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第4章・転機


 静寂が包み込む林泉寺の最奥に光育禅師の部屋はあった。お虎は正座しひとつ深呼吸をして肩の力を抜くと、部屋の中に声を掛ける。


「お虎です。お呼びと伺い参上しました」


「ああ、お虎。待っておった入ってこられよ」


―――なんだか何時もと違う緊張した雰囲気が、私を押し包み胸の焔が異常を感じ揺らめていた。


 お虎は、建具をそっと引いて中へ入り、作法どおりの手順で建具を元に戻すと、光育禅師に向かい一礼をする。光育の部屋はこざっぱりと片付いて、抹香の匂いがした。


「内密の話しゆえ、近こう来て貰えますかな」


 光育の顔は、深くシワが刻まれて内心の苦悩が表に現れていました。お虎は、はいと低く返事を返し、いざって膝を前に進ませる。


「実はの、上杉のお館様が隠居されると、お実城様に誓書を下されたのです」


「誠ですか?それは不味いですね」


 守護を帰り咲かせたからこそ、揚北衆とは小康状態が維持出来ていたのです。国が乱れてる今、守護が隠居すればもっと事態は悪くなる。事に乗じて乱を企む者もあり、すべての争いが表面化して、小競り合いでは済まなくなる。


「拙は、しばらく春日山に詰め、対策を検討することになりました。貴方も覚悟をしておいて下さい」


「……覚悟?」


「貴方も元服出来る年、城に呼び戻されるかもしれません、その覚悟です」


 お虎の眉間にシワが寄り、深く黙考するように天井を睨んだ。光育禅師は深いため息を吐き、じゅんじゅんと子供に説くように、諭していくのだったが、お虎は黙り込んだまま返事を返さないのです。そこで光育禅師は、お虎の内心に一歩踏み込んだ。


「お虎や、何を恐れているのですか?」


「春日山に帰れば、出家は叶いますまい。それを恐れているのです」


 それは、お虎にとって重大なことだった。越後の民を側で守るため、出家はいつでも出来ると思いつき帰って来た。そして近隣の農家を助けるために野盗狩りを始める。今は孤児院も作り上げ、未来の越後の為に人材の育成につとめている。孤児院の運営は赤字つづきだが、身銭を切って補っていた。しかし出家を諦めたわけではないのだ。


「お虎は頑固者ですね。分かりました考える時間をあげましょう。良く己に問いかけてみるのです」


 お虎は何も答えず、静かに頭を下げて部屋を辞した。光育禅師は、苦汁を飲んだ顔付きでお虎を見送ると、春日山城に伺う準備を始めたのでした。



 天文11年(1542年)4月5日、守護の上杉定実は隠居を決意し、越後一ノ宮に参詣し誓いを立て、誓書を守護代長尾晴景に送る。


―――それは越後をゆるがし、動乱を呼ぶ。


 揚北衆の領地は、下越に集中している、おそらく最前線となるのは栖吉長尾氏の支城である栃尾城と、長尾守護代家の被官、山吉豊守(やまよしとよもり)が城代を勤める三条城になると予想される。


 揚北衆の領地と栖吉栃尾城とは、間にいくつかの元守護上杉の家臣だった者の拝領地や小領主がいたが、各々が敵対し凌ぎをけずっていたのです。今まで長尾に敵対する領主は居なかったが、守護が隠居した今そうとも言えない事態になっていくのでした。


「光育和尚、若様は如何ですかな」


「直江さま、あれは頑固者ゆえ説得は難しかろうと思います」


「困りましたな、これで何とか若様さまを引っ張りだす腹づもりでしたが、いやはや虎御前さまとよう似て頑固者でいらっしゃる」


 春日山城にある直江屋敷の一室で、直江と光育は密かに会っていた。二人が思い返すのは、虎御前の輿入れの時のこと、あの方を説得するのに難儀した覚えがあったと、二人揃ってため息を吐いた。


「青岩院さまから、説得頂けば折れて下されようか?如何でしょう光育和尚」


「いえ、おそらく無理でしょう。あれは己で決めた事は、己で考え直さねば納得しない者です。京へ行く時も説得すら受け付けず、出家されてしまうのではと覚悟しておりましたが、不思議な事に自ら決めて越後に帰ってきよりました」


