序章 その時に僕が聞いた声
――よく、命を何だと思っているんだとか、そう言う言葉があるじゃないか。
もちろんそういうのは、聞くに堪えないような、命を舐め腐ったような言動に対して言われる言葉だから、今更何だと言うようなものじゃない。人間の命と言うのは尊くて、それが誰であっても軽々しく扱われるべきじゃない。
それは、わかっている。だから今更、そう言うことに対しては文句を付けるつもりはない。
ただ、その時考えてしまったんだ。
命を何だと思っている――そう相手に怒鳴りつけたところで、その言葉に対して、怒鳴りつけた方はどういう回答を期待しているんだろうかと。
だから、もちろん。
普通はそういう言葉が出てくるときは、相手からの回答なんて期待していない。自分の気持ちの高ぶりをただ相手にぶつけている、それだけだ。だからそんなことを考えるのは無駄と言えば無駄なんだろう。
“一つの命があったとする。人間はそれを一人で支えている。しかしそれを二人で支えることは出来るのだろうか?”
けれど、その時――それがいつかもわからないけれど、そんな馬鹿なことを考えてしまった。
こんな――わけのわからないことを、言われたときに。
“二人で一つの命を支えることが出来たとする。では三人では? しかし、果たして命は一つでしかない。三人で支えられたとして、支えられている命は一なのだろうか? 一の何かを、三で分けたと言うことなのだろうか? しかし、しかし。その一が一でしかなく、また一で支えるしかないとするなら、その一を変えることは出来ない。即ち願いは叶わず、運命は変えることが出来ない”
ひとりはみんなのために云々と、そんな有名な歌があるが。
いざ改まってそれが哲学だと、そんな馬鹿を言う話もない。
ワケのわからない誰かに、そんなことを言われた。だから、問い返してみた。お前は一体命というものを、なんだと思っているのだ、と。
その質問に対する回答は帰ってこなかった。しかしその代わりに、またしても良く分からないことを言われた。
“一は一でしかなく、その命の総体は変わらない。しかし総体は変わらずとも、それを二で、三で、あるいはそれ以上で分けることは出来る。その総体が一であり、それ以上でなくそれ以下でもない、ただの一、もとからあったものと変わらないものであるが故に”
非常に難解な言葉だった。
難解と言うよりも、まず解があるのかどうかすらも怪しい。言わんとするところがわからないし、そもそも言いたいことがあるのかどうかさえ分からない。総体だとか何だとか――そんなことを言いつつも、言葉を覚えたての子供が、わけもわからず、ただ数と言葉を並べているだけ――そんな気さえする。
だから結局。
この時、僕にはその言葉の意味が、最後までわからなかったんだ。
今回はプロットを立てています。
立てていますが、おそらく世間一般のそれとは違うと思います。
そのやり方がどういう感じになるのかのコンセプトのつもりです。