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016.『遠い日常へと』

 ()()は、人の手の届く事はない遥か上空を悠々と羽ばたいていた。神々の住む山と言われている山々を、不遜にも見下ろすように高く。

 粉雪がちらつく白けた雲の下、赤黒い()()は異質な存在だった。


「あ、あれは……」

「なんでこんな所に……」


 村人、行商隊、今この場に居合わせている人間は望んでいない乱入者を見上げ、口々にその名前を呼んだ。


「ドラゴン……」


 そう、竜である。古来から生物界の頂点に佇む、恐るべき相手だ。知性があり、中には人を超える知能を持つ個体もいる。全身を鋼のような鱗で覆い、名刀のような鋭さを持つ牙と爪をその身に宿す。一度暴力に身を委ねればどんなものでも破壊する事は容易い。


 普通の竜は秘境だったり、火山の奥地、または永久凍土、果ては深海の底といった過酷な環境で過ごしている事が多い。それが彼等の本能なのか、何かしらの習性なのかは知らない。ただそのお陰で他の生物達が悠々と怯える事無く暮らせているのは事実だ。


 だが、稀にその習性から外れたように人前にその体躯を晒し、動植物全てに壊滅的被害を齎す個体もいる。それらを「はぐれ」と言い、雷や地震といった災害と同じように恐れているのだ。


 その災厄たる存在は、遠くの空でまた大きく吼えた。


 その唸り声は獰猛な獅子の怒声にも、赤子の癇癪を起こした時の絶叫にも似て、離れている事すら感じさせない程に強く心を震わせる。


「た、助けてくれぇ!! 死にたくないぃ!」

「パパ、ママァ! どこなのぉ!」

「に、にげないと……何処へ、どうすれば……」


 先程まで穏やかに過ごしていた人々は口々に声を荒げ、騒々しく右往左往する。


「とーや、ど、どうしよう……」

「父さん……」


 他の人間達の動揺や、初めての脅威に晒され、メアとリリーは不安げにクゥロを見つめた。その腕に込められた力が、いつもより弱々しい。


 これが狼や熊と言った野生動物の襲撃ならメアもリリーも何度も経験した事がある。しかし全ての生物の頂点に君臨する竜となると話は別だ。経験も、そして実力も足りていないと二人は感じていた。


 このままでは取り返しの付かない事が起きる、そう分かってはいてもどうすればいいかが分からない。

 そんな二人に、クゥロは優しく微笑みかける。


「メア、リリー、大丈夫だ」

「とーや」

「ん……」


 不安な面持ちで見上げた二人だったが、頭に乗せられたクゥロの暖かな掌の感触を感じ、すぐに平静を取り戻す。

 いつもと変わらない、その温もりに触れるだけで何の心配など要らなくなってしまうのだ。


「さて、ドラゴンか」


 クゥロはただ一人冷静だった。まっすぐと彼方に漂う竜を見つめ、思案する。


 先日の狼達の異常な行動。リズの話してくれた、街の壊滅。そして姿を現しながら遠くで咆哮しただけの、竜。


 過去の冒険の記憶から、ゆっくりと引き出されていく知識と今の現状を重ねて、クゥロは判断する。


竜咆哮(ドラゴンハウリング)による竜恐慌(ドラゴンフィアー)か……それなら」

「ど、どうすればいいの、私に出来る事はある?」

「リズ、村の人達をお前の牧場に避難させて貰っても良いか」

「うん、大丈夫だけど……」

「今に、山の獣達がこの村を襲撃してくる。皆を守るには一塊に、牧場に籠城した方が良い」


 竜の咆哮には魔力が宿る。物理的な破壊に作用する場合もあるが、それよりも精神的な威圧として使われる事が多い。

 ただでさえ強大な体躯を持つ竜から放たれる咆哮は、聞くものに本能的な原初の恐怖を思い起こさせる。つまり、捕食者と対峙する恐れだ。

 身体が竦み、思い通りに動かせなくなるどころか、精神に異常をきたし、恐慌に来たす時もある。耐性の低い者は時として心臓の動きすら止めてしまう。


「恐らくあのドラゴンは竜咆哮で生物を恐怖で絡め取り、従えているのだろう」


 物理的距離がある今の状態ではそれ程強く作用はしないが、それでも周りの人間は竜が襲来したという状況と相まって酷く混乱している。


「動くなら、まだドラゴンが遠くにいる今の内だ。頼む、リズは声を掛けながら皆を誘導してくれ」

「話は聞きましたよ、クゥロさん」


 すぐ側にプレボスが近寄っていた。その顔には焦りはあるものの、経験の深さからか他の物よりもその瞳は理性的だ。


「まさかこのタイミングで竜に襲われるとは思いませんでしたが、この一大事、皆で協力して避難する事にしましょう。私も、私達の護衛も誘導に協力致します」

「プレボスさん、助かります。それならば村の東にある牧場へと、行商の皆さんも向かって下さい。荷物は一先ず置いて、すぐにでも」

「……分かりました、命あっての物種ですからな。さぁ、皆さん! 死にたくない者達から急いで牧場へ向かいましょう! 金はいつでも増やせますが命は一つですよ、急いで!」


