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第7章・川賊


 お虎は、桑取り川の流れをたどって、庄ノ内の根城に向かっていた。その足取りは早く、かつては太郎と共に山中を巡り、鍛えた足で苦もなく山道を切り抜ける。


 すると突然、道端の薮からニョキと現れた手が、お虎の手首を捕まえて引き寄せた。予期せぬ事態に手を振りほどこうとするが、反対に口を相手が塞いでしまい、とうとう薮の中まで、引っ張りこまれてしまった。


「……モガッ」


「シッ、馬鹿。俺だ段蔵だ……坊主何しに来やがった?」


 引っ張りこまれた薮の中には、軒猿の加藤段蔵が居た。そして、よく見ると何人かの手下も一緒のようだ。彼は拘束をとくと、心底呆れたようにお虎を見るが、お虎はキョトンとした顔付きをして言葉を返す。


「……なんだ段蔵さんか、驚かさないでよ」


「驚かさないでよじゃないだろ……、こっちが驚いたぜ。まったく林泉寺に置いて来た奴らは、何をしてたんだ」


 段蔵は痛くなる頭を抑えて、ブツブツと文句を言うが、お虎は平気な顔で、先を急ぎますからと薮から出ようとする。段蔵は慌ててそれを引き留め、眉間にシワを寄せた。


「まさか、交渉しに行くつもりか?」


「バレました」


「いやいや、バレたも何も真顔で言うな。……それに、刀も持って来て無いようだが正気か?」


 お虎の突拍子もない行動に、いつも振り回されている段蔵は、彼が何を考えているかくらい検討がついた。しかし、武器を何も持たず交渉に行かせるなんて、許せる訳がない。


「ただ、交渉しに行くのに刀はいらないでしょ」


「死んでも知らんぞ」


「いいよ、人はいつだって死と共に生きている。生きているうちに何を為すかという事が、肝心なんだ」


「……参った。但し、危なくなったら有無を言わさず割って入るからな、おぼえとけ」


 達観するお虎の決意にまけて、段蔵はチッと舌打ちすると手下の手配りを始める。お虎は、薄く笑って手を振ると、薮を割りもとの道に出て、たった一人で庄ノ内の根城へ向かったのです。


―――ありがとう、これで心置きなく行ける。


 やって来た庄ノ内の根城は、砦のように頑丈な柵で周りを巡らせている。お虎が門番に声を掛けようと近づくと、砦の中が変に慌ただしい事に気がついた。そして、中から駆けてきた男が、僧衣姿のお虎に気がつくと、丁度いいと言って、すんなりとなかに招き入れる。


「おお、坊さんがいた。丁度良かった来てくだせえ」



 荷かつき人足のように尻をからげた件の男は、お虎を中に招くと、早く早くと急かせて、砦の裏手へ連れて行く。


―――すんなりと入れたのは良いけれど……何を急いでるんだろう。


「頭――っ、坊さん連れて来やしたぜ」


「馬鹿野郎、坊さんなんか連れて来やがって、医者だ医者を呼べ」


 お虎が連れて行かれた場所は、砦の裏手にある船着き場のような所だった。河原には、まるで着物を着たまま川へ入ったように、全身ずぶ濡れで、岸に引き下げられた若い男が、ぐったりと横たわり、その周りには、何人もの屈強そうな男逹が心配そうに見つめていた。


―――あれは川で溺れたのか?今から町まで医者を呼びに行っても間に合わない。いちかばちか、試してみよう。


 お虎は、男逹をかき分けて、倒れている若い男の側により、脈拍を確かめようと手を取り、心音を確かめるために心臓のあたりに片耳を寄せた。すると、見ていた男の一人が、坊さんの不審な行動を、止めさせようと手をだし叫ぶ。


「コイツ医者でもないのに、何をする!!」


「まあまて、この坊さん医術の心得があるようだ。おい坊さん、出来るか?死なせたら只じゃおかないぜ!!」


 頭と呼ばれた男は、さすがに武人だけはあり、落ち着いた態度で、お虎に手を出した手下を止めると、威嚇するようなダミ声で話しかけた。お虎は威嚇をしれっとかわして、平然と事実だけを述べる。


「分からない、心の臓は既に止まっています。でも方法はある、やるだけやってみます。皆さん手伝いをお願いします。ああ、私は医者ではないので、医者は念のために呼んで来て下さい」


