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6/12

幼馴染に告白された

 ともあれ――僕が色々考えていようが、何も考えていなかろうが、今僕が認識しているこの世界が目の前にある以上、僕はそこから逃げられないのだ。我思う、故に我あり。昔の偉い人はそう言うことを言ったらしいが、その偉人には非常に失礼だと思うが、今の僕にはその偉人の事が暇人にしか思えない。

 まず人間というのは喰っていかなきゃならないわけで、そこから逼迫している状況よりは今の僕は随分マシであることに間違いはないが。しかしそれでも客観的な視点で僕が中学生でしかない以上、中学校に行かねばならないのである。

 もちろん事情を説明すればあるいは、という選択肢はある。

 だが到底信じて貰えるとは思えないし、信じるに足だけの何かがあるならそれはそれでまずいことになる。少なくとも現実には、こういう超常現象は無いモノとされているのだ。それがあると言うことがおおっぴらになれば――僕の想像力ではその影響の全容までは何とも言えないが、直感的に何というか面倒なことになるのは目に見えている。

 それら全てがつつがなく片付いたとしても――結果として、それじゃあどうするという話は片付いていないわけである。言っては何だが、僕は世界の行く末よりも明日の自分の身の方が可愛いのである。

 明日世界が終わってしまったら多分僕も生きていないが、さすがにそう言うことは無いと思いたい。

 ともかく、そう言うことに頭を痛めていたのだが、どうやら自分で思うよりも人間の脳みそというかこの場合は記憶だろうか、そういうものは出来が良いらしい。連絡網を兼ねているクラスの名簿を見たら、何となく見覚えがあるのだ。この中の何割かは高校も一緒だったし、大学になってもすぐに連絡が取れるくらいの奴もいた。

 これなら目の前の誰が誰だかわからない、という最悪の事態は避けられる筈である。

 勉強の方もさすがに中学レベルならさしたる問題はない。僕は自分の事を頭が良いとは思わないが、それでも普通に勉強して普通の大学に入れる程度ではある。今になって思い返してみれば、中学の時に死ぬ気で勉強していれば、県下トップの高校にはいるくらいは簡単にできただろうと確信できる。

 ――まあ入った後どうなるかというのを別にしたらの話である。

 話を元に戻すと、日曜日に性懲りもなくまたやって来た玉衣と吉野の相手を妹に任せて、夜になると労いを兼ねてその妹を風呂に入れてやり、彼女のやたらと長い髪を適当に洗ってやりながら溜め息混じりに明日の事を憂いていた。精神的に危なそうであるなら自主休学も考えていたのだが――案ずるより産むが易しというのか、ここで逃げても多分何も変わらないと開き直って登校してみたら、意外と僕が心配するような事は何もなかった。

 あまり良い話ではないが、ネットなどでは時折学校生活で友人が居ないことを嘆く言葉が散見される。いわゆる「ぼっち」と言う奴だ。それ自体は何とも寂しい話であるが、しかし逆に言えば、たとえ学校で孤立していても、学校生活自体はつつがなく送れる、と言うことでもある。今の日本における学校というのはそういうものだ。とりあえず出席してテストである程度の成績を残していれば、問題になるような事はそうそうない。

 その時点で僕は、最低限日常生活を送ることに問題はないと言うことになる。

 そして幸いにも、僕の意識が“ここに戻ってくる”までの自分は、僕の記憶とさして違わない――つまりは平凡な日常を送っていたらしく、いざとなれば頼れる友人もいるし、教師から忌避されるような素行不良でも無かったようで。

 それから暫くの間、中学レベルのつまらない授業を聞きながらも、僕は現状に対していろいろと考えを巡らせる事は出来た。

 唯一困ることと言えば、“この世代の少年少女”とかみ合うような話題が、今となっては中々出てこない事であった。けれどそれもすぐに解決した。中学生男子の会話なんてほとんどが漫画かゲームかスポーツか、そこにちょっとしたシモネタでも放り込んでいけばそれだけで事足りるのである。さすがに中学生にそっちの話題で置いていかれるような大学生ではない――一応、夢見る男子諸兄の知りたいことは“全て”知っているのだ。誇れるような事じゃないが。

