さすがにモテ期到来などと気楽には考えられなかった
幸いというわけじゃないが、その翌日は土曜日だった。
さすがにもう誰かの顔を見て吐きそうになったりすることは無いと思うが、それでもつつがなく学校に行けたモノか――あるいは、行くべきなのか。そんなことを考えている僕にとっては都合の良い時間が手に入ったことになる。
さりとて――昨日寝るまでの間に、四枚ほどがわけのわからないメモで真っ黒になったノートを眺めていても、何かがひらめくわけではない。
結論として――では、どうする。では、どうなのだ――
僕は果たしてどうするべきなのか――まずやるべきことは決まっている。
単純というほか無いが、吉野を助ける。何を置いても、これだ。
幸いそれについて時間はあるし、対策のとりようだって山ほどある。吉野が事故に遭う事が不可避だというのなら僕が身代わりになってもいいくらいには思っているが――もしこの世界が実際に過去の世界であり、全てのことが不可避なのだとしたら、僕がきのうここで目覚めてから既に過去とは違う事をしている、その事実に説明が付かない。
だから僕はある程度ここで何でも出来るし、出来てしまう。吉野を助けることだって出来るはずだ――本来なら死ぬはずだった友人を助けられる。なら、そうする。大災害の運命を変えるとかそう言う大それた事は多分僕一人じゃ何も出来ないが、親しい人の一人を助けられるなら、そうしない人間は多分いない。
自分の意志でここに来たわけではなく、まだわけがわからないことだらけ。けれどそうであるが故に、僕は吉野を助ける。僕じゃなくてもそうだろう? だからその前提自体に代わりがあるわけではないのだが――だからといってそれで全てが片付いたと、何も考えずに過ごせるわけじゃない。
あるいはそうするべきなのかも知れないけれど。
本当に都合が良いことに――というと何かおかしいが、僕の家族はこの土日で親戚の法事に出かけるのだという。そんなことがあったかどうかは考える必要はない。自由な時間が増えたと言うことだ――それを喜ぶのは中学生のガキとして、なんら不自然じゃない。
宿題があるのと本調子でない、その合わせ技で僕は同行を免除された。
妹まで残ると言い出したのは想定外だったが、僕は本調子ではないのである。と言う建前である。実際に普段通りとは間違っても言えないのだ。心配しているのか法事という退屈な行事に出たくないだけなのか。こいつ一人が家にいたってそれに付き合う必要はない。
そんなこんなで、走り去っていく両親の車を見送った。
それから――
「そうだ海に行こう」
「そうだじゃねえよ。目の前の友人が一応、昨日体調不良で早退した奴だって事わかってんのかテメエは」
それから程なく自宅を訪ねてきた玉衣に、僕は割と遠慮無く言葉を投げつけた。何というか何だかほっとする。僕の記憶の中の玉衣という奴は、基本的にはこういう奴だ。
ただ――休日の午前中から、僕の家を訪ねてくるような気安さは、やはり無かったような気もするが。記憶の中の最後の日、あの全てを何処かに置いてきたような行動は別にしても。
「もちろん平瀬君の調子が良かったら、だけどね? いやいや、本当に無理強いはしないよ。たまちゃんだって昨日は、本当に心配してたんだから」
「別にそれを恩に着せるつもりもないから、言わなくても良いけど――ただたまちゃんはやめて」
「……体調自体は悪くないけど、さすがに昨日の今日で水泳はちょっとなあ……大体吉野って、日差しとか苦手じゃなかったか?」
ただでさえこの色素の薄い体なのだ。現に今だって、真夏だというのに長袖のシャツと長ズボンに、麦わら帽子をかぶっている。素材自体は涼しげなモノだが――それでも海水浴とか平気なのか?
