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Bitter Kiss  作者: 海堂莉子
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第1話

 私には好きな人がいる。

 どんなに好いても自分の物には決してならない人。

 それでも、焦がれて仕方のない私。何の為にこんな感情があるの……? こんな気持ちすぐになくなればいいのに……。


「ゆう、これコピー3部至急頼んだ」

「はい、分りました近藤さん。でも、会社では石川と呼んで頂けますか」

 それだけ言って書類を受け取ると相手の返事を待たずにコピー機へと向かう。私は、この春小さな建設会社の事務として入社した。私こと石川ゆうは今年の春大学を卒業したばかりの22歳である。

 コピー機に書類をセットすると、部数を3に設定すると、スタートボタンを押した。

 近藤恵人こんどうけいとは、私の高校の時からの同級生で、大学も一緒だった。大学を卒業し、やっと離れる事が出来ると思ったのに、入社式の時に見覚えのある顔を見た時、私は愕然とした。これでまた、苦しい毎日が始まってしまうのだと。

 そう、恵人は私が好きな人。大学を卒業した時に、やっとこの人と、この恋と別れる事が出来ると夜通し泣いたものだ。それなのに、私が出した涙は、全て無駄だったのだ。恵人は、私がこの会社に入社する事を知っていた。内定が決まったと、大喜びでいろんな人に喜びを振りまいていたのだから。恵人は、私が、この会社に入社するのを知っていて、私を驚かせたいがために、黙っていたのだ。私は、もし恵人がこの会社に入社する事を知っていたならば、この会社には入社しなかっただろう。

 恵人は、この会社に営業として入社した。今までラフな格好しかしなかったので、スーツ姿は、なんだか笑えた。入社式の日に、私は恵人を見て腹を抱えて笑った。初めてのスーツがとても滑稽だったのと、涙を隠す為に。涙を隠すには、笑うのが一番だ。これは、私が恵人と過ごした5年間で学んだ対処法だ。


「今日うち来いよ。翠が飯作って待ってるってさ」

 私がコピー3部を、恵人に渡すと、有難うの代わりにそんな言葉が返って来た。そう言われるのは、大体予想がついていた。今日は、金曜日。金曜日は必ずと言っていいほど、恵人の家に呼ばれる。断る事も出来なくもないが、断る理由が思いつかないのだ。嘘を吐いてまで、断りたくはない。

 「分かった」と、私が答えると、「じゃぁ、仕事終わったら下の駐車場に集合な」恵人は、そう言うと私の頭をこつんと叩くとその書類を持って、外回りに出て行った。


 地下駐車場で待っていると、恵人が急ぐ風もなく颯爽とやって来た。熱いのか背広を脱いで手に持っていた。薄暗い地下駐車場で見ても恵人の笑顔は、はっきりと見えた。

「わりぃ、待ったか?」

 恐らく悪いとも思っていないのだろうが、一応礼儀として聞いていると言ったところだろう。

「すっっっごい待ったから今度奢んなさいよ」

 たいして待ってもいないが、そう言うのがいつもの私のスタイルなので、それに則ってそう言った。はいはいと、軽く受け流して恵人は自分の車のキーを開けた。私は、助手席に乗ると恵人は、エンジンをかけて、車を発進させた。

「何か悪いな。私が助手席なんか乗っちゃって」

 本当は、恵人の隣にいるのは、嫌いじゃない。寧ろ嬉しくてどうしようもなくなる。だから、敢えてそう言う事を言っておくのだ。

「何、水臭い事言ってんだよ。俺とお前の仲だろ」

「そういうの、やめてよね。会社の人が聞いたら、変な風に勘ぐられるでしょ?」

 私が、つっけんどんにそう言うと、恵人も私のきつい言い方に慣れているものだから、全く気にしていない。ふんふふ〜んなんて鼻歌なんか歌ってこちらの気も知らないでと思ったら、なんだかイラッときたので、ぐぅで恵人の腕を思い切り殴った。