 逆に女子に対する接し方はその逆で、この年頃の男子ならどうしても隠すことなんて出来ない、そういう馬鹿っぽいところを封じ込めれば良いのである。そして僕の場合、普通の男子中学生なら絶対に何処かで考えてしまうだろう「女子にモテたい」という気持ちが皆無である。モテたい気持ちがないワケじゃないが、それは間違っても同年代――女子中学生に対して持つような感情じゃない。

 それだけで、女子を相手にもつつがなくやっていけるのだ。

 女子に関しては、現状で一番の友人であるのが玉衣と吉野だというのもプラスになっている。

 その二人の事と言えば。

 かつて“みこっちゃんをいじめるな派”のトップであり、“たまちゃんを見守る会”を悪のりで吉野と共に提唱している事は、それなりに付き合いが長い友人であれば周知の事実であるようで――この年頃ならありそうなことだが、彼女らと一緒につるんでいるところを冷やかされたりすることもない。

 そういうわけで――僕はそれから暫くの学校生活をつつがなく過ごし、同級生の誰もが頭を痛める期末テストもただ暇を持て余すだけで乗り切った。

 あとはもう、テストの返却を乗り切って夏休みを待つばかりである。

 夏休み――か。

 中学校の宿題など、今の僕にはあってないようなものだ。

 だからとりあえずやらなければならないことは、玉衣に無理矢理にでも宿題を片付けさせること。あとは吉野に車には気をつけるように言い聞かせる事くらいか。

 ……考えた挙げ句に消極的と言えるかも知れないが、実のところ僕はもうある程度安心できている。

 僕の知る過去で吉野が事故にあったのは不幸な偶然だったが、それ以上ではないし以下でもない。

 僕がここにいる以上決まった運命なんてモノはこの世に無いのだろうし、さりとて万全の備えというのもこの世にはない。僕自身がまさに今日、車に轢かれて死んでしまうことだって十分に考えられるのだから。もちろんそんなことを言いつつ、また同じ事が起きてしまったら――どうなってしまうのかはもはや僕にもわからないが、そこまでの事は言っても仕方がない。

 ただ――僕はそれだけ考えていれば良いんだろうか。

 あり得た可能性から吉野を守れたところで、人間というのはどうなるかわからないのだ。ポンペイだったかの遺跡に“死を忘れるな”という言葉があり、また“死はあらゆる瞬間に可能である”と言った哲学者もいたそうだが、それは的を射ている。

 僕がどれだけ超常現象を体験していようが、あらゆる事から吉野を守る事なんて不可能だし、吉野にしたってそんな事は大きなお世話だろう。僕はあいつの親でもなければ旦那でも恋人でもない。あいつが老衰で死ぬまで付き添う義理はないし、それはもっと然るべき誰かの役目である。

 ただそう割り切るにしても……では僕は何でここに居るんだろう?

 友人の命を助けられる奇跡があった、ラッキー! くらいの軽い気持ちで居れば良いのか? いや、実際、良いも悪いも無いのかも知れないが。

 ……いや、気がついては居るんだ。

 僕の記憶の中で、玉衣が僕の部屋を訪ねてきたとき。

 あいつの言葉を、あいつの瞳を僕は覚えている。

 あいつの瞳の中には僕が居た。そして――僕の瞳の中にも、あいつが居た。

 言葉をこね回して、何かそれっぽい事を言っているだけのように思うかも知れない。けれど、それは嘘じゃない。自分自身に対して、嘘なんて付けないんだから。


「また五教科三五〇点行かなかった――これで夏休みの塾は特別講習決定だ。ちくしょうやってられねえ中学最後の夏休みだって言うのに――全然夏に休んでねえよ」


 期末テストの結果を受け取って呪詛の言葉を吐くクラスメイトに苦笑する。ご愁傷様と言う奴だ。今の僕には無縁であるが、同情は出来る。何となればかつての僕は目の前の彼とさして成績が違うわけでもなく、確かうちの親の強権で、二学期から塾の数を増やす事になっていた。

