三つ子の魂
本作は、拙著『スキゾ・アイランド』収録の「踊る雀」の姉妹編です。後半は全く異なる内容ですが、前半は同一です。ご了承のうえお読みください。
その母親の、息子に対するしつけは、とても厳しいものだった。
幼児の頃、大きいほうの用を足すのが苦手だとの理由で、上手くできるまでトイレに閉じ込めた。そして、そのことで男の子がメソメソ泣いていると、「あんたみたいな子を、女の腐ったの、と言うのよ!」と罵声を浴びせかけた。
また、言いつけを聞かなかったり背いたりすると、その理由の如何を問わず、容赦なく家から閉め出し、五時間も六時間もそのまま放っておいた。家に入れてやる時には、必ず「ごめんなさい」と繰り返し言わせた。
外出先で気に入らない態度でもとろうものなら、家から電車で何駅先であろうと、その場に置き去りにした。男の子は、何時間もかけて線路脇を歩いて帰るしかなかった。そして、なんとか家にたどり着いても、母親は、それが当たり前だ、との態度しか取らなかった。
息子が目の前にいない時も、しつけは執拗に行われた。息子が学校に行っている間、母親は机の引き出しをすべて開け、親の意に沿わないものが入っていないかチェックした。また、ノートも残らず中を見て、不必要なことが書き込まれていないか調べるのだった。そして、机をいじった痕跡をわざと残した。自分は常に監視下に置かれている、と言うことを分からせるためだ。
それらの厳しいしつけが功を奏したのか、男の子は小学校高学年ぐらいになると、だんだんと聞き分けのよい子になっていった。それでも母親は、しつけの手を抜くようなことは決してしなかった。その様子は、まるで息子のアラ探しをしているかのようだった。
そして、中学生になると、息子は母親が望むとおりの子になっていた。家では勉強に精を出し、成績は常にトップクラスだった。部活動も親の希望どおりの健全なクラブに入部した。もちろん悪い遊びなど一切しなかった。
高校は、その地区で偏差値の一番高い学校に入学できた。男の子は、高校でも中学時代と同様に、母親の期待に背くことはなかった。
大学は一流国立大に現役で合格した。そして四年間、優秀で模範的な学生であり続けた。
卒業後は、超一流企業に幹部候補生として就職した。そしてエリートコースの階段を順調に上っていった。
それから十年ほど経ち、立派な社会人となった息子は、母親にこう切り出した。
「独立して、会社を興そうと思います。その為にはまとまったお金が必要です。借金の保証人になってくれませんか」
「だけどお前、今のまま会社に残れば、将来は安泰じゃないか」
「ぼくはお母さんに、育ててくれた恩返しがしたいんです。これはその為に必要なことなんです」
息子の言葉に感激した母親は、借金の連帯保証人になった。
しかし、息子はそれきり姿を消してしまった。会社を興すなど大嘘で、借りた金を持ち逃げしたのだ。息子は海外へ高飛びしたらしく、行方をつかむのは容易ではなかった。
母親のそれからの人生は悲惨だった。
息子の失踪にショックを受けて倒れても、寝込んでいる事すら許されなかった。借金のかたに家も土地も奪われ、追い出されたからだ。そして安アパートを借りてその日暮らしをしていても、毎日のように債権者が現れ、借金の返済を迫られた。着の身着のままで夜逃げをしたことも一度や二度ではなかった。母親は極貧と屈辱にまみれた老後を送り、絶望の中で死んでいった。息子は最後まで姿を現さなかった。