第8章・元服
壱・直江side
ことは以外と上手くすすんでいる。若様が林泉寺に行かれてから、もう6年も経つ。わしは春日山の番人のようになり、実城様の懐深かくに入り込んで、ともすればおざなりになさる政を一手に引き受けた。
ひたすら注意深く、疑われないように、少しづつ実城様に近づいて、敵対する者はどんな手段を取っても排除し、お実城様の周りには誰も入り込めないように固めていった。
―――今では、政はすべてわし一人の手に委ねられたも同然。お実城様におかれては酒色おぼれ、嘆かわしい限りだ。
もとは賢明な所もあった方なのに、もう少し冷静になって下されたなら、また違った未来もあっただろうにと、長いため息を吐いて下をむいた。いまでは、実城様を排除しないことには、越後が立ち行かない所まで来ている。
参勤する国人衆はめっきりと少なくなり、宇佐美のような守護側の奴らがチラホラ現れて、我らの様子を伺いに来る。まったく気が抜けないにも程がある。ましてや実城様を今地位から降ろすには、政局がそれを許さない。まずは、若様をすんなり春日山に呼び戻すのが肝心。
―――なんとか実城様みずから、虎千代様元服を言いだして下さるように、仕向けなくてはならん。
若様を呼び戻す事は光育和尚に頼んである。あの虎千代様を嫌っている実城様に、邪魔をされては、上手く事は運ばない。あちらから要請させて若様に借りをつくらせ、手出しが出来なくさせるのが今一番の難題だ。
「さて、そろそろ皆も集まった頃合いだろう、評定にいくか」
ぐっと腹に力を入れて立ち上がると、執務を取っていた部屋から出て、本丸の評定の間へと歩きだす。わしにとってここが正念場、気合いを入れて挑み、必ず認めさせてみせる。
渡り廊下を歩き、何人かの顔見知りの国人衆に挨拶をかわし、事前に陽動を頼んである者に会えば、目線で確認して頷いてみせ評定の間に入った。
―――まだ実城様は、今日も出るのを愚図られるのだろうか?どれだけ、政を蔑ろになさるおつもりなのだ。
余計な予測をたてながら筆頭家老の席につき待ったのだ。やはり、わしが危惧したとおり、ずいぶん皆を待たせてから、浮腫んだ顔を不機嫌にゆがめ、実城様はやって来た。
―――酒を飲んで評定に来るとはあまりに情けない。
弐・宇佐美side
わしは、あの六年前の為景の葬儀戦で散々に負けてから、素直に金を出し臣従する。そして守護の定実様が隠居されてからは、度々春日山城を訪れていた。今日も評定が行われると言うからやって来た。
けして真から臣従した訳ではない、元守護の定実様に手を出さないかと見張っている。それとあの時あの戦で誰が家臣団を、再び纏めあげたのか気になり、様子を探っているのだった。
長尾守護代家の実情は、思っていた通りのありさまで、晴景ごときに越後を守る器量などなく、どうやら筆頭家老が中心になり重臣が、よってたかって支えている。
―――では、誰だろう?見事な手腕でわしらを撃退した立役者は……あれは軒猿まで使役していたな。
評定の間を見回すが、重臣や国人衆の誰を見ても、当てはまらない。ましてや虎御前である可能性は、これ迄の晴景の行いから無いとみた。あんな芸当が出来るのは、よほど頭の切れる長尾直系の男に違いない筈じゃ。
―――ああ、下膨れ殿がようやっとご出座か?
