閑話・7 少年の発芽
知識の波はルルに色んな物を見せ始めていた。
「これ、は……」
彼はそれを現実で見た事は無かったが、例え内容物が違ったとしてもその光景を言い表せる言葉は1つしか見当たらなかった。
「……本の、海?」
砂浜から見える地平線の向こうまで見える数多の本達。膨大な知識の海が心象として映っていた。ピンクのナマモノ達が託したあの本の中身だと感覚的に理解していたルルは、そこまで驚きを見せることなく、ただそれを茫然と見ている。
試しにそこに片足を入れると、本の感触ではなく、水に浸かる様にスルスルと入って行く。そして、触れた箇所から本が光となって身体に吸収された。
「――――ッ」
その瞬間、幾つかの歴史とそれに関する知識が頭に入って来る。それは数代前の狐族の記憶。まるでその場に居たかの様な感覚に陥るが、直ぐにそのイメージは消えて行った。そして結果だけが残る。
それはルルが欲しかった物だった。現実の本には存在しない、種族の血とも呼べる知識群。『焔火』の効力や自分と同じだと思える心境の存在。そして何より、そこから見出した未来と秘匿した過去。それ等全てがこの本の海に集約されていたのだ。
「泳ぎ読めってことですか……この海を」
身体をどんどん沈ませながら、流れ込み続ける本の知識をその身に受けて、ルルは涙を流しながらそれ等に感謝し、謝罪する。
本来ならば個人のそれを覗くなど冒涜以外の何物でもない。その人生を読み解く権利など誰にも無い。だが、それでも、必要だった。ルルには失ってはならない物が余りにも多過ぎ、大き過ぎるのだからと。だが先人達に最大限の敬意を持って、ルルはそれを成す。
「……頂きます!!」
時にはクロールしながら、平泳ぎしながら、バタフライや背泳ぎや犬泳ぎをしながらルルはひたすら本の海を泳ぎ続けた。そしてその身に数十万年分の狐族のあらゆる記憶と知識をその身に受け続けた。遡れば神代の時代、秘中の秘まで行ってしまう。その前後の時代は混沌を極めていたが。
ルルは見てしまった。獣人の生まれを。その特異性を。その出発点を。それでも無視して、彼は自分のそれを探し続ける。
体感時間など数時間にも満たないが、頭の中ではそれが何年分にも引き延ばされている気分だった。そういう状態でさえ、記憶はとても断片的で、そして高速で流れていく。そして必要な物だけ抽出し、ルルは覚えて続けた。
そして本の海は瞬く間に、倍速された引き潮の様に消えて行き、ルルの中に入った。世界は地面だけが残り、
「……」
その手には、サナリアの本だけが残されていた。
幾分かの驚愕と理解、そして納得を得た少年の顔は昔よりも自信が見え、落ち着き方も堂が入っている。彼はその本を優しく撫でながら、1ページ目を開いた。その本だけは、彼の中には入らず、その眼でしか見られなかったから。その方法でしか許されないのだと言われている様だった。
最初の数ページに、サナリアが且つて居た世界の基本的な知識と地名、そして時代背景が書かれていた。それを読み終わった後に更に捲ると、サナリアの情報が出始める。
人生:1回目 場所:不明 紀元前6003年
享年:15歳 死因:敵対部族との諍い時に起きた大地震の際、敵を助けて崖から落ち即死。
転生:1回目 場所:不明 紀元前5825年
享年:2歳 死因:神への生贄として差し出され川に捨てられ溺死。
転生:2回目 場所:不明 紀元前5511年
享年:21歳 死因:縄張り争いに巻き込まれ、栄養失調による衰弱死。
………………――――――――――――――――――――
そうやって、サナリアの歴史は永遠に繰り返されてきた。どれだけ文明が進んでも、どれだけ技術や機械化が進んでも、どれだけ社会が構成されても、サナリアは必ず争いの中で死んでいた。あらゆる方法で殺されてきた。詳細など読む気も失せる程惨い内容も数えきれない程あった。
死ぬ年齢など、40を越えている回数が1万回死んで1回あるかどうかだった。それでさえ死因は急な心臓発作や悪性のその時代では治らない病気である。獣人の彼からすれば、その人生は余りにも儚い。短過ぎて、そして救われなさ過ぎる。
サナリアの生まれた場所は、必ず何らかの悲劇が生まれていた。彼女だけでなく、その周囲で沢山の人が死んでいた。
それは、例え星を離れても繰り返される人間の縮図だった。
転生:20万5701回目 場所:第4宇宙船団第5艦隊1番艦「ローランド」
西暦2000万5040年 宇宙歴1980万3400年 享年:1グーゴル歳
死因:『縮退炉』稼働実験中に第3宇宙船団の強襲、戦艦『ローランド』内にて行われていた実験の内12個の『縮退炉』が暴走し、小規模のブラックホールを生成。身体を呑み込まれ、ブラックホールの熱量が消えるまで事象の地平面に延々と時間を延ばされ続けた果てに平面に衝突し死亡。
「……ッ」
死因についての知識が乏しくルルには分からなかったが、死んだ歳と転生した回数。そしてどれだけの年数が経とうと人間に殺されているという事実。これでまだ半分も過ぎていないというのだ。
