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Bitter Kiss  作者: 海堂莉子
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第17話

「今週も金曜日来るだろ?」

 恵人が笑顔で、しかしどこかびくびくした感じでそう聞いた。もう、私は家に遊びに来ないんじゃないかと考えたのかもしれない。

「勿論行くよ。翠がすぐ寂しがるからね」

 本当は迷っていた。もう、あの家には近寄らない方がいいのではないかと、そう思っていた。だが、今日でほんの少しだけ光が見えてきた気がする。だから、大丈夫。きっと、大丈夫。


 翌日のお昼休み。

 私と綾は連れ立って会社を出た。ここまでならいつもとなんら変わりはないのだが、今日はこれから矢田さんと健司さんと待ち合わせてランチなのだ。

 待ち合わせ場所に二人が行くと既に矢田さんが来ていた。矢田さん一人だけで、健司さんの姿がない。あれ? 健司さんは? と首を傾げた。

「こんにちは。今日は健司さんは?」

「こんにちは。それが、あいつ出掛けに上司に捕まっちゃって、遅れてくるよ」

 そうなんですかと相槌を打った後、私は矢田さんに綾を紹介し、綾に矢田さんを紹介した。綾も矢田さんも笑顔で挨拶を交わしている。

 三人で私達が良くいくオムライスの美味しい喫茶店に向かった。私は土曜日の事もあったので、矢田さんに会うのは少し緊張していたのだが、会ってみたら自然に振舞う事が出来た。矢田さんの人柄のお陰か、綾がいてくれたからか、それともその両方かもしれない。

 お店に着くと、皆オムライスのランチセットを頼んだ。私は矢田さんにオムライスが絶対に美味しいですからとごり押ししたので、それを頼んだが、本当は違うのが食べたかったのかもしれないとあとになって後悔する。ちらりと矢田さんをみるとばっちり目があってしまい、奇麗な笑顔を見せてくれた。私の考えている事を理解した上で、大丈夫だよと言ってくれているような気がした。

「あ〜、今二人微笑み合ってたでしょ?」

 ギョッとして綾を見る。

「矢田さんはゆうの事が好きなんですよね?」

 そんなこと本人が目の前にいるのに聞かないで下さい、綾さん!

 この狭い喫茶店の中、周りの人たちが私達の会話に耳をそばだてているのが分る。それもこれも矢田さんがイケメンだから注目を集めちゃっているのだけれど。

「ちょっとやめてよ、綾」

 私は隣にいる綾の腕を掴んでそう言った。

「いいじゃん。聞きたいんだから」

 綾に私の申し出は軽くいなされてしまった。はあと二人に分からないように溜息を吐く。矢田さんの方を窺うと、別段気を悪くしたような気配はなく、寧ろ嬉しそうに笑っている。

「好きだよ。自分でもびっくりするくらいゆうちゃんが好きなんだ」

 臆する事無く矢田さんは私だけを視界に入れて、甘い毒を吐く。即死。矢田さんの科白はいつも極甘で、私の呼吸を一瞬に止めてしまいそうな毒。

 この時もぐっと喉が詰まり、私はむせてしまった。慌ててグラスに一杯に氷が入った水を喉に流し込む。綾が私の背中を摩って「あ〜大丈夫?」と、心配げに、だが可笑しそうに覗き込んでくる。苦しくて、涙目になっていたけど、強がって大丈夫と言っておく。

「矢田さん、こんな所でそんな事言わないで下さい。心臓に悪い」

 私の声は思っていた以上に嗄れていた。心配そうに眉毛は下がっているのに、どこか面白がっている矢田さんを睨みつけた。

「じゃあ、二人きりの時ならいいんだ?」

「駄目です! もう、矢田さんはそういう事言うの禁止!」

「え〜、何で?」

 わざとふざけてそういう矢田さん。

「何でもです!」

「やだって言ったら?」

「もう、矢田さんとは会いません!」

 ぷりぷりと私が言うと、ぷいと顔を背けた。

「え〜、それは困るよ。ねぇ、ゆうちゃん機嫌直してよ。ごめん、でも、全く言わないっていうのは無理だよ。たまに言うのは許して、こういうとこでは絶対言わない。約束する」

