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009.『曇りのち快晴』

「ああー……お疲れ様、私……」


 広々とした浴室の、同じく広々と作られた湯船に浸かりながら、リリーは唸るように息を漏らす。今日も木屑と汗に塗れながら木こりの仕事をしてきたリリーは、クゥロとメアとの夕食を終えると早々と風呂に入りに来た。いつもは食事の前に済ますことが多いのだが、今日はあまりにお腹が減っていたので軽く汗を拭って着替えただけで食卓についてしまった。


「……入るまでが億劫だけど、入ると幸せ……」

  

 ちゃぷん、と水音を立てて体勢を変える。うつ伏せになって縁に両腕を置き、それを枕の代わりにして頭を預ける。二メートル近くあるリリーが足を伸ばしても収まるサイズは、リリーには有難い。暖かいお湯の浮力に任せてゆらゆらしながら、青い鱗に覆われた尻尾をゆらゆらと機嫌良く揺らす。


 ご飯を食べた後なのもあって、どうにも眠い。暫くうとうととしていたが、まだメアが風呂に入っていない事を思い出して、勢い良く立ち上がる。


「もう一回、髪洗おう……」


 横に広い分、深さはあまり無いのでひょいと浴槽の縁を跨ぐとそのまま小さな木の椅子に腰掛ける。リリーが仕事場から端材として貰ってきたものを、クゥロが組み合わせたものだ。柔らかい材質の木で座り心地が良い。


 近くの木皿から石鹸をひょいと取り出して、掌で泡立てる。掌には鱗が無く、柔らかい水色の皮膚で覆われている為、綺麗に泡立つ。そのまま自慢の長い黒髪をわしゃわしゃと泡で包み、お風呂から掬ったお湯を流す。


「あわあわ……」


 そのまま、瓶に入った液体を少し手に取り、髪に馴染ませる。少しとろみが掛かったそれは石鹸で洗った後に髪に使うとごわごわが取れる、とクゥロが買って置いたものだ。花の香りがするその中和剤(リンス)を優しく髪に馴染ませてからまたお湯で注ぐ


「ふぅ……」


 浴室の石畳(たいる)に散らばった黒髪をお湯で流すと、ぷるぷると体を震わせてまるで犬のように水気を切ると脱衣所に上がった。脱衣所に用意してある大きな布を纏う。ふと、脱衣所に置いてある大きな姿見に目を引かれる。

 水に濡れた青みがかった黒髪、眠たそうに垂れている蒼眼。そして、体の半分以上を覆う青い鱗。リリーはその鱗を見て、一つ溜息を付いた。


 頭からなだらかな胸元、臍を通って足の付け根辺りまでは普通の人間と遜色の無い肌色なのだが、肩から先、両足から爪先、そして背中の途中からは皮膚の色が青みがかり、そして硬い鱗が生え揃っている。更には普通の人間には無い尻尾まである。これはメアも同じだ。


「……やっぱり、これじゃダメかな……」


 クゥロと過ごしていると忘れてしまいそうになるが、鏡を見る度に思い出す。


 自分は、人間では無いのだと。



 ◆◇◆◇



「あれ、リリーちゃん、仕事終わり?」

「あー……リズさん……」


 仕事帰りに呼び止められ、振り返るとそこには隣に住む、半小妖精(ハーフエルフ)のリズが居た。リズも仕事終わりなのか、土汚れや飼い葉が付いた吊りズボン型のツナギを着ていた。


「私も仕事終わりなの。お互いお疲れ様だね」

「うん……」


 リズは屈託の無い表情で笑う。メアともリリーとも違う、絹のように細く滑らかな茶髪。優しく落ち着きのある焦げ茶色の瞳。数えて三十歳を過ぎてなお童女のようにあどけないリズは小柄なメアよりも小さい。


