019.『六人寄れば』
殺意というものが可視化されるなら、今この牧場程色濃く出る所はないだろう、と半小妖精のリズは思った。
牧場は今、獣の大群に包囲されている。
狼や猿、猪や熊といった大小様々な獣達が、ここに立て込もる全ての人間をその爪で、牙で引き裂こうと唸り声を上げている。
それも、幼馴染みの元冒険者が言うには操られている結果であるという。精神に働きかけ、恐怖で縛り付け、従わせていると。
三十年近くこの村で平穏に生きてきたリズにとって、今この状況は初めての恐怖、生きるか死ぬかを賭けた状況であった。
怖かった。
知り合いが傷付く事が、この村での平穏が壊される事が、そして自分が死ぬ事が。
手が思うように動かなくて、膝が震えて、頭はパニックになり掛けていた。
それでも、心の奥底から溢れ出る恐怖に全てを委ねる事はしなかった。この牧場を避難場所に提供した側としての責任もあるが、それ以上に。
全ての元凶である火翼竜の、怒りの爪も憎しみの牙も、たった一人で受け止めている幼馴染みがいるから。
その竜が、長く、強く怒りの咆哮を上げた。離れていても伝わる憤怒の感情に当てられて、周りの獣達から発せられる殺意が増したように感じられた。
「クゥロお兄ちゃん……死なないで……」
リズの願いは、白い息と共に空へと昇っていく。
生まれた時から側にいて、本当の兄のように慕っていた幼馴染み。冒険者となる為にこの村を出て、そしてこの村へと帰ってきた。彼がこの村をどんな風に思っているのか直接聞いた事は無かった。けれども彼が居なかったら、この村はどうなっていたか分からない。
彼が命を賭しているこの時間を無駄には出来ない。
自分も何かしなければ、とすぐさま潤んだ目元を裾で強引に拭き取った。
「リズ!」
「リズさん……」
そんな事を考えていたリズに、クゥロの愛娘であるメアとリリーが駆け寄る。
メアは暖色の毛糸で編まれた短い外套に、太腿を曝け出す短いズボン、リリーは深い青色の防寒コートを膝まですっぽり被っている。先程露店を見ている時に着ていたものだ。きっとクゥロとの露店巡りを楽しみに着飾ったのかもしれない。
先程と違うのはどちらもその手には命を奪うことの出来る獲物が握られている事だ。
「メアちゃん、リリーちゃん」
「今の竜の咆哮、今までのと全然違ってたわ」
「う、うん、怒ってるのが凄く分かったね」
「きっと、父さんが頑張ってる……」
クゥロが奮闘しているという喜びと、そのクゥロを一人死地に立っているという苦しみが二人の表情から見て取れた。
本当はクゥロと離れたくなど無かったのだろう。どんな時でも常に三人で生活していたのをリズは知っている。肉親と離れる、という裂かれるような心の痛みを感じているに違いない、とリズは自分の事のように感じた。
「だから、私達も何かお手伝いしたいの! 一緒に暮らしてきた村の皆の力になりたいの」
「力仕事とかなら出来る……何かお手伝いする事、ある……?」
それでもこうして、この村の為に何かを為そうとしている。竜の咆哮に、獣達の殺意に当てられても心折られずに。
強い子達だな、とリズは思った。それはきっとクゥロの背中を見てきたからなのかな、とも。あの不器用だけど真っ直ぐな彼の愛情を一身に受けて共に生きてきた二人。
子供のように思っていた二人がこんなに強くなったのを彼は知っているのか、リズは聞きたくなった。
「その話、俺らも混ぜてくれねーか」
その声の聞こえた方に三人が顔を向けると、三人の若い男女が居た。
声を掛けてきた男は目付きが悪かった。上半身を覆う板金鎧、籠手と足甲を着け、大振りな両刃剣を肩に担いでいる。幾らか刀身が曇っているのは使用したからだろうか。
薄紫のとんがり帽子に同色の長い法衣を纏った女は、金属で出来た細長い杖を小脇に構えている。この状況下に置いて冷静な眼差しで、落ち着き払っていた。
