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Bitter Kiss  作者: 海堂莉子
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第10話

 赤ちゃんか……。

「は? 赤ちゃん? お前まさか妊娠してるんじゃ……。誰の子だ!!!」

「ばっっ、違うよ。翠と恵人は赤ちゃん作んないのかなって……はははっ」

 しまった……思わず口をついて出て来てしまっていたらしい。

「作らないよ。いや、作れないと言った方がいいのかもしれない」

 恵人の言葉に、自分の言った言葉を後悔していた私は、現実に引き戻された。私は、思わず恵人を凝視する。

「どうして?」

 ついつい聞いてしまった後、またしてもしまったと思った。容易く聞くべき内容じゃなかった。世の中には、何らかの事情で赤ちゃんをどんなに望んでも、その願いをかなえる事の出来ない人々がいるのだ。気軽に聞いていい質問ではなかった。私は、自己嫌悪に陥った。

「別に不妊とかそういうんじゃないんだ。まあ、色々あるんだよ」

「そっか、ごめん。無神経だったよね」

 と、私は力なく呟いた。今朝は、馬鹿なことばかり言って、何やってんだろう。でも、恵人は赤ちゃんは作らないと言った。暫くは、私が夢に見た様な状態にはならないという事だ。ここで、安心するのは、道徳上どうかと思うが、私の心は少しホッとしているのだった。

「別に気にしねえよ」

 恵人はそれだけ言うと、再びパソコンに向かった。私も掃除を再開した。

 昨日、弥生から聞いた事を恵人に話すつもりはなかった。私の心の中におさめておけばいいことだ。あれは過去のことなのだ、忘れてしまった方がいい。

 掃除を終え、いつものように自分のミルクティーを用意し、恵人にコーヒーを用意してデスクについた。

 すると短いメロディでメールが来たことを知らせた。私は、携帯を開き、内容を確認し、どう返信するべきなのか悩んでいた。

『おはよう。また会えるかな? 俺としては食事に誘いたいんだけど』

 送信者は矢田さんだった。あの人は私の心を見透かしていた。その上で、私を好きだと言ってくれた。矢田さんと一緒にいるのはすごく楽しかった。お兄さんみたいな優しい人。だけど、その優しさを利用しているのではないかと考えてしまうのだ。

 私が携帯のメールの画面を見て固まっていると、そんな私をおかしく思ったのか恵人に問いかけられた。

「もしかして、あいつからメール来たのか?」

 恵人が憮然とした声をあげる。

「恵人には……関係ない」

「馬鹿か! 関係大ありだろ! ゆうに手出したらあの野郎承知しねぇ!!!」

 一人熱くなっている恵人をちらっと見て苦笑を浮かべる。

「私が誰と付き合おうと私の勝手よ」

 あっかんべをしてそっぽを向く。まるで小学生の喧嘩みたいだった。

「駄目駄目、絶対駄目だかんな!!!」

「あ〜、もううるさい」

 私は、恵人にこんな風に言われて嬉しいのか、腹が立つのかよく分からなかった。焼き餅を妬いてくれてちょっぴり嬉しかった。でもそれと同時に、翠と結婚してるくせに、私との未来なんてある筈もないくせに勝手なことばかり言うなとそんな思いが私の中にはあった。

 ずるい……、恵人はずるいよ。そんな事言われたら、いつまでたっても前に進めないじゃない……。

 駄目だと叫んでいる恵人を無視して、私は矢田さんに返信した。

『喜んで。誘って下さるのお待ちしてます』

 私は前に進むことを選んだ。いつまでも立ち止まっているだけじゃ駄目だと思った。これからどうなるかなんて分からない。だからこそ一歩を歩きだすべきなんだよね。少しずつでもいい、ゆっくりでもいい、恵人じゃない外の世界を見てみよう。

