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第3章・寵児


 一向一揆と長尾守護代家との因縁は深い、虎千代の祖父・長尾能景(よしかげ)は、討伐のため越中へ赴き般若野(はんにゃの)で討ち取られた。


「あやつらの手口は、坊主とも思えぬ悪辣さよ。種籾(たねもみ)まで布施と称して、領内の民から奪っておいて、全ては領主の治世が悪いと一揆を起こさせる」


 為景は、鼻っ柱にシワを寄せて、さも嫌そうに言いはなった。虎御前は、眉尻を下げて心配そうに言う。


「刃を向ける相手は我が越後の民、我が殿のご心中お察しします」


 拡大していく一向宗の信徒による一揆は、越中に留まらず越後にも勢力を伸ばしつつあった。その為、越後では本願寺系一向宗の寺の粛正を行って対処していた。


「あれは、気分が悪くなる戦よ!鎌や鍬しか持たぬ民を捨て駒にして、本願寺の僧兵は高みの見物か?あやつら戦に来ても民の後方から弓を射かけるだけとは卑怯な奴等よ」


 虎千代は、微睡みの中に聞こえてくる話し声を、意識を集中させて聞き取っていた。しかし、激昂した為景が床を打つ音に、うかつに泣き声をあげ、今は為景の腕の内に抱き上げられている。


「ほう……お虎と良く似ておるな。そのキツそうな目元などそっくりよ!栖吉の血を継ぐ良き武者となろう、末が楽しみじゃ」


 その場の緊迫した空気は和やかなものになり、為景は年を取ってからの子宝にご満悦のようだ。虎千代が泣くのも構わす、持ち上げたり髭をすり付け可愛いがる。


「ほほほ……我が殿、虎千代はまだ首が座っておらぬゆえ、無体はなりませぬぞ」


 笑いながら止めに入る虎御前に、きっと虎千代は、顔をひきつらせているのでしょう。まだ甘えたい盛りの綾姫が参戦し、難を逃れた虎千代であった。


弐・虎千代side


 あの事件いらい、私は綾姫にたいそう構われる事になった。姉としての責任感に目覚めた彼女は、四六時中私のそばにいます。


 彼女は、拙いなりに子守りをしているようだが、なんだかこっちが反対に子守りをしてる気分になるのはなんでだろ……。


 私にとっても、それは良い事だったのかもしれません。体の発達にともない、現状を把握できるようになった私は、生まれおちた世界の実情に、いまだ精神のバランスを欠くことがある。


―――この狂った世界でこの無垢な魂が、私のたったひとつの心の拠り所。


 私に本を読んでくれると言って、先に寝入った綾姫。ふと、寝顔をみて笑みを浮かべると、不安定な体をおこし侍女に知らせるために這いずる。


「あっ――…ね…よぅ」


 まだ口もまわらないながら、片言で控えの侍女の注意を引く。毎度のことに侍女は気がついて、綾姫をそっと抱き上げて下がってくれる。


 庭へと続く縁先から見わたすと、よくみなれていた電柱の一本もビルの影さえ見えないことに落胆した。まるで龍が狂暴なあぎとで、私を飲み込もうとするような、錯覚にさいなまれる。


―――蝋燭すら余り見掛けない、この世界の文明レベルは、おそらく過去の日本のようです。まして戦があるなんて……怖くて堪らなかった。


 胸の奥を絞られるような痛みが、私を容赦なく襲っていた。この世に生まれおちた体のなかには、恐怖を生む青白い焚火がぶすぶすと燃えさかる。


―――この世界に私はひとり。ひとり矛盾を抱えた体で生きねばならない。


 私は死ぬことなど恐れたりしない。いっそ体ごと業火にくべて正常な世界にもどしてと、見えない神に懇願する。なぜ歴史を逆行してしまったのか?この世界は狂いに満ちていた。


「まあ、若君こんな所まで庭に落ちてしまいましょうほどに。さあ、もう中に入りましょうな」


 私は侍女に軽々と抱き上げられ、部屋のうちに運ばれる。いままで居た場所を高い視線から眺め、庭に落ちれば死ねたかもしれない誘惑に苛まれる。


 私は、死を恐れるものとは感じなくなっていた。なぜなら、生まれ変わってしまったから。前ほど禁忌を恐れを抱かなくなった。ただ、私が居なくなった後の綾姫の涙を、見たくはないと思うのだった。



 かくて府中春日山城には見目麗しい姉弟の無邪気に遊ぶすがたが、よく目撃されるようになりました。綾姫五歳、虎千代三歳の春もさかりの事です。


 この頃の綾姫さまは、姫様修行のために、親交の深い京の公家方近衛家より、ひとりの老女を迎えておりました。名を芳野(よしの)、音曲や詩歌.茶華道はもとより行儀作法に通じた才女です。


 虎千代は、姉とともに……いや勝ち気な姉にまきこまれるかたちで芳野のもとで、一緒に学ぶことになりました。芳野は厳しい所がありはするが、よく出来た方で子供逹にあきさせることなく、諸事万端ぬかりなく教育を施していた。


 場所は変わって虎御前の部屋に、芳野が子供逹の事でよばれているようです。


「虎御前様、お召しにより参りました芳野にござりまする」


 虎御前の部屋のまえの廊下で、そつなく平伏した芳野。


「芳野殿、虎御前様がお待ちかねでご座いますよ。さあ、こちらに」


 まちかねた虎御前付きの荻野がふすまを開けて芳野を招きいれる。芳野は招かれた部屋にはいり再び平伏して虎御前の声を待っていた。


「芳野殿、面ををあげられよ。ここ呼んだは他でもない虎千代のことです。あの子はいかがですか?」


「若君のことでございますか?あの歳で、あれほど利発な方は、見たことがありません。風雅な事でも機知にとんで、びっくりする程お上手です。きっと立派におなりあそばせるお方と拝察いたしまするな」


