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Bitter Kiss  作者: 海堂莉子
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第14話

「「いただきます」」

 二人同時にそう言うと、矢田さんは早速手をつけた。私は矢田さんの反応が気になって、じっと矢田さんの表情を見ていた。

「どうですか? 美味しくなかったら無理に食べなくていいですからね」

 私はおずおずとそう言った。普段一応自炊はするようにはしているのだが、自分好みの味付けだから矢田さんは気に入らないんじゃないかとそれが不安だったのだ。矢田さんは、私に笑顔を向けるとこう言った。

「……美味しい。凄く美味しいよ。ゆうちゃんは料理得意なんだね」

「得意ではないですよ。ただ、なるべく自炊するようにはしてます」

 私は明らかにホッとしていた。自分の作った物を食べて貰えて、褒めて貰えるのがこんなに嬉しいことだなんて知らなかった。翠は毎日、恵人に……。まただ、好い加減考えるのはよそうってさっきも思ったばかりなのに。

「あっ、今恵人君のこと考えたでしょ?」

「えっ?」

 図星かあと、矢田さんは言って少し笑った。

「今、ふっと表情が曇って、物思いに耽ってたんだ」

 私は慌てて両手で顔を隠した。私ってすぐに顔に出るタイプなのかしら。綾にはすべてお見通しみたいだし、矢田さんにもそうだなんて人前でおちおち考え事も出来ないってことじゃない。

「もう、私の顔見ないで下さい」

「やだ。ゆうちゃんの顔はいつも見ていたい。ゆうちゃん、あのさ、俺の前では自分の考えてる事すべて出してくれて構わないんだ。俺は、ゆうちゃんが好きなんだって言ったろ? 俺は、ゆうちゃんの全てを受け止めたい。だから、恵人君のことだって話してくれていいんだ。苦しい時にはいつでも話聞くよ、いつでも会いにくるよ」

 矢田さんの器の大きさに驚きを感じた。私が矢田さんの前で恵人の話をして、平気なのだろうか。それは、残酷なことなんじゃないのかな。私がもし、矢田さんの立場なら、そんなこととてもじゃないけど言えない。好きな人の口から自分以外の人のことを聞かされたら、苦しくなるんじゃないの? 私なら耐えられない。耐えられないよ。

「どうしてそんな事……」

「言ったろ? 君が好きなんだ、どうしようもないくらい。他の誰かを見ていたって、他の誰かを想っていたっていい、ただ、傍にいたいんだ。ゆうちゃんは俺が傍にいちゃ迷惑かな?」

「迷惑なんかじゃないです。今日も、矢田さんに胸貸して貰って沢山泣いて、傍にいてくれて、嬉しくて、心強かった。ただ、矢田さんが凄く優しくて、包み込んでくれるから、それがとっても居心地が良くて甘えてしまって……。私、矢田さんのこと利用してるんじゃないかって不安になるんです。傷つけちゃうんじゃないかって……」

 矢田さんは本当に素敵な人で、私には勿体ないくらいの人で、そんな人が自分に好意を持ってくれた事がとても嬉しかった。いつか、心から矢田さんを好きになれたらいいと思う。だけど、もしそうならなかったら、私は矢田さんを利用した事にはならないか? たくさん甘えて、頼って、話聞いて貰って、傍にいて貰って、その後に矢田さんを傷つける事になってしまうんじゃないか? それが、怖かった。何となく、矢田さんを好きになるんじゃないかっていう淡い予感めいたものはある。だけど、それは予感であって、実際にそうなるとは限らないのだ。どうしても、どうしても、恵人が忘れられないって事だってあるかもしれないのだ。矢田さんだけは、傷つけたくない。それだけが、私の気がかり。

「いいよ。いっぱい利用して。傷つけたっていい…。そんなのどうってことない。そんなことより、君の傍にいれる方がずっといい。君と知り合ってしまった俺にとって、今から君の傍を離れる事なんて出来ないんだ。傍にいたいんだ」

「私が矢田さんのこと騙すような悪い女だったらどうするんですか?」

「いいよ、騙されてあげる」

「……どうして?」

「好きだから……」

 そんなの当たり前だとでも言いたげに矢田さんはにっこりと笑った。

 私にそれだけの価値があるとは思えない。矢田さんほどの男の人なら、もっと綺麗で賢くて優しい女の人が腐るほどいるのに、どうして私なの? 出会った時から消えない疑問。一生消えない疑問なのかもしれない。