「専用の日焼け止めがあるから長い時間じゃなかったら大丈夫……あれ? 平瀬君には前に言わなかったっけ? 去年だったか……」
「そうだっけ? 忘れてたわ」
適当に誤魔化す。
僕は記憶力が悪い方ではないが、それでも数年も前のことを事細かに覚えては居ない。ましてや――いや、ともかく。ここだけは何とかしておかないと、日常生活にも不便が出そうだな。そう言えば教師の名前ですらあやふやだったような……
「一緒に出かけるだけでも楽しいよ? 別に私、パラソルの下で“たまちゃんを見守る会”やっててもいいし」
「何で見守られるのがボク限定なのかな――つかそれまんまじゃん。喧嘩売ってる?」
「よせよくだらないことで……ともかく病み上がりって感覚はないがさすがに今日は勘弁してくれ。もうちょっと体力的に優しいことだったら全然OKなんだが。今日明日はうちの親が留守で、妹のお守りもしなきゃならない」
子守が必要な歳ではないが、それでも食事の支度くらいはしなきゃならないだろう。食事代と称して出前が取れるくらいの金額は預かっているが、どうにも一人暮らしを“経験”していると、冷蔵庫にものが入っているのに出前を取るというのは抵抗がある。
「おおマジで? 平瀬君料理出来たっけ? ボクにもごちそうしてよ!」
「お前本当に何しに来たんだよ……」
「まあまあ、たまちゃんはともかく、私はお手伝いくらいはするよ?」
「やっぱりみこっちゃんって何気にボクの事嫌いだよね……いやいやボクだってね、掃除……は、苦手だから、洗濯……ものを、畳む、くらいは」
「お前いくつだよ。お手伝いできてえらいですねって言って欲しいのか?」
「何を隠そう十五歳女子中学生――ちょっと危険な響きの年頃です」
「ああそうだったな。吉野もだけど。ついでに俺は男子だけど同い年だしな」
距離が近いのは――悪い事ではないんだろうと、思うのだが。
これは単純に、ここが僕にとっての過去ではないことを示唆しているのか?
もちろん――今はそれを考えたって仕方がない。そして、仮にそうだったとしても――この距離の近さが、僕らにとって何を意味するのか、それもよくわからないのだ。それと、もしもこの僕の違和感、そして過去の認識の差異――これらのものが、僕の考えているとおりだったとしたら――そこまでは、考えたのだけれど。
――その後僕はある意味で確信を得た。
これは、やっぱりどう考えてもおかしい。ここが過去のようで過去でない? 時間の連続性? タイムパラドックス? 関係性のありそうな言葉を並べ立ててみて、今の現状と関係のありそうなものを考察してみて――とりあえず出来そうな事と言えばそういう事でしかなかった。しかも確証があった話ではないから、もともとただの大学生がどれだけ考えたところで“下手の考え休むに似たり”まさにこの通りになっているのかも知れない。
けど、「確かめようがないこと」に対して、他に何が出来ると言うんだ。
その結論に至っている時点で、何を考えたってある意味では無駄ではないか――その事実には、僕は気がつかない振りをしたが。
ともかく折角この二人が居るのなら都合が良い。これだけ好き勝手を言っている相手なら、こちらが好きなことを言ったってなんら心は痛まない。
妹の子守を押しつけて、僕は部屋に引っ込んだ。
子守と言ったって相手は小学生だ。別に赤ん坊の世話をしろと言うのではない。
当然二人は――玉衣どころか吉野も口を尖らせて何かしら文句を言っていたが、聞こえないふりをして、僕は自分の部屋で現状の考察に励んだ。当然結果は出なかったが。
最後の方には煮詰まるに煮詰まって、勢い余って本当にネットの掲示板に「時間を遡ってきたっぽいけど質問ある?」とか書き込んでやろうかと思った。
……現状ならそれほど馬鹿げた事では無いのかも知れないが、しかしそれが何かの足しになるとは思えない。実際に五十年後の未来から来たとか、極秘に平行世界を発見したとか、そう言う凄い人たちが掲示板を見ていれば話は別だが。多分僕の現状以上にあり得ない。
これ以上考えたら本当に熱が出るかも知れない。
時計を見ればもう既にお昼が近かった。体をほぐしながら椅子から立ち上がり、そう言えば昨晩は結局風呂にも入っていなかった事を思い出した。
自分の部屋から出てリビングを覗き込んでみたら、友人二人はうちの妹とゲームに熱中していた。
……放っておいてくれと言ったのは僕自身だが、何かやりきれないものを感じる。
おざなりにちょっと風呂に入ってくると告げて、洗面所の給湯器を操作する。実家の風呂場は自動給湯だった。一人暮らしのマンションにはここまでの装備は無かったから、最初はよく風呂場を溢れさせていたのを思い出す。
……つまりは少なくとも、僕の記憶は間違っていないと言うことだと思う。こういうことを、思い出せると言うのであれば。
それで程なくお湯が溜まったので、ゆっくり浸かって一度頭をリセットさせようとぼんやりしていたところ。