「ふふふ、リリーちゃんまた大きくなった?」

「そう……かも」

「いいなぁ、私もリリーちゃんくらい大きくなりたいな。私くらい小さいと高い所に置いた物とか届かなくて大変なんだ」


 リズは楽しそうに、気負いなくリリーに近寄る。リリーはちらりとリズの胸元を覗き見、そこは大きいのにな、などと場違いな事を考えていた。


「背が大きいと、見える世界も違って見えそう。おにいちゃ……クゥロも大きくなっちゃったし」

「お父さん、小さかったの……?」

「うん、他の同じくらいの男の子に比べては小さかったよ。それでも、私よりは大きかったけどね 」 


 自分の知らないクゥロの話を聞く事は嬉しくもあり、何処かちくりと胸が痛むような不思議な感覚に囚われる。


「でもね、何でかもっと大きく見えてたんだー。いっつもクゥロの背中を追い掛けて、でも私が追いつけない時は止まって待っててくれたりして。なんかそういう優しい所が、頼りになって大きく見えてたのかな?」

「それは……今でも、そう」

「ふふふ、リリーちゃんやメアちゃんにとっても優しいお父さんなんだね」


 変わらないなぁ、なんて呟きながら何処か遠くを見るリズ。まるでそこに子供のクゥロが待っていてくれているかのように、懐かしそうに微笑む。


 その姿がとても綺麗だ、とリリーは思った。キメの細かい白い肌、小妖精族の特徴である尖った耳、その両手も酪農という力仕事をしている筈なのに見るだけで柔らかそうだと分かる。


 クゥロと並ぶと、流石に大人と子供にしか見えないかもしれないが、それでも鱗の生えた、クゥロよりも大きい自分よりはよっぽど。


「ああ、ごめん、話し込んじゃったね? さっきクゥロの家に行ったらご飯作ってたから、早く行ってあげて。疲れてるのにごめんね、またね!」

「うん……また……」


 ぼーっとリズの姿を見ていたリリーを気遣うように捲し立てると、時々振り返って小さな手を大きく振りながら、少し離れた自分の家に向かうリズ。


「……いいなぁ……」


 小妖精の血を引いているとは言え、何ら普通の人間と変わらない姿と、その愛くるしい容姿にリリーは羨望を覚えた。


 

 ◆◇◆◇



「わぁ、これも美味しそう!」

「ちょっと辛味が強いけれど、メアは好きな味かもしれないね」


 寝巻きに着替え、柔らかい布を頭に被ったリリーが台所に入ると、綺麗に片付けられたテーブルの上に先日の秘密基地から持ち出した料理本を置いて読んでいるメアとクゥロがいた。メアはクゥロの膝の上に乗り、ページを開いては眺めたり話しかけたりし、クゥロは時々お茶を口に含みながらメアの話に相槌を打つ。


「お風呂……上がった……」

「おかえり、リリー。じゃ、次は私ね!」

「ああ、着替えをちゃんと持っていくんだよ」


 ぱたん、と本を閉じて自分の部屋に戻るメアを見送ると、クゥロは背伸びを一つ、自分とメアのカップを片付ける。


「父さん……」


 ぽつりとリリーが呟くと、察したように椅子を引き、


「おいで、リリー」

「……うん」


 リリーが椅子に座ると背中から"(ヒート)"を両手に纏わせたクゥロが、優しくリリーの髪を乾かしていく。リリーの青みがかった黒髪は長いのでゆっくりと根本から先っぽまで手櫛で梳いていく。


「今日……リズさんに会った」

「何か言ってたかい?」

「大きくなったね、って……言われた」

「あいつからしたら、誰でも大きいだろうけどな」


 幼馴染の小柄な体躯を思い浮かべて苦笑するクゥロ。身長こそ村を出た時から幾分伸びたように思うが、クゥロ自体も成長した為に接する感覚としては昔と今も変わらない。


「私、大きくなるの嫌……」

「……それは、どうしてだい?」


 リリーの思い掛けない言葉に、一瞬手が止まってしまう。髪を乾かしているのに浮かない顔のリリーはぽつりぽつりと呟く。


「大きいと、歩いていても目立つでしょ……? 私、あまり人に見られるの得意じゃない……扉を潜る時、頭ぶつけないようにしないといけない……お布団も足が出て寒くなったりする……」

