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Bitter Kiss  作者: 海堂莉子
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第12話

 朝とは言えない昼に近い時間に私は目覚めた。

 朝方まで意識はあったのだが、そのあと泣きながら寝てしまったようだ。たっぷりと泣いたせいか少しさっぱりとした気分だった。

 洗面所の鏡にうつした私の顔は、見るに無残な有様だった。

 今日は部屋から出ないようにしようと心に決めた。

 部屋着のままで、ソファに座り携帯を開いた。メールが何件か入っていた。綾からと、翠、恵人それから矢田さんからだった。

 綾からは、暇だったら週末遊ぼうというお誘いのメール、翠からは恵人との喧嘩を心配するメール、恵人からは謝罪とこれからは友達として接するようにするから安心しろというメール、矢田さんからは会えないかなというメール。

 綾には今日は体調悪くてとても外出出来ない旨と明日体調良くなったらメールするねと、翠には心配かけたことへの謝罪と仲直りしたから大丈夫と、恵人には、私もごめんね、それからこれからもよろしくと、私が一番悩んだのは矢田さんだった。

 悩んだ挙句、私は矢田さんに電話することにした。

 どうして私は矢田さんに電話しようと思ったんだろう? 分からない……、だけど無性に矢田さんの声が聞きたくなった……。綾でもなく、翠でもなく、矢田さんの声が……。

 携帯のアドレスから矢田さんにかける。耳に心地好いクラシックのメロディを聞いていたら突如ぷつりと切れ、通話が繋がった。

『もしもし』

「もしもし、あの……ゆうです。こんにちは』

 矢田さんの低くて紳士的な声を聞いた途端に変に緊張して声が上擦ったような気がする。

『こんにちは。昨日のメールのことで電話くれたのかな? だったら嬉しいな。返事が返って来ないから、駄目なんだと思ってた』

「あの…えっっと…はい。昨日は携帯を開かなかったんです、今見ました。お誘いとっても嬉しかったです。……でも、今日私顔が酷くて……とてもじゃないけど外には出れません……」

『風邪引いた? それとも何かあったのかな?』

「……」

 矢田さんの優しい声を聞いていたら、涙が堪らなく出て来てしまった。

「…ふっ…くっ…」

『今からゆうちゃんの家に行ってもいいかな?』

「ふぇ?」

 矢田さんのその言葉に一瞬にして涙が引っ込んだ。思ってもない申し出だった。

「あのっ、私本当に顔今酷いんです」

『分かってる。でも、君を放ってなんていられないんだ。君が駄目だって言っても押し掛けるよ』

 はいと、小さく呟いた。

 

 そんなこんなで、矢田さんがうちに来ることになってしまった。

 何でこんな事になってしまったのか。こんな酷い顔とてもじゃないけど見せられないのに……。なんで、「はい」なんて言っちゃったんだろう。分からない、でも、会いたいと思ってしまった。もっと、声が聞きたいと思ってしまった。傍にいて欲しいと思ってしまった。この感情は、寂しいからなのかな? 恵人に想いを寄せながら、私は矢田さんの温もりもまた求めている。これって、矢田さんに酷いことしてるんだろうと思う。だけど、今は矢田さんに甘えたい。そう思ってしまった。

 私は、焦りからさっきの涙はすっかり乾いてしまっていた。

 部屋は、散らかってはいないけど、私の恰好は何? 部屋着出し、寝起きで頭は爆発してるし、顔だってノーメイク出し……。早く用意しないと、矢田さんが来ちゃうよ。

 大急ぎでシャワーを浴び、髪の毛を乾かして、メイクを施す。頑張ってメイクしたところでこの酷い目の腫れはどうしたって消えてはくれなかった。

 どうしようもないので目の腫れは諦めて、それから部屋を片付け、やっと終わったところで、チャイムが鳴った。

 ギリギリセーフと軽く息を吐いた。

 私が玄関のドアを開くと、矢田さんがニコッと笑って立っていた。

「どうぞ。狭苦しい所ですけど」

 私の部屋は1LDKで、玄関を入って右手にトイレ、左手に風呂場その廊下を通って正面にリビング、左側のドアに一部屋あり、右側にキッチンがある。比較的新しいマンションの3階で、お洒落な内装で私はすぐさまここに決めてしまったのだ。この部屋に一目惚れしたと言っても過言ではない。

