005.『らんばーじゃっく』
クゥロ達の住む村は周囲を森に囲まれつつも、北には山、山から流れる川が西に、小高い丘と草原が東に隣接してあり、南には古くに築かれた街道がある。
これより北、神々の住むと言われている山までの間に他の村は無い。最北端、と言えば聞こえはいいが、実際は大きな街道から外れた行き止まりの村だ。
そんな誰も来ない村だが、木々に囲まれているだけあって良質の木材が取れる。
松の直木は他の木材よりも硬く、また木目も美しい為に建材に、杉の大木は他の所の杉よりも柔らかいと評判で、加工して食器などに使われる事が多い。クゥロの家で使われている食器はそれらの物を使われている。
昔から変わらずに付き合いをしている取引先もある。しかしここ数年で木材の需要も変わり、産出先も増えた。となると、運ぶのに不便な最北端の村から買う先も減る。
しかしお陰で違う希少価値が付与されて、他の木材よりも少し高値で取引されていたりもする。神々に祝福された山から取れる木、だとかなんとか。何にせよ、仕事があるのは有難い。
そんな事をぼんやり考えながら、リリーは杉の木に斧を深く叩き入れる。木を伐倒する際、木を切り倒す方向に『受け口』という浅く広く切れ込みを入れ、その反対側から少し高い位置に『追い口』という深い切れ込みを入れて切り倒す。
受け口はベテランの木こりのおじさんがやってくれる。まだ誰よりも経験が浅いリリーは追い口担当だ。
がこっ、がこっ、と酷く鈍い音の共に木っ端が飛び散る。リリーが振るう斧は、単純な力で言えば誰よりも強い。リザードマンとしての筋力だけで、他の人間の倍近くある。
「たーおれーるぞ……」
「リリーちゃんもっと声出さねぇと」
「これで精一杯……」
仕方ねぇな、とおじさんが代わりに声を上げる。このおじさんこそがリリーを木こりに誘った、名をマルクという。木こりの手法を一から教えてくれる面倒見の良い男だ。
リリーが一緒懸命に穿った追い口に鉄で作られた細長い板、楔を差し込み、ハンマーでガンガンと叩く。叩かれる毎に木が傾き、少しずつ、少しずつ倒れていき、めきめきと追い口と受け口の中間にあった『ツル』という余りの部分が音を立て折れ、見事狙った通りに木が倒れた。
「綺麗に、倒れた……」
「ああ、リリーちゃん、ちょっと休憩してきたらどーだ」
「そうする……」
マルクの言葉に頷くと、斧を片手でひょいと持ち上げて、切り出し場から離れる。程良い木陰を見つけたので、腰を下ろし、背もたれ代わりに身を預ける。
ふぅ、とリリーは額から流れる汗を裾で拭った。もう時間は昼を回っただろうか。既に何本か切っていて、後は必要なサイズに切って、運ぶ仕事が待っている。
ぼーっと地面を見つめながら、そろそろご飯かな、とサンドイッチに想いを馳せていると上から声がした。
「リリー、あのさ」
「……どうしたの」
見上げると、茶髪で童顔の男。木こりの中でも一番若い男、ロイドだった。年が近く、経験も似たようなものなのでよく作業を共にする事が多い。リリーはあまり話を自分からするのは得意では無いし、ロイドはロイドで女性慣れしてないというのもあってお互いに気まずく無言になる事もある。
リリーはこの間、父さんとならどうなるだろう、と考えて、そもそも父さんとならお互いに無言でも問題無いな、という結論に達したばかりだ。
「親父から、天気が崩れてきそうだから今日は早めに上げるってさ」
「そう……」
「だから、そのー、後は俺やるからさ、リリーは先に帰れよ」
「……大丈夫?」
「ああ、いつもお前に力仕事任せてるんだし、それに」
早めに家に帰ればその分親父さんと、と出掛かって、ロイドは口を止める。その言葉を言えば、リリーは喜んで帰るだろう、普段とは違ってまるでスキップでもしそうな程、ウキウキで。
だがしかし。それを口にするのは、男のプライドが廃る。何のプライドかは彼の面子に賭けて言わないでおくが。
「……それに?」
「な、なんでもねぇよ! いいから、降る前に早く帰れよっ!また明日な!」
訝しげに見上げてくるリリー。普段はロイドが見上げている側だから珍しい。帽子から溢れる黒髪が微かに汗で頬に張り付き、何とも艶かしい。
ふと見惚れていたのに自身で気づき、捲し立てるようにリリーを急かすと、ロイドは腰に吊るした鉈を手に仕事に戻って行った。切り落とした木の枝を落としに行ったのだろう。
「……変なの」
そんな、うら若き男心など露程にも知らず。リリーはばっさりと切り捨てると、背伸びをするように立ち上がり、服についた木屑を雑に払う。
木に立てかけた斧を手に取り、日陰に置いて置いたサンドイッチの籠を取りに行った。
ロイドが言わなくても、既にリリーの頭の中には父さんと早く会えるという事で頭が一杯だった。
◆◇◆◇
「父さん、ただいま……!」
「おかえり、リリー。今日は早かったね」
台所にいたクゥロが振り返って労う、それだけでリリーは飛び跳ねたくなる程に嬉しくなった。
リリーが家の鍵が開いている、という事に気付いてからワクワクしていたのだ。リリー以外の誰かが家に帰ってきてる、と言う事であり、父さんだったらいいな、と思っていたのだ。
「うん、雨が降るから、って……」
「確かに、天気が崩れそうな天候だった。だからお父さんも早めに帰ってきたよ」
シチューの下拵えに戻りながらクゥロが応える。今皮を剥いてるのは陽芋だ、煮るとほくほくとした食感が味わえて、子供達は皆好きな野菜だ。
リリーは荷物を置いて、草編みの帽子を脱ぐ。纏めて結っておいた黒髪を解いてばさっと背中に流す。解放された感じがして、ほぅ、と息が漏れた。
「今日は山鳥が取れたよ」
「父さん、凄い……今日のシチューは豪華」
「そうだな。リリー、お昼ご飯は食べたのかい」
「家で食べようと思って、まだ……」
「なら、お茶を入れてあげよう」
リリーはメアと同じように抱きつきたくなる衝動に駆られたが、自分は仕事が終わったばかりで汗塗れだ、その状態で抱きつくのは恥ずかしい。
「そうだリリー、お風呂入れてあるからさっぱりしておいで」
「父さん有難う……」
クゥロが雨の所為で早く帰ってくるであろうリリーや、雨に濡れて帰ってくるメアの為に用意してくれていたのだろう。
お風呂上がって綺麗になったら父さんに甘えよう、まだメアも帰ってきてないから独占出来るし、お茶も一緒に飲もう。うきうきしながらリリーが着替えを持ってくる為に自室に戻ろうとした所で、クゥロに声を掛けられた。
「リリー」
「なぁに、父さん……」
「今日もお疲れ様、頑張ったね」
ぽん、と頭を撫でられた。普段、クゥロより小さなメアにはよくやる行為だが、大きくなってからリリーはあまりされた事が無かった。
汗でベトベト、とかもう考える余裕は無かった。その嬉しさに思わず、そのままクゥロに抱きついてしまった。
「父さん……好き……」