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第7章・策略

壱・景虎side


 遠くでさざめく人の笑い声、いまごろ討伐隊の皆は、祝宴の真っ最中なのだろうな。皆はたいそう勝ち戦が嬉しかったのか機嫌が良い、城兵も兵数の多さに安心したのか同じように嬉しそうだ。しかし私はといえば、妙に身体がだるいので、早くも祝宴を抜け出して寝所へ引きこもった。


―――何故だろう、この胸の焔のせいか?……そういえば、この焔が燃え猛ったあとに、昏倒した覚えがあった。


 よくわからない不安が嫌な想像を呼び起こす。この胸の青白き焔が、代償として私の生命力を喰らっていると、埒もない懸念が浮かびあがる。


―――刀八毘沙門、あなたは何を為そうというのか?血ぬられた戦を私の命で購えとでも思し召すか?


 いや、今や私が貴方を欲している。越後を守るため、長尾を守るため、民を守るために戦場に立たなければならない私が、なにより貴方の力を必要としている。


―――世の中は、まったくもって不条理に出来ているらしい。いや、それともこれが世の(ことわり)なのか?


 とりとめもない考えに終止符をうち、縁先に出て夜空を見上げた。中秋の名月を思わせる満月が、煌々と庭を照らして美しい陰影を紡ぎ出している。


 一滴の涙が、頬に流れ落ち生ある温もりを私に伝えた。私の命など燃え尽きてもかまわない、この手で守りたいものが守れるのなら、それだけで満足できる。


「お虎様?てっきり寝てるものだとばかり思ってた」


「ああ弥太郎、月があんまり綺麗だからつい寝そびれた」


「そうか」


 弥太郎は、そう言って縁先にどっしりと腰を据える。いつも何も聞かずに傍らにいて、まるでこの世に私の命を繋ぎ留めようとしているようにも思える。どれほど弥太郎に救われているのか、あえて本人には語ってやらない。


「すこし膝をかせ」


 私はそう言うと、弥太郎の膝を枕にして縁先に寝そべった。こうするとなぜか嫌な事を忘れて、安心して眠れる気がする。


「こんな所で寝たら風邪ひくぞ」


「……少しだけだから」


 静寂がつつみ込む縁側には、秋のけはいが忍びよる。この静けさも、しばらくのことなのだろう。この世に人の欲がある限り、戦はさけられぬ。


「で、これからどうする」


「さあな、地侍の動向を探りつつ、城の防備を固めるといった所だろうか。奴ら雪が降る前に一戦挑んでくると見える」


弐・弥太郎side


 疲れた顔をしていたお虎の様子が気になり、祝宴を抜け出した。いつものように宿直でもしようかと、主の寝所へと歩いていくと、満月に照らしだされた玲瓏としたお虎の横顔がみえた。


―――まるで、満月に誘われて天界に帰ってしまわれるかと思うほど、儚く神々しい横顔だった。


 戦場では、活気にみちた荒ぶる鬼神のようなお働きをなさるのに、ある時は儚くも消えてしまわれそうになられる。


『あの方は神仏が選ばれし、定めの御子。御子なれば、醜き人の世は生きにくいのでしょう』


 林泉寺の和尚が言った言葉を思い出す。何があろうとお虎を天界に帰したくない、この地に留まってほしいと強く願う。だからこそ、満月に消えてしまいそうな主に、あえて声をかけたのだった。


「そなたは、どう見る」


「俺には、わからん。お虎様の指図通り動くだけだ」


 俺がそう答えると、お虎は低く抑えるように笑いだす。すると居たたまれない空気がみちて、俺はいっぺんに顔の筋肉がひきつれる。あえて何でもないふりをしようとするが、お虎は顔の変化に気がついたのか、堪えきれずに背中を震わせている。


「人が悪いぞ!」


「あはは……いや、ごめん。気にしないで」


「……いや、そう言われてもなぁ」


 俺は、困って頬をかいた。お虎はというと、ひとしきり笑った後に真顔になって、ポツリと言った。


「来年の雪が解けたら大戦だな」


「また地侍共か?」


「いや、もっと大物を釣り上げてやる」


 こんな時、お虎は青く凍てついた光を目にやどす。吹き出す闘牙は雪の冴え冴えとした冷たさをはらんで、俺の身の内まで震えさせる。やはり常人ではない、戦う目をしたお虎は神の子なのだ。