 ……結局吉野のことがあって有耶無耶になったけれど。


「部活もあるし本当に夏休みって気がしねえ……」

「かといって文化系みたいに全く何もイベントがねーのも味気ないぞ?」


 かくいう僕はその文化系だったりするのだが。付け加えるなら玉衣も吉野も。

 玉衣なんて見た目通り元気が良くて運動神経も悪くないんだから、何かしらスポーツをやっていてもよさそうなものなのだが、高校に進んでからは文化系さえ選ばず帰宅部だった――まあ、それは僕も同じなのだから玉衣をどうこう言えた義理ではないが。


「平瀬はどうすんの。夏休みどっか行ったりするのか?」

「今のところ墓参りくらいかなー。うちの墓割と近場だから旅行って程でも……ま、何を置いても玉衣の首根っこ掴まえて宿題やらせねえと何も始まらん」

「玉衣って……三組の女子だっけ?」

「あれ言わなかったか、俺あいつと小学校の頃から友達なんだけど」

「知ってるよ。お前と後もうひとりよくつるんでる――ちょっと茶髪でロングの」

「あれ地毛だからあんまり触れてやるなよ。小学校の頃なんかそれで――」

「言わねえけどよ。なにお前、どっちかと付き合ってたりするわけ?」

「どっちかと付き合うなら三人でつるむと思うか?」


 そう言われればそうだけれど、と、目の前のクラスメイトは腕を組んだ。


「でもあれだ――え、それじゃ一緒に勉強したりすんの? ちょっと羨ましいんだけど」

「お前が思うような色気のある話じゃ――」


 この間の一件と、僕の記憶にある玉衣の裸が頭を過ぎる。

 いかん。さすがにあれがバレたら、つつがなくやってる僕の学校生活が終わる。何だったら目の前の彼にどっちか紹介してやろうか――いや、やっぱりやめておこう。ここ最近それこそ、色気のある話なんてほど遠い事ばかり考えている僕であっても、それが間違っている事くらいは直感でわかる。


「色気のある話じゃないから。だとしても夏休みの工作にさ、空き缶に穴空けて貯金箱だとか、粘土に割り箸刺して日時計だとか言い張る相手が友達に居てみろ。必要のない義務感とか感じちまうだろ」

「お、おう……それ実話?」

「残念な事にな――さすがに中学は工作とか宿題にないから、そう言う馬鹿はやりたくてもやれないけど。雑巾の真ん中に穴空けて洗剤のスプレーをくっつけて、拭きながらスプレーできる雑巾とかもやってたっけそう言えば」

「いっそ感動するわそれ……さすがにそこまで来たらほっとけばいいんじゃねえの?」

「ほっとくのが良いのかも知れねえけどさ……」


 さすがにそれを遠因として友人の命がかかっているのだとは言えない。


「うち妹いるからな、昔からああいう馬鹿を見るとどうにも放っておけないんだよ」


 仕方ないので小夜をダシにしてお茶を濁す。

 うちの妹の名誉のために言っておくが、彼女はそこまで酷い実績を残したことは一度もない。どちらかと言えば真面目でクールなタイプだ。将来小生意気になるのも確定済みである――そこはもう少し矯正できたら良いんだがな。


「なんだお前妹までいるのかよ――兄貴しか居ないうちと代わってくれよ」

「それこそお前が期待してるようなものじゃないのは確かだが。てか男でも女でも兄弟いるなら年上ほうが良いに決まってんじゃん。受験とか就職とか、経験者がいるって心強いだろ?」

