032.『旅立ちに備えて』
待つ身の一週間は、あっという間に過ぎて行った。少なくともクゥロにはそう感じた。ただ待つだけならば退屈だっただろうその時間も、メアとリリーが居れば退屈を感じてる暇も無い。
ある日はメアが特にお世話になっているアンナとレニーの家を遊びに訪ね、冬になって気軽に会えない分、じっくりと交流を深めた。
「アンナさん、調子はどう? わ、お腹が大きくなってるわ!」
「メアちゃん達に助けて貰ったお陰で、無事に産めそうだわ。春が始まって、夏が近付いたら……かしら?」
「女の子かな……男の子かな……」
「僕としてはどっちでも嬉しいね、元気に産まれてきてくれたらそれで。大きくなったらメアちゃんもリリーちゃんも、仲良くしてあげて欲しいな」
「勿論よ、アンナさんとレニーさんの子供ならこの子も幸せだわ! ふふ、早く会いに来てね?」
メアは大きくなったアンナの腹部を愛おしそうに撫でた。メアとリリーがこの村で生活をしてから初めての赤ん坊だ。「二人ともお姉ちゃんになるのね」とアンナに言われるとメアもリリーも照れ臭そうに笑った。
「そっか、首都に行くのね。この村と違って色んな物があるから、楽しめると思うわ」
「気を付けてね、メアちゃん、リリーちゃん。クゥロさんがいるから大丈夫だと思うけど」
「ええ、とーやがいれば何も心配無いわ! お土産に期待してて!」
心配するアンナとレニーにメアは何の不安も無い笑顔で応える。自分を介さない所で交流を深めているメアに、クゥロは何だか誇らしい気持ちになった。
またある日はリリーがお世話になっている、木こりのマルクとロイドの家へと向かった。長く厳しい冬でも学ぶ事はある。今日は木材加工の技術をマルクに手解きしてもらう予定になっていた。
「おお、リリーちゃんよく来たな、それにクゥロ君にメアちゃんも」
「今日もお世話になります……父さんとメアは見学……」
「ふふ、リリーがお仕事頑張ってるのを見るのは新鮮ね!」
「う、こんな地味な所、見に来なくてもいいじゃねぇか。……あー、人に見られながら作業するのは緊張するぜ」
「何言ってんだ、地味だけど大事な事だろ、いつも通りやりゃいいんだよ! たく、リリーちゃんを見習って真面目にやれってんだ」
「……ロイド、一緒に頑張ろ……おー」
本来、冬の時期は樹木が腐り難い為、伐採が盛んに行われる時期。しかしこの村は降雪が多く、街道の行き来が困難になる為、然程多くは切らない。
しかし運搬はせずとも冬の間に伐採したものを加工して乾燥させておくのだ。春、また行商隊が来るようになった時の為に。
「首都に? へぇ、良い機会じゃねぇか、楽しんで来ると良いよ。俺らの切った木も首都に運べりゃ良いんだがよ」
「帰ったらまた仕事手伝って貰うからな、だからそのー……気を付けて行ってこいよ、リリー」
「……うん、有難う……」
手を休める事なく、マルクの指導の元で作業するリリーは手際が随分と良い。もう立派な職人の顔をして、次々と教えを飲み込む。
クゥロもメアも新鮮な気持ちで、家に居る時とは違う顔を見せるリリーを応援していた。
◆◇◆◇
「ふふ、メアちゃんもリリーちゃんも、皆に可愛がられてるね」
そんな愛娘達の話をするクゥロに、向かいに座っているリズは柔らかく微笑んだ。
「ああ、有難い事だ」
クゥロはリズの両親、アルシェとセレナに首都へ向かう旅の事を説明するべく、一人でリズの住む家を尋ねた。
久し振りに尋ねたリズの家は、クゥロがこの村を出た時と何一つ変わらなかった。この村で取れた木材を使用して作られた家はこじんまりとしていて、村の半分を占める程の大きな牧場を経営しているとは思えない。
しかしこの家はリズの両親がこの村に住み始めた時に建てて貰った、大事な家だという事をクゥロは知っている。まだ生活が軌道に乗っておらず、小さな牧場で寝泊まりをしていた二人に村人達が手を貸して作ってくれたのだと誇らしげに話していたのを覚えている。
この村で一番長く暮らしているリズの両親にとって、家の大きさよりもその家に詰まっている思い出の方が大事なのだろう。
「悪かったな」
「え、何が?」
「おじさんとおばさん、忙しかったんじゃないのか?」