もう一人の女は革で出来た胸当てと手袋を嵌め、背中には矢筒、右手には小柄な弓を携えている。愛想良く笑顔を浮かべてながら二人の後ろに付いていた。
メアとリリーには見覚えがあった。先程、アンナ達を連れていた時に牧場の門前で獣達と戦っていた若者だった。
「さっきは援護してくれて助かったわ! お陰で一緒に居たアンナさん達も無傷で避難させられたわ」
「どうも……有難う……」
「ああ、礼を言う事じゃねーよ。こっちも仕事みたいなもんだったしな、大した事じゃねぇ」
「そういう乱暴な言い方良くないわよ、マックス」
「そうだよ、ただでさえマックスはデリカシー無いんだから、村の女の子が怯えちゃうよ?」
「うっせーな、ユーシィ、ポッカ」
後ろの若い女の冒険者達の軽口に、鼻を鳴らす若い男。
「手早く情報交換しようぜ。俺はマックス、プレボスのおっさんの行商の護衛をしてる」
「私の名前はユーシィ、マックスとは同じ街で生まれた腐れ縁のようなものかしら」
「アタシはポッカ、宜しくね、お三人がた!」
「私はメアよ、この村の住人よ、宜しく頼むわ!」
「リリー……メアに同じ、宜しく」
「私はリズ、この牧場の関係者だよ。皆を守ってくれて有難うね、マックスさん、ユーシィさん、ポッカさん」
「まだ何も終わってねーぜ」
マックスは肩に担いだ大振りの剣の柄を握りながら辺りを見回す。
「あの竜の雄叫びの後、獣達が活気付きやがった。何か手を打たないと、門か塀が決壊する可能性もある」
「そうね、普通の状態なら自らの身体を痛め付けるような無理な行動はしないけど」
「外の動物達、柵に巻き付いてた茨にすら怯えてなくて血だらけだったもんね……おーこわこわ」
先程まで外で戦っていた三人はしっかりと状況を把握していた。
「このまま立て籠もっていても良くないって事ね!」
「……打って出る?」
メアとリリーは獲物を軽く持ち上げて提案するも、マックスはげんなりとした顔で目を細める。
「おいおいお前ら、あの数の獣と戦う気か? 正気の沙汰じゃねーぜ」
「……少なくとも無傷では済まないわね」
「アタシは良い案だと思うけどなー、この娘達、強いし、なんとかなるよきっと。下手すればマックスよりも強いんじゃない?」
「馬鹿な事言ってねーで真面目に考えろ、ポッカ」
メアとリリーの視線が、唯一の魔法使いであるユーシィへと移る。この中で物理的な力では無く、魔法を駆使出来るユーシィは貴重な存在だ。
「ユーシィさんの魔法でどうにかならないの?」
「……そうね、私の知ってる中で一番強力な大魔導師"天月を焦がす炎"なら全てを焼き払う事も出来るかも知れないけれど、私じゃ全ての獣を倒す前に魔力が尽きてしまうわね」
「そっか……残念……」
「でも魔法で援護くらいならお安い御用よ、ねぇ、マックス?」
「ユーシィも俺に獣とやり合えってか」
「アタシも弓で援護するよー!」
「お前には聞いてねぇよ」
三人のやり取りにリズは、緊張が少しだけ解けたような感じがした。
この緊迫した空気の中でも軽口を叩けるのはある意味才能とも言える。過度の緊張は体を鈍らせる。それが戦いの場において生死を分ける事にもなるのだ。
いつでも、いつものように振る舞う、というのはなかなか難しい。大物なのかはたまた命知らずなのかは分からなかったが、行商隊のリーダーであるプレボスさんが護衛に選出したのもその辺りが強いのだろうな、とメアとリリーは思った。
ユーシィがとりあえず、と前置きをして話を先導する。
「状況を整理するわね。今、竜が村を襲っていて、それを一人で抑えている人が貴方達のお父さん。で、私達は今この牧場に立て籠もって、竜の操る獣達の攻撃を凌いでる。
この状況を打破するのは、竜を討伐するのが一番早い、でもこれは難しいと思うわ」
「生物最強の竜に勝てる人間なんて一握りだからなぁ。しかも単身と来れば、死にに行くようなもんだぜ」
クゥロが死ぬという未来が頭を過ぎって、メアとリリーは俯いてしまう。