「そりゃそうかも知れねーけど、お前言ってる事が現実的すぎてちょっとアレだわ……」


 まあ、伊達に就活直前までの事を経験しているわけではないのである。

 そんな馬鹿げた話をしているうちにその日の放課後になった。

 先日は僕のためにあっさり早退までしてくれた玉衣と吉野であるが、いつもの帰宅に関してはあまり一緒になることがない。僕が心配するまでもなく彼女らにもちゃんと同性の友人が居て、大抵はお決まりのグループで一緒に帰っている。あとは部活のメンバーであるとか。

 あの時の週明けに、わざわざ僕の事を気に掛けて暫く一緒にいようかと提案はあったけれど。冗談で『一緒に帰って噂とかされると恥ずかしいし――』と、某有名ゲームヒロインの真似をして言ってみたら、吉野には割と本気で引かれた。場の空気は大分軽くなったから、よしとする。

 そう言うわけで僕は僕で帰ろうとしていたら、玉衣に声を掛けられた。


「平瀬君ちょっと良いかな」

「いいけどお前一人か? 吉野は?」

「何でボクとみこっちゃんがワンセット扱いなのかはまあ今は置いておくけど。みこっちゃんだったら今日はちょっとね……一緒に帰っていい? ちょっと、話したいことがあるんだ」


 ……話したいこと?

 玉衣にしては珍しく、歯切れの悪い言い方だ。何か話があるなら今ここですればいいと思う。聞かれるとまずいこと? そうなるとちょっと思いつかない。


「一緒に帰って噂とか――」

「そのボケもう良いから。平瀬君ってボクの事オタクだって言う癖に自分も割とサブカル詳しいよね」

「自分の部屋が漫画とDVDのクローゼットになってる誰かが友人にいるんだ。そりゃ嫌でもな」

「で、ボクと帰るのって本気で嫌なの?」


 まさかそんな事はない。

 けれど――話したい事というのが気にならないわけじゃない。

 まさか僕の様子がおかしいことか? しかしこちらで目覚めてからこちら――ある程度上手く順応は出来ていると思うのだが。それも時間が経つ事に自然に、余計なことを考えなくて済むように。

 しかし実際、文句があるわけでもない――僕は片手を挙げて玉衣に応えると、教室から出た。





 玉衣と並んで、夏の下校路を歩く。

 水っぽい夏の空。遠くに見える入道雲。耳が痛くなるような蝉時雨。灼けたアスファルトの匂いに、道端の雑草が風に靡く音。そこを時折走り抜けていく車の排気音。

 大人になって実家に戻ってきたら、昔の自分がいた世界の狭さに驚くことがあった。

 けれど子供の頃、その狭い世界は自分にとって無限にも感じられた。

 僕の家の近くに、上の方に公園がある小高い丘がある。その丘には階段があって、そこを登り切ったところに一本のクヌギの木がある。街路樹として植えられたものじゃなく、多分昔からそこにあるんだろう古い木だ。

 その木は夏になるとカブトムシだのクワガタだのが採取出来るというので、近所の男子小学生には有名だった。それがたかだか十数年前の話だ。大人になってそこに戻ってみれば、この木はこんなに小さかっただろうかと思う。

 子供の頃に過ごした場所が物理的に無くなってしまわない限り、大人になってもその場所を辿ることは出来る。

 けれど――あの頃と同じ気持ちをもう一度味わうことは出来ないんだろうと思う。

 それは当たり前の事で、別に悪い事じゃない。過去を懐かしむのもたまにはいいが、先のことを考えなければ人間は生きていけないのだ。でもそうだから――有り体に言えば“あの頃には戻れない”から。僕らは懐かしいものを見ると、あの何とも言えない感傷に襲われるんだろう。

 世間的にはまだまだ大人になりきれていない僕でさえそう思うのだ。この先――こんな事があって何が起こるか本当にわからないこの僕の人生だけれど、この先、不思議な懐かしさを感じるこの道を――また、懐かしいと、そう思うことはあるんだろうか。