 プレボスが通る声で呼び掛けると、商人達は手に持てる範囲の荷物を持ってプレボスの周りへの集う。他の村人も、その声に後押しされるように落ち着きを取り戻し、少しずつ牧場へと続く道へと向かっていく。


「リズ、プレボスさん達を先導してくれ。あそこなら長く持ち堪えられる筈だ」

「うん、分かったけど……クゥロはどうするの?」


 リズの琥珀色した瞳が不安げに揺らぐ。その真っ直ぐな視線を受けて、クゥロは微笑んだ。


「ドラゴンの相手をするよ」

「しょ、正気なの!?」

「勿論。この村でドラゴンと戦えるのは、俺しか居ないからな」


 竜の強さは子供にだって分かる程だ。人間の数倍の大きさ、鱗は硬く生半可な攻撃も通さず、その爪や牙は人の身体を引き裂く事も容易い。個体によってその体内に、可燃性の物質や毒物を生成する器官があり、周囲に大きな被害を及ぼす竜吐息を吐くものもいる。


 ただの人間が、たった一人で立ち向かって無事で済む暴力では無い。


「とーや、私も側に居させて」

「死ぬなら……父さんの近くがいい」


 それが分かっているから、メアもリリーも迷う事無くクゥロに付いて行こうとする。


もしクゥロが死んでしまったら、生きていける気がしなかった。それならばいっそ、隣で。


 そんな覚悟を決めたメアとリリーを、クゥロは宥めるように撫でる。


「馬鹿だな、お父さんは死にに行く訳じゃないぞ。二人はリズ達の後に続いて、牧場を守ってくれるかい?」

「でも、ドラゴンなのよ?」

「大丈夫だ、お前達のお父さんだ。お父さんが嘘付いたことがあるかい?」

「無い、けど……」


 安心させるように微笑むクゥロがあまりにもいつも通りで、メアとリリーは目の奥からじんわりと熱いものが出てきそうになる。


「一度、武器を取りに帰ろう。メアもリリーもおいで」


 そう言って慣れ親しんだ道を駆け出そうとクゥロの裾が引かれる。


「どうした、リズ」

「絶対に、絶対に死なないでね? 私、信じて待ってるから……」


 その瞳から今にも涙が溢れてしまいそうな程に潤んでいた。しかし、声を上げて泣く事はしない。涙を溜めながらも、リズは微笑んだ。いつも通りのクゥロに習うように、いつも通りに。


「行ってらっしゃい、クゥロ。気を付けて」

「ああ、任せとけ」


 クゥロはリズの笑顔を背中に、自宅を目指して小雪の舞う道を駆けた。振り返らなかったのは、リズへの信頼があったからだ。この危機を乗り越えた後にまた日常が始まる事を、信じているリズを裏切らない為に。



 ◇◆◇◆



「……これで良いか」


 薄く埃を被った、窓からの明かりが入らない薄暗い室内に灯った魔法の光を頼りに、クゥロは目当ての物を引っ張り出した。


 クゥロ達の住む家は、一階に台所とリビング、二階に寝室、そしてクゥロの書斎がある。普段は三人とも暮らすのにそこだけで用が足りてしまうので訪れる事は無いのだが、実は物置として使っている三階があり、物置の更に奥の部屋、クゥロはそこに現役時代の装備を全て収納していた。