「そう、あれは不思議な出来事でしたな。不測の事態に綸旨の準備までされて、若様は越後を見捨てた訳ではないと、このわしでも感じ入り申した」


 あの頃、なぜ若様が戻って来たのか、周りは憶測を深めた。しかし、お虎にはお虎の理由があり、手回しよく綸旨を準備させたのは、己の決意にもとずいて考えた最良の手だった。だから城にも戻らず、相変わらず林泉寺に居座っていたのだが……周りは不思議がっていたのです。あれは大手柄だというのに、一向に城へ戻る気配もない若様の行動原理が皆読めなかった。


「若様は、何を考えておいでなのやら、わしにはさっぱり分かりません」


「まあ直江様、急いては事を仕損じると申します。もう少し、かの者に考える時間を与えては貰えまいか」


―――実は、守護の隠居も裏では直江が動いていたのです。巣穴に籠った若様を引っ張りだす危うい賭けでありました。



 お虎は、そんな周りの思惑さえつゆ知らずに、光育禅師の部屋を後にして、林泉寺の離れにある自室に向かって足早に歩いています。この頃、離れには源三郎だけでなく、件の蔵田を伴って待ち受けていたのでした。


「ああ、遅くなって悪い、源さん……」


 お虎は、離れに入って驚き急に言葉を止めた。弥太郎と源三郎以外に、ピシッと背筋を正して座り、商人の格好をしているが、武人のような気配が伺える人物が居たのです。


「こらりゃどうも。今日はね、どうしても若様に会いたいという、変わり者を連れてきたんですぜ」


「源さん、私はただのお虎です」


 お虎は、人前で若様と呼ぶ源三郎を一睨みすると、上座には上がらすに、弥太郎の隣にそ知らぬ顔して並んで座っだ。源三郎は、そわそわとして蔵田に目をやると、落ち着いた声で蔵田は話し始めた。


「ほう、ただという言葉は普通の方は使いません。成る程この方が、源三郎さんご自慢の若様なのですね。ご挨拶が遅れて申し訳ございません。手前、越後屋の蔵田五郎左衛門でございます。本日は若様にお話があって参りました」


 蔵田という男、肝がよほど太いのか変わり者なのか、平気で若様と何度も言った。お虎の眉間のシワは深くなり、弥太郎は内心ハラハラと見守って、源三郎はてえしたもんだとご満悦な様子です。


「どうでい、立派な変わり者でしょう」


「ああ、変わり者だ」


 お虎は、どれだけ私の周りには、偏屈な変わり者が多いんだとこぼし、弥太郎は、類は友をよぶと考えて肩を竦め、蔵田は平然となりゆきを見守っていました。あきらめてお虎は、蔵田に口を開いた。


「私は、あくまでも若様と呼ばれる立場ではありませんが、話しとは何です」


「たいした事ではありません。手前は若様のお味方が致したく参上しました」


 深々と頭を下げる蔵田に対し、お虎は何だか軒猿の源流と、言い回しが似ているなと、あの柔らかな目元を思いだす。急に物思いに耽るお虎を、弥太郎が困ったように袖を引っ張る。一度思考の海にはまり込むと、なかなか戻ってこないお虎を気使っての事だった。


「頭をお上げ下さいませんか越後屋の蔵田さん、味方とはどうゆう意味でしょうか?」


「言葉のままです」


 不穏な空気がその場に流れ、さすがの源三郎も黙って見守っていた。


四・蔵田side


 とうとう念願の若様に会うことなって、あの源三郎ジィさんと林泉寺へと出掛けることになった。林泉寺の離れに若様は逗留され、今は孤児院を経営されていると、供侍のような者に聞いた。


 急な事だったので、随分待たされたのだが、初めて会った若様は、僧衣をまとい髪は高く纏めて、清廉とし凛とした清々しさのある若者でした。その容貌は、類をみない程美しく、人を惹き付けるキツく上がった目と、知性を感じさせるギュッと引き結ばれた唇が印象的だった。


 武人としての気配も申し分なく、手前が故意に発した気配を直ぐに察した事で、かなり腕は立つと推測する。めっけ者だと笑みを深くして、初めから若様と呼んで翻さなかった。あのジィさんに変わり者と紹介されたのだから、開き直り変わり者で通すことにする。


