第6章・栃尾
壱
三条城を出立した討伐隊は、山吉以下300の兵が付き従った。総勢はおよそ3000近くに膨れ上がっている。計算が合わないと思うかも知れないが、実は新たに下した野盗や農兵を加えることに成功していた。
農兵の多くは、本成寺経由で募られ、野盗の兵に関しては景虎と弥太郎、軒猿の連携で夜な夜な暴れ周り、大きな組織はあらかた潰し吸収していた。まあ、一応の三条地域の治安回復をかねており、お陰で山吉自身が自由に動けるようになり、三条城組が新たに討伐隊に加えられるようになったのです。
「それにしても、愉快でござる。景虎様のお陰で三条は安泰ですな、これならば栃尾もすぐに静まりましょう」
山吉は、景虎の手腕に関心しきりで、もろ手をあげて景虎を誉め称えている。先代の死後、晴景の下で重税に苦渋をなめ民を苦心して保護し、三条城を守ってきた山吉にとって、景虎のありようは驚くべきものであった。
まずは、寺社の保護に始まって野盗の討伐と、百姓を保護する施策として、三年限りの年貢減免を申し付け、新たに種籾まで与えていた。そして寺社から、農兵の拠出までさせている。
景虎にしてみれば、民を守るのは当たり前の行為で、百姓の保護さえ手を打つ時が遅すぎたとも思っている。褒められるほど何かを為したという自覚はなかったのでした。
「山吉殿いい加減になされい、皆々これからが正念場。気を引き締めて下されよ」
「勿論でござる、景虎様には我が槍働きを存分にお目にかける所存」
景虎が、何を言っても暖簾に腕押し糠に釘、士気はいように高く総大将への信頼は厚い。どういう訳か、景虎の周りにつめる諸将は、熱い男が多いらしく、景虎は頼もしいとは思うものの、ある意味へきえきとしていた。
「……太郎が居てくれて良かった」
「……な、なんらろ?」
「いや、なんでもない」
太郎は、景虎の馬の轡を自ら志願して取っていた。彼の変わらない素朴さに、癒されていた景虎だった。そんな時、敵情視察に栖吉へ行っていた段蔵が、久しぶりに帰って来た。
「よう、大将。地侍共の動きを探ってきたぜ」
「ご苦労様、それで奴らはなんとしてる」
「奴さん逹、泡くって栖吉から大半の兵を引き上げて、この山越えの終わり、ひらけた栃尾平野でご丁重にもお出迎えらしいぜ。長旅の後だ、奴ら1500程度しか来ていないらしい、大将も甘く見られてるな」
弐・景虎side
段蔵の皮肉まじりの報告に、私は薄ら笑いで答えていた。数を聞けば、いまだ正確な情報を掴んでいない様子が伺える。ならば、数に勝ると確信している敵は、大胆な策を用いてくるに違いない。あまりに単純な思考に、新たな考えが浮かんできた。
「伝令はいるか?」
「はっ、御前に」
すでに伝令は待機していたようで、すぐさま各隊に敵情を知らせ、新たな策を与えていた。それは、相手の油断をさそい、自らが危険な囮となる策だった。
―――今まで静かだった青白き胸の焔は、私の考えを読み取ったように、一気に燃え猛り本来の私を圧し、『戦さ人』へと変貌させる。
それは狂気か、はたまた闘神の目覚めなのか、荒れ狂う奔流は、出口をもとめ身の内を駆け巡る。それでも、ともすれば残虐な思考にうめつくされて、正気を保てなくなる己を律し、悠然と前を向いて進んでゆく。
将兵逹も何か感じる所があったのか、あえて誰も私の策に異論は挟まない。みな戦を前に引き締まった顔つきを見せている。逝けるさ、死なんと思えば活路はみえる。その思いを宿し、私は手綱をギュッと引き締めた。
まずは手勢500を庄田の指揮のもと秋山逹を馬回りに加え、あえて盾とするため空の荷駄を引かせ、私と共に守護代旗を翻し緩やかに先陣を切った。急襲する隊は足の早い馬を揃え弥太郎の隊と弥三郎の二隊に預けている。本陣は、後備えを真ん中に直ぐさま円陣を組んで、状況よしとみれば参戦するよう山吉と与八郎逹に申し付けていた。
一見した所、恐らく嵩にかかって挟み撃ちする策だろう。チラリと敵方の急襲隊が伏陣しそうな所を見れば、眉がピクッと動いて、相手の闘牙を感じ取った。