 実は私、恵人以外の男の人を家に招くのは初めてで、なんだか緊張してしまいます。

「これ。ケーキなんだけど、ゆうちゃん好きかな?」

「はい、大好きです」

 それは良かったと矢田さんは私に微笑んだ。その笑顔がとても奇麗だったので、私は思わず見惚れてしまった。矢田さんが私を首を傾げて覗き込んできたので、私はハッとなって我に帰った。男の人の笑顔を奇麗っていうのはおかしいのかもしれない、でも、この時の矢田さんは本当に奇麗だと思った。矢田さんは奇麗な顔立ちをしていて、笑顔が優しくて、もしかしたら女装なんかしたら、ものすごく似合うんじゃないだろうか。

 などと、頭の中では色んな事を考えてはいたが、そんな事はおくびに出さず、矢田さんをリビングに通し、適当に座ってくれるように言った。

 私はキッチンに引っ込み、飲み物を出した。

 矢田さんの買って来たケーキに暫し舌鼓を打った。ケーキを食べて飲み物を飲みながら、他愛もない話をしていた。

 急に矢田さんが悲しそうな顔をした。

「何があったのかな?」

 矢田さんの手が私の目元に伸びて来た。泣き腫らした私の目に矢田さんの冷たい手が心地よかった。

 私は、我慢していたのだろうか…。矢田さんの言葉に途端に涙が次から次へと流れ落ちて来た。言葉を紡ごうとしても、私の喉元からは何の言葉も出てきてはくれなかった。

 矢田さんはそんな私を抱き寄せ、胸の中に埋めた。矢田さんの胸は広くて温かく、心臓のトクントクンという一定のリズムが私を安心させてくれた。

 私は、涙が止まるまで矢田さんに守られながら泣いた。矢田さんは、私が完全に泣きやむまで、辛抱強く待っていてくれた。

 涙が止まり、冷静になった私は、今、自分のしている状況に焦りを感じていた。こともあろうことか私は、矢田さんの胸の中で泣いてしまったのだ。恥かしくて、顔をあげる事が出来なくなってしまった。矢田さんは、私の頭を優しく撫でてくれている。私は、どうしたらいいのか分らなくなってしまった。

「落ち着いた?」

 矢田さんの言葉に私はかくかくと頭を縦に振った。

「ゆうちゃん…」

 顔をあげようとしない私に不思議そうに声をかけた。

「恥かしいんです。とても顔を上げられません」

 私は呟くようにそう言った。矢田さんがくくくっと笑った。

「俺は構わないよ。ゆうちゃんとこうしていられるのは俺としては嬉しいしね。ずっとこのままいる?」

 その言葉に思わず体を放し、矢田さんを見た。矢田さんは可笑しそうに笑いをかみ殺していた。私に顔を上げさせるためにわざとこんな事を言ったんだとその顔を見て悟った。

「お茶……入れて来ます」

 私は恥ずかしさから、矢田さんから逃れるようにキッチンに消えた。

 お茶を飲んでいる間、私も矢田さんも無口だった。

「何があったか聞かないんですね?」

「うん? ゆうちゃんが話したくなったら聞くよ。無理には聞かない」

「気にならないんですか?」

「そりゃ、気になるよ。凄くね」

 そう言って、微笑んだ。

「私……止めたんです。恵人を好きでいること。そのことを昨日、恵人にも伝えました。別に私達付き合ってたわけじゃないのに。ただ、私の中でこの想いを封印するって決めただけなのに……。どうしてこんなに涙が出るんでしょうね?」

 私は矢田さんに微笑みかけたが、目にはまた涙が溜まっていた。もう、泣きすぎて自分でもわけが分らなくなって来ていた。

「大丈夫。泣きたいだけ泣けばいいよ。いくらでも俺の胸は貸すから」

 私は素直に矢田さんの胸の中に再度潜り込んだ。

 不思議……。恵人にはこれっぽっちも素直になれないのに、矢田さんには臆することなく甘えられる。

 私は、不思議なほど矢田さんの胸の中で安心して泣く事が出来る。

 やがて泣き疲れた私の意識が次第に現実から離れていった。

 守られているってこんなに心地好いんだ……。私を包んでくれる矢田さんの胸も背中に回された腕も、心地好かった。気持ち良くって、私は堪えきれずにゆっくりと瞼を閉じる。深い深い闇の中へ、でもそこは完全な闇ではなくて、少し明るくて安心できる場所。もしかしたら、お腹の中にいる赤ちゃんはこんな感じなのかもしれない。暖かい子宮の中で、お母さんの心臓の音が聞こえてくる。それと似ているのかもしれない。


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