「ああ、それは父さんにも覚えがあるよ」

「それに、大きいと出来ない事一杯ある……メアみたいにお膝に乗れない……」


 リリーは自分の口がどんどん止まらなくなってしまうのを感じた。梳きながら、クゥロはリリーが語る言葉に耳を傾けた。


「父さんは大きい子、嫌じゃない……?」


 クゥロよりも大きくて、クゥロみたいに綺麗じゃなくて、リズやメアみたいに可愛くない自分が悲しくて、子供みたいで恥ずかしくて。


 今にも泣き出しそうな面持ちで俯いてるリリーの頭をクゥロは何も言わず、ぽん、と優しく撫でた。綺麗に真っ直ぐ伸びた、艶のある黒髪を撫で付けながら、落ち着かせるように。


 掌からじんわりとクゥロの暖かさが伝わって、リリーのささくれだった心がゆっくりと落ち着いていく。


「リリー、ちょっと想像してご覧」

「うん……」

「もしお父さんが、メアよりも背が小さくなったとしたら、どうなるかな?」


 普段はこんなに大きくて、しっかりしているお父さんが小さくなったら、と言われた通りに思い浮かべてみたら、何だか可笑しくなってしまった。


「ふふ、可愛いと思う……」

「そっかそっか、じゃ、もし本当にそうなってしまったとして、そうなったらお父さんはお父さんじゃなくなってしまうかな?」

「……ううん、メアより小さくなったとしても、きっと父さんは父さんだと思う……」


 きっと、今みたいに髪を乾かすのだって、椅子に立ってみたりするのだろう、料理を作るのだって今よりもっとちょこまか動いていたりするのかもしれない。

 でも、リリーが小さい時からずっと見つめてきたその背中は、撫でてくれる手は、真っ直ぐに優しく見つめてくれるその瞳は、変わらないとリリーは思った。


「父さんはね、例え今よりもっと大きくなったとしても、例えどんな姿になろうと、リリーの事が大好きだよ」


 思わず、振り向いて見上げてしまった、その黒い瞳はいつも通り優しくて、いつも通り暖かくて。


 なんだ、とリリーは思った。不安にならなくても、心配しなくても、父さんはいつだって自分に愛情を注いでくれる。私が大きくても、私が爬虫人類(リザードマン)でも、本当の子供じゃなくても。


 リリーの肩から力がふっと抜けた。悲しい気持ちも、ちくちくする胸の痛みももう無い。そのままクゥロを見上げる。


「私も、例え父さんが小さくなっても、どんな姿になったとしても変わらずに、好き」

「有難う、リリー」


 クゥロはわざと乱暴に頭をくしゃくしゃと撫でると、終わったよ、と呟きながら隣の椅子の背もたれに掛かっていた柔らかい布をバサッと開いて畳む。

 リリーは椅子から立ち上がり、自分の髪に触れる。自分の髪ながら触り心地が良い、それだけで気分も良くなる。背を向けて後片付けをしているクゥロを見下ろして数瞬、


「父さん、私、大きくて良かったな、って思う事、一つあった……」

「なんだい?」

「……それはね……」


 言うが早く、リリーは立ったままクゥロに背中から抱き着いた。髪の毛が自分と同じ香りだ、そんな事思いながらぎゅっとその腕の中に閉じ込める。


「こうやって父さんに抱き着ける事……!」 

「おお、それは確かにリリーしか出来ないね」

「でしょ……? 大きい私だけの、特権……」


 ーー私は私にしかなれないから私らしく生きて行こう、そんな私を好きでいてくれる人がここにいるから。


 先程まで悩んでいたのは何処へやら。青空のように曇り一つ無い蒼の瞳を輝かせながら、リリーは満面の笑みを浮かべた。


 それはお風呂から上がったメアに見つかり、抱っこをねだられる、ほんの数分前の出来事だった。

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