 考えても仕方ない事をうだうだと考えながら歩く。

 何故か、玉衣が一言も喋らなかったから。

 普段の玉衣が話すことと言えば、男友達と話すそれと大して代わらない。こいつは漫画やアニメ、ゲームが大好きで、それに通じてスポーツやミリタリーや、そう言う男の子が好きそうなものが全般的に好きなんだ。だから本当に、こいつと話すときは男女の壁というのを感じない。

 逆にそれで年頃の少女としては大丈夫なんだろうかと思ったこともあるが――“平瀬君に見せられない女の顔”とやらがあるそうだ。なにやら馬鹿にされている気がしなくもないが、いくらこいつが相手でも、僕がそこに踏み込むのは間違っているんだろうから、触れたことはない。

 けれどその時玉衣は、そんないつもの調子ではなく――僕の半歩ほど前を、ただ黙って歩いていた。

 話があると言っていたが、一向にそれを切り出す様子がない。けれど何となく、僕の方から声を掛けづらくて、二人して黙ったまま歩く。

 とにかく暑い日だった。いくら汗を拭いても足りない。帰ってすぐに何かを飲まないと、干からびてしまいそうだ。学校に持って行ったスポーツドリンクの水筒は、とうの昔に空になってしまっている。カッターシャツが汗で肌に張り付き、更に首の回りに熱気が溜まったような錯覚が、とても気持ちが悪い。

 玉衣は、平気なんだろうか。我慢できるかどうかは知らないが、暑さを感じないわけじゃないだろう。首筋に汗が光って、薄手のブラウスが半分透けている。中にキャミソールでも着込んで居るんだろうさすがに下着は透けていないが、その分僕より余計に暑いはずだ。

 ――いやそれより何より、いくら下着が透けないと言っても――余計なことを考えしまうの僕を誰も責められないと思うが。


「平瀬君」

「はいっ!?」


 余計なことを考えていた性で、突然玉衣に話しかけられてうわずった声が出てしまう。

 失敗した――いくら何でも、何をやっているんだと自戒する。

 振り返った玉井は――僕に微笑みかけたような表情だった。


「――残念だけどインナーは透けない素材だぜい」


 結局見透かされているようではあったけれど。それならいっそ、蔑んだ目で見られた方がまだマシだった。何か言い返そうと思ったが何も思い浮かず、結局少しだけ玉衣から視線を逸らす。これじゃ本当に中学生みたいじゃないか――客観的にはそれで良いにしても。


「そんなにボクのお肌が気になるなら、この間お風呂でじっくり見ておけば良かったのに」

「……」

「冗談だよ――まあ、あれはちょっとやりすぎたかなって反省したんだ。みこっちゃんもね」


 吉野がああいう悪ふざけに乗っかるとは未だに信じられないが。

 それで結局玉衣は何が言いたいんだろうか。まさかこういう場面で僕をからかいたいだけ、と言うのでもないんだろう。

 そもそも、僕をからかったってこいつに何か得があるのか? 僕は玉衣がドッキリか何かに引っかかりでもしたら指を指して笑ってやろうと思うが、こういうタチの悪いからかい方をしようとは思わない。

 それは向こうも同じだと思っていたんだが、それは僕の都合の良い思いこみに過ぎなかったのか?