「とーやは絶対に死なないもん! 露店を一緒に回るって約束したんだもん……とーやは約束破ったりしないもん!」
「父さんは強い……誰よりも、竜よりも強いの。だから負けない……絶対に生きて帰ってくる……」
「わぁ、だから言葉には気を付けてって言ったでしょ、マックス! この子達泣きそうじゃん!」
「うっせーな、事実だろうが」
弓兵のポッカは慌てて二人を宥めるが、辟易した顔で目を逸らすマックス。それらをちらりと横目で見ながら、ユーシィは言葉を続ける。
「どちらにせよ、私達で獣達をどうにかしなくてはならないわ。この牧場は見たところかなり堅固に作られているけど、いつまで保つかは分からないわ」
「元々、獣害用にって木で柵と塀を拵えたけど、こんなに多くの獣達と戦う為の物じゃなかったから……」
「それでもここまで用意されてなければ、私達も含めて平地で迎え撃たないといけなかったから有難いわ」
今この丘の上の牧場には村人達が老若男女問わず避難している。これら大勢の人がばらばらに点在していたとしたら、救えない命の方が多かった筈だった。
牧場周りを整備したのも、この牧場に避難するように指示したのもクゥロだとリズは知っていて、少しだけ誇らしい気持ちになった。
「このまま待っていても持ち堪えられるか分からない、そうなると誰かが直接獣達と戦いながら注目を引き付けて時間を稼ぐ……という事になるかしら」
「それしかねぇってんならそうするけどよ……魔術師らしくもう少しなんか良い案ねぇのかよ」
「まあまあ、ユーシィがそれしか無いって事はもう仕方ないよ! きっとそれがアタシ達にとって一番の選択肢だよ!」
「私もそれで問題無いわ! 他に方法も無さそうだし。少なくとも私達が囮になっている間、皆が無事ならやる価値はあると思うわ!」
「別に……全部倒しちゃってもいいんでしょう……?」
メアとリリーはクゥロが竜を倒す事を信じているのでその瞳に絶望の陰りは無い。寧ろこの窮地においてなお、闘争心が燃え上がっているようにも見えた。
「危なくなったら、私が"跳躍"をかけるからもう一度牧場へ避難させるわ。そうなった後は……収まるのを待つしかないわね。策なんて呼べる程のものじゃないけれども……」
「……わりぃ、お前の所為じゃねぇよ、気にすんな」
軽口を叩いたマックスも、ユーシィの反応にバツが悪くなり口籠る。自分でも行き当たりばったりの作戦だと分かっているのだろう、告げたユーシィの顔は苦しそうだった。
行商隊の護衛である三人の表情は冴えない。苦々しく顔を歪めたマックスも、明るく振る舞っているように見えるポッカも、無言で空を見上げたユーシィも、ある種の覚悟を決めていた。
例え自分達の命を賭けてもほんの少しばかり延命をするだけ、焼け石に水の作戦と知っていても。それを口にして騒ぐ事は誰もしなかった。
若いとは言え、それなりに修羅場を潜ってきた三人だ。命を賭す事に恐れがある訳では無いが、その命を賭しても変わらないのではないか、と思わせる現状が心を重くしていた。
「あのね、皆」
そんな中、リズが声を上げた。
「……私、もしかしたら獣達を何とか出来るかもしれない」
「リズ、それ本当なの!?」
この六人の中で、一番荒事に向いていないであろうリズの提案に、全員の視線がリズに向かった。その茶色い瞳には強い意志が込められた輝きがあった。
「うん、多分、だけど。でもどっちにしろ時間を稼ぐ必要があるから、メアちゃんやリリーちゃん、マックスさんを危険な目に合わせないといけない、けれど」
「やる事は変わらねぇけど、それで万事上手く行くってんなら乗りてぇ所だな」
「リズさん……何するの……?」
自身を落ち着かせる為に、一つ深呼吸をするリズ。
「あのね、私、実は魔法が使えるの。ちゃんと学んだ訳じゃないから、少しだけだけど」
「へー、リズさん魔法使えるんだ! 凄いね、どんな?」