「痛っってぇぇぇ、お前少しは手加減しろよ。本当、お前って変わんないよな」

 左手でハンドルを持ち、右手を左手の殴られた辺りを摩っていた。私は、決して謝らない。ふんっと窓の外を眺めた。私と恵人は出会ったころからちっとも変わらない。いつもケンカして、言いあって、笑い合って、時には涙を共有したりもした。傍から見たら仲の良い兄弟にうつっていたのかもしれない。この関係を私は、壊す勇気がなかった。だから、恵人は私の物には一生ならないのだ。


「おし、ゆう。着いたぞ。おい、まだ脹れてんのかよ。お前の可愛い顔が台無しだぞ、それじゃ。ゆうちゃん、とっても可愛いゆうちゃん。こっち向いて」

 私は、そのどうしようもないことばかりを発する口を黙らせる為に、勢い良く振りかえり恵人のほっぺを抓るつもりでいた。だが、振り返ると恵人の顔があまりに近くにあったので、私は一瞬怯んでしまったのだ。でも、すぐに持ち直し、恵人のほっぺをいつもの倍以上の力で引っ張った。私が、今一瞬怯んでしまった事に恵人は気付いてしまっただろうかと、考えていたので、いつもよりも強くなってしまった。

「痛っっっって!!! お前今日のはいつもより痛いぞ」

 恵人は、両頬をおさえて摩っている。「ごめん」と、いつもは決して謝らない私が、ぽろっと言ってしまった。その言葉が信じられないのか、恵人は私を見つめた。そして、私のおでこに手を当てて、「熱はないみたいだな」と、失礼な事を言った。私が、決して謝らないのは、恵人にだけだ。他の人にはきちんと謝罪の念を表す。恵人にだけは、素直な気持ちを伝えられない。「ありがとう」も「ごめん」も「好き」も。もし、素直な気持ちを言葉にしてしまったら、自分の隠している気持ちがすべて口をついて出てきてしまうような気がして。今日ぽろっと言ってしまったのは、やはり先程の動揺がまだ残っていたからだろう。気を付けないとと私は自分を叱り付けた。

 こんな所で、こんな事をしている場合ではない。家の中では、翠が首を長くして待っているかもしれないのだ。私は、恵人を無視して、さっさと車から降り、インターホンを押した。は〜いと可愛らしい声が聞こえてきたので、来たよと、私はインターホンに声をかけた。私は、インターホンに声をかけるのは苦手だ。声の主の姿が見えないのにインターホンに声をかける自分が何となく滑稽に思える。

 玄関のドアが開いた時、後ろから恵人がやって来た。

「ゆう。久しぶり」

 玄関から出てきたエプロン姿の可愛らしい女性が、私に抱きつきながらそう言った。

「一週間前に会ったじゃないの」

 そうだけどさと、鼻をすんとならしその女性は私をやっと放した。この女性が、近藤翠。恵人の奥さんである。そして、私の高校の時からの大親友だ。100人に聞いたら100人が可愛いと言うであろう本当に可愛い女性なのだ。女の私ですら、守ってあげたくなっちゃうんだから。

「ほらほら、中に入ろうぜ」

 後ろから恵人が二人をそくした。翠は、今度は恵人に抱きついた。おかえりと、翠が甘い声を出している。そして、それを全て受け入れ、恵人もただいまと、優しく答えている。新婚夫婦のラブラブな会話でしかないその光景を、私は毎週見ている。こんなに二人の事が好きなのに、どうして私は、二人が壊れてしまえばいいのになって思ってしまうんだろう…。毎週、私はここに来て、同じように汚い心を隠して笑っているのだ。もう、嫌だ……帰りたい、でもそれを言えない。帰ると言ったらきっとどうしてと聞いて来る。その時に、私は二人を見ているのが辛いからといつか言ってしまうんじゃないかと思うとどうしても言えなかったのだ。大学を卒業した時、これで私はこの二人とは係る事はないだろうと思っていたのに。今もなお、二人に縛られている。

 いっそ、会社を辞めて、海外に留学してみてはどうか。そうも考えるが、入社して間もないのにそんな自分勝手な事は絶対にしたくなかった。新しい恋でも見つけてみようかな。不意にそんな事を思いついた。もう、好い加減二人に心を乱されるのはやめたい。


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