「ジロジロ見てたのは謝るが、お前らもそういうのは本気でやめとけよ。何か気まずくなるんだよ」

「痴漢のおっさんとかにジロジロ見られたら嫌だけど、平瀬君なら別にいいよ? 逆にちょっと嬉しい気もする。“あ、ボクって一応、平瀬君に女として見て貰ってるんだ”的な」

「相手が痴漢とわかってるならさっさと通報しろな? それに俺がお前のことそういう目で見たら、それはそれで――」

「嬉しいよ?」


 にっこりと笑って、玉衣はボクの言葉を遮った。

 そのまま――僕の方に一歩歩み寄る。吐息が感じられる距離、とはさすがに言えないが、しかしこの猛暑の中で、それでも玉衣の体温は、はっきり感じ取る事が出来た。


「歩道でぼけっと突っ立ってんのは迷惑だから、こっち行こう」


 玉衣は躊躇いなく僕の手を取ると、僕らの帰り道から外れた路地に入る。古くからある公営住宅の群れと住宅地。その一角に、錆の浮いたパイプフレームで組まれた屋根がある。

 ああ、こんなところもあったな、と、思い出す。百均の自動販売機がいくつか置かれた小屋だ。このころは学校帰りによく立ち寄ったのを覚えている。間違っても小遣いが多いわけじゃないから、百円といえど缶ジュースなんて無駄遣いでしかないのだけれど。贅沢しているという気分にそれだけで浸れたのだから。

 今となっては、さすがにそこまで純粋な時代は卒業してしまった。それが何だか少し寂しい気もする。

 ――僕が知る未来に於いて、この自販機はまだ存在して居るんだろうか?

 ともかく――影に入ってひと心地付く。


「平瀬君も何か要る? おごってあげるよ?」

「ゲームだDVDだののあれで昼飯まで抜いてる事がある奴におごって貰おうとは思わねえよ……あ、これまだあったんだな」


 見れば近頃全く見なくなった乳酸飲料の一種があった。この頃はまだ特定の自販機に行けば必ず存在していたんだけれど。興味本位というか懐かしさからそれを買ってみる。

 ――このわざとらしい――もとい、何と言ったら良いんだ? 乳酸菌フレーバー? 考えてみれば乳酸菌自体に味があるはずもない――けど乳酸菌発酵は何だかこういう甘酸っぱい味になるんだったっけ? 良く分からない。


「勢いで買ったはいいがちょっとくどかった……玉衣も飲むか?」

「え? いいの?」


 僕から缶を受け取って躊躇いなく口を付ける。

 よく考えたらこいつはまだ自分の飲み物を買ってない。

 ……まんまとおごらされたか? いや、僕自身も飲んだから別に良いけど。

 それで結局玉衣が言いたいことは何なんだ? まさかとは思うがここのジュースが飲みたかっただけでもないんだろう。不思議と一人で行くには抵抗がある場所なのは認めるが。


「あー……、うん、待って、ちょっとさすがに覚悟が要るんだよね……こういうの初めてだから」

「やめろよ怖ええな……俺、お前に何かしたっけ? そりゃお前には割と言いたい放題言ってるが、それはお前がアホな事ばっかりしてるからで……」

「アホな事ばっかりってどういう意味さ? いやそう言うんじゃなくて……いいや、勿体ぶっても意味ないんだし――平瀬君ちょっとそこ立って。そう。んで、まっすぐこっち向いて」

「だから怖ええって……何だよ?」


 すうっと、玉衣が息を吸う音が響いた。


「ボク――平瀬君が、好き」


 玉衣のその言葉はとても明瞭で、簡潔で。

 聞き逃したり聞き間違えたりするはずもなかった。僕はこいつが持っている漫画の主人公のように、都合の良いときに難聴になったりとそういう便利な体質でなければ、こういうときに都合良く車が通ったり風が吹いたり、やっぱりそれも漫画の中だけの世界なのだ。

 蝉時雨は遠く、この僅かな日陰には、僕らの声を遮るモノはなにもない。

 なのに――僕は一瞬、その言葉を理解できなかった。


「平瀬君の事が大好き。もちろん、ラブ的な意味だよ?」

「……何で?」


 それはある意味で真抜けな回答だったのかも知れない。目の前の“少女”に対しては、酷く失礼な回答だったのかも知れない。

 玉衣は、たぶん暑さとは別の理由から顔を赤くして――少し、俯いた。


「何でって言われても……何でだろう」

「おい」

「きみの良いところだったら、好きなところだったらいくらでも言える。ボクらに対してすっごく優しいところ――大好き。ボクのオタク趣味に呆れずに付き合ってくれるところ――すっごく嬉しい」