「この牧場の周りに植えたお花を使った魔法なの。飼っている牛達の寝付きが悪かった時に、クゥロが教えてくれたんだ」
「とーやが?」
「……いつの間に……」
メアとリリーが恨めしそうにリズをじーっと見やる。どんな時であれ、クゥロの事になるとすぐに顔に出てしまう。
自分達が生まれてくる前の事はどうしようもないとしても、自分達と共に生きてきた間はクゥロの全ての事を把握したいという乙女心でもあった。
その視線には全く気付かず、リズは続きを話す。
「いつもは外に咲いてるお花を一輪摘んで使うんだけど、今この牧場の周りに咲いている花を使えば、もしかしたら獣達の暴走も止められるかもしれない」
「リズさん、その魔法の効果は?」
皆の期待が、リズに集まっていく。容姿としてはまだあどけなさの残る子供のようだが、中身はしっかりと大人だ。
「花の香りの効果を強くする魔法だよ。この牧場に咲いている花を使うと、心を安定させて眠りへ誘う効果があるの」
「なんだそりゃ、そんなちゃちい魔法でどうにかなるのか?」
「……もしかしたら、可能性はあるかもしれないわね」
マックスの疑問に、ユーシィが答える。その表情は先程よりも幾分か明るい。
「竜咆哮による竜恐慌も、言ってしまえば恐怖心を煽って縛り付ける魔法のようなものよ。精神に効果を及ぼすものなら、同じく精神に働き掛ける魔法で打ち消す事は出来るかもしれないわね……私には使えない魔法だから効果の保証が出来ないけれど」
「え、ユーシィでも使えないの?」
「ええ、初めて聞いたわ。それに魔法には相性があるわ。例え魔法を構築する手段が同じでも人によって効果は違うの。私は風を操る魔法に適性があったけど、リズさんはきっと地面や植物系統に適性があるのね、小妖精だからかしらね?」
「あはは、混血だけどね……」
困ったように笑うリズ。特徴的な尖った耳も、見た目だけで小妖精なのかそれとも混血なのかまでは分からない。
「何にせよ、可能性があるってんなら俄然やる気が出てきたぜ」
「そうだね! しかもお花の魔法だなんて素敵じゃない? よーし、気合い入れて射つぞー!」
「リズさん、何か台のようなものは無いかしら? ポッカと私は高い所から状況を把握しながら援護したいの」
「それなら、運搬用に使う木箱が幾つかあるよ。飼い葉桶とか、他にも台になりそうなものも」
「それなら皆に手伝って貰うのが早いかもしれないわね! 私、村の人達に手伝える人がいないか聞いてくるわ!」
「マルクおじさんとかロイドとか……頼んでみる……」
皆の声色は先程よりも明るかった。ほんの少し前の絶望的な空気は薄れ、自分達のやるべき事がはっきりとしたからの明るさだ。
もしかしたら何とかなるかもしれない、という前向きな空気が漂う。例え獣の後ろには、大きな火翼竜が存在しているとしても、今目の前の現状を打破出来る事は一つの心の燃料であった。
「俺はメアとリリーに付いて行くわ、同じ命張るんだ、宜しく頼むぜ」
「ええ、此方こそ宜しく頼むわ! じゃ、私達は行ってくるわね!」
「人が集まったら……牧舎の方に連れてけばいい……?」
「うん、用意しとくね。ユーシィさん、私魔法の事に詳しくないから……少しだけサポートして貰っても良いかな? 効果範囲を広げるの初めてだから」
「構わないわ、私も興味があるし。こんな時でも無ければ、最後まで観察したかったのだけれども」
「あはは、無事に生き残ったらさ、私に魔法を教えてくれた人を紹介するよ。色んな魔法を知ってるから、きっとユーシィさんの助けになると思うよ」
「アタシも会ってみたいなー! マックス、メアちゃんとリリーちゃんの足を引っ張っちゃダメだからね」
「うっせぇ、ほら行こうぜ」
それぞれ自分の果たすべき役割を胸に、小雪降る牧場内を駆け出した。
それぞれがそれぞれで考え込んでいた時よりも、話し合った後の方が幾分足取りは軽かった。