「さてさて、結構な出迎えだな。これでは土産もたっぷりとくれてやらんとな」
私はうっそりと笑って秋山を見た。秋山は怖じけることをもなく槍でトンと地面をついた。庄田や兵もキリリと引き締めまった顔つきをする。囮としての役割など怖じけるかと思っていたが、春日山からの兵は、みな農兵と変わらない出自にも関わらず、武士らしい誇りを胸に覚悟を決めているようだった。
やがて、敵の本陣が見える位置にくると、すぐさま歩みをとめ小荷駄を蹴倒し円陣をくませる。練習の成果か、一斉に盾を展開させ弓隊が備える。一拍遅れで、敵勢から多数の弓が飛来する。
「知れもの、待ち伏せとは卑怯なり。我は長尾景虎なり、守護代の命をうけし討伐隊なるぞ!!手向かい致さば、守護代に弓引く者とする。その存念如何か?!」
参
景虎は、良く響く声で大音声に呼ばわった。返す敵勢の大将は、勝利を確信した笑いまじりに応じた。
「長尾の小わっぱが偉そうに、そんな小勢でなにが討伐隊じゃ!!者共、笑ろうてやれ」
敵勢が勢いをかり、嘲笑が戦場に響きわたる。しかし景虎逹は却って笑みを深くする。さらに景虎が怒りを露にした、声を上げる。
「なにを、無礼な奴らめ。ならば、早々と掛かって参るがよい」
「者共、あの小癪な小わっぱに一泡くわせてやれ!!懸かれ――!!」
敵勢は多勢に無勢と三々五々と隊伍を乱して盾を並べて駆けて来る。我勝ちに乗じ、抜け駆けせんとの考えだろう。それに後ろの奇襲隊が控えているので、派手に見せかけている積りだろう。
「笑止!!皆守りを固くして、引き付けてから射よ。的は狙い放題だ!!近寄せたなら一斉に槍ぶすまをくれてやれ」
敵勢の奇襲隊は足音を忍ばせ徐々近よってくる。敵勢本隊が近くまで寄せた頃合いを見計らい、襲いかかる腹積りと見受ける景虎は、身の内に激流さながらに渦巻く青白き焔を、いまかいまかと解き放つ瞬間を待っていた。
「弓隊、放て――!!」
萬をじして庄田が叫ぶと弓が次々と寄せ手に降り注いだ。息をつかせぬ弓の応酬が始まると、後方でときの声が上がり敵の急襲が始まった。恐らく円陣の後方は薄いと謀ったのだろう。すると円陣から『龍』の旗があがり、それは勢いをつけて左右に振られた。
旗をみた、柿崎弥三郎と小島弥太郎が轟音とともに怒涛の勢いで、前に気をとられていた敵の後方部隊の、どてっ腹を奇襲する形で牙を剥いた。
「な、何が起こった」
「ご注進!!騎馬隊の急襲でございます」
後陣の敵は寄せ集めさながら、有無を言わせぬ急襲に驚き三々五々と逃げ出した。全面は庄田が懸命に凌いでいる。景虎は、庄田にその場をまかせ、なんとか引けた腰で防戦に回った後方の敵を、秋山らを伴い放たれた矢のように後ろから襲い掛かる。
「手向かい致さば容赦せぬ、降参すれば命ばかりは助けよう。武器を捨てい!!武器を捨てい!!」
景虎は、敵の怖じけにつけ込んで怒涛の勢いで、自ら先頭に立ち敵を斬り払う。味方は、大将自らの大太刀まわりに勢いをつけて、再び斬り込んだ。
ほぼ面立つ将を討ち取ると、絶妙なタイミングで本物の本隊が堅固な陣から徒武者を押し出した。それを見た景虎は、やおら全面の敵に襲い掛からんと馬を回し、太刀を振り上げた。
「首は捨て置け狙うは敵本陣なり、死ねや者共」
四
すぐさま手すきの者共はオオ――と返し、単騎で前を駆ける景虎に続く、既に槍のような陣形は速やかにつくられて、景虎を守らんと次々と前に出る。
「お虎さま、お先に露払いいた――す」
「御大将に先駆けられれば、柿崎の名折れ皆続け――!!」
弥太郎逹が主を追い越し先端を請け負うと、負けじと柿崎弥三郎が陣形を紡ぎあげて、景虎の回りを固めつつ速度をあげた。それを、見れば全面の敵も恐れをなし、逃げる体制に入る。好機とみた庄田は、槍に持ちかえ穂先を揃えた槍隊を押し出した。
「追い討ちをかけよ、景虎様に続くのじゃ――!!」