 矢田さんは、その日夜も遅くならないうちに帰っていった。

「目、冷やして寝るといいよ」

 という言葉を残して。

 帰り際、私は矢田さんを心細く見つめていた。帰って欲しくないという思いが私の心の中にはあって、それが、表情に出ていたのだろうと思う。

「そんな顔されたら、帰れなくなっちゃうよ?」

 矢田さんは、そう言うと私を引き寄せ、包み込んだ。そして、背中をポンポンと一定のリズムで叩く。不思議と、たったそれだけのことをされているだけなのに、私は安心する事が出来た。もしかしたら、矢田さんの体には、人を癒し、安心させられる何か特殊な力があるのではないかと思ってしまった。それほどに、今日一日矢田さんに癒され、温かい気持ちにさせてくれたのだ。

「矢田さん、今日一日一緒にいてくれて有難うございました」

 私は、矢田さんの温もりにホッとしながらそう呟いた。別に俺が来たくて来ただけだけだからと、矢田さんの声が頭上から聞こえる。矢田さんの吐息が、頭のてっぺんに吹きかかる。

「よし、帰るよ。これ以上君とくっ付いていたら、俺がおかしくなりそうだから。それじゃ、また」

 そして、最後の言葉を口にして、足早に帰っていった。残された私は、たった今言われた言葉を反芻する。

 これ以上君とくっ付いていたら、俺がおかしくなりそうだから? それって……、それって……、それってそういう事だよね。私とこのままくっ付いていたら……、その先の事までしてしまいそうだからってそういうことでしょ? あれは……、からかっただけ? それとも本音?

 私は、玄関でぼんやりと矢田さんが去っていったドアを見ながら、あれでもないこれでもないと考えを右往左往に巡らしながら、立っていた。


 私は、その日、矢田さんに言われたとおり、目を冷やして眠りについた。

 矢田さんの謎の発言の事と、本日の自分の行いや、矢田さんの事を思い出すとなかなか寝付けなかった(勿論、私が矢田さんの胸の中で昼寝をしてしまったのも要因の一つであるが)が、布団に入ってじっとしていたら、いつしか眠りの世界に誘われていたようだ。

 翌朝、目覚めて目の腫れをチェックすると、殆ど腫れは引いていた。この程度なら、綾と出かけられるかもしれない。

 私は昨日、矢田さんのお陰で大分気持ち的に楽になれた。今日は少し明るい気分で一日を過ごせそうだった。私は、少し遅めの朝食をとると、綾に電話した。

「綾? 昨日はごめんね。今日は大丈夫だよ」

 私は明るくそう言った。

『全然、謝らなくていいんだよ。ゆうがまだ本調子じゃないようなら、ゆうん家遊びに行ってもいいかな?』

 綾もまた明るい声で、そう言った。いいよと、私が言うと、それじゃ早速そっちに向かうよと言ってあっさりと電話は切れた。

 私はさっと部屋を片付けると、綾が来るのを待った。

 昨日は、一歩も外に出ていないし、今日もこの分だと外に出ずに終わるかもしれない。綾が来てから、少し外に出てみるのもいいかもしれない。

 綾が来るまで手持無沙汰だったので、私は携帯を開いた。少し戸惑った後、メッセージを作成し、送信を押した。送り先は、矢田さん。

『昨日は本当に有難うございました。矢田さんがいてくれたお陰で、今日は明るい気分です。矢田さんが言っていたように目を冷やして寝たら大分良くなってました。今日は綾(この間交差点で一緒にいた子です)が、遊びに来てくれる事になってるんですよ。矢田さんは今日は何をするんですか?』

 矢田さんが夜立ち去る前に言った意味深な言葉は、私の中で理解不能なので、聞かなかった事にしようと思った。

 矢田さんはすぐにこのメールを見たのだろう、5分もしないうちに返信が届いた。

『こんな俺でも、役に立てたのなら嬉しいな。ゆうちゃんに頼って貰って、甘えてくれて本当に嬉しかったんだよ。今日は、友達と楽しく過ごすといいよ。俺は今日は、健司のとこに遊びに行く予定だよ。実は、あいつ仕事で嫌な事があって今凹んでるんだ。だから、少し慰めに行って来るよ。今度、綾さんと健司と四人でお昼食べに行こう?』

『しっかり慰めてあげて下さいね。ランチの件、今日綾に聞いてみますね』

 そんなメールのやり取りをしている間に綾は訪れた。

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