008.『秋の空でも変わる事なく』
「ねぇ、リリー」
「なに、メア……」
「明日からお休みなの?」
「うん……急ぎの注文が無いから、数日は私の出番、無い……」
ある日の夕食後、いつも贔屓にしている行商人から茶樹の葉を発酵させて乾燥させたものを貰ったクゥロは早速お湯で煮出し、牛乳で割った飲み物を二人に振る舞っていた。二人がこの牛乳で割る飲み方の方が好きなのをクゥロは知っている。特に今回貰った茶葉はかなり濃く出るものなのでピッタリだった。
「とーや! 明日お出掛けしましょうよ! 三人で!」
「メア名案……父さん、お出掛けしよ?」
「お前達がそうしたいなら構わないよ」
対面に座るメアとリリーはやったぁ、と互いに掌を叩き合う。畑の世話も落ち着いた所で、久し振りに三人の予定が空いている日が重なった次第だ。
「どこ行こうかしら! どこ行こうかしら! リリー、何か案無い!?」
「落ち着いて、メア……この間の休みはどこ行ったっけ?」
「まだ暑い日が続いていたから、川辺に涼みに行かなかったかい?」
暦の上では秋になってはいたが、前回のその日は夏がぶり返したかのように蒸し暑く、川涼みに行こうとクゥロが提案したのだ。釣竿や刃物だけでは無く、野菜や燻製肉、塩や香辛料などをを持っていき、手頃な石を鉄板代わりに調理したのだった。
幅広の薄めの石を綺麗に洗い、上手く他の石と組み合わせて下にスペースを作り、そこに枯れ木を並べて火にかける。そうすると上の石にじっくり熱が回り、肉でも野菜でも焼けるようになる。軽い木の食器を持って行ったのでもう完璧だった。
釣りたての魚は鱗をざっくり落とし、腹を開いて内臓をよく洗い、枝に刺して塩を振り、じっくり焼く。それだけでご馳走だ。
流れる程良く冷たい川の水で、葡萄の果実を皮ごと潰して発酵させた上澄みのお酒のビンを冷やして飲んだ。二人が飲めるように、と発酵を途中で止めてアルコール度数の少ないものに仕立てたのだが、果実の濃厚な甘さと舌にしゅわしゅわと感じる炭酸が川の水に冷やされて、注がれた分を一気に飲み干してしまうくらいに美味しかった。
その日は確かに暑かったが、川辺からの涼しい風を感じながらその川の水で冷やされた果実汁を飲み、出来立てを頬張る魚の丸焼きや燻製肉と野菜のグリルはとても美味しかった、とメアとリリーはその時の事を思い出して喉を鳴らす。
「お魚美味しかったわ……」
「お肉も野菜も……」
「ははは、もう少し寒ければ魚を出汁に使って石焼きスープも作りたかったね」
「何それ、絶対美味しいに決まってるじゃない! とーや、また川に行きましょう?」
「でも今だとちょっと水が冷た過ぎるかも……」
「そうだね……それなら、少し山の方に足を運んでみるかい? 前の休みの時よりも、木々が色付いて綺麗だったよ。そうそう、辺りを見渡せる良い穴場があるんだよ、そこでお弁当でも食べながらーー」
見回りをしていた時に見つけた、小休止に適した場所の事を思い出しながらクゥロが提案する、その途中でメアとリリーはばん、と机に身を乗り出した。
「とーや」
「父さん」
「「そこに決定!」」
「じゃ、明日のお休みはそうしようか」
クゥロが快諾すると、弾んだように笑い合うメアとリリー。何着てこうかしら、何を持っていこう、などと話し合う二人を微笑みながら見つつ、クゥロはカップに口を付けた。
二人のご機嫌っぷりはその後も続き、
「うー、早く明日にならないかしら!」
「楽しみ……楽しみ……」
いつものように、一塊となった布団の中で。クゥロの腕に抱かれているメアはわくわくを抑え切れないと言ったように身動ぎを繰り返し、クゥロを腕に抱いているリリーはいつもよりも抱き着く力が強い。
「こら、早く寝ないと明日起きられないぞ」
「分かってるけど、抑えきれないの!」
「ふふふ、幸せ……」
仕方ないな、とクゥロは片手でメアの背中をとんとんと優しく、もう片方の手でリリーの頭をゆっくりと撫でる。
「おやすみ、メア、リリー」
「はぁい、おやすみ、とーや」
「おやすみ、父さん……」
暫く娘達が寝付くまであやしていたが、気付けばクゥロも娘達の寝息と体温に包まれながら眠りに落ちていった。
◆◇◆◇