そんなアルシェとセリナだが、クゥロが挨拶に伺うと話もそこそこに「後は若い者同士で」と自室に向かってしまった。その後ろ姿を見送るリズの頬が赤みを帯びていたのは気の所為だろうか。
もう三十歳後半のクゥロと、見た目はともかく三十歳を迎えたばかりのリズに使う言葉としては適切では無いように思える。しかし半分とは言え小妖精族の血を引くアルシェとセリナからすればまだまだ若者という感覚なのかもしれない。
アルシェとセリナのいつまでも若々しい姿を見てクゥロはそう思った。二人の年齢など、怖くて聞いた事も無いが。
「あー、あはは……クゥロが気にする事じゃないから大丈夫だよ、うん」
「それなら良いんだが。大事な一人娘、旅に出させるには不安な事もあるだろう」
「ううん、お父さんもお母さんも反対どころか応援してくれたし、何の心配も要らないよ。クゥロがいるからだと思うけれど」
「そうか。可愛い子には冒険させよ、という奴だな」
「か、可愛くなんてないけど」
不意にクゥロの口から出た単語に赤面するリズ。童女のような外見をあまり好んではいないリズだが、クゥロに可愛いと言われるだけでそんな自分の事も好きになれる気さえするから不思議だ。
「それより、クゥロ。私、旅ってした事なくて……どういう用意をすればいいのかな」
「そうだな……普通の旅なら用意しなければならないものは多い。身を守る為の武器や防具は勿論、着替えに保存食、野営をする際に必要な寝具や調理器具、何かあった時の包帯や薬なんかも必要になるな。そしてそれら全てを入れる背負い鞄が無いと話にならない」
「そ、そんなに沢山用意するんだ……」
真面目な顔で悩むリズに、ふっとクゥロは表情を緩める。駆け出しの冒険者に尋ねられ、先輩風を吹かした記憶が甦った。
「それはあくまで普通の旅なら、だ。今回の旅はメテオラに乗っての移動で、フレアの話なら半日も掛からないという話だからな」
「普通に歩いたら一月近く掛かっちゃうって聞いてたのに、凄いね」
「空には道が無いからな、最短距離を真っ直ぐ飛べるから早いんだ」
街と街を繋ぐ道はただ真っ直ぐ伸びている訳では無い。整備するのが難しい森や山岳などを迂回して、安全に通行出来るように作られているのが常だ。
地図上で点と点を繋ぐように見ると近く感じるが、実際に歩いてみると想像よりも遥かに遠い道のりになる。
「そっか、クゥロも魔法で空を飛べるもんね」
「ああ、依頼によっては道が無いどころか、地面が無い場所を通らなければならない事もあってな。そういう時には役に立つ魔法だ」
クゥロなら"飛翔"を使う事で歩く距離を縮める事も出来るが、それでも仲間ごと何時間も継続して飛び続ける事は出来ない。そう考えると隕石竜による移動がどれだけ規格外かがよく分かる。
「だから一週間分の着替えぐらいで良いと思うぞ。僻地では無いのだから、生活に必要な物なら購入する事も出来る」
「分かった、もうちょっと選んでみるよ。あまり荷物を持って行かなくても良いのは楽だね」
「泊まる所もフレアが用意してくれる話になっているし、最悪身一つでも構わないと思うが」
「流石に一から十までフレアさんのお世話になるのは申し訳無いなぁ。私、おまけみたいなもんだし」
「首都で暮らしているのはフレアなんだ、あいつの方がその辺りの準備を整えるのは簡単だろうし、甘えてしまって良いと思うぞ。気になるなら浮いた荷物の代わりに手土産の一つでも持って言ったらどうだ? あいつは酒も甘い物も嗜むからな」
「うん、そうするよ、有難うねクゥロ」
初めての旅に対する不安が解消されたのか、ぱぁっとリズの顔が明るくなる。
「楽しみだけど、不安な事も多くて。やっぱりクゥロに聞いて良かったなぁ」
「初めての事は仕方ないさ、俺だって初めて旅に出た時は怖くて仕方なかったよ」
「……この村を出た時の事?」
リズの問い掛けに、クゥロは深く頷く。
「売れる物は全部商人のおじさんに無理矢理買い取って貰ってな、そのまま荷台に乗せて貰って。狭い荷台で揺られていると、どうにも身体が震えていてな。この村を出たのは間違いだったんじゃないかってずっと膝を抱えていたよ。これからどうなるのか分からなくて不安で仕方無かった」
「……」
