第2話
翠は、私とは正反対で、料理は上手だし、女の子みたいに可愛らしいし、素直で、弱くて……もうやめよう、これ以上並べるとへこんでしまいそうだ。
翠は、私と恵人の為に、美味しい料理を用意していてくれた。私と恵人は、翠が料理を運んでいる間、ビールを飲んでいた。私も運ぶの手伝うと申し出たのだが、やんわりと断られてしまった。お客様にそんなことはさせられないと言うのだ。いつもの事だ。
翠が料理を全て並べ終わると、三人で手を合わせていただきますをした。私の正面には翠が座り、翠の隣には恵人が座っている。テーブルで隔たれた私と正面の二人、当り前の事だが、いつも自分の立場を再確認されて苦しい。翠の料理は文句なしに美味しかった。
「ねぇ、ゆう。あのね、お兄ちゃんの友達でね、ゆうに会ってみたいっていう人がいるんだけど。会ってみてくれないかな」
「私の事何で知ってんの? その人」
「うん、あのね。この間お兄ちゃんが遊びに来たんだけどね、実家の私の写真友達に見せたらしいんだけど、私と一緒にうつってたゆうをその人が凄く気に入ったらしいの。ねぇ、ゆう今好きな人いるの?」
「…いないよ」
ここで、あなたの旦那が好きなのよ、ずっとずっと前から出会った時から大好きなのよって言ったら翠はどんな顔をするだろうか。そうなんだ知らなかったよって笑って過去話にしてくれるか、それとも気まずい雰囲気がこのダイニングに広まるのか。私には分らない、口に出してしまいたいと思う事もある。こんな苦しいなら全て吐き出して、この二人の前から消えればいいじゃないかと思う事もある。だけど、臆病な私は、結局いつも通り笑顔でここにいる。当たり障りのない言葉で、当たり障りのない話でこの場を乗り切っている。
「ねぇ、じゃあ、会ってみてくれないかな。その人、矢田圭人っていうんだけど。恵人と同じ名前なのよ、漢字は違うんだけどね。お兄ちゃんと同い年だから、今24歳で私もその人会った事あるんだけど、凄く良い人で、格好も良いしね、私もお勧めだよ。どうかな?」
翠は、矢田という男の名前を紙に書いて見せた。恵人と同じ名前の男……。正直、そんな紛らわしい男と会いたいとは思えなかった。いつしか、その男と付き合う事になってもその男の名前を呼ぶたびに恵人の名前を嫌でも思い出してしまうのだ。気乗りはしない…、だが、自分は新しい恋でも見つけてみようかと言ったばかりなのだ。それから、翠のお願いをする時の少し潤んだような奇麗な目で見つめられたら、嫌とはどうしても言えなかった。
「……いいよ」
私は、恵人の顔を見る事が出来なかった。恵人が私に頑張れっていう笑顔を向けて来たら、泣かずにはいられなくなってしまう。そんな事言われたら、私の心は砕ける……。
「今からお兄ちゃんに電話してみても良いかな? 何かその人、今すぐにでも会いたいって言ってるんだって」
私が、今はやめて欲しいと思っていたって、翠はそんな事お構いなしにもうすでに受話器を持ち上げ、電話をかけていた。今更どうやって止める事が出来るだろう。恵人は先ほどから全く口を開いていない。恵人にしてはとても珍しい事だ。彼がこんなに長い間無言でいるのなんて今までなかった。彼が今どんな顔をしているのか、見てみたいという気持ちはあるが、怖くてとても出来なかった。この沈黙が、とても怖かった。仕方なく、翠が電話で話している姿を、ぼんやりと眺めていた。
「ゆう。今から空いてる?」
「えっ? 今から?」
私が驚いて、恵人の顔を思わず見ると、恵人はとても怖い顔をしていた。私は恵人がそんな顔をしているとは思わなかったので、正直凄く驚いた。私は、恵人はきっと私の反応を面白がってニタニタ笑っていると思っていたのだ。恵人のこんな怖い顔を見るのは初めてで私は、どう言葉をかけていいのか分らなかった。
「そう、今から。ちょうどお兄ちゃんその人と飲んでるらしいの。出来れば、そこに来てくれないかなって言ってるんだけど」
「えっ? でも、今翠たちと食事してるし……」
「私は大丈夫。また来週ゆうには会えるんだし」
「俺が、ゆうについて行くよ。車で送る」
ずっと黙っていた恵人が突然そう言った。いつもとは違いとても低い声だった。しかし、翠はそんな異変に何も気づいていないようで、「それなら安心」と言って、話を進めてしまった。私は、どうやら今からその矢田さんという人に会わなければならず、そこに行くまでにこの何かに怒っている恵人の車で行かなければならない。嫌な予感がした。