最初に起きたのはメアだった。ぱちり、と目を開くと辺りをきょろきょろと見渡す。そしてある事に気付くと昨日の笑顔は何処へやら、眉根を寄せて泣きそうな顔になり、クゥロのお腹にぐりぐりと顔を押し付ける。
「とーや……」
その感触に、意識が覚醒したクゥロはメアの異変に気付くと同時にその原因にも察しが付いた。
「これは」
「ううう、とーやぁ」
何も言えず、ぎゅっとクゥロに抱き着くメア。遅れて、リリーが寝惚け眼を擦りながら、ぽつりと呟く。
「雨……」
ざぁざぁと屋根を打つ雨音を聞きながら、メアとリリーは台所の机に突っ伏していた。いつもは活気のある朝餉も、言葉数少なく、今日の天気のように晴れない。
あれだけ楽しみにしていた山への紅葉狩りも、雨が降ってしまえば中止にせざるを得ない。天気の悪い日に山を歩く行為は危険が伴う。
「……あーあ」
「悲しい……」
はぁー、と溜息が揃う。折角のお出かけの日に雨が降るなんてついてない。出鼻を挫かれて、何にもやる気が起きなくなってしまっている二人の耳に、ごりごりと何かを削るような音が聞こえてきた。
嗅いだ事の無い、良い匂いが台所に広がる。がばっと二人が顔を上げると、クゥロが見たことも無い箱に付いているハンドルをぐるぐると回していた。この何かを潰すような音と良い香りはその箱からのようだ。
「とーや、何それ?」
「良い匂い……お菓子?」
「これは、父さんが昔好きだった飲み物だよ。お前達と会う前、まだ冒険者だった時によく飲んでいたんだ」
必要な量を潰し終えたのか、クゥロが箱の引き出しを開けると黒々とした粉がこんもりと入っていた。
「馴染みの行商人が知っていてね、頼んでおいた品物がこの間、届いたんだ」
「へー、そうなんだぁ」
「どんな味がするの……?」
「そうだなぁ、一言で言えば……」
薄い紙で出来た袋を陶器で出来たカップに乗せ、先程挽いた粉を適量入れてお湯を注ぎながら、クゥロは意味ありげに微笑んだ。
「大人の味、かな?」
◆◇◆◇
黒い液体を湛えたカップを三つ、お盆に乗せて、クゥロは二階へと向かう。
クゥロ達の住むこの家は一階が客間と台所、二階がクゥロとメア、リリーの寝室になっている。三階もあるものの、普段は荷物置き場になっている為に滅多に入らない。
クゥロの寝室の先に書斎がある。普段クゥロの寝室には入るメアとリリーではあったが、書斎には入らない。大昔に書斎で遊び回ってクゥロに怒られた記憶があるから、だが。
「とーや、入っていいの?」
「ああ、おいで? あ、靴は脱いで」
「お邪魔しまーす……」
お盆を片手に器用に扉を開け、靴をその場に残したままクゥロはさっと書斎に入っていく。恐る恐る、でも興味津々といった様子で続く二人。
「ようこそ、お父さんの秘密基地へ」
そこは四方を本棚に囲まれた部屋だった。端っこの方に、三人掛けのソファーと膝くらいの高さのテーブルかま書斎という部屋の中央にはふわふわの毛皮の絨毯が敷かれている。
「わぁ! 秘密基地なんて、わくわくする響きだわ!」
「なんか不思議な匂いがする……」
「綴じられた紙や塗料の匂いだね、本は沢山あるとこんな風に香るんだ」
クゥロは低い机にお盆を置くと、徐に毛皮の絨毯の上に寝そべった。
「こうやってごろごろしながら、本を読むのがお父さん好きなんだ。お前達もおいで?」
わぁー、と歓声を上げながらクゥロの横に寝転がり、川の字になるメアとリリー。
「雨が降って残念だったね。でも折角だから今日はお父さんに付き合って貰ってもいいかな?」
「えへへ、とーやの秘密基地に入れて貰えたんだもん! 付き合うわ!」
「私も……でも、私でも読める本あるかな……」
「絵が一杯描かれてる本もあるし、リリーが楽しめる本を一緒に探そうか」
「うん……一緒に御本読んで……」
「あ、私、とーやが読んでた料理の本読みたい! どれかしら」
「えーと、こっちの棚に……あ、その前に冷めないうちに召し上がれ」
「うん! 本の匂いも好きだけど、この不思議な飲み物の匂いも好きかも!」
「大人の味……気になる……」
雨に煙る、秋のある休日、本と異国の香りに包まれながら。三人はいつもと違う素敵な一日を過ごしたのだった。
メアもリリーもその黒い液体を一口啜って、悲鳴を上げたのは紛う事なき余談である。