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第4章・合流


 天文12年8月、景虎14歳、お実城様の名代として軍勢を率い春日山を出立す。軍勢は500あまり、侍大将は一名同行するものの討伐隊とは名ばかりの陣容に、世の人は不安をかくせなかった。


「あれじゃ栃尾城まで行ける訳がない、お実城も酷いことをなさる」


「総大将が、千軍万馬の古つわものであればともかくも、たった十四歳の若様だぞ。どうなるかわかったものではない」


 ヒソヒソと交わされる、口さがない人々の声が、鋭い刃となって討伐隊に襲いかかる。農民あがりの兵士達の顔には陰りの色が見えた。しかし立ち向かう運命が、恐くともぐっと我慢して隊列を乱すことなく、みな耐えていたのです。


 兵達は挫けそうになる心を、大役に動じる気配さえみせず、悠然と馬を進ませる景虎の態度を見て、なけなしの勇気を奮い立たせ我慢しているのです。侍大将を勤める庄田にしてもそうだ、景虎の乱れのなさに安心感すら持ち始めている。


―――頼もしい、頼もしい総大将だ。景虎様という方は、そこに居られるだけで、万の味方に匹敵する。


 庄田は内心、景虎の若さを心配していたのです。兵は総大将の顔色をうかがうもの、不利な現状ならばこそ、なおさら総大将が悠然と構える必要がある。これは老練な指揮官でさえ難しい事なのです。それなのに彼は、悠然とした態度を崩さないばかりか、初陣にありがちな気負いすら伺えない。


―――この方に着いていけば大丈夫だと、皆には奇妙な安心感が湧いていたのでした。


 さて、景虎を送りだす側の晴景は、8月15日付けの栃尾城代あての書状に『弟の景虎が近日中にそちらへ向かいます。勝利は眼前にあります』と書いて寄越した。あの晴景が本心から書いたのか、それは甚だ怪しいところです。


―――幸か不幸か、景虎の出陣は揚北衆や反旗の狼煙をあげる地侍たちの侮りを誘い、暫し孤立する栃尾城から目が反らされることになった。


「聞かれましたか中条殿、討伐隊は500だそうですよ。春日山は揚北衆を甘く見ているのでしょうか?」


「さあ煩いハエは、早々に地侍共が退治するでしょう、我らが動いては武門の名折れ。まずは高見の見物といたしましょう」


 討伐隊出陣の知らせは、揚北衆にも届けられ、このたび初陣をふむという総大将の実績のなさと、まして送られた討伐隊の少なさに、揚北衆の大物たちは侮り、本格的な討伐阻止には動くまでもないと見ていた。


弐・景虎side


 私は戦が好きではない。出来るなら、平凡でもいい静かな暮らしをしたいと願っている。今も昔も……ずっとそう。


 前世では、血を流す戦はなかったが経済戦争の真っ只中を生きぬいてきた。それも本心から望んで経営者になった訳でなく、可愛い子供達や従業員を守るために戦って来た。


 私が営んでいた飲食店は水物とよばれる商売で、不沈が激しく少しの怠りで、客足が遠退き店が潰れる。店に怠りがなくとも、風評により閉店に追い込まれるケースもあるシビアな業界だった。


 だから資金繰りに、四苦八苦していても、従業員やお客様に、一切その感情を悟らせないようにした。もし正直な感情を表したなら、従業員の生活不安を煽るだけでなく、前向きなやる気を無くさせ、それは怠りを生じ、ダイレクトに売上へと響いてくる。


 だから今も不安を打ち消し、痩せ我慢をして平気なふりをする。背筋をシャンとのばし、顎をひき悠然と前だけを睨む。それが一軍の将にとって必要な痩せ我慢だから、あえて下腹にグッと力を入れて、堪えているのです。


―――しかし内心は激流になげだされた一枚の木の葉のように、たよりなく揺れて渦に飲み込まれそうで酷く恐かった。


「わしゃいつでもお前の味方じゃ」


 思い出すのは亡くなった栖吉のお爺さまの言葉、先の戦では少しも怖じける気持ちが湧いて来なかった。振り返ってみると、お爺さまが指揮官として毅然と前に立っていてくれたから、何でも出来た。


―――今や私はひとり、不安を抱えたまま、毅然と前を向いて歩かなきゃいけないのです。


 前途にたいする不安はいくつもあり、そのひとつが兵力の乏しさだった。そのために、蔵田や秋山、戸倉達をつかい林泉寺で兵を募っていた。しかしこんな危うい戦、それも戦いに赴くのは最前線、いくら元野盗や野武士だとて500以上集めるのは、無理だとわかってる。