翠は、それから勝手に色々と決めてしまって、私と恵人はこれからすぐに彼らがいる所に行かなければならなくなってしまった。私は、全く気乗りはしないが、どうしようもなく翠に軽い別れの挨拶をして、家を出た。恵人は、無言で、玄関を出るとそそくさと車に乗り込んでしまった。急いで、追いつき、助手席に乗り込んだ。ちらりと恵人を窺ってみたが、やはり顔は怒っていた。
「どうして怒ってるの?」
車を発進して、暫く無言の二人だったが、堪りかねた私はそう声をかけた。
「……別に」
「怖いよ。そんなに怒ったの見た事無いし。さっきまで機嫌よくご飯食べてたじゃない。どうしたの?」
私は、もう始まってしまった会話に後には引けず、恵人を見据えてそう聞いた。恵人は、運転中な為、真っ直ぐ前を見据えていた。しかし、いつもの恵人なら、私が恵人を見ていたら、「何だよ」と聞いて来る。もしくは、「俺に見惚れてんなよ」なんて、軽口を投げかけて来る時だってあるのに。今日の恵人は、やはりどう考えてもいつもと違った。何が、彼をこんなに怒らせているのか私には分らなかった。
「何よ。そんなに私といるのが嫌だったら、一人で行くからいいよ。止めて、降りる」
私は、この変な空気が我慢できなくて、そう申し出た。だが、恵人は車を止めようとはしなかった。私も段々腹が立ってきて、もう恵人が勝手に怒ってるんだったら、怒ってればいいと不貞腐れて窓の外を眺めていた。
「なぁ、本当にそいつと会うのか?」
「本当にって、だってもうここまで来てるじゃない」
「そうじゃなくて、お前そいつに会いたいのか?」
「別に会いたいわけじゃないけど…、でも翠の頼みだし、断る理由がなかったし、今更行けないなんて翠のお兄さんに失礼でしょ?」
恵人が何を言いたいのか、何が聞きたいのかよく分からずつっけんどんにそう答えていた。恵人は相変わらず不機嫌なオーラを醸し出していた。外のネオンはあんなに奇麗なのに、この車の中は、どんよりと暗い雰囲気が纏わりついているようだった。どうでもいいけど早く外に出たいと思った。
「会うなよ……」
「はぁ? 言ってる事意味分かんないんだけど」
「俺が嫌なんだよ」
恵人が何を言っているのか、私には全く分からなかった。嫌だってどういう意味? どうして恵人は私がその人を会うのを嫌がるの? 分からない、全然わからない。
「だから、言っている意味が分らないってば」
「お前が俺以外の男と会ったりするのが嫌なんだよ」
「何でよ?」
「好きだからだよ!!!」
思ってもみなかった言葉が、恵人の口から飛び出して来た。私が好き? 恵人が私を好き? そんなことあるわけないじゃない……。だって、恵人には翠がいるんだもん。結婚したばっかりじゃない。そんなのおかしい。どうして……? 私の頭の中には無数の?が飛び交っていた。分からなかった。何故こんな事を恵人が今更言いだすのか。
「からかってるの? あ、そうか友達として好きだから、心配してくれたんだね。でも、大丈夫。会ってみて、気に入らなかったらちゃんと断るし、ね?」
「違うよ! 俺はずっとお前が忘れられなかったんだよ。ずっと、高校生のあの時からずっと変わらずお前が好きだった……」
「おかしい…、おかしいよ!!! 何で? だって、あの時……。だって、翠がいるじゃない、ずっと翠と付き合ってたじゃない。結婚したじゃない……。何で? 何でそんな事言うの?」
いよいよ私は、泣き出してしまった。恵人が私を好きだと言った。私は、ずっと恵人が好きだった。だけど、恵人には、翠がいる。ずっと恵人の隣には翠がいた。だから、私はずっと自分の気持ちを隠して来たのに。どうして、今更そんな事を言うの? やっと、好きな人を作ろうって気持ちになっていたところなのに……。
皆さんこんにちは。読んで下さって有難うございます。
この作品は、月・水・金曜日の週3回をベースに進めて行きたいと思います。余裕があればそれ以外の曜日にも投稿する事もあるかもしれません。土日・祝日はお休みします。
今回の作品は大人の恋愛を取り入れてみました。
これからもお付き合い頂ければと思います。