エピローグ それは僕の知らない話
二人と別れて家に帰る。
父親は当然まだ仕事から帰っておらず、母親の姿もない。ただ妹だけが、こたつに入って勉強をしているようだった。単なる宿題かも知れないが真面目だなあ。やはりこいつは、僕とは頭の出来が違うようである。
そんなことを思っていたら、勉強を教えてくれと頼まれた。
当然二つ返事で了承した。可愛くて素直な小夜というのは本当に僕の理性を狂わせる魔性の存在だ。玉衣と吉野に見られたらまた何を言われるか分かったものでもないが僕は――悪ふざけはその辺りにしておいて勉強を手伝ってやった。“代数を使わずに計算をする”という簡単なはずの行為がここまで難しいとは予想外だったが……あれは一体生徒に何を求めて居るんだろうか?
ちょっと休憩にとお茶を淹れていたら、小夜が言った。
「今日はあの二人は来ないの?」
「玉衣と吉野の事か?」
おや、と思う。こいつはこいつで彼女らに懐いて居るんだろうか。悪いことではないがちょっとした嫉妬を感じる。そんな心底気持ち悪い自分に気がつかない振りをして今日は来ないと伝えたら、ふうんと気のない返事をした。
「……あの二人って、どっちかお兄ちゃんの――彼女、だっけ?」
そういうわけではない――色々言いたいことはあるが、今はそうとしか言えないし、言うつもりもない。
と言うか小夜もこういう話が好きな年頃なのだろうか。まさか現実に好きな奴が居るとか付き合ってる相手が居るとかは無いと思いたいが。記憶の中のあいつにもそんな素振りはなかった――と、ある意味で失礼なことを考えつつ、作業に戻る。
「別に興味があるわけじゃないけどあれは……まあいいや」
「何だよそれ――こんなもんか?」
さて妹をねぎらうためにそうしたが、僕はティーパック以外のお茶など淹れたことがほとんど無い。ウチの母親の趣味か、多少いい紅茶があるのでそれを淹れてやろうと思ったが、あとから多少の後悔を覚える。
まあこういうのは気持ちが大事なのだ。どうせ――
「――せないから。絶対に、わたしが――絶対に」
小夜が、何かを呟いたような気がした。
何か言ったかと聞いたら、何も言っていないと言われた。特に何を気にするでもないので、淹れた紅茶とお茶請けを持って小夜の前に戻る。
「……お兄ちゃんって時々なんて言うか、無駄に中学生とは思えないジジ臭さがあるよね。何というかこう節々の所作に」
「マジか? ……まあその……というか、その台詞だって小学生が言うには随分アレだが」
「えっ、嘘!?」
「いや悪い意味で言ったんじゃなくて……お前やっぱり頭良いんだなって」
「なんだ。ふふ、褒めて褒めて!」
頭を撫でながら適当に褒めてやる。天才。かっこいい。千年に一人の逸材――我ながらボキャブラリーが素の中学生と比べても酷い気がするが、気にしない。そんな適当な褒め言葉にも、うちの妹は上機嫌のようだ。
「宿題終わったらお風呂入ろ! 入浴剤は今日は桃のやつで……今日はしっかり頭洗ってね。体育で汗かいたから」
「……今日玉衣に言われたんだけどさあ、お前もう年齢的にアレなんだからいい加減……いやわかった、わかったよ。そんな目で見るなこの悪女め」
またぞろ玉衣に何を言われるか、であるが。別に今この場に彼女らはいないわけだし。
あの一瞬でわざととしか思えないのだが、それでも目に涙を溜めて唇を噛んで上目遣いで睨まれるとか。白旗を揚げるしかないじゃないか。
まあ、もう暫くくらいは――少し甘やかすくらいはいいんじゃないか?
風呂上がりに僕は、たまたま机の引き出しを開けて――この間あの“神様ボイス”に付いて考察したノートを何処にやっただろうかと思った。確かこの引き出しに入れていた筈だったが――見あたらない。
あれを見られたら――いや、あれの意味がわかるのは僕ら三人くらいだし、誰かに見られても何かのネタか、痛々しい中学生によくある「設定ノート」くらいにしか思われないだろう。
……それはそれでかなり避けたい事態ではある。
兄貴が遅れて来た中二病とか、小夜にもう一緒に風呂にはいるの嫌だとか言われそうだな。
もちろん今となっては大した意味があるものではなし――また明日探せばいいかと、僕は部屋の電灯のスイッチを切って、ベッドに入った。
そしてまた、新しい日々へ。
おやすみなさい。
「――どんなことをしても、死なせないから。どんなことを、したって」
何処かで誰かが、呟いた気がした。
これにて完結です。
プロットのほかに、実はこの話には下地にした話があります。自分が相当昔に書いた短編なのですが。
そちらを下地にしているので、本当は「僕っ娘」が、自分のことを「ボク」という理由であるとか、UMAについてもっと熱が入った弁舌だとか、あるいは結末もこれとはかなり違うものなのですが。
ある程度まとまりがあって、ぎりぎりラブコメだと言い張れるレベルにまとめるとこんなものか。
今の自分に必要なものは、あるいは小手先だけの話じゃなく、もっと根本的な何かかもしれないけれど。
箸にも棒にも掛からぬと自虐するも勝手だけど、せっかくこういう公開の場があって。
数千人の誰かが僕の書いた話をクリックしてくれているのだから。もう少し何かをしてみようと思った次第。