「恵人。私は立ち止まるのは嫌なの。だから、矢田さんと会うよ」

 私は恵人にピースサインを叩きつけ、最高の笑顔を見せた。

 恵人は、そんな私を不機嫌そうに、心配そうに、そして悲しそうに見ていた。


 昼休みに私は綾と会社近くの蕎麦屋でランチを食べていた。

「うん。私もそれがいいと思うよ。いつまでも近藤さんのこと引き摺っててもいいことないって」

 私が矢田さんのこと、前に進んでみようと考えている事を話した後のこれが綾の一言だった。

 綾の美しい笑顔に女の私もついうっとりしてしまう。見た目は派手目の彼女ではあるけど、笑顔になるとたちまち幼顔になって、可愛いのだ。

「勿体ない。何で綾は彼氏作んないのかな」

 私の一言を聞いて、綾は可笑しそうにけらけらと少女のように笑っている。軽く流された。綾は決して自分の恋愛話を話してはくれない。興味無いとは言っていたが、綾にはきっと好きな人がいるような気がする。

 蕎麦屋を出て、綾と二人、横断歩道で信号待ち。

 同じようなОLとリーマン達が同じように信号待ち。

 私達とは反対側の信号待ちの集団の中に見知った人物がいる事に気付き驚く私。

 信号が青になり、私達が歩き出すと向こう側の人物も歩きだした。私を見て、嬉しそうに微笑み、隣にいる人物に何かをささやく。それを聞いて隣の人物が顔を上げ、私を確認し、周りの雑踏など気にする様子もなく大きな声で私に呼びかけた。

「おおい!!! ゆうちゃん。こんにちは」

 他の歩行者にお構いなしに、ぶんぶん大きく手を振る男。翠の兄である健司、その人である。そして、隣では、そんな健司の行動には慣れているのかちっとも動じない矢田さんが私を嬉しそうに見つめている。大きな声で呼びかけられ、周りの人々から否応なしに注目を浴びてしまった私は、かなり恥ずかしかったが、何とか笑みを返した。

 隣で綾が私と矢田さん達を交互に見て、目を丸くしている。そして、私の袖をつんつんと綾が引っ張った。

「一体誰なの? あの人達」

 もっともなご質問で……。私は素早く綾に耳打ちした。

「左にいるのがさっき話していた矢田さんで、右にいるのが恵人の奥さんのお兄さんで健司さん」

 そうこうしているうちに二人とすれ違う所まで来ていた。

「ゆうちゃんもお昼?」

 いつもの通り明るい感じの健司さんがそう言った。

「はい。私達は今帰るところです」

「そっかぁ〜、残念! 俺達は今からなんだ。今度ランチ一緒に食べに行こうよ。会社近いみたいだし。隣の子もね」

 そう言って、ウィンクをする健司さん。一般的に男の人がウィンクをすると若干ひくが、健司さんがするとさまになっている。

 信号が赤に変わってしまうので、挨拶もそこそこにすれ違う。

 すれ違いざま、矢田さんが私の耳元で囁く。

「メール有難う。嬉しかった」

 私だけに聞こえる声で、たったそれだけのメッセージ。だが、たったそれだけの事がなんだかくすぐったい。私が振り返ると、矢田さんはもう信号を渡り終えるところだった。

 もうあんな所…、きっとコンパスが長いのね。

「何あれ? 二人ともかなり男前だね。それに矢田さん、何かゆうに囁いてたよね。何だかんだ言って良い感じなんじゃないの?」

「うん、二人とも恰好良いよね。って、別に私達は良い感じとかじゃないよ。まだ、会って間もないんだし」

 私は、顔が熱くなるのが分った。何だろう…この感じ、恥かしいような、嬉しいような、くすぐったいような、昔一度感じた事があるような気がする。

「近藤さんなんかより矢田さんの方がずっといいよ。矢田さんなら独身なんだし」

 私もそう思うよ。恵人を想っていても、いくらお互いに同じ気持を抱いていたとしても、恵人には翠がいるんだから。

 矢田さんとなら、きっと幸せになれるんじゃないかなって、そう思う。私も今すぐには、恵人を忘れられなくても、いつかはきっと矢田さんだけを見る事が出来るんじゃないかなってそんな予感さえした。


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