 魔法を付与されたものや、単純に危険な物も多く、まだ幼かったメアとリリーが入ろうとすると本気で怒ったものだった。懐かしい記憶が蘇り、クゥロは頬を緩ませた。


 そんな思い出が一杯詰まった家であり、そしてそんな思い出を育ててきた村だ。


 決して何者かの悪意に、そして理由無き暴力に踏み躙られていい場所では無い。


「とーや、準備出来た?」

「ああ、待たせたね、お父さんは準備万端だよ」

「うん……」


 頭の奥が冷えていく感覚も束の間、メアとリリー達の呼ぶ声が聞こえ、クゥロは物置から出て入り口に向かう。


 メアとリリーは共に、露店巡りの時に着ていた服装はそのままに、メアは片手剣と円盾を両手に握り締め、リリーは柄の長い斧を片手にぶら下げていた。


 先日の稽古の時に使った刃引きした物では無い、相手を殺傷する為の武器だ。竜と戦うには頼りないが、獣達と対峙する時には問題無い。


「とーやがそんな装備しているの、初めて見たわ」

「格好良い……冒険者だった時の?」

「ああ、そうだよ。まさかまた身に付ける事になるとは思って見なかったよ」


 クゥロは身に付けた装備を確認するように自分の身体を見渡した。


 黒沼竜(ブラックアリゲーター)の長外套は変わらず、その下には翡翠色の鱗で出来た鎧を着込んでいる。竜巻と共に訪れるとされる大嵐龍(ストームドラゴン)の鱗を使ったその鎧は着込んでいる事を忘れてしまう位に軽く、そして容易く傷を付ける事すら出来ない丈夫さを誇る。


 普段は何も付けない、硬くごつごつとした両手には黒茶色の革手袋。これは火山を拠点にする溶岩妖猟犬(ラーヴァハウンド)の皮で作られており、断熱性が高く、炎による自傷ダメージを防ぐ効果がある。


 左腕には黒鉄鋼で作られた狩猟用投石機具(スリングショット)が握られていた。手首にしっかりと固定されており、紐の部分は深海に生息する大鯨(ジャイアントホエール)の髭で編まれたモノで強力な弾力性と強度を両立している。


 ベルトにはいつも探索の時に用いていた片手剣、それに腰小鞄と様々な装いの鞘に包まれた短剣が複数吊られており、太腿と脛には狩猟用投石器具と同じ黒鉄鋼で出来た足甲が皮ベルトで巻かれていた。


 こんな時でも無ければ二人は、見た事の無いクゥロの装いにテンションが上がっていたであろう。


「メアとリリーは、他に逃げ遅れた人が居ないか確認しながら牧場へと避難してくれ。お父さんがドラゴンを倒せば、獣達の暴走も治る筈だ」

「……分かったわとーや、リズさん達と合流すればいいのね」

「……だから心配しないで、父さん」


 本当はクゥロに着いて行きたい。いつもクゥロと共に生きてきた二人だ。危険が迫っているからこそ、クゥロの助けになりたい。


「ああ、お前達にしか出来ない事だ。任せたよ、メア、リリー。皆を守っておくれ」


 クゥロはその両の腕に二人を迎え入れ、優しく抱き締めた。その暖かさに触れ、寂しい気持ちをぎゅっと抑え込む。


 クゥロが任せてくれたのだ。ここで我儘を言うのはクゥロの娘として生きている自分達の取るべき行動では無い。


「うん、分かったわ、その代わり」

「……全部終わったら、甘えさせてね」


 だから、その後で一杯我儘を言おうと思った。まだ出店も半分しか見ていない。買って貰った本だって、急いで帰ってから机の上に置きっぱなしだ。これから厳しい冬が始まる、だけどもクゥロとの楽しい日々が待っている。


 竜なんかに壊されてたまるか、とメアとリリーは強く思った。


「ああ、一杯甘えてきなさい」


 腕を伸ばして、ぎゅっと力一杯抱き締めてくるメアとリリーを同じように応えるクゥロ。

 ほのかに甘い花の香りがした。日常はこの手の中にある、とクゥロは強く感じた。


「うん、もう大丈夫だわ、とーや」

「行ってきます、父さん……またね」

「ああ、気を付けて」


 名残惜しく身体を離すと、二人の顔は凛々しく前を向いていた。

 そのまま、入り口を出て姿が見えなくなる。


 強い子に育ったな、とクゥロは思う。死地へと赴くクゥロを泣いて引き止める事をせず、それどころか信じて自分の成すべき事をしに行った。


 生まれた時から一緒に過ごしている父親として誇らしい、と思った。


「終わったら、美味しいご飯を作ってあげないとな」


 きっとお腹を一杯に空かしてくるに違いない。忙しなく椅子に座ったり、クゥロの後ろから覗き見しながら、出来上がりをそわそわと待つのだろう。その光景を思い浮かべるだけでクゥロは微笑ましい気持ちになる。


「さぁ、ドラゴン退治だ」


 外に出て北の空を見上げる。竜は先程迄よりも村へと近付いていた。その大きさが目に見えて分かる、表情すらよく見えるくらいに。


 勝ち誇ったように笑っているように見えた。


 その笑みを消す為に、クゥロは一人、竜を迎え撃つ為に北上した。

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