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第2章・胎動


 栄華をきわめた室町幕府は、応仁元年より後継者をめぐる『応仁の乱』が勃発し、戦乱は長きに渡り続いた。


 その戦で、京の都は荒廃をきわめ、追い討ちをかけるように飢饉や天災が頻発し、室町幕府から急速に人心が離れ……


―――それ以降、執政で成り立つ室町幕府の権威は著しく失墜していった。


 その事を受け地方では、室町幕府の地方官である守護大名が、実質的な支配力を持った守護代や、国人(こくじん)衆[豪族逹]に、とって変わられる『下剋上』の世の中にうつり変わってゆくのでした。


―――そして越後にも、『下剋上』の嵐は容赦なくやってきた。


 越後の国人衆から支持を集めた、守護代の長尾為景ながおためかげにより、力を失いつつあった守護の上杉房能(うえすぎふさよし)は滅ぼされる。


 その事態を重くみた、関東管領の上杉顕定(うえすぎあきさだ)は為景らを討伐するため、越後へと攻め入った。しかし、これも又返り討ちにあい、上杉顕定は討ちとられる。


 これにより関東管領の職責をめぐる、山内上杉家の後継者争いが勃発し、上杉氏の越後における覇権は失しなわれた。


 永世7年(1510年)、長尾為景は、傀儡政権として守護に擁立していた上杉定実(さだざね)を、したたかな朝廷工作のすえ幕府に正式な守護として認めさせたのです。


 これで越後における争乱は静まり、表面的には安定期をむかえます。しかし水面下では、古くから土地にねざす国人衆は侮りがたく、旧体制側の抵抗も続いていきました。


 また、隣接する信濃では、頭角を表しつつあった村上氏が勢力をのばし、越中では先代から続く、一向宗の門徒との争いが多発。越後は予断を許さない状況でした。


 上杉二君を弑虐した乱世の奸雄、長尾為景は下剋上のし烈な時代を、鬼神のごとき苛烈さで戦場をかけぬけ、越後地域における支配を北へと拡大して行くことになる。


 その為景のかたわらには切れ長のひとみを冷酷に煌めかせた美貌の女武将が、つねによりそって戦っていた。その武勇はかぎりなく、戦場を舞うがごとく、みごとな太刀筋であったと伝えられています。


―――その女武将こそ『栖吉(すよし)のお虎』


 為景の後妻にはいり一男一女をもうけ、のちの世に聖将や軍神とあがめられる、上杉謙信公の産みの母、虎御前(とらごぜん)の若かりし頃のお姿であります。


 風雲、急をつげる越後に時代の寵児が生まれるまであと少し。



 享禄二年(1529年)ともなると、為景に反抗し兵をあげた守護の上杉定実も、春日山城の奥深くに幽閉され、長尾為景は魚沼.中越地方をほぼ支配し、名実ともに越後の支配者となりました。


 そんな一時の平和を謳歌するように、この雪ぶかい越後にも春のきざし福寿草が、めばえ始めた頃のことです。


 春日山城の三の丸の侍屋敷よりいちだんと高い二の丸曲輪うちの主殿、虎御前の部屋へ灯りをもって向かう侍女がおります。


「虎御前さま、夜も更けてまいりました。そろそろ、お休みになられませ」


 虎御前が栖吉(すよし)から嫁入りした時に、付き従ってきた侍女の萩野(はぎの)が、心配そうな顔をする。虎御前は、時をわすれ観音菩薩像と向き合い一心に祈っていたようだ。


「栖吉が跡継ぎを心待ちにしていよう、妾も努力せねばのう」


 彼女は古志長尾ふるしながお氏のたった一人の直系後継者で、栖吉長尾の後継者を産むという、使命があります。しかし女子はすでに出産したが、いまだに男子を産むことが無かったのです。


 虎御前はままならぬ現実に、そっと溜め息をつき本尊に手を合わす。そして心配そうにする萩野にむきなおり、疲れたような微笑を浮かべる。


「荻野や心配するでない、妾も気をつけよう。ところで(あや)はどうじゃ?」


「はい、綾姫さまは乳の吸い付きもよく、良く眠っておいでになます。虎御前さまも早くお休み下さりませ」


―――奇しくも主従がたわいない会話をかわした夜中、虎御前は不可思議な夢を見た。


 観世音菩薩がおわす妙高山からやって来たと告げる、目元のすずやかな修験者が、夢枕にあらわれ願いを言った。


「あなたさまの胎内しばし、お借りできませんか?」


 虎御前は意味がわからずに、夫のある身なので断わろうとされたが、僧はまた告げる。


「では、夫の為景殿に、この事必ずお伝え下さい。また、明日の夜に参ります」


 その言葉を残し、僧はまぶしい光りと共に消えた。あたりには何ともいえない清雅な香りがたちこめる。


 すぐに夢から覚めた虎御前は、部屋に夢のなかと同じ香りが残されていると気づき、夢ではないと確信を深くした。しかし得体の知れない怖さから背筋がゾクリと冷え、夜着を握りしめた。


―――これは観音様のお告げに違いない。さっそく、我が殿に吉夢を見たとお知らせしよう。



 朝はやくから浮き立つ気持ちがとまらない虎御前は、つい含み笑いをもらしてしまう。


「何か良いことがあったのですか虎御前様?」


―――最近の虎御前様は男子をさずかれなくてお悩みでしたのに。


「ふふふ、良い事があったのです。まずは、我が殿に申し上げねば」


 はなやかな京風の小袿をはおり、小刀を腰にさした虎御前は、まれにみる極上の笑みを浮かべた。久しぶりに見るご機嫌の良さに荻野の口元も、しらずとほころんでいた。


「では、先に荻野が取り次ぎに行って参ります」


 政務が終えてなけば待たされる時もあるので。荻野は、ひとつお辞儀をすると軽い足取りで評定の間へと向かいます。


御実城様(おみじょうさま)にお取り次ぎくださいませ。虎御前がお渡りにございます」


 評定の間にいる近習衆に声をかけたつもりだったのだが。以外なことに為景が自ら機嫌よく言葉を返したのだった。


「なんとお虎が来るか?それは丁度よい、さっそく呼ぶが良い」


 萩野は、かしこまって案内に戻る。


―――それにしてもいったいなぜ為景様まで機嫌良いのだろう?


 うってかわり侍女が来るまでの評定の間では、為景がおもな腹心をあつめ林泉寺の住職から星占(ほしうら)の報告をうけていた。


 林泉寺は長尾家代々の菩提寺。そして住職の天室てんしつ光育こういく禅師は、軍略や星占で為景につかえる軍師ともいえる存在でした。


「昨日、妙高山の方角に彗星が生まれました。星占によりますと、観音の導きにより越後に吉兆がもたらされると出たのです」


 感情をまじえず淡々とつげる光育に、珍しく喜色をにじませ為景は問う。


「それは良きこと!して、吉兆とは何んだ?」


「拙には、まだ分かりかねます」


 光育は少し大げさに首を左右にふり、為景はしかたなく控える重臣たちをみまわしてみる。しかし誰からも答えが得られずに困っていた。そんな時に、侍女がふすま越しに虎御前の訪問を告げたのでした。



第2章.胎動

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