「釣れるのか?」


「さあ、どうかな?」


「……良くわからんな。一体なにを企んでる」


 俺の言葉に、お虎の唇の端が皮肉につり上がった。


「ひどいな企んでるだなんて……成るようにしか為らない、いや成るべくして為すのか?」


「なんだか僧と問答してるみたいだ。俺の性にあわん」


 こんな意味のわからない問答を一人ブツブツ繰り返すと、お虎は立ちあがって寝所に帰ってしまう。俺は問答は好かん。よほど斬った張ったの戦場のやりとりのほうが解りやすいと思う。


 いつも、お虎はこんな調子だから、俺は目が離せなくなる。そしてまた満月を見上げれば、満月がうっそりと笑ったような気がした。



 明朝、早くから景虎は動きだし、実乃らと精力的に栃尾周辺を検分に出歩いていた。


「酷いな、この有り様では最近まで小競り合いが頻繁にあったのだな」


「かようなまでに踏み荒らされて、誠に面目しだいもござらん」


 そこかしこの集落が焼け落ちて、田畑が大勢の足跡に踏み荒らされ、折れた矢や旗差物などが散乱し、攻防の激しさを伝えていた。城でさえ二の丸付近まで、敵が這い上がった後が歴然と残っている。守るすべを持たない民は、どんな厳しい目に遇ってきたかと、景虎は思んばかっていた。


 討伐隊が派遣される頃には、辺りが一斉に静かに成ったと実乃が言う。今では、村人があちらこちらで、焼け跡から家財道具らしきものを探したり、戦に踏み荒らされていた田畑に残されし、作物の収穫を急いでいた。


「城兵も少ないのだから、城を守るので手一杯だったはず、咎めはせぬ。私が栃尾城に入ったからには、またぞろ地侍共が押し掛けてこよう。用心して夜は村人逹を城へ来させるが良い」


「今度は、総力戦になるのでしょうか?」


「おそらくはな。雪が降る前に用心して総力戦で挑んでこよう。奴らも焦っているだろうから、時はあまりないぞ実乃」


 やおら景虎は良いことを思いついたとばかり、太郎を呼びにやらせる。景虎は、実乃に新たな策をあたえていた。それは、夜に犬や狼を放ち、城下をまもらせようと思いついた。夜回りもにも犬をつれて、厳重に致したほうがよいと説いた。そして昼間は鳥逹にも警戒をするよう太郎に頼むつもりでいる。


 実乃は真面目な性格からか、聞き漏らしのないよう景虎の言うことを逐次書き留めさせている。たった十四歳の若様の言う事に、それ相応の城代ともあろう者が、素直に関心して聞き入ってる様子を、奇異とも思う者がいようが実乃はお構いなしだった。


「景虎様の仰せ付け通り、警戒を密にして、民にも知らせおくように」


「しかし、ご城代。なにも年若な若様のお下知にしたがわなくとも。兵の数も増えおれば杞憂ではござらぬか?」


「お前逹は何も分かってはおらぬ。守護代が出した討伐隊の兵数500ぞ、それがどうじゃ今では我らを合わせても3800余じゃ。景虎様の器量が分かるであろうて、我らは若様に尽くすのみだ」


 側では、こんなやり取りが為されているが、景虎と実乃は余人には見えない信頼の絆で結びついている。景虎も一切聞かぬふりを続けていた。



 景虎は、城の回りの備えも検分している。未だ敵の手に落ちたことのない天守の掘りを見たときに、こう言った。


「なるほど、この掘りは良く出来ている。どうだろう、もう少し規模は小さくていいが、この様な掘りを山の尾根一帯に埋め尽くすことは出来ぬのか?」


 要するに塹壕のようなV字型の掘りを、天守を囲む尾根一帯に張り巡らすという計略でした。それを聞いた源三郎は、さっそく計画をたて、皆が総動員で掘りを作りに掛かった。そして地元の者までも、異例なことだが賃金まで貰って働いた。