「俺が言うのも何だがそれって全然大したことじゃ――」


 確かに、玉衣や吉野に対して、殊更彼女らが嫌がる事をしようなんて思わない。吉野に対してなんて、本気で誰かと殴り合いをしてでも守ってやろうとしたくらいだ。

 けれどそれは巡り合わせと言うか、そんな大層な事じゃない。きっと僕じゃなくても、あいつの助けになってやれる奴は他にいたはずだ。たまたまその時、僕が近くに居ただけで。玉衣だってそうだ。そこから意気投合して――良い奴だって言うのは、その時に身に染みてわかったわけだし。

 僕は妹がいるからか、どうも異性に対しては優しくしてやらなきゃならないという、変な使命感のようなものがある。別に気取って言うような事じゃない。条件反射的にすり込まれているだけだ。だから――だから、玉衣が、そういう事に勘違いしているのなら――


「そういうところは、ちょっと嫌い。きみは女の子を何だと思ってるのかな。自分とはちょっと考え方が違う案山子くらいに思ってるんじゃないの? ボクの気持ち、平瀬君は本当にわかってるって言えるのかな? 言えないよね?」

「ああ……ごめん」

「きみがいくら理由なんて探しても無駄。それが見つからなかったと思っても、それ自体が見当違い。だって、ボクはきみの事が大好きになっちゃったんだもん。さっきも言ったけど、きみの良いところはたくさん知ってても、何できみが好きになったのかなんてわからない」


 強いて言うなら、と、玉衣は言った。


「きみが、平瀬朔夜っていう男の子で――ボクが、玉衣のぞみって言う女の子だったから。だから、かな? 知ってのとおりボクはもともとこういう話には疎くて、ラブストーリーは好きでも自分がどうこうなんて――でも、そう言うのとは関係ないんだ。だって今、ボクはきみのこと大好きなんだもん。理由なんてわからなくたって、それだけは自信持って間違いなく言えるもん」


 あるいは――僕はどう応えてやるべきだったんだろうか。

 あまりにも突然のその告白に、僕は何も言えなかった。

 別に頭が真っ白になったとかそういうわけじゃない。衝撃だけは相当なものだったが、それでも逆に――今の僕を客観視している冷静な自分、そんなものを感じたような気がした。

 そこで、はっとした。

 僕は僕だけれど――純粋に、今の、目の前にいる玉衣の知る“平瀬朔夜”じゃない。今の自分が偽物だと言うんじゃないが、それでもここは僕にとっては過去の日常で――

 待てよ?

 僕は――今からすれば未来になるあの日に、玉衣となし崩し的に一線を越えてしまったけれど。それを別にすれば――玉衣と僕はいい友人だったのは確かだが、それ以上じゃ無かった筈だ。思い返してみたって、僕の記憶にこんな場面はない。では、この時間における過去の僕は、僕が知るよりももっと、彼女らにとって魅力的な奴だったんだろうか?

 何せ教室で“目を覚まして”からこちら、僕は日常を取り繕うだけで、間違っても玉衣にとって魅力的に映る事なんて無いはずだ。

 なら――どうしようもないとは言え、僕は取り返しが付かない事をして居るんじゃないか?

 玉衣が好きになったという僕は――目の前の“僕”じゃない。玉衣が知る、“平瀬朔夜”なんじゃないか?

 今まで感じた中で最大の恐怖と焦燥感が僕を襲う。

 まただ。心臓が握りつぶされそうなあの――こんどは、気を失ってしまうかも知れない。よりにもよって――目の前の女の子が精一杯勇気を振り絞った、こんな場面で。僕は――!