 虎御前は大きくため息を吐いた。芳野は動じることなく虎御前をみつめる。


「芳野殿、あなたが虎千代の才気に惚れこんで風雅なことを教えるのは良い、しかし長尾家は武門の出。あのように軟弱なことばかりしていては困ります」


 虎御前も肝が座った方なら芳野も肝が座った老女、動じることなくサラリと言いかえす。


「何をおっしゃいますやら、若君におかれましては千年万年に一度の神才に恵まれておいでになります。それは風雅事のみに発揮されるものではありませぬ。いちどお試しになれば宜しいのではありませんか?」


 売り言葉に買い言葉、二人の女のにらみ合い。虎千代に言わせたら、大人だったら当たり前だという事も、芳野には素晴らしい才能に見えるらしい。


「ならば、虎千代をためすとしましよう。荻野、虎千代を呼んでまいれ」


―――勘違いなのか、また過酷な運命の歯車が動く。さて虎千代になにが試されるのか…………?



 一方渦中の虎千代は、知らぬこととはいえ綾姫とおままごとに興じています。


 このころは、二人の乳兄弟が近習衆として虎千代の側近くに上がっていた。一人は10歳になるお猪の長男で安実(やすざね)、もう一人は5歳になる次男の長実(ながざね)の二人です。


 お猪の夫は、栖吉長尾に古くから仕える国人衆で荒川康実(あらかわ やすざね)という猛将でした。若いころは、虎御前の馬廻りを努めたほど、勇猛果敢な武人であった。しかし先年の流行り病にたおれ亡くなっていた。


 お猪は栖吉長尾家から乳母を仰せつかると、共に子共らも虎御前の膝元に連れてきて、若君の側仕えにあげた。栖吉衆がどれほどの期待を虎千代にかけているかが分かるというもの。


「なあ、若さん。女子みたいな遊びはお止めになって下さいよ。長実もいい加減恥ずかしくないのか?おまえら」


 兄の安実は、もうすぐ元服という年頃か、女子のような遊びは恥ずかしくてたまらないらしい、顔を真っ赤にして、声をあらげていた。


「……兄者、僕だって嫌ですよう。赤ん坊役なんてまだ兄者の父上役のがましです――」


 情けない顔をして、ゴザに寝かされているのは弟の長実です。虎千代は安実の言葉を平然と受け流し、子供役になりきり、嬉しそうに綾姫が作ったご飯もどきを食べる真似をしている。


「美味しいですね母上。母上の料理は天下一ですよ」


「虎千代は美味しそうに食べてくれて、嬉しいわ。こら安実、はよう席につけ。父たるもの子に手本を示さねばなりませぬ」


 ギロリと虎御前ばりの切れ長の瞳で綾姫と虎千代がにらむ。安実は、しどろもに言い訳し、しおしおと膳の前につく。


 最近の虎千代のストレス発散は、おもに安実、長実兄弟いぢめにある。心底嫌がる兄弟に、女子の遊びに参加させるのが、もっかの楽しみである。


―――孫たちを思いだし、心が和やかになる。


 虎千代の不安材料は、大人たちの思惑にある。栖吉からきた傅役(もりやく)は、抜き身の刀のような金津新兵衛(かなづしんべえ)という男。言葉使いやら何やらと細かく指摘して、いつもあの強面な顔で威嚇する…いつか斬られる殺されると、虎千代は、戦々恐々としていた。


―――神仏が選ばれし神子とか何とか期待されてもねえ、戦なんかムリだし!!


五・虎千代side


 私逹がたのしく遊んでいる時に、虎御前の侍女の荻野がやってきた。何か私に用事があるらしい、拗ねる綾姫を宥めて、近習の荒川兄弟と本丸の虎御前の部屋へと向かっている。


 私は、あまりアノ人が好きではない。いや、母だと納得出来ていないと言ったほうが良いかも……何かにつけて期待たっぷりな、やりようが気に入らないのだ。


―――何もかも虚しずきる。私に掛かる期待も大きすぎて、簡単に受け止める事など出来やしない。


 その上この胸の焔は、どうしたことか怒りの感情の増幅に合わせて、私の理性を離れ狂ったように暴走させる。先日も、真夜中に月をみて産まれた理不尽さを呪っていたが、気が付けば、木切れを振り回したのか手は傷だらけ、その間の記憶はなかった。


 この事は、誰にもまだバレていない様だが、酷く自分自身に不安を覚える。だから出来る限り、おだやかな軟弱な者のふりをする。戦などに連れて行かれたら、カッとなって何を仕出かすかと怖くなる。


「若さん、なんだか恐い顔してるぜ、大丈夫か?」


 安実は、以外と私を良く見ているらしい。すこし肩の力を抜いてから答えた。


「……ああ、心配をかけたな安実、大丈夫だ!」


「いひひ……さては若さん虎御前様が恐いんだろ?」


「おい、まて長実……すまん若さん」


 そう言って、まぜっかえすのが長実で、いつも兄に鉄拳制裁をうけてしまうのだが……この二人にも、随分と慰められている。


―――それにしても急に呼ぶとは……最近は私の軟弱ぶりを見て、あきらめているようだったのに……芳野から何か漏れたのかな?悪い予感がする。


第3章・寵児[完]

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