「でもな、長い森を抜けた時に、村の外の今まで見た事無い景色が広がっていて、凄くわくわくしている自分がいる事に気付いたんだ。もう後戻りは出来ない、それなら目一杯生きてやろうって。後ろ向きな感情から表れたものかもしれないが、それでもその気持ちがあったからこそ俺は冒険者の道を進めたんだ」
リズは少し呆気に取られる。いつもなら曖昧に笑って誤魔化すクゥロが、リズの前で昔の話をするのは珍しかった。
「どうしたの、クゥロが昔の話をするなんて。今まであまり話したがらなかったのに」
「昔の話をすると嫌でも思い出してしまうからな。でもフレアに会えて、自分の中で一つ整理が付いたような気がするんだ。漸く過去に向き合える、そんな気が」
リズは自分が知らなかったクゥロの一面を知れた喜びと、それに反して微かな胸の痛みを感じる。
その痛みの理由をリズはよく知っている。本当に些細な、嫉妬だ。自分では触れる事も出来ずにいたクゥロの古傷を、いとも簡単に直してしまったフレアに対しての。
「……そっか、フレアさんのお陰かぁ」
羨ましいと思う、思ってしまう。
自分だってクゥロと過ごしてきた時間がある。産まれてきたからずっとこの村で暮らしてきた始まりの時間が。
しかし自分と過ごした時間よりも、クゥロにとって苦しくても手放せない程に濃密な冒険者時代があって、そして大事な愛娘と過ごす現在がある。
ただ同じ村で数年、過ごしただけの幼馴染。そして今は同じ村に住んでいるだけのただの隣人。今の自分の立場がそんな風に感じられて、リズの心は重くなる。
その重さに耐えかねて、深く息を吐く。
「……そんなに不安にならなくても大丈夫だ、リズ」
「え?」
「お前の初めての旅は、絶対に楽しいものになるさ。リズには俺がいる。メアもリリーも、それにフレアもいるんだ。賑やかになるぞ、きっとな」
リズの浮かない表情を初めての旅に対する不安だと勘違いしたのか、クゥロは慰めるように声を掛ける。低く響くその声は、沈むリズの心に優しく沁みた。
「それに俺は楽しみだったんだ、お前と旅に出るのが」
「え、私と旅に出るのが……どうして? クゥロは今まで色んな人と、色んな所に冒険に行っていたでしょ?」
「……実は、冒険者になっても暫くはな、後ろから追い掛けてくるリズの姿が見えていてな。様々な依頼を受けて色んな景色を見る度に、お前がここに居たらどういう反応するのか、どんな言葉を掛けてくるのか……そんな事を空想していたんだよ」
いきなりの、予想もしなかった告白に思わずリズは顔を上げてまじまじとクゥロの瞳を見つめる。嘘を言っているようにも、からかっているようにも見えない。リズの頬は真っ赤に染まっていた。
「今思えば、村を出た寂しさを紛らわせていたのかもしれないが」
「そ、そんな事、知らなかったよ……!」
目を逸らして恥ずかしさを誤魔化すクゥロの頬も、微かに赤みを帯びているように見えたがリズはそれどころでは無い。顔が熱かった。心臓がどくどくと脈を打つ。
クゥロが旅に出た後、自分もそうだったから。
朝、村を散歩する時に。夕方、クゥロの家の前を通る時に。居ないはずのクゥロの姿を探してしまう自分が居て、その度に自分の名前を呼ぶクゥロの声が聞こえた、ような気がしていた。
もうクゥロはここに居ないというのに。二度と会う事は無いかもしれないのに。
そうして空想と現実の境目を揺蕩い、人知れず泣いた事もあった。思えば両親はそれに気付いていて、知らない内に気を遣わせていたのかもしれない。
リズが産まれてからずっと側に居てくれた、ずっとその背中に付いていったクゥロという存在は家族のように身近で愛しい、いや、それ以上に特別な存在だったのだ。
そんな、クゥロが。
「ふふ、そっかぁ。……お兄ちゃんもそうだったんだ……」
頬が緩むのをリズは抑え切れずに居た。さぞやだらしない顔をしているだろう、とは思ったが止められなかった。
いつも自分を引っ張るように、前を歩いていたクゥロが。数年経って帰ってきた時、精悍な顔付きになって見違えたクゥロが。
自分と同じように、自分を思って日々を過ごしていた時があるだなんて。
「あまりからかうなよ。俺も恥ずかしいんだ」
「からかうだなんて。うん、素直に嬉しいよ」
「……誰にも言わないでくれよ」