もの思いを辞めて、一応の会釈だけはする。他の国人衆も会釈し敬意のかけらも晴景には示さない。下膨れの晴景は、我らを見ると眉尾を逆立て更に不機嫌な顔をする。まったく権威を振りかざすだけがお得意のようじゃ。
議題は、栃尾城代からの救援の要請に、どう応えるかだった。一門衆の大事には守護代みずから凶徒を打ちに行かなければ顔が立たん。皆もそう思っている顔付きだが、これまでも晴景はみずから立つのを敬遠している。
―――何時もあれは弱腰で、まだ自ら戦した事はないのう。この前も困って、新興の国人衆に土地まで与え行かせている。さても、面白くなってきた。
「お実城、一門衆の一大事。こたひこそ守護代みずから後詰めせねば、恥をかき笑われよう!!」
柿崎殿が、歯に衣をきせずに、声を荒げて晴景に詰めよった。そうだそうだと何人もの国人衆が相づちを打ち不機嫌さを隠しもしない晴景に詰め寄せる。わしはゆっくりと、ひとり高見の見物に回る。
推移を見守っていると、直江殿が冷静に対応し、なんとか諸将をなだめに回って説得し、晴景の顔色を伺っている。下膨れ殿の顔は、逃れようもない事態を前に、真っ青になったり真っ赤になったりと、クルクルと顔色が変えひどく面白い。
参
評定は紛糾し、騒がしくあちこちで内輪話しがはじまる。そんな時、以外な人物が晴景の前に出て、献策をするのです。
「お実城様も、ずいぶんとお困りのご様子、わしなどでよろしければ、お許しを受けて献策致したいのですが、如何」
「……う宇佐美、ゆゆ許すぞ」
「実城様!」
直江の誰何する声を無視して、晴景はピンチを救う者ならば、見境なく藁にもすがる思いで、吃りながらも許す。それをうけ宇佐美定満は、丁寧に会釈すると勿体をつけこう切り出した。
「拝見いたします所、こたびは一門衆の栖吉長尾殿がお困りのこ様子、これは長尾守護代家の威勢を示すためにも負けられぬ戦、お実城さま自ら軍勢を率い後詰めを勤められるが定石。されど、守護代旗をもたせ、守護代長尾直系の無類の戦上手を遣わされても、こと足りると存じ上げまする。お実城さまにおかれましては、どなたかそのような勇将の心当たりが、ありましょうや?」
「長尾直系の勇将か……そんな戦上手がいたか?」
長々と講釈を垂れる宇佐美を、晴景はひどく嫌そうな顔をしてながめ、考えを巡らせてゆく……今回ばかりは己の命が掛かっているので真剣にもなるとゆうもの。直江は思わぬ援軍に口の端を歪めるが、宇佐美の真の目的が分からず、一切の口を挟まず成り行きを見守った。
―――アレはもう幾つになるのだろ?そろそろ元服しても良い頃か。アレの戦場での活躍はうたがいがない。べつにアレが死んでも痛くも痒くもなし、かえって好都合だ。
晴景は閃いたように膝を打つ、そして喜色をにじませ直江に問う。
「直江、虎千代はどうしてる?あれは幾つになった」
「はい、虎千代様は林泉寺に居られ御歳13歳、年明けと共に14歳となります。それが何か?」
直江は、白々しくも分からないふりで晴景に答える。宇佐美は、額にシワを深くして一瞬変な顔つきをし、虎千代を知る者は、密かにニンマリ喜んだ。
「虎千代を林泉寺より連れ戻せ、元服させて栃尾に遣わせ」
「ははあ、さっそく仰せ付けの通り、虎千代様を春日山にお呼び致します。つきましては、虎千代様に許可状と栖吉栃尾城に励ましの書状を願います」
「相分かった」
栖吉衆も、きっと喜びましょう。流石は実城さま慧眼にございます。と、直江はおだて上げ晴景は胸を反らした。
四
晩秋のころ、林泉寺に一通の書状が届けられる。それは件の評定で決まった内容を、知らせるものでありました。光育禅師は直ぐ様お虎を呼びにいかせ、ニンマリと笑った。
―――やっと待っていた書状が来ましたか、若様には春日山に帰るよう、是が非でも説得しなければいけませんね。
光育禅師は、決意をにじませお虎と向かい合うつもりです。やって来た、お虎は静かに澄んだ瞳で丁寧に一礼すると、光育禅師に向かい合い先駆けて話しかけた。
「来ましたか?」
「ええ」
お虎は簡単な受け答えをし、口を真一文字に結び考え込む。そして、着物をただし深く一礼をする。
「光育さま、長らくお世話になり、ありがとうございました。さぞや生意気な小坊主であったでしょう、このご恩は一生わすれやしません。私は春日山へ帰ります」
潔い挨拶だった。面を上げたお虎は決心を決めた潔があり、光育禅師は、呆気ない結末に腰を抜かしそうになるが、落ち着きを取り戻し場所を上座から改めると、お虎に対し丁寧に頭を下げる。
「いえいえ礼には及びません。拙も良い弟子をさずかり誉れな事でありました。この上は、春日山へと参られ立派な武将とおなりあそばせ。亡き為景公や栖吉長尾の御大も、さぞや草葉の影からお喜びで御座りましょう」