―――合わせて1000余り、全てが戦える兵ばかりではない、荷駄を運ぶ者も軍勢には必要なのだ。


 少ない兵数であるからこそ、一兵もそこなわず栃尾城に入らなければ、討伐に赴く意味がない。待ち受ける凶徒は数しれず、多勢に無勢で立ち向かうのだ。怖いに決まってる。


 目にうつる景色はすべて色彩を失って、灰色に染まる。盛夏の照りつける陽射しが、なお息苦しい圧迫感をもたらしていた。そんな私の内心を察し、心配そうに見上げる弥太郎の顔さえ、まともに見ることなど出来ないでいた。



 景虎の心とは正反対に空は青く澄みわたり、白い入道雲が立ち上がり夏の終わりを感じさせる風が、守護代旗と紺地日の丸の旗を力強く翻す。そして空には、悠然と翼をひろげた一羽の鷹が舞う。


 やがて大空を旋回していた鷹は、何かを見つけたように緩やかに降下をはじめる。兵達は何が起こったのかと呆然と空を見つめる。その鷹は三たび隊列の上空を低空で旋回すると、高く差し出された景虎の腕にスッと止まった。


「久しぶり、明石」


 その鷹は、慣れた様子で景虎に身をすりよせた。緊張で固くひき結ばれ彼の口元に、柔らかな微笑みがよみがえる。その一連の光景はあまりにも幻想的で、神秘的な美くしさをともなって、兵達の心をゆさぶり思わぬ歓声があがる。


「お虎、近いぞ」


「ああ。どうやら太郎まで、着いてきたらしい」


 見合せる主従の顔は明るくて、はやる心は踊っていた。やがて稜線の向こうから数騎の馬が駆けてくる。すわ敵が現れたかと、一瞬の緊張が軍勢を支配する。しかし、敵ならばこうも分かりやすい方法で接近してくる訳もなし、ましてや数騎で攻めてくる馬鹿もいない。それでも万が一を考えて、庄田が進軍の足を止めさせ、前に兵を配置しようと動き出すと、景虎は平然とそれを押し留めた。


「……何故です」


「心配は無用、あれは我らの味方です」


 景虎の言葉におどろく庄田は、またこれも同じように平然としている弥太郎に詰めよった。


「小島殿も、すでに知っておられたか?」


「申し訳ない庄田殿、主から固く口止めされておりました」


 庄田の咎める視線に、弥太郎は顔を赤く硬直させて頬を掻き、しどろもどろに言い訳を口にした。人の良い彼は、こういう事が大の苦手なのだ。そして恨みがましく斜めに景虎を見上げたが、主は素知らぬ風を装おっていた。いや、かえって人悪く楽しんでるようでもある。


 そうこうするまに数騎の馬が近くに駆け寄り、すこし隊列から離れた場所で馬をおりて、景虎の前に膝をついた。


「景虎様、お迎えにあがりました」


「久しいな与八郎、わざわざご苦労でした」


 戸倉は、大軍で不用意に近ずくと、討伐隊が敵と見誤るのをおそれ、数騎で景虎を迎えに来たのです。その気配りが、なにより景虎を喜ばせた。そして討伐隊は、戸倉達の先導で林泉寺組と合流すべく動きだしたのです。



 戸倉達の先導でしばらく馬を進めると、遠くに『昆』の旗を押し立てた軍勢が見えた。景虎はともすると単騎で駆け出したくなる気持ちを押さえつけ、ゆっくりと討伐隊を進ませた。


 『昆』の旗を押し立てた陣容が、すべて見渡せる位置にくると、景虎の眉尻がピクッとはねた、その表情は以外な驚きでみち溢れ、口角が知らぬまに釣りあがり会心の笑みをみせていた。


「……みんな」


「どうやら皆恐いもの知らずだった様だ。お虎良かっな」


 そこには、絆で結ばれた仲間達の力強い顔があったのです。まして、その軍勢は景虎の予想をはるかに上回り、2000には満たないが1600程度は居るように見えた。


 もっと近くなると仲間達は胸をそらし高らかに手を振ってきた。それに応えて景虎も高く手をあげる。そして、明石は案内はすませたとばかり太郎の方へ飛び立った。


 うち震える感動を堪えきれず、発作的に景虎は仲間達のもとへと走りだす。弥太郎は許可を求めるように庄田を振り返り、目があうと庄田は呆れたような目で頷いた。それをうけて弥太郎も主の後追って走りだした。


「景虎さま――!!」


「みんな――、みんな馬鹿野郎だ!!」


 景虎は嬉しかった。嬉しくて嬉しくて、馬鹿野郎と叫んでた。言われた方も笑み崩れて、太郎は鼻の下を偉そうにさすってる。そして秋山が前に出て、馬をおりた景虎を迎えいれ、目の前にくると膝をついた。


