を振った。


 翌日、どんよりと厚い雲に覆われて今が梅雨の時期である事を思い出させた。数日間の梅雨とは思えない快晴続きにテレビの気象予報士は引き攣った笑顔をしていたが、今朝は嬉々とした表情をしているのは気のせいじゃないだろう。

 今日は午後からしとしとと雨が降るのだそうだ。

 矢田さんは昨夜の宣言通り11時に玄関のチャイムを鳴らした。

 だが、私は知っているのだ、矢田さんが30分も前に来て、下で時間になるまで待っていたのを。

 下手すればストーカーに間違われるのに。私は本当は用意が出来ていたのに、来てもいいよって電話出来たのにしなかった。

 私は窓からこっそりと矢田さんの姿を見ていた。

 煙草を吸う矢田さん、欠伸を噛み締める矢田さん、何度も時計を気にしている矢田さん、ちらりとうちを見上げる矢田さん。その一つ一つに見入っていた。多分、こんなに気の抜いている矢田さんは滅多に見れれるものじゃないから、私はくすくすと笑いながら見ていたのだ。

 11時になると矢田さんはアパートの建物内に入って来た。

 私は今まで上からこっそり見ていた事は、矢田さんには内緒にしておこうと考えた。それを話してしまうと、私は矢田さんの気の抜けた姿をもう二度と覗き見る事が出来なくなってしまいそうだから。私は気の抜けている矢田さんを可愛いと思ってしまったし、また見たいと思ってしまったのだ。

 チャイムが鳴ると私はわざと少し待ってからドアを開けた。だって、あまりに早く開けたら矢田さんが来るのが解ってたってバレてしまうでしょ?

「おはよう」

 ドアを開けると爽やかな笑顔の矢田さんが立っていた。さっきの気の抜けた矢田さんは何処へ?

「お早うございます」

 私はくすくす笑って挨拶をした。下にいる時の矢田さんを思い出してしまい、つい笑ってしまったのだ。矢田さんは、何故私が笑っているのか解らないので、キョトンとした顔をしていた。

「さあ、行きましょ」

 私が矢田さんに微笑むと、ああと低い声を漏らした。

 アパートを出て、重苦しい雲が広がって幾分暗い道を二人は並んで歩いた。

「妹さんに何かお土産を買いたいんですけど……」

「いらないいらない。これからの道にそういうの買える場所もないし、妹が朝から張り切って何やら用意してたから何もいらないよ」

「でも……」

 お部屋に初めて伺うのに何も持たずに行くのは常識的にどうなんだろう。やっぱりそういうのはきんとしておきたい。矢田さんの妹さんに非常識な人って思われたくないもの。

「矢田さん、ここでちょっとだけ待っていて貰えますか? すぐに戻りますから」

 それだけいうと矢田さんの返事も待たずに私は走り出した。

 この道の少し奥に入った所に美味しい洋菓子屋さんがあった。目立たない所にあるので、知る人ぞ知る名店なのだが、そこのクッキーが絶品に美味しいのだ。

 私は走ってその店に向かい、急いで包んでもらうと、急いで矢田さんの元に戻った。

「ごめんなさい、お待たせしました」

「いいって言ったのに」

 矢田さんは私が手にしている紙袋を見るとくくっと笑ってそう言った。

「だって、妹さんに非常識な人とか思われたくなくって」

「ははっ、思わないよ」

 そう言って矢田さんは可笑しそうに笑うと、じゃ改めて行こうかと言った。

 再び歩き始めて、あっという間に矢田さんと妹さんが暮らすマンションに辿り着いた。

 お洒落な外観にいかにも高そうなマンションである。流石、外資系のリーマンなだけあると妙に納得してしまった。

 エレベーターに乗って5階に向かう。私は少し……、いやかなり緊張していた。妹さんと仲良く出来るかなとか、嫌われたらどうしようとか、意地悪な人だったらとか色々とイメージしてみては顔を青くしたり赤くしてみたりと忙しかった。

 考えてみれば、私は中学の時に短い期間だけ付き合った男の子がいたが、あまりにすぐに別れてしまった為か、彼の親に会ったり、兄弟に会ったりしたためしがないのだ。恵人は別だ。あいつは、高校の時から仲が良かったから、しょっちゅう皆で遊んでいたし、家にも大勢で遊びに行っていた。だから、恵人のお母さんとも仲が良かったのだから。

 兄弟に会うという事がこんなに緊張するのに、ご両親に会うとなったらどんなに緊張するのかと今から未来の事が心配になったくらいだ。矢田さんのご両親にお会いする事になるのか、それとも全く別の人のご両親にお会いする事になるのかはまだ分からないが。

 矢田さんにはそんなに緊張している私が可笑しいらしくくつくつと笑っている。私はこんなに必死なのにと頬を膨らませるとさらに笑うのだった。

 矢田さんに誘導されて部屋の前まで来ると、ドアを開け、家の中へどうぞと招き入れた。

 ドアが開いた音を聞きつけたのか、中からとたとたと足音が近づいて来た。

「あの、お邪魔します。私、石川ゆうといいます」

 私は、妹さんの姿を見た途端に頭を下げたので、彼女の顔を見る事が出来なかった。私の頭の先でクスクスと笑う声が聞こえてくる。

 嘘っ、笑われてるよ。私、また何か笑われるようなことやらかしたのかな。

「ゆうゆ。ゆうゆったら」

 ゆうゆ? 高校の時に一人だけ私のことを『ゆうゆ』と呼ぶ女の子がいた。

 え? なんで? 私が頭を上げて前を見ると私の知っているあの女の子がニコニコ笑って立っていた。

「ゆうゆ、久しぶり。待ってたんだよ」

 嬉しそうに懐かしそうに私をみつめた後、私に勢いよく抱きついた。


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