光育禅師はそっと袖口で目を押さえ、その目元には涙の後が見えた。お虎も光育禅師の涙に感動し、林泉寺に居た間の様々な出来事を振り返り、泣き笑いのような顔をする。
「そして、これは私からの心ばかりの品、選りすぐった仏像でございまする。どうかご笑納くだされませ」
光育禅師は床の間に置いてある包みを、両手で捧げもちお虎に渡す。これは、光育禅師が先日わざわざ自ら足を運び、特別に頂いて来た仏像。お虎は胸をドキドキさせながら、細長い包みを解いた。しかし中から出て来た仏像は、観音や如来と違い猛々しい焔を背負った普通の仏像とは掛け離れたものでありました。
「……こ、これは?」
「刀八毘沙門にございまする。これは四天王のお一柱にて北方を守護なさる多聞天とも申され、主に戦勝を守り導く毘沙門天にあらせられます。貴方様にはうってつけと思い貰い受けて参りました」
お虎は、かつて刀八の毘沙門天と名乗るあの僧を思い出し、ガタガタと震えだす。そして、魂が離れゆくように急にバタリと倒れ伏し気を失った。
五
お虎は、三日三晩深い眠りの中にありました。そして不可思議な夢の中で、涼しげな目元をする件の僧に出会い、ある言葉を受けた。
「許す!!そなたは、毘沙門天の化身となり、力なき者を守るのだ」
―――相変わらず勝手な物言いだったが、不思議とすんなり受け止められた。
そして、お虎は夢うつつから目を覚ます。すると枕元に刀八毘沙門の仏像が置かれているのを知って、ほろりと笑った。恐かった仏像の顔が、ひどく優しげに見える。
「お虎、やっと目覚めたか心配したぞ。光育さまも心配されて、何度も顔を見に来られていた」
「弥太郎、心配させてすまない。実は話しがある皆を集めてくれないか?」
そうかと頷くと、弥太郎は部屋からぬけだして、林泉寺に居る皆を集めて回った。おおよその所は、何を話すか弥太郎には検討がついていた。そして、呼び掛けに応じて皆が揃うと、お虎はゆっくりと見回して事の顛末を話しだす。
「私は春日山へ帰る。皆には世話になりありがたいと思っている。そして、勝手な願いだが、これからも私に力を貸してくれないだろうか?」
「承知!!」
頼もしい声が次々と返されと、お虎は華が咲いたように微笑んだ。そして、少し照れたように『ありがとう』と言う。
「ご帰参、誠におめでとうございます。我らは剣にかけて、お虎さまに忠誠を誓います」
弥太郎をはしめ侍逹は改まり、衿を正すと一斉に深く頭を下げた。お虎は予期せぬ出来事にポロポロと涙をこぼし、弥太郎逹は照れて苦笑を浮かべる。とっくに彼らは、お虎についてゆく覚悟は出来ていたのです。ただ、言い出せない雰囲気に黙っていただけなのです。
「よし、残った仕事をかたずけよう。立つ鳥、後を濁さずだ」
それからお虎逹は、忙しくたち働いて、青苧の刈り入れを全てすませ、水に浸しておいた茎の皮を剥いて、次々と糸を作りだす。そして庄ノ内の協力のもと全ての荷を船に積み込み、後は蔵田に挨拶をして、京の都へと見送った。
「あっ、初雪」
「ああ、お虎期限が来たようだ」
「弥太郎、春日山に帰ろうか……」
越後に初雪が舞散る頃になり、お虎は弥太郎逹のうち5人を引き連れて林泉寺を後にした。そして年が開けると、お虎の元服の義が執り行われ、名を長尾平蔵景虎と改めた。
―――祖は、神仏が選ばれし、定めの御子。名を長尾景虎と称す。かの者は毘沙門天の化身なり。
第8章・元服[完]
ここまで読んで下さってありがとうございました。とうとうお虎は、景虎になりましたね。有坂も今後の執筆が楽しみです。
これで第5部・絆編は終わりとなります。次回は第6部・栃尾編に突入です。雪があけると、景虎は兄の晴景の命をうけて、守護代旗を持って栃尾城に出発します。本庄実乃のまつ栃尾城までには、敵地を通り抜けて行く必要があり、賊徒は数しれず襲いかかる。戦え、景虎!!
ああ、やっと戦記ぽくなってきましたね(笑)。本当にたどり着くまで随分と苦労しました。執筆を諦めかけた時もあったけど、頑張って書けて良かったです。応援して下さった愛読者様には、心から感謝致します。
そして嬉しい評価感想を頂いた霜月様、テンジ様ツエット様。お陰様で、ここまでたとり着きました。ありがとうございます。
とりわけ読者さまのご感想やご指摘、コメントなどは嬉しいものです。もちろんツッコミも大歓迎です。未熟者ですが、今後ともヨロシクお願い致します。
ここで、申し訳ないですが、見直しと下書きのためにインターバルをはさみます。再開はおよそ1〜2週間後、次章の下書きが完成するまでとなります。
良い作品がお届け出来ますよう、頑張ってまいります。暖かい目で、見守って下さると幸いです。
2009/5/13記