景虎逹は西に東に縦横無尽に駆け抜けて、すぐさま陣形を整えつつ敵の本陣に突っ込んでいく。敵本陣も迎えうつために弓を配置するものの、味方に邪魔をされ標的が定まらない。すでに時は遅し、先陣を切る弥太郎逹がついに敵本陣に錐で穴を穿つように突貫する。
「見参!!見参!!長尾景虎が家臣、小島弥太郎!!大将は名乗りをあげい」
鬼瓦のような顔をした偉丈夫の弥太郎は、ゆうに三尺はある大太刀をグエンと振り回すと、ドッと本陣の前衛が崩れ落ちる。弥太郎が開けた穴に柿崎弥三郎が、押し広げるように騎馬隊を突っ込ませ次々と名乗りを上げる。続く味方の槍隊がドッと押し寄せた。
「柿崎が弟、弥三郎!!手向かう者共は討ち取ってくれん!!」
「長尾景虎が家臣、秋山源蔵!!推参!!」
敵本陣は景虎を小勢と侮り、本陣を薄くしていたので、打ち負かされてちりぢりとなり、景虎は総大将をすでに追い詰めていた。
「お前が、総大将かぁ!!」
「いかにも、私が総大将の長尾景虎だ」
「おのれ若造、道連れにしてやる」
景虎の目は冷たく細められ、身のうちに猛る青白き焔をおさえて、泰然とした態度で相対す。敵の総大将は死なばもろともと、思い定め太刀を抜き前にでると、景虎は柳眉をはねあげ、神速で詰め寄り、相手の一ノ太刀を受け流し、返す刀で切り上げる。舞い上がる血飛沫に大地をそめて、敵の総大将は膝から崩れ落ちた。
「ぐわぁ――」
「敵総大将、討ち取ったり!!手向かい致すな、すでに戦は終わった!!武器をすて捕縛されよ!!」
高らかに呼ばわる景虎の甲高い声に、敵の戦意はついに萎え次々と武器を投げ捨て下ってゆく。栃尾平野に歓声が大きく響きわたっる。
五
地侍供は、あっけなく討ち取られ、多くの兵は景虎逹に捕縛された。その頃、すでに後備えが戦場を祓い清め、首実験の用意までしていたのです。
山吉は栃尾周辺の地侍に詳しく、彼が首を見聞し各々に名札をつけていた。そして武装解除した捕虜に担がせて本陣で取り囲み、討伐隊は動きだす。
「日暮れまでに、栃尾に入る。皆心せよ栃尾城に入り次第に首実験をおこなう」
「御大将は首を捨て置けと言うたに、誰が討ち取ったかお分かりになるのですか?」
「任せおけ、私に間違いはない」
景虎は不敵な笑みをみせると、源流を呼び寄せ頼んでおいた書き物を見せた。そう、すでに潜入して敵将の顔を見知っていた軒猿が中心になり、誰が誰を討ち取ったか克明に記録していたのでした。
そんなこんなのやり取りするうちに、討伐隊は栃尾城の近くまで来ていた。夕暮れにそまる栃尾城は、山城にして三層の郭をそなえる天然の要害である。山は峻険にして岩肌には幾重も掘りが取り巻いていた。
すでに先触れを出しておいたので、栃尾の城兵が迎えに出ていた。もちろん本庄実乃も大きな体躯をゆらせて駆け付けて、満面の笑顔で討伐隊を迎え入れた。やがて景虎の馬が見えると駆け寄り膝をついた。
「お見事なる勝ち戦、おめでとうござります」
「うむ大義。実乃、私は城へ働きに来たぞ」
からかうような景虎の口振りに、実乃は思わずかつての失態を思いだし、冷や汗か何の汗か分からぬものが流れ落ちた。それをみた景虎の明朗な笑い声が響き渡り、お止めくださいと実乃はますます恐縮する。
「いや、私は本気だ。それに私は若輩者、宜しく頼んだぞ実乃」
景虎の表裏のない言いように、実乃は心よく頷いてお任せあれと返した。それに討伐隊の陣容は、知らされていた以上の兵数だったこともあり、感激の涙を流した実乃であった。彼は人が良く、素直に感激してしまうらしいのです。
「本庄殿、久しぶりでござる」
「これは……山吉殿までお出でか?」
見た事のある武将の到来に、実乃は驚きを隠せないでいた。やがて二の丸に到着すると、闇があたりを包み込み、かがり火が赤々と景虎逹を迎え入れ、すぐに勝ち戦の宴が始まり夜遅くまで栃尾城を賑わした。さてさて、景虎はいかな手で栃尾城を守っていくのか、楽しみな事です。
第6章・栃尾[完]