――いきなり風呂場の扉が開いて、玉衣と吉野が入ってきた。
「お前ら女だからって男相手なら何しても良いと思うなよ?」
入浴剤入れてて本当に良かった。何がとは言わないが。
「別にそんなこと思ってないけど……平瀬君だし」
「よしわかった玉衣お前今すぐ帰れ」
「たまちゃんだって昨日の事が心配だったんだよ……もちろん私も」
「何だかんだと平瀬君には世話になってるしさ、背中流してあげるくらいならいいんじゃない? 一応私ら水着着てるし」
「俺は全裸なんですがそれは」
そもそも水着のあるなしの問題なのか。
もちろんあるなしも相当問題ではあるが、格好のことを言って居るんじゃない。
「心配してくれるのは本当にありがたいし、日頃感謝されるような事をした覚えもないが――その結果そういう行動に至るなら俺はどうしたら良いんだ? いやお前ら正直に言ってやっぱりどっかおかしいんじゃないか?」
「“やっぱり”って言い方が何か引っかかるなあ。大体これで喜ばないなら平瀬君って」
「お前がある種喜びそうな事実は欠片もねえから、水着の肩ひもに手を掛けるのマジでやめろ。あと吉野、そうやって冷静なキャラ作ってても、玉衣と一緒にここに来た時点で同類だからな?」
「まさかまさか。何を仰るヒラセサン」
「お前は何処の国の人だよ」
「それこそ今更だよね。ボクがある程度アレなキャラなのはまあ自覚もあるしわざとやってるけど、みこっちゃんってナチュラルに結構腹黒いよね?」
「たまちゃんと違って自分の性格をわかってるだけだよ?」
「わかった結果がこれならお前も相当おかしいことしてるって気づいてくれないか」
――やっぱりこれは、おかしい。
確信を得た理由がこれというのは、さすがに僕も予想の斜め上ではあったけれど。
確かにかつて――僕らは、仲の良い友人ではあった。
けれど、あくまで友人だったし、性別の違いがあったから、自然な距離感みたいなものはあった。けれどそれは別にあってダメな類のモノじゃなく、ある程度は必要だろう。
……ここからすれば未来において、勢いで玉衣と行くところまで行ってしまった僕が今更かも知れないが。けど今の僕らはまだ子供で、さすがにそう言う趣味は無いのである。いや、そういう話ではないが。余計なことを思い出したせいで玉衣の方をちゃんと見られない事に、僕の責任は無いと思いたい。
「うふふ平瀬君顔が赤い。さすがボクのみこっちゃんよりワンカップ上のこのバスト。谷間だってバッチリさ」
「誤差程度だよ? 私だって谷間くらいは出来る――だいたい体格の問題もあってたまちゃんの方が」
「やめろよそういうの……大体中学生が比べるようなもんでもないだろうに」
「あ?」
「お?」
「そこでキレんだったら何でその格好でここに来たんだよこのアホ共は?」
まちがいなくこれは――友人の距離感じゃない。“親しい仲にも礼儀あり”などと言うが、その言葉の実、僕らはそういう距離の取り方を自然とわかっている。学校の先生や会社の上司に対して気安くスキンシップをするような事はないし、しかし気の知れた友達とは自分が好きなエロネタの内容の話で馬鹿騒ぎが出来る。
僕と彼女たちは、友人だったはずだ。
確かに玉衣はこの時期の女子にありがちな壁のようなものが希薄な、男からしても話しやすくて楽しい奴だ。
吉野は過去のことがあったせいだろうか、知らない人に対して人見知りをする面はあったが、僕や玉衣のような気を許した奴には家族同然に壁そのものを取っ払う事を知っていた。
だから友人の中でも――殊更異性の友人の中では一番近しい間柄なのは間違いない。
けれどその“友人”の間柄が“完全に壊れている”――僕は、そう思った。
それがわかったんだが――じゃあ、それがこの違和感の正体か? 直接的にはそうだ。過去の友人達が、自分の知るそれじゃなかったとなれば、違和感を感じない方がどうかしている。
けれどまだ僕の中には、何かを見逃しているような煮え切らない感じがある。
そもそもこれじゃまるで――まるで、何だ? こいつらが“どう”おかしいんだ?
そう、気になっているのはそこだ。こいつらはまるで――そう、そこで僕は何と言ったら良いんだ? この状況を“どう”形容すべきなんだ?
ともあれ。僕ら三人が風呂場に行って退屈したのか何か思うところがあったのか、最終的にはうちの妹の小夜が加わった事で僕は我に返った。何があったとは言わないが、割と本気で、良いから出て行けと凄んだら、わざとらしく口を尖らせながら出て行った。
残ったうちの妹に、ああいうことは冗談でもするんじゃないぞと言い聞かせておいた。
この当時の無垢な妹はと言えば首を傾げていた。けれど何がいけないかを懇々と解説できるような事でなし――子供の教育に悪影響が出たらあいつはら責任を取れるんだろうか。いや、まず間違いなく責任の方向性が間違っているだろうから、僕はもう何も考えないことにしたけれど。