「言わないよ。言いたくない、が正しいのかも。私とクゥロの秘密、だね?」
「そうしてくれ」
恥ずかしさのあまり、遂にはそっぽを向いたクゥロも可愛いと思う。愛おしさがリズの胸に溢れて止まらなかった。
忘れられていたと、捨てられたと思っていた日々が報われたような気がした。
「……話が逸れたな。だからおまけだなんて思わないでくれ。メアにもリリーにも、そしてリズ、お前にも色んな世界を見て欲しいんだ」
「うん! クゥロが私に見せたいと思ってたもの、いっぱい見せて欲しいな。期待してるね?」
「任せておけ」
にっと唇の端を釣り上げて自信満々に笑うその顔が、幼い頃のクゥロと重なる。それは冒険者として仲間に向けるものでも、父親として愛娘に向けるものでも無い。家族に向ける、いや、リズにだけ向ける気安さと親しみが混じった笑みで、リズは嬉しくなる。
だからリズも微笑みを返す。昔のようにあどけなく、ひたすらに純粋な微笑みに、あの頃より湧き上がる慕情を込めて。
◆◇◆◇
そして、その日は訪れた。
遠くの空からどぉん、と破裂する音が聞こえた。隕石竜が再来した先触れである事はすぐに分かった。
「うみゅ……とーやぁ、今の音って」
「ああ、メテオラだ」
「……ん、遂に来た……」
朝と呼ぶには少し遅いが、昼と呼ぶにはまだ早い時間、クゥロとメアとリリーはまだベッドの上に居た。
メアはクゥロの胸に頭をぐりぐりと押し付ける、まるで自分の匂いを擦り付けるように。リリーはその腕でクゥロの身体をぎゅっと抱き締める、その温もりを確認するかのように。
「身支度を整えて、旅支度の確認をするか」
「一応寝る前に確認したけど、もう一度しておこうかしら」
「父さん、言ってたもんね……冒険は準備が八割だって……」
「そうだな。冒険で何をするかより、冒険までに何をしたかが大事な事だ。準備したと思い込んで、土壇場で足りない物に気付くと大変な事になる。よく覚えていたな、偉いぞ、メア、リリー」
「ふふーん」
「……へへ……」
ここ最近、冒険者として生きてきたクゥロの話を聞きたがっていた二人は、ちゃんとクゥロの話した事を真面目に受け止めているようだ。
「あの音の遠さだと、もう少し掛かるな」
「あーあ、暫くはとーやと一緒に寝るのもお預けかー」
「ちょっと……寂しい」
暫くの間、名残惜しそうにクゥロにくっ付いていた二人だが、覚悟を決めたように起き上がる。ふぁ、と欠伸混じりに大きく背伸びをするのはメア。ぼーっとした顔でうとうとするのはリリー。
「それはお父さんも一緒だよ」
「ふふ、とーやも寂しがりやさんなのね、いつでも甘えに来て良いのよ?」
「父さんも一緒……へへ、嬉しい……」
立ち上がろうとしたクゥロの腕をメアとリリーがほぼ同時に掴み、ベッドへと引き戻す。覆い被さるように倒れ込んだクゥロをぎゅっと抱き締める二人は満足気だ。
「とーや、私とリリーが居るんだからとーやの悪い呪いもすぐ治っちゃうわ! とーやを治す為なら私、何でも出来ちゃうんだから。だからとーやぁ、いーっぱい頼ってね?」
「メアの言う通り、父さんはすぐ良くなる……これからも色んな絵本読んで貰ったり、色んな所に連れて行って貰ったり、父さんと色んな事をするの……だから心配する事なんて無い」
「ああ、有難う。メアとリリーが居るから何も心配していないよ。お父さんは大丈夫、だから二人もこの旅を心から楽しんでおくれ。二人の元気な姿を見るのが、お父さんにとって一番の薬だよ」
顔を寄せ合ったメアとリリーの瞳はきらきらと輝いていた。紅玉にも蒼玉にも負けないくらいに美しいその輝きを支えているのは無条件の信頼、そして愛情だ。この瞳を曇らせるような事は出来ない。
「さ、着替えておいで。準備が出来たら、軽くご飯を食べよう」
「うん! すぐ着替えて手伝うわ、とーや!」
「……腹が減っては冒険は出来ぬ……だっけ?」
「リリー、寒いからってのんびり着替えちゃダメよ!」
「メアこそ……前閉じのボタン、掛け間違えないように……」
メアとリリーが慌ただしく部屋に戻り、取り残されたクゥロが着替えようとすると、どぉん、とまた一つ音が響いた。先程よりも近付いて来ているその音はまるで祝砲のようにさえ聞こえ、クゥロは窓の外の晴れた空を見上げた。