「ああ、頼む助けてやってくれ。誰か医者を呼んでこい!!みな坊さんの言う通りにするんだ!!」


―――人工呼吸なんて実際に人相手にやった事はない。ただ自治会の役が当たった時に、消防署で救命訓練を人形を使ってやっただけ。


「この方の名前を教えて下さい」


「わしの倅で、伊之助と言う」


 お虎は、伊之助と何度も呼び掛ける事を周りに居た男に頼むと、錫杖と笠をほりだして人工呼吸の準備を始める。皆はあぜんとして坊さんを見守り、ただ従うしかなかった。


「まずは、気道確保からだな」


 はっきりと覚えているかはあやしいが、救命訓練を思いだしブツブツと一人で呟いて、伊之助の顎を上にあげて固定すると、胸を開いて両手を重ね心臓の上に置き、123と数を数えながら渾身の力で強く胸を押していく、ただ助けたいと一心に祈りながら……



 お虎は、迷いなく伊之助の口の中に手を入れると、上がりきった舌を下げ鼻をつまんで、一定の間隔をあけ長く息を吹き込む。周りにいた伊之助の仲間逹は、人工呼吸してるだなんて知らないから、驚いて止めようとし、頭が落ち着いた仕草でそれを制止する。


「お前ら、黙ってみとけ。あの坊さんも必死なんだ」


「……しかし」


 代わる代わる胸を押したり、息を吹き込んむが反応はまだない。時が過ぎ、お虎にも焦りがみえ、目に落ちてくる汗を片手で乱暴に拭った。丁度時を同じくして、表のほうが急に騒がしくなり、転げるようにして、さっき医者を呼びに走っていった男がやって来た。


「頭――っ、大変だ!!変な奴らが、凄い剣幕でこっちにやって来ます」


「チィ……こんな時に誰だ!!手の空いてる者は表に回れ、門を閉め閂をかけて守るんだ!!」


 頭は、顔を歪めて悔しそうにし、たまりかねたように指示を飛ばす。外野の混乱した空気を一切きり離し、お虎は懸命に人工呼吸を続ける。命を助けるには一刻をあらそう、たとえ弥太郎逹が追って来たからと思いついても、手を離すことは出来ないのだ。胸に灯る蒼白い焔は、ゆらゆらと揺らぎ焦りを煽る。あの消防署の講師は、30分が限界と言ってたが、時を厳密に測るものは、この時代のこんな山の中にある筈もなく、ひたすら続けるしかなかった。


―――神や仏が居るのなら伊之助を返してくれ。彼もまた守るべき越後の民なのだ。どうかどうか頼む、動け、動ごいてくれ。


 一心に深く祈りながらお虎は必死に続ける。そんな緊張感をはらんだ一瞬、とつぜんゴボリと伊之助が水を吐き出し、止まっていた彼の心臓が再び命の鼓動を刻みはじめた。お虎は、嬉しさのあまり大きな声をあげて、ドンと尻餅をつき、這いつくばって伊之助を覗き込み、ペシペシと頬を打つ。


「う、動いた!!……伊之助わかるか?助かったんだよ目を開けて!!」


「何、生き返っただと……伊之助、おい伊之助起きろ起きるんだ。川賊が溺れ死んだら笑い者だぞ」


 頭が、慌てて駆け寄り声をかけると、伊之助はうっすらと目を開けて父を見て手をのばす。危機が迫っているのも忘れて、頭は伊之助の手を握りしめると、己の額を息子の手に擦り付けて泣いた。そんな感動的な一瞬に、お虎はホッと胸をなでおろし、気がゆるむと弥太郎逹の事を思いだし、間抜けな声をあげる。お虎にかかっては、弥太郎逹も哀れなもんだ。


「ああ――っ、すっかり忘れてた!!ちょと外に来てる奴らを、止めてこなきゃ不味いよな」


「……な、なんだいアレあんたの仲間か?」


四・曽根平兵衛side


 まったくこの坊さんは、喰わせ者だった。こいつは偉丈夫な男逹を黙らせ、数人の共をえらび武器まで持たさずに、この砦に帰って来た。どうやら、この坊さんがアイツらの親玉だったようだ。まったく豪胆なのか、抜けてるんだか分からん奴だ。


 わしは坊さんと向かいあって座り、お共は後ろに控えて座らせた。後ろの奴らは、殺気だった気配をしじゅう放っているが、この若い奴だけは、剣のたつ素振りを見せずに、ニコニコと満面の笑みを湛えていた。