「――!」


 全身がやわらかな暖かさに包まれて、僕は我に返った。

 気がつけば僕は玉衣と密着していた。両肩に玉衣の手が置かれ、全てが視界に入らないほど近くに玉衣の顔があり、そして――唇に感じる、本当に柔らかな感触。

 記憶の中の――お互いを高ぶらせる為の激しいそれとは違う、とてもぎこちなくて、本当に優しいキス。


「……ファーストキスは、乳酸菌だね。嫌いな味じゃないけど、もうちょっとお洒落なもの勧めとけばよかった。丁度そこにレモンジュースとかあるし」


 唇が離れ、玉衣は悪戯っぽくそう言って――身長差のある僕の胸元に、頭を押しつけた。ちょっと待て。今ちょっと汗が凄いことになってて。気にしないとかそう言う事じゃなくて――


「さて」


 どれくらいそうやっていたんだろうか。

 玉衣が不意にそう言って、僕から離れた。これだけ暑い筈なのに、玉衣の柔らかさと、暖かさが離れることに――ちょっとした物足りなさを感じてしまう僕は、きっと褒められた奴では無いんだろうな。それ言ったら変に喜ばせるかも知れないから、黙っておくが。

 けれど、玉衣は――


「皆まで言うな平瀬君。きみはきっと混乱してると思う。まさかあの玉衣がそんな――! ってね。あ、いいのいいの。変に気を遣わなくても、平瀬君に優しくされるのは嬉しいけど、ボクとしてはいつも通りのきみで居て欲しい」

「……この流れで無茶言うなよ」

「まあね?」


 でも本当だよ、と、玉衣は言った。


「本音を言えば――本当なら、平瀬君には、きみの気持ちを聞かせて欲しい。ボクは、平瀬君が大好きです――付き合って貰えますか? その答を、聞かせて欲しい――でも、今はダメ」

「今は?」

「そう」


 僕にとっては幸いだったのかも知れない。いろんな感情が心の奥底にあって、受け入れるのが難しい今という時間があって。

 僕は玉衣のことが嫌いじゃない。けれど僕が玉衣に抱いている感情は、彼女のそれとはきっと異なっている。そして、彼女が“平瀬朔夜”に抱く感情を、本当に受け入れるべきは僕なのか? そう言うこともある。結局僕は――“僕の知る僕”という男は、終ぞ玉衣にこんな感情を抱かせる事はなかったんだから。

 それが引け目というわけじゃないが、告白のお決まり、“付き合ってください”と言われたって、今の僕がそれに即答出来ないのも確かだ。断ることも受け入れる事も出来ないんだ。

 だから玉衣が答を望まないなら今の僕には幸いだが。

 では何故玉衣がそんなことを言うのか? 答を聞かせて欲しいのに今は駄目だと――そんな理由、一体何があると言うんだ?


「平瀬君――はいこれ」


 そう言って玉衣に渡されたのは、彼女の携帯だった。

 意味がわからずにディスプレイを見たら、通話状態になっている。相手は――吉野!?

 何で今、吉野が?

 顔を上げたら、玉衣は僕から少し離れたところに立っていた。


「その携帯明日返してくれたら良いから――あんまり中身見ないでね。見たらきっと後悔するよブックマークとかアルバムとかね――それじゃ、また明日!」


 出来れば聞きたくなかった念押しと共に、玉衣は走り去った。

 こっちの方を全然振り返りもしない――一体何なんだよ? 仕方なく、僕は玉衣から受け取った携帯を耳に当てた。


「――もしもし?」

『平瀬君?』

「ああうん、何か玉衣に携帯押しつけられて――何が何だか良く分からないんだけど、あいつ――」

『あ、うん。それは知ってるから大丈夫』

「……何?」


 知ってるって――何を?

 玉衣が、僕に携帯を渡したことを? それとも、ここであった事を? 何故吉野が?


『それで申し訳ないんだけど――平瀬君今から、私の家に来れないかな? 場所、知ってるよね?』


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