何故あんなにも精神が強いのか漸くルルは理解出来た。過酷どころではない、地獄など生温過ぎて現実感すら無い。
(あの人は……何であんなに優しいんだろう)
知性体との接触なんて本来なら無理であろうあの記憶群を抱えて生きているのに、例え精神がリセットされても恐怖心がある筈だ。どれだけの幸福がその前にあろうと、それをいとも容易く黒に塗り潰してしまう日々があるのだ。
なのに彼女の死因の全てに、『無気力』という状況は1つとして存在しなかった。全てが劇的で、歴史の中心であろう場所で死に続けていた。
「……――――――ッッ!!?」
そして少年は更に気付いてしまう。死因の中に、一定の頻度で彼女が自分と同じぐらいの少年を守って死んでいるのを。ご丁寧に注釈まで付けられており、その数が全体の2割に及んでいた。弟、近所の子、敵に洗脳されている兵士の子供、生贄にされそうだった子、人質に取られた子、昨日まで味方だった子、道端で物乞いをしていた子、様々だ。
だが相手の年齢は全て同じで、誰もが等しく彼女に守られて生き残っている。ルルに頭に過るのは、今の自分とサナリアの状況。
(次は…………自分の番?―――――――――ッッ)
「駄目だ、駄目だッ!!そんなの――――ッ!?」
そして、終わりの時が来てしまう。急速に周囲の光景が白く染まり、彼の者への想いと共に、意識が海面へと上昇していく。
最後に聞こえた言葉は、祈りだった。ただ1人、人間の歴史と戦い続けた少女の為の祈り。
「支えてあげて、あの小さな人間の女の子を―――――――――――」
「ふぁいお~~~お~~♪」
「おい、おいルル王子!!大丈夫か!?」
「……ぅ、く……貴方は、猿族の」
「おお良かった。薬も盛られたって聞いたから心配したぜ?」
目覚めたらテントの中で、猿族の代表者だったクウソンに見下ろされていた。眼を向けると、自分を縛っていたであろう縄や猿轡が外されており、反対にボクを縛っていた連中が簀巻きにされて転がっていた。
意識が覚醒して最初に思い描くは、サナリア【お姉ちゃん】の事だった。1秒でも早く、状況を知らなければならない。
「クウソン!!通信用水晶は!!?」
「え?あ、ああ。此処にあるぜ。王にも繋いであるが」
「父様!!」
『お、おおルルか!!無事で良かった」
「それよりも試合はどうなっているのですか!!」
『お前、状況が分かっているのか?』
「良いから教えて下さい!!」
『お、おう……実はな』
ボクはその話を聞いて背筋が凍った。サナリアお姉ちゃんは、一切の攻撃も防御もせず。あの獰猛なティラノ族の攻撃を受け続けているというのだ。脳裏にはもちろんあの内容が目に浮かぶ。全く同じ状況で、あの人はまた同じ事を繰り返そうとしていると確信した。
しかもボクが助けられた状態でも、それを伝えられる手段が無い。ヒューリ王が一度止めてそれを伝えれば、確実にティラノ族全体で不和が起きる。
それは他の姉様達でも同じこと。そもそも一度始まった獣闘祭の試合を止める事は不可能だ。特権でもそれは許されない。ならばどうするか、そんなのは決まっている。
「父様ッ!!今すぐ水晶の音量を最大にして!!!」
『なに?』
「ボクが直接巫女の名を呼びます!!そうすれば分かる筈です!!!」
こちらの音量も最大にし、深く深呼吸する。たった一言、ボクが無事である事だけが伝われば良い。自分の立場など無いに等しいのだから何も問題は無い……
父様の合図を持って、ボクは精一杯叫ぶ。
「サナリアおねえちゃぁあああーーーーーーーーーーーーーんッッッ!!!!!!」
…………声は、甲高い打撃音と共に返事が返って来た。それを確認し、直ぐさまクウソンへと向き直る。呆気に取られた顔をしているけれど、それに構っていられる余裕は無い。
「クウソンッ!!今すぐボクを連れて全力疾走で王都まで行って下さい!!!」
「んな、意識保ってられねぇぞ?」
「構いません、死ぬ気で耐えますので!!」
「……お前さん」
自分よりも遥かに大きく、雄々しい戦士に対して何時だってオドオドとしていたボクは、皆に裏で馬鹿にされていた。知っている。
それが嫌で人間の知識に逃げた結果、変人扱いされて王族の皆にすら誹謗中傷が飛ぶ様になっていた。知っている。
どれだけレベルを上げても、戦いを教わっても、ステータスも上がらず身体も育たない欠陥品だと言われている。知っている!!
「ボクは全てから逃げて来た臆病者だった。けどそれは今日で捨てる!!例え誰であろうと、ボクがこれより持つ誇りを馬鹿にはさせない!!その為に、今どうしてもやらなければならない事があるんです!!!その為なら、この身体がズタズタになろうと耐えます!!だから、だから……貴方の持つ最高の力で、我が国の大地を疾走して下さい!!!」
「……はは」
彼は膝を付き、ボクに頭を垂れた。
「良いだろう、王子。今俺はお前の謎の決意に惚れた。何の力も持たないお前の眼に惚れた。一度切りだが、お前に俺の背中を預ける。この身を賭して、巫女の戦いが終わる前に届けてやる!!」
「お願いします!!」
その背に身体全体でしがみ付きギュっと眼を瞑ると、猛烈なスピードで彼は走り出してくれた……