 それは景虎の指示で、賃金を払うようになったのです。戦が頻繁に起こっては、食い詰める民が出てくると思ってのことだろう。若様のとった施策はあたり、やがて民は景虎様のことを慕うようになった。どこの現場でも民から気安く声が掛けられる。炊き出しを手伝う女房衆にも若様は人気だった。


 景虎はまた、二の丸付近に宿舎を建て皆を住まわしていた。そちらは源三郎の息子の源四郎が携わっている。それに勘定方をつとめる越後屋の者共が、手分けして物質の管理に当たっていたのです。彼らの算盤は確かな物で逐一景虎に数字を知らせていた。


「民を食い扶持に加えたとしても、兵量は4月まで持ちこたえましょう」


「そうか、相分かった。今後とも引き締めながら物質の確保をたのんだ」


「はい、承知しました。ご城代の本庄様の手腕があったればこそ、何とか持ちこたえられますな」


「うん、さすがは実乃だ。戦禍にあえぎながらも兵糧と矢だねを尽きせぬように、蓄えておったとはな。私もおどろかされた」


 兵量は充分なゆとりがあった。それは、討伐隊でもかなりの兵量と飼い葉などを持って来ていたのと、実乃が独自で溜め込んでいたものがあったのでゆとりが生まれた。


 あとは、工事で出た木や大石を二の丸や天守へ運び入れて、これも武器とするのだった。そして月が代わり工事に取り掛かって、およそ60日でようやく掘りは完成をみた。そして10月も末になり、軒猿の手の者により栖吉へ一通の書状が届けられた。


 それには、援軍を頼む内容とともに詳細な作戦内容まで付けてあった。もちろん栖吉でも栃尾城に駆け付ける予定であったのだが、地侍共の抵抗にあい、容易に兵が繰り出せないでいた。


五・金津side


「やっと、若に会える」


 景信様からその書状を受け取った某は、景虎の筆跡をみて涙ぐんでいた。状況が許すのなら、直ぐにでも会いに行きたいと思っていた。


―――若はどの様な青年におなりだろう。さぞかし、立派な武者ぶりであったのだろうな。


 某は、その書状の内容のまま戦支度に励んでいた。何より久しぶりに若に会える喜びで舞い上がっている。近習であった荒川兄弟も稽古に余念がない、若に再びあえると分かって成長ぶりを見せつけようと、思っているらしい。


 なにより若からの使者である段蔵殿から聞く、若の活躍ぶりに某は驚いた。すざましいばかりの武者ぶりである。まして統治能力でさえ刮目するべき手腕である。


「某を手こずらせたあの若が……」


 春日山でのあれこれが浮かんでは消えてゆく、戦になれば連れて逃げよと言っていたあの幼子は、もはや元服を迎えて、守護代の名代にて討伐隊の総大将になっている。


 月日の流れは早いと呟いた。そして一刻も早く若に会いたくて堪らなくなった。そして栃尾城へは1000を数える者が、金津に付き従って出兵することになる。栖吉の景信が景虎様に力添えをするべく動いたのだ。


「我が孫、景虎を頼みましたよ」


 尼になられた奥方から激励を賜って、景虎様宛の書状を預かってきた。出兵は若の申し出通り、隠密のうちに行われた。何人かバラバラと城を抜け出し国境に次々と集結する。そして地侍の動向は、逐一段蔵が届けていた。


「金津の旦那、奴さんらは栃尾に結集し始めたぜ。あちらに気が取られているうちに、出立のお下知を」


「わかった。これより密かに栃尾領内に出陣する。少し遠回りだが、山越えを決行する。各自持てるだけの食料と武器を持て荷駄は要らぬぞ」


 金津ら援軍は荷駄を持たずに、険しい山越えに向かって行った。それもこれも若の言い付けどおり、忠実に行われていた。


―――いよいよ、地侍と決戦がはじまる。景虎はいかに栖吉の援軍を使うのか、栃尾城と地侍らとの睨み会いによる、緊張は日々高まりつつある。敵は、いまや決壊する濁流のように、押し寄せんと栃尾城を伺っていた。


第7章・秘策[完]

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