 矢田さんが少し情けない声を出して、「お願い!」と顔の前で両手を合わせ、拝むようにした。その姿があまりに滑稽で、普段の矢田さんとのギャップの大きさが面白くてついつい吹き出してしまった。絶対、私を笑わせようとしてわざとやっているんだって解っているのに、まんまと笑ってしまった私はちょっぴり悔しい。

「仕方ない、許してあげます」

 悔しいから何となく上から目線で、偉そうにそう言った。矢田さんももう笑っている。

 綾は、今の私達の会話を、目を細めて嬉しそうに眺めていた。

「二人って仲良いんだね」

「そうだよ」「そうなのかな?」

 私と矢田さんの声が重なった。二人の発した言葉のニュアンスは若干違ってはいたが、もしかしたら心の中は一緒だったのかもしれない。

 綾が少し羨ましそうに私達二人を交互に見ている。

 そうこうしているうちにオムライスが運ばれて来た。ウェイトレスの女の人は忙しいのか、額に薄っすらと汗が滲んでいた。

「健司さん来てないですけど……」

「食べちゃおう。今日は多分間に合わないと思うよ。ゆうちゃん達の昼休みも時間が限られてるしね」

 矢田さんの言葉に綾と私は頷き、それぞれいただきますと、言って食べ始めた。

「あっ、本当だ。美味しいね」

 矢田さんの少し驚いたような声に私は嬉しくて笑みが自然と零れ落ちた。

「矢田さん、本当は違うの食べたかったでしょ?」

「う〜ん、そういうわけじゃないんだけど、でも普段滅多に食べないかな。ほら、男だと頼みにくいよね。これは凄く上手い、また食べにくるよ」

 別に自分が作った料理じゃないのに、なんだか自分の宝物を褒めて貰ったみたいに嬉しかった。そう、幼い子供がお母さんに褒めて貰った時の様に素直に嬉しくて、くすぐったかった。

 矢田さんが食べてる姿を私は嬉しくてニコニコ(自分では自覚はないけど、自然と口が綻んで)しながら見つめていた。

 うわぁ〜、矢田さんって凄く奇麗に食べるんだな……。恰好良いな……。

 スプーンを持つ手が止まって、ぼんやりと矢田さんに見惚れていた。

 凄い! 恰好良い人って何をしていてもさまになるんだな…。

 ふと、矢田さんが私の視線に気づいて視線を上げ、私と目が合い不思議そうに首を傾げた。どうかした? そう矢田さんが言っているのが手に取るように解った。だけど、私は矢田さんと目が合ってしまったことに焦り、私が矢田さんに見惚れていたのに気付かれてしまったかもと思うと恥ずかしくて慌てて視線を外した。焦ったせいで露骨に視線を外してしまい、矢田さんは嫌な思いをしたかもしれないとまたやってしまってからしまったと後悔する。

 恐る恐る視線を戻すと、まだ矢田さんはこちらを見ていた。私が不器用に微笑むと、寂しそうに眉毛が少し下がっていた矢田さんの表情が途端にくしゃっと崩れて笑顔に変わった。

 か……可愛い。

 ああやって笑うと普段は大人な矢田さんが急に幼く見える。私はそんな顔を私だけに向けられて、自分の頬だけじゃなく、顔も首も耳ももっと言えば体全体が真っ赤になったのが分る。懐かしい感覚が私の中に戻って来たのが分った。これってもしかして良い兆候? なのかな。私はこんな自分を矢田さんにも綾にも気づいてほしくなくて、オムライスに集中した。私の顔を見られたくなくて、上を見る事が出来なかった、少なくともこの真っ赤な顔が肌色に戻るまでは。


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