「お待ちしておりました景虎様、我ら総勢1800余討伐隊にお加え下さい」


「……許す。みな大義であった」


 見回すと源三郎が、秘蔵っ子の工作部隊を連れてきている。それに曽根平兵衛が庄ノ内勢を総動員して来ていた。


「源三郎親方、庄ノ内の頭まで……ありがとう」


「景虎様、わしも柿崎を出奔してきましたわ。騎馬武者30騎、徒武者80人、お好きなように使って下され」


 柿崎景家の弟である弥三郎が、野太い声をあげる。武者まで引き連れて出奔してくるとは、あいた口が塞がらない景虎だった。


「弥三郎殿、お味方感謝します」


 どうやら裏で何らかのやり取りがあったらしい、驚く援軍に景虎の頬もゆるむ。そして商人のような一団から、細面の男が前に出て口上を述べた。


「越後屋の主、蔵田五郎左衛門からいいつかり、店の者20名勘定方を引き受けにまいりました。そして主より医者やそれぞれ必要となる職人を同行させております」


「……蔵田殿が、気使い感謝する。勘定の方はお頼み申しました」



 景虎は、我知らず熱い涙が頬を溢れ落ちていた。そこで太郎が側により、友の手をとり固く結んだ。次郎も嬉しさに太郎の肩まで乗り出して、景虎を眺めて首を傾ける。


「こんな事に付き合わせて、ごめんね太郎」


「……なまら違うろ……ありがとうら」


 暫く会わぬうちに見違えるほど大きくなった太郎の手をギュッと握り返し、片手で涙を拭いた景虎だった。


「ほほっ……若い者はよろしいな」


「頭領、あなたまで来てくださるなんて……」


「なんの、盟主の一大事に馳せ参じたまでじゃ。なんなりと手足のように使って下され。お扇や手のものの女衆も侍女として連れて参りましたぞ、細々とした事はあれらに頼まれると良い」


 指し示された先には、久しぶりに見るお扇が侍女姿で手を振っている。景虎もつられて小さく手を振り返す。彼はなんだか面映ゆくちょっぴり照れた顔をしていた。


「お虎、そろそろアイツら焦れてきているらしい。庄田達にも皆を紹介してはどうだ」


「あ、うん。そうだな紹介して来よう」


 追い付いて来た討伐隊の面々は、味方らしき大軍に度肝をぬかして呆然と景虎達のようすを伺っていたのです。そして、その場で互いに名乗りを挙げさせ、面識を持たせたのです。


 ちょうどここいら一帯までは、いまだ長尾家の勢力範囲だったこともあり、その日はそこで野営することにした。討伐隊の兵士達はおもわぬ援軍に、顔を綻ばせ、庄田も皆に打ち解けたようだった。


 翌朝はやく、討伐隊は動き出した。春日山を出るときには500だった軍勢が、いっきに2300まで腫れ上がっていた。その同じころ、栃尾城付近のあちこちの地侍達は、春日山が派遣した討伐隊を阻止し、一躍名を挙げようと画策し、いまや遅しと討伐隊を待ち受けていた。しかし地侍達の動向は、逐次軒猿の報告があり景虎の手のうちにあったのです。


「景虎様、狙い通り栖吉城への道には、すでに地侍共が伏陣を初めています。お気お付け下され」


「地侍共め、真っ正直に栖吉の道を固めるとは呆れたものだ。しからば我らは一旦北へ向かい三条城へ入ることにしょう」


―――景虎は高らかに笑い声をあげると、全軍を北へ誘導する。


 一の先手小島弥太郎、二の先手柿崎弥三郎、本陣旗本として庄田定賢、秋山源蔵、戸倉与八郎、旗本両脇備え、後備えとして討伐隊には多岐に渡る人々が同行する。源三郎ひきいる工作部隊、塗りもの職人、刀剣の鍛冶師、医者、侍女、楽士、曽根平兵衛率いる庄ノ内衆の荷駄人足、とび職、金堀衆、越後屋から勘定方として商人、金物師、指物師、僧侶達それに忍びらしき者に、太郎率いる狼や犬が20頭程と鷹が三羽など、用意周到に物資も潤沢を極めていた。


第4章・合流[完]


 有坂です。今回は難産になりましたが、やっと完成しました。

 お陰様で読者様も増えて嬉しさでいっぱいです。未熟な物語ですが、読んでくださりありがとうございます。

 また、嬉しい評価感想を頂いたつぁ―様とちょも様ツエット様ありがとうございます。またご指摘を頂いた雪待兎さま、ありがとうございます。

 この場をお借りして御礼申し上げます。



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