第3章・確執
壱・晴景side
わしは女のくせに生意気な虎御前がきらいだ。父上も、なぜあんな女狐を側におくのか。
―――女など男にかしずき、城の奥で大人しく暮らしておればよいのだ。
そうすれば、少しは継母として優しく接してやらんこともない。しかし、なぜ父上も重臣たちも、あの女狐のいやみな口をとじさせようとは思わぬのか?
為景の亡くなった本妻の子、長尾喜平次晴景は次期後継者として、父と共にいくども戦場に出ていた。
しかし、めだつ功績がない自分に嫌みな口調でネチネチ教育的な指導をする虎御前に内心はらが立ってしょうがなかった。
―――たかが後妻の分際で、嫡男であるわしに言いたい放題。かた腹痛いわ女狐めっ!!
晴景は、もとから体が弱く喘息の持病があり.武将としての器がない反面、知識にすぐれ文化人の側面を持っていた。
―――わしは戦などすかぬ。あんな野蛮なことは、家臣にでもまかせておけば良いのだ。
晴景は二十歳、まだ歳若い彼には、父である為景の威光にひれ伏す国人衆を当たり前のように思っている。
―――おそれおおくも朝廷から認められた越後守護代家だぞ。国人衆ごとき恐れるものではない。
まさか、恭順しひれ伏した国人衆が内心それぞれ守護代家に反意を持っているとは一辺も思いつかなかった。
「喜平次様こんな所で立ち止まり、いかがなされた?」
廊下に立ちつくしてもの思いにふけってていると、重臣である直江実綱が、眉をさげて心配そうな顔つきで問いかけてきた。
―――わしはわたり廊下を広間にむかって歩いていたはずだが?
「だいじない」
と、そっけなく言放つ。
「まぁ……それなら宜しいのですが?きょうは天室光育どのから星占についての報告があるらしいですぞ。さあ、まいりましょう」
「わかった、参るぞ」
憮然とした表情を、家来ごときにさとられるのが嫌だと思い。手に持っていた扇で顔をかくし、評定の間へむかうのだった。
弐・晴景side
ああ……朝から女狐めを思い出すとは縁起がわるい。綾が産まれてからは、めったにみかける事がなくなって嫌な思いをせずにすんでいたのにな。
―――このまま一生、子育てに専念してくれたら、どんなに清々するか。
大切な評定の間でこんな事をつらつらと思ってたわしは、久しぶりに虎御前が広間にやってくると知って、イライラと手元にある扇を開いたり閉じたりと繰り返す。
「さすが虎御前、図ったように来られるとは。きっと良きことにほかなりませんぞ実城様」
武辺者の柿崎景家が、大きな地声でうれしそうに言う。まるであの女に尻尾をふる犬だ。
―――きにくわぬ。
「まこと柿崎の申すとおりよ」
父の期待のこもった言い様に、わしは眉間にしわをよせる。広間は虎御前を期待をもって待ちわびる者ばかり。
満をじしてあらわれた虎御前。背筋をピンとのばし、趣味のよい小袿をキレよく軽くさばいて、きつい切れ長の目で、広間にいならぶ重臣たちを見回した。
「おや、評定はまだ終わっておらぬのか?たまさか悪鬼がそろいぶみで、何の悪だくみをしておったのやら」
女狐の偉そうな物言いににやにやと笑う父や重臣たち。あの暴言を気にした様子もなく次々と頭を丁寧に下げていく。
―――こんな戯れ言、みなはらが立たぬのか?こしぬけめ!!
