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011.『狼姫は幸せになれた』

 楽しい夕食が終わり、風呂に入ったメアとリリーは自室へと戻った。二人の部屋は相部屋になっていて、部屋の丁度真ん中から左右に分かれて、それぞれの陣地になっている。


「はー、今日も美味しかったわ」

「お腹一杯……」


 ぼすん、とメアはベッドに倒れ込む。普段はポニーテールにしているメアのふわふわの癖毛が広がる。それぞれ同じ大きさのベッドなのだが、リリーのサイズに合わせて作られている為にメアの方にはかなりスペースに余裕がある。


 布団は綺麗に敷かれているが、それはこの布団で寝る事が殆ど無いからだった。普段、クゥロの布団に潜り込む事が多い為、一週間の内に一日ぐらいしか出番が無い。


 暫くごろごろと柔らかな布団の上で転がっていたが、徐にメアは起き上がり、自分の机の上に置いてあった籠に手を伸ばす。


「とーやがお風呂から上がるまで、進めちゃおうかしら」


 中から取り出したのは二本の棒と、その一本に繋がっている羊の毛糸の束であった。


 既に一本の棒には羊の毛糸が規則正しく巻かれており、編まれたものが下に広がっていた。


「……メア、やる気……」

「寒くなる前にとーやにあげたいんだもん!」


 そう言いながら、ゆっくりと探るような手付きで棒を手繰るメア。


 左手で棒を持ち、羊の毛糸で出来た作り目の一つにもう片方の棒で束に繋がった毛糸を奥から手前に引っ張り出す。


 それを一つ一つの網目に施して行くと最終的に動かしていた右手の棒に編まれた毛糸が移動しており、またそれを左手に持ち替えて編む。


「難しそう……」

「同じ事を同じようにやるだけなのに、たまに間違えたり抜かしちゃったりするから、大変だわ」


 赤い鱗で覆われた両手の動きはたどたどしい。その鱗に毛糸が引っかかる事さえある。でも想いを込めて、丁寧に編んでいくメアはとても楽しそうだった。


「ふへへ、とーやが喜んでくれるといいなー」

「絶対喜んでくれる……私も、父さんに借りた本読もう……」


 ベッドに腰掛けていたリリーも、自分専用の椅子に座り、机の上に置いてあった本を広げる。リリーもクゥロの影響を受けて、最近空いてる時間を見つけては本を読むようにしていた。


 本を読み、知らない事に触れ、知らない物語に心動かされる事も勿論楽しいが、読み終わった本をクゥロに返した後、その本についてクゥロと語り合う。それが半分以上の目的を占めている。


「あれ、リリー、それ一昨日くらいに読んでなかった?」

「読み終わったんだけど……もう一度読みたくなって」


 手にしていた本は絵本で、本を読み慣れないリリーでも取っつきやすい。


「ふーん、どんなお話なの?」

「うんとね……『狼姫』ってお話……」


 青い鱗で覆われた手で、宝物を扱うようにゆっくりと頁を開いた。中には可愛らしい絵柄で描かれた狼の絵があった。


「ある日、山に住んでる狼がね……熊に襲われている人間を見つけて助けるの……その人間はとある国の王子で、気を失っていたから森の外まで運んであげるの……」


 ぺらぺらと頁を捲りながら、リリーは物語を紡ぐ。


「王子に一目惚れした狼は蛇の魔法使いにお願いして人間のお姫様にして貰うの……『水に濡れると、狼に戻ってしまうから気を付けるんだよ』と言われるんだけど……分かったって言って、狼は王子に会いに行くの……」

「それで、それで?」


 気付けばメアは編む手を止めて、リリーの語りに耳を傾けていた。ゆらゆらと魔法の明かりが灯る室内で、リリーはその静かな声色で続きを語る。


「お城まで忍び込んだ狼は、お庭の東屋で偶然王子と会うの……王子は狼に助けて貰った事を覚えてないんだけど、他のお姫様と違う狼の振る舞いに惹かれて、二人はこっそりと逢瀬を重ねるの……」

「わぁ、恋が実ったのね」


 メアの言葉に、リリーは少しだけ悲しそうな顔をする。でもね、と少しだけ声のトーンを落とす。


「ある日、お庭で一緒にいる時にね、通り雨に降られるの……狼と王子は慌てて東屋に逃げ込むんだけど、雨に当たったせいで魔法が解けて、人間のお姫様の姿から狼の姿に戻っちゃうの……」

「そ、それで、王子様は?」

「王子はびっくりして、信じられなくて、大声で叫ぶの……騙してたんだなって。悪い狼が姫に化けて自分を食べに来たんだって思って、剣を抜いて狼に突き付けるの……狼は違うよ、私だよって話しかけるんだけど言葉にならなくて……結局狼姫は森へと逃げ帰るの、最後に大きな遠吠えを一つして……」