 コイツらは、青苧の収穫のために力を貸してくれと、頼みを打ち明けてくれたが……全てを聞いても、どうにも符に落ちない気分になって、わしは黙りこくって相手をジッと見定めていた。


「伊之助さん、本当に助かって良かったですね」


 件の坊さんはのほほんとした言い方で、倅が助かった事を心から喜んでくれているようだった。伊之助を不可思議な術で、助けてくれた事には深く感謝してる、あれは俺にとって最後に残った血縁者。守護代との戦で、妻を失い領地を失って、命からがら倅を連れて逃げて来た。


―――場合によっては、若い坊さんに、協力してやっても良いと思い始めている。しかし、こいつの真意を確かめなきゃならん。


「お前、何で伊之助を助けたりした」


「簡単な事です。あれもまた守るべき越後の民だからです」


「守るべき越後の民だと。何をぬかす。お前、何者だ?」


 あの混乱でまだ名前も聞いていない、まして素性すら確かめていないのだ。わしは、殺気を放って睨み付けた。坊さんは、殺気に動じることなく、ふと柔らかな笑みをみせ淡々と言葉を連ねた。


「私は、あなたの仇敵長尾家の末子です。名は虎千代、いまは林泉寺のお虎と呼ばれています」


「た、為景の末子だと?よくも、わしの前でのうのうと言えるものだ。あれが我らに何をしたか知ってるのか?」


「はい、悲しい戦だったと思います。謝ったとしても気持ちは収まらないでしょう、仇を打つつもりなら応えましょう」


 お虎と名乗った奴は、慌てだすお共を片手で抑え、懐から数珠をだすと両手を合わせ、まるで静かに凪いだ湖面を思わせるような目をして、わしを見つめていた。


―――わしは、この時コイツには叶わないと思った。


「馬鹿野郎、倅の命の恩人に手をあげる程、わしだって落ちぶれちゃいない。……仕方ない協力してやるか」


「ありがとう。庄ノ内のお頭さん」


「お頭さんてなぁ。まったく気の抜ける奴だ。わしの名は曽根平兵衛(そねへえべえ)と言う覚えとけ」



 庄ノ内との交渉が無事にすみ陣地へ帰ると、弥太郎はお虎をグウで殴りつけ、本気で怒った。二三日たったいまでもお虎の頬は腫れて、真っ赤になっていたとか……勝手なことをして、仲間に心配をかけたのですから、当たり前です。


「まだ、痛む。誰かさんが本気で殴るからだよね。頼むから顔だけは辞めて欲しかったなあ」


「……お、俺は知らん。断じて知らんぞ」


 お虎はからかい口調でジィと見ると、人の良い弥太郎は顔を硬直させて、赤くなり嘘ぶいた。そして、赤くなった顔を見られたくなくて、そわそわとして堪らず逃げて行く。あれなりに殴った事を悪いと思っているんだなと、お虎にも理解出来ていたが、ついからかってしまうらしいのです。なんとも弥太郎が可哀想になります。


 そんなこんなの騒ぎのあと、源三郎の指揮のもと、桑取りで里の建築が始まった。6月になれば里も完成し7月から青苧も収穫出来るだろう、越後青苧座の方は蔵田が座長に名乗り出て支配を固め、金余と三条西家へ宛てたお虎の書状を携え京の都に向かっている。帰りには流通経路の確保にまわるらしい。


 青苧とはイラクサ科の植物で、茎からは丈夫な繊維がとれる。当時の庶民にとっては必要不可欠な、着る物を作る材料で、麻のようなざっくりとした手触りの織物になるのです。


 元々、為景が守護と敵対した理由は、青苧などの権益があったからです。守護は打ち続く京都の戦乱での出費の穴を、国人衆が各々持っている固有の特権を、無理矢理に取り上げて、その利益で埋め合わせようとしたから、反感を買ったのです。


 そして実権を手に入れた為景は、従来安く買い叩いて持っていく天王寺青苧座を追い出して、三条西家の許可をとりつけ、独自に青苧を売ろう画策するが、天王寺青苧座の邪魔が入り、思うようには行かなかったらしい。流通量は、謙信公の時と比べて少なかったようだ。


―――さてさて、彼らの企みは何とか上手く軌道に乗るのだろうか?お虎は、ホントに春日山へ帰るのか?運命の時が、刻一刻ときざまれ残る時間はあとわずか……。


第6章・川賊[完]


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