虎御前は、小袿をはらうと優雅なしぐさで為景のかたわらまで足を運び。父に膝まづき、ゆったりと深く頭をさげた。父は、ヤニさがった顔で頷くと、咳払いをして威厳のある声で皆に声をかけた。
「みな面をあげよ。お虎ようきた。みな首を長くして、そなたを待っておったぞ」
機嫌がいい父は、さき程の女狐のいいようを気にもかけていないらしい。重臣たちも、あいつの毒舌を平気で聞き流し、嬉しそうに大口をあけて笑っていた。
―――重臣どころか父上まで女狐にだまされている。わしが威厳を示さねば。
「ええぃ、いくら虎御前とはいえ、悪鬼とはききずてならん!!」
ちらりとこちらを見た女狐は、鼻で笑うと嘲った目でわしを見た。
「これは、許されよ。尻のあおい雛鳥殿もおった」
わしは、怒りで目の前が真っ赤にそまり、持っていた扇をぎゅっと握りしめ、肩をブルブルとふるえさせた。
参・為景side
ほんに我が跡継ぎながら短慮なことよ。あのように他愛ない毒舌くらい、へいぜんと聞きながせばよいのに………。
―――お虎とて、真から嫌いだからと毒舌を吐いているわけではない。嫌いなら存在さえ歯牙にもかけてもらえぬわ。
ワシの顔色を敏感にさっちした直江は、この場の不穏なけはいを納めるために晴景をいさめようと言葉をつらねた。
「……まあまあ喜平次さま、お虎様の軽口は、今に始まったことではありませんぞ――。落ち着いてくだされ」
直江が、晴景の顔をつぶさないような遠回しな説得をするが、いっこうに聞く耳をもたない。焦れたように柿崎が言い放つ。
「雛を雛とゆうてなにが悪い。まして、悪鬼とは、我らを誉めた言葉じゃ!!何か文句あるか若造!!」
「……か、柿崎殿なにもそこまであけすけに……っ」
武辺者らしい柿崎の、歯に衣をきせぬいいざまに、直江は言葉をつまらせた。羞恥をつのらせた晴景は、険しい表情で柿崎をにらみ返す。いならぶ重臣たちもまさに一触即発の事態に、ゴクリと生つばを飲んで見守っていた。
この場にいる皆の気持ちをだいべんする柿崎に、同意する気持ちはあるが。さすがに我が子を貶されてワシも気分が悪い。ポンポンと膝頭を打って皆の視線をひきつけた。
「もうよい柿崎、そのへんにいたせ。晴景も意味がわかったであろう」
晴景は、なにもいわずうつむき肩が僅かにふるえていた。武辺自慢の家臣と反りがあわないのはいつもの事、大事無かろうと思い、もういっぽうのお虎をみた。
「お虎、晴景にはしかと申しておくゆえ機嫌をなおせ」
「いえ、妾はなにも思ってはおりませぬご心配なされるな我が殿」
みため冷たい表情のお虎だが、内心は情深い女。ワシは、妻と言うより我が同盟者とも思い、心から頼りにしている。
―――なぜ晴景にはお虎のことがわからぬ。これではわしは、うかと隠居も出来やせん!
精鋭の栖吉衆をひきいる総領娘。ワシは何度も戦場で助けられた、戦鬼の背後を安心して任せられるのは、お虎だけ。
―――これが女だったからこそ、妻だからこそ裏切りのない心強い味方。
これが男であったら古志長尾家を敵にまわし、まだ越後を平定するに至っていなかったに相違あるまい。
―――武にひいでた栖吉の血をひくお虎との間につよい男児が早く欲しいものよ。さすれば、晴景をささえ、栖吉衆をまとめて越後を守ってくれるであろうに。
「ほっほほ……相変わらず豪気なお方ですな。お虎御前、お久しぶりでございます光育にござります」
光育禅師が、暗くなった広間に快活なわらい声をあげる。
「なんじゃ光育もおったのか?久しぶりじゃな」
信仰に熱心な妻は、ふるくから親交がある光育がいる事を知って喜色をあらわにしていた。
「はい、先年の綾姫出産のおり以来かと。……そういえば、急なお渡りのご用件は何でございましたかな?」
「そうじゃ、ワシも気なるの。如何したのじゃ申してみよ」
上手い具合に光育が話しを持ちかけてくれたので、ワシも同調しておいた。評定の間にいる重臣どもも安堵した顔付きをしているようだ。
四・直江side
その場は、虎御前の話しを聞いて騒然となった。とっぴでもない内容に、否定的な目でみる者もあったが、ほぼ好意的にとらえられたようだ。
信憑性をもたらしたのは、天室光育による星占の結果との符号。実城様は、大のり気で、くだんの僧に会おうと光育に準備をととのえるように申し付けられ評定は終わった。
―――信憑性があろうがなかろうが、体勢に影響がなければどうでも良い。
いまや権力が一元化した越後に、要らぬ波紋が起こらぬか、見定めるのがわしの努め。実城様の見た夢が、やっと形になったばかり。些細な事でも瓦解する恐れはあった。
「あの父上の喜びようはなんだ、皆はあの女に騙されている!!」
「……まあまあ喜平次様、抑えてください。御実城様に反意をいだいてると受けとる浅慮な者がいるかもしれませんぞ」
わしは、憤懣やるかたない晴景様の愚痴に、付き合わされていた。日頃は、理性的に物事を考える晴景様なのだが、虎御前とは決定的に相性が悪るすぎた。
親戚筋である栖吉衆との同盟、これがなければ実城様でも越後の平定は難しかっただろう。特にあの戦術眼にたけた虎御前が、女だったからこそ良かったとわしは思う。
あの方が、晴景様にハッパをかけるのは、継母としての心ずかいだと思うのだが、みての通り効果は反転している。まあ、あの方もあんな気性だから仕方ないのか……。
―――なさぬ仲というのは難しい。お二人には、もう少し歩みよって欲しいものだ。
かくて、騒々しい一夜はすぎ。閨に籠った為景夫妻は、くだんの僧に対面して子種を貰ったという。
腹の子は『神仏がえらばれし、定めの神子』と呼ばれ出産が、待ち遠しく望まれたのでした。
第3章.確執[完]