「そんなぁ」


 最後の頁を開くと、庭の東屋で一人で待つ王子の姿が描かれていた。


「『次の日、王子は東屋に行きました。昨日の事が嘘だったのでないかと思って。そして、来ない狼姫をいつまでもいつまでも待ち続けていました』……で、おしまい」


 ぱたん、と絵本を閉じる。胸の内に何とも言えない寂しさが残る。


 どうして王子は剣を向けてしまったのか。雨に降られなかったらどうなっていたのか。リリーの頭の中には幾つものもしも(イフ)が浮かび、叶わなかった異種同士の恋の切なさに深い溜息を吐く。


「……その王子が甲斐性無しだわ」

「うん、ヘタレ……」


 メアは膝の上に編み棒を置き、ぐっと握り拳を作る。どうして狼を信じてくれなかったのか。好きな人が人間じゃなかっただけで、そんなにも態度が変わってしまうのか。


「狼姫が可哀想だわ」

「うん……」


 沈黙が、部屋の中に訪れる。晩秋の夜長の冷え込みが、やけに染みる。そんな二人の部屋に、こんこん、とノックの音が響く。


「と、とーや!? ちょっと、ちょっと待って!!」


 お風呂から上がったクゥロだ。メアはびっくりして編み棒を慌てて布団に隠す。それを確認してからリリーが返事をすると、クゥロはゆっくりと扉を開けた。


「二人とも、まだ起きてたのかい?」

「う、うん、とーやが上がってくるまで起きてようって」

「そんな気を遣わなくても良かったのに」

「父さんから借りたご本読んでたから、平気……」


 リリーは手に持った『狼姫』の本をちらと見せると、クゥロは懐かしそうな顔をする。


「『狼姫』のお話はどうだった?」

「狼姫が可哀想だったわ、狼姫は何も悪くないのに……」

「……何とかならなかったのかなって……思っちゃう」


 少し沈んだ空気を感じ取ったクゥロは優しく微笑んだ。


「そろそろ寝ようか、おいで」


 クゥロの言葉にメアとリリーは大人しく立ち上がる。


「少しだけ、二人に良い話をしてあげよう」



 ◆◇◆◇



 クゥロの部屋のベッドの上。いつも通りメアを懐に抱きながら、またリリーに背中から抱き付かれながら、クゥロは優しく語り出した。


「お父さんもね、初めて『狼姫』を読んだ時は二人と同じように悲しい話だなって思ったよ」

「うん……」


 リリーが相槌を打つ。結末を思い浮かべていると、腕の中のクゥロの温もりについ力が篭ってしまう。


「でも実は、違う結末を迎えた『狼姫』の話もあるんだ」

「そうなの? どんな風に?」


 胸元に顔を埋めていたメアがクゥロを見上げた。その背中をぽんぽんと優しくさする。


「雨に降られて正体がバレてしまうのは一緒。でもね、怖がったのは王子では無くて、狼姫の方だったんだ。自分が狼だと言う事が知られて嫌われると思ってしまったんだろうね、その場に王子を残して森に帰ってしまうんだ」

「そ、それで、その後どうなっちゃったの?」

「次の日、狼姫はお城に行くんだ。もしかしたら捕らえられるかも知れない、殺されてしまうかも知れない、それでも王子がどうしても気になって狼の姿のまま東屋に向かうんだ。すると、そこには王子がいた。何も変わらずに。」

「狼姫の正体がバレたのに……?」


 うん、と頷くクゥロ。


「『待ってたよ、姫』と王子は臆する事無く、狼姫に近寄ってこう言うんだ。『貴方が人であろうと無かろうと、貴方に恋した私にはどうだっていい。これまでのように、こうしてこの二人だけの庭で会って頂けませんか』って」

「狼姫は? なんて返事したの?」

「もう狼になってしまったから人間の言葉を話せなかったけど、一声鳴くんだ。でもそれだけで王子は理解するんだ。そうして、狼と王子は抱き合って、『二人はいつまでも幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし』」

「幸せに……なれたんだね……」


 ぐすっと涙ぐむ声が背中から聞こえる。肩に顔を乗せるリリーの頭を優しく撫でる。


「どっちが最初のストーリーなのか、お父さんには分からない。だけど、お父さんは今話したお話の結末の方が好きだな」

「私も!」

「二人とも幸せな方が好き……」

「そうだろう? どんな時だって、恋物語はハッピーエンドの方が良いからね」


 先程の沈んだ空気は何処へやら、二人は興奮したようにぎゅーとクゥロに抱きついて身体を擦り付ける。


「父さんが王子だったら……きっと最初に狼になった時にもう言ってくれそう……」

「あら、とーやだったら熊に襲われた時に返り討ちにしちゃうわ!」

「それじゃ、お話が始まらないだろう?」

「ふふふ、そうね!」

「でもきっと、その時に一目惚れしちゃうかも……」

「あまりお父さんを買い被らないでくれよ」


 その夜は、メアとリリーの声が遅くまで響いていた。一緒の布団に包まって、お互いの温もりに体も心も暖かくなりながら、晩秋の夜は更けていったのだった。

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