004.『甘えん坊な朝』
一番早くに家を出たのはリリーだった。マイペースなきらいはあるものの、それはあくまでもクゥロやメアという心を許せる存在の前での話。
勿論この村の人々は良い人ばかりだ、それは知っている。それでも公私をちゃんと分けているのがリリーらしさであった。
「……行ってきます」
丈夫な長袖の服を着込み、下も余裕のある作業用のズボン。獣皮で出来た靴を履き、頭に草で編み込んだ帽子を被る。気候柄、涼しい土地ではあるが重装備だ。腰には色々な道具が入った袋をベルトで巻きつけ、その手には伐採用の斧。
長さは他の人が使うものと変わりが無いが、身長が二メートル近くあるリリーが持つと一段と小さく見える。
朝食の時にクゥロが作った、野菜と燻製肉のサンドイッチが入ったカゴを大事そうに持って出て行った。
「えへへ、とーや」
「戸締りは大丈夫だな」
そして次に出てくるのはクゥロとメア。メアはリリーとは反対にノースリーブに膝上の短いズボンと実に涼しげだ。布の無い所から、赤い鱗が剥き出しになっているが本人は全く気にしていない。髪の毛を頭の後ろで縛り、ポニーテールにしてさっぱりと纏めている。畑に必要な道具類は、畑のすぐ近くに小さな荷物置き場に閉まってある為、そこまでは軽装だ。
クゥロはどちらかと言えばリリー寄りの格好だ。上下共に裾丈は長く、色々と道具の入ったポーチ、木製の弓と矢を一纏めに背負っている。
唯一浮いているのが左の腰に吊るしてある剣である。こんな田舎では必要の無いであろうその剣は、クゥロの冒険者人生の思い出でーーしかし思い出とはいつも良いものとは限らない。
それでも身に付けるのは、過去は消えないからだ。それを背負って生きていかねばならないのだと、クゥロは思っている。
「……とーやぁ、大丈夫?」
剣と自身の過去に想いを馳せていると、メアがそっと右腕に自らの腕を絡めた。ザラッとした鱗の触感が手の甲に触れる。
クゥロの過去の話は、メアにもリリーにも話していない。しかし何かがあった事に二人共気付いているのかもしれない。
クゥロはメアに持たれているのとは反対側の手でメアの頭をそっと撫でた。
「少しぼーっとしてしまったよ、心配かけたね」
「ううん、いいの!とーやが元気ならそれで!」
ぱっと晴れた表情を浮かべながら頭をぐりぐりと擦り付けてくる。メアの一種の愛情表現だ。髪の毛は少し癖があるが、ちゃんと手入れをしていて指通りはさらりとしている。
「えへへー、もーっと撫でてもいいのよ!」
「なんだか今日は甘えん坊さんだね」
クゥロに撫でられるのがまた嬉しくて、吊り目気味の眉根が下がる。何故、娘がこれ程までに喜ぶのか分からないが、悪い気がする訳でもない。
「甘えん坊なメアは嫌?」
「そんなメアも可愛いよ」
「んー!!! とーや、好きー!!」
可愛いと言われた事に気持ちが振り切ったメアがぎゅうぎゅうと身体に抱き付いてくるが、刺さる鱗が地味に痛い。あやして数分、キリの良い所で撫でるのをやめると物足りなさそうな顔をしながらも渋々抱き着くのを止めて歩き出す。心なしか、きらきらとオーラが溢れているようにも見える。
「あ、とーや! 帰りにアンナさんの所に行ってきてもいい?」
「構わないよ。迷惑かけないようにね?」
「大丈夫! 帰ったらとーやのシチューが待ってるんだー、うわー、今日はなんて幸せな日……」
メアは仲良くなった村人とお茶をしたり、話をしたり、色んな事を教えてもらったりしている。ちゃんとご飯の前には帰ってくるが、クゥロとしては迷惑をかけていないか少し心配なのであるが、まだ十五歳だ。どうしても好奇心が先立つ事もあるだろう。
そこまで思いを巡らせて、十五年も経ったのか、とクゥロは思う。
「いってきまーす! また後でね、とーや!」
畑まで続く分かれ道でメアが腕を離し、駆け出す。
「ああ、気を付けて行っておいで」
「うん!! とーやも気を付けてね!」
メアを見送った後、クゥロは森へと向かった。危険な生き物はいないか、とぐるっと決められたコースを歩き、ついでに食べられそうな実や草、鳥や兎といった獲物を探す。
道中、十五年の歳月を無意識に握り締めていたが、ついぞその剣が引き抜かれる事は無かった。