「はあ……越後屋の蔵田さん。味方という意味は良く分からないが、味方になるなら素性位教えて下さってもよいでしょう。あなた、ただの商人ではありませんね」


 沈黙にあきたらめたように、話しだす若様は驚くような質問を投げ掛けた。やはりそう来たか、ここは本当の素性を話すことにしたのです。


「手前は元は伊勢神宮の御師をしておりました。今では商人をしておりますが、それも25年ごとに執り行う伊勢神宮の祭祀の、費用を稼ぎ出すためなのです」


「そうですか、帝におかれては酷くお困りの様子嘆かわしい事です。伊勢神宮もその庇護を受けるお立場にあり、苦しさはひとしおでしょう。貴方は金余殿をご存知か?」


 この若様は良く京の都の事情を知っているらしい、金余殿といえば御師の仲間だ。越後で商いをする切っ掛けは彼がくれたのものだった。


「金余殿とは同じ御師仲間でございます。長尾家の京の雑掌を長く勤めておられ、手前もその縁故で越後に参りました」


「なるほど、長尾家は勤王の家柄おそらくその縁で、亡き父為景の代より雑掌となられたのでしょう。そうですか金余殿の縁者ですか、かの者には京の都に逗留中、随分と世話になりました。特に小次郎とは年も近く、よく歌会に付き合ってくれたものです」


 京の歌会とは、公家をはじめ文化人の集まりで、どれ程望んでもなかなか縁故と歌の才がなければ、入れて頂けない会合であり、そんな素養まで持ち合わせた若様に、手前は憧憬の念が湧いてきたのでございます。



 蔵田とお虎は京の都の話題で盛り上がった。話題においていかれた源三郎と弥太郎は、何だか分からない話しに何度も首を捻っている。


「どうやら蔵田さんは、信頼のおける方のようです。段蔵さん居るのでしょうアレ持って来て下さい」


 若様が、呼び出すと影のように段蔵が現れた。そしてチッと舌打ちすると木箱を1つ差し出した。およそ軒猿を知らない面々は、呆れたように若様を見つめ、弥太郎はため息を吐いた。



「これは、貴方と同じ変わり者の軒猿の手の者です。味方を望まれるなら、彼らにも便宜を図って頂く事になるでしょう。それと、これは私の手元にある資金、これを蔵田さんに預けます。孤児院も赤字なので、増やす手伝いを頂けませんか?」


 お虎は、しれっと重大な事を打ち明け、面々は軒猿の出現にも驚いたが、資金の提供にも腰を抜かした。蔵田から資金を提供するはずだったのに、当の若様から資金提供を受けて面食らっている蔵田の様子が伺える。


「手前を信用なさったのでしょうか?」


「いえ、御師の生業を信用したのです。御師は誇り高くあるのでしょう、これも天照大御神の導きと考え、協力くだされば有難いのですが、如何です?」


「いやはや、これは一本取られましたな。手前は、若様の資金を持つ積りでまいりました。これでは、逆でございます」


 蔵田はお虎の知識の豊富さに驚いた。そして、頭の回転のよさに舌をまき、人を惹き付ける潔さに感心したのです。御師の実像を知る者は少なく、まして御師で有ることに信を置くとは、余程の教養と知性がなければ及ばない事なのだ。実はお虎にしてみれば、金余の自負をいつも耳にタコが出来る程、京に居る間じゅう聞いてたから理解していただけなのだが……蔵田は深読みした。


「これは、投資です。私にはお金で繋がった縁の方が、はるかに信用できます」


「ほう……その様なものでしょうか、手前には投資との言葉の意味は分かりかねておりますが、お手伝いさせて頂きます」


 投資の意味を理解しないまでも、お虎の気持ちに答え蔵田は気持ち良く協力してくれる事になった。そして、蔵田とお虎は近寄り、ヒソヒソと密談を始めたのです。二人の密談が、あまりに異様な雰囲気で、弥太郎は思わず距離を取り、源三郎はというと額の流れる汗を拭いていたとか……さてさて如何になりますか、楽しみな事です。


第4章・転機[完]


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