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第6章・修練


 待ちに待った師匠が来たのは春の終わりの事でした。少しづつ春らしくなる気配に、虎千代……いえ林泉寺のお虎も、うきうきと作務をこなしておりました。


 のんびりとした寺の暮らしに、すでに馴染んだのか?兄弟子ぶる珍念たちともまあそこそこ、ケンカらしいケンカもせずに、仲良く小坊主らしく暮らしていました。


 そのように偉ぶらないお虎の態度に、寺に住まいする者は好感を持って迎え、光育和尚からの軍学や星占などの教えも、砂が水を吸い込むように身に付けて、林泉寺の神童と呼び声も高くなっていました。


―――はやく師匠が来ないかな。修行が待ちきれず、私は毎日何度も門のあたりに佇んでいた。


「頼もう!!」


 やってきた高僧は、巌のような顔でしかめっ面をした大きな体躯の男で、墨染の衣を纏い威風堂々の登場だった。お虎はその威厳に憧れを抱き、かいがいしく足洗いの水桶を持ち出迎えた。


―――なんという威風、このような立派な師匠に、教えを受けられるのは楽しみな事。


 皆が、教えを受けるお虎を羨ましく見るなかで、峨山禅師(がざんぜんじ)は、光育和尚と丁寧な挨拶を交わされ、弟子となるお虎を紹介された。


「遠路遥々、ようこそお越しなされた峨山禅師。拙が林泉寺の和尚をつとめる、天室光育ですじゃ。そしてそこに居る子が、今日より教えを受けるお虎です。お虎や挨拶おし」


 お虎が、峨山禅師の足を水桶で洗っていると、光育の声がかかり手を止めて殊勝な態度で挨拶をはじめる。


「お虎と申しまする。どうぞよろし………」


 峨山禅師の錫杖がお虎を打つ、打たれたお虎は。挨拶もろくに言えずあぜんと師匠を見上げる。


「渇――ッ!!なんだその顔付きは――!!生意気な態度は許さん!!警策を――!!」


 他の小坊主たちは、恐々と警策を峨山禅師に手渡した。胸に込み上げるものはあったが、お虎は禅寺のならい通り、無言で両手を合わせ背中をだした。


―――酷い屈辱だった。


 お虎は必死に唇をかみ、警策の音がなりやむまで耐えた。周りの者も止める手段もなく、為すすべなく呆然と二人を見ている。光育ですら、顔を青白くさせても見守っているのだ。誰もが仲裁に入れる状況じゃない。


―――こうして、厳しく辛い修行が始まったのでした。


弍・虎千代side


 こんなに修行が厳しいなんて聞いてない。師匠は私に何か恨みでもあるんだろうか、情け容赦なく警策で背中を打たれ、なんの弁解の余地すら与えられぬ。


―――こんな理不尽なことを、許せない。まして負けるのは嫌だ。負けてたまるか?


 初っぱなから警策で何度も打ちすえられた。この反抗的な目が気にくわぬと……生まれた家を誇る態度が好かない。だれが誇ったと言うのだろう、まして目など生まれもった物だ。


―――悔しかった。なすすべさえない暴力の数々が、じっと耐えるしかない己が厭わしい。


 私の望んだ事は、心穏やかになる出家の道だ。あの峨山禅師(がざんぜんじ)がくるまでは、心が解放されたように、伸びやかに小坊主の生活を営んでいた。


―――出家の修行は厳しいですぞ。確かに光育様はおっしゃっていた。


「大丈夫ですか、お虎さま」


「……大事ない」


 妙に珍念たち小坊主が優しく気づかい同情してくれるのが、屈辱だった。だれに情けをかけられるのも、負けた気がして嫌だった。


「それにしても、あの峨山禅師のやり方は酷すぎる。お虎さま、何も意地になって修行をされなくとも……師匠は求めれば他にもおりましょう」


「……嫌だ。私は峨山禅師でよい。一矢むくいなければ気がすまぬ」


「分かりました、ああ頑固ですねぇ。こちらに膏薬を置いておきますからね」


 流石に珍念も呆れたのか膏薬を置いて、さっさと部屋を出る。泣いてる姿を見られたくないと、私はずっと後ろを向いていたが、本当は彼らの心使いが嬉しかった。


 のそのそと膏薬に手を伸ばし、届かない背中に薬を塗りつける。どうせ治療しても明日にはまた、警策で打たれる。傷は治りかけては、また傷口が開き血が滲むのだ。


 母上から頂いた僧衣も、いたるところが擦りきれてボロになっていた。でもまた明日もあるから繕いしても着なければ。あの方は身繕いにも煩いからな。


―――己に負けそうになる。でも修行が辛いからと、逃げだせば笑い者になるだけ。それだけはどうしても嫌だ。


 自分ながらに嫌になる、なんでこんな負けず嫌いなんだろ。逃げればすむのに、ほんと馬鹿だ。だけど己に課した茨の道、なにほど悔やむことがある。どうしても出家の道は諦めたくない。



 密かに光育和尚は、峨山禅師を部屋に呼び寄せた。光育は内心心配でヤキモキとしていたのです。厳しい修行をとあえて頼んだ手前、厳しすぎるとは言えないでいた。今日こそは峨山禅師の、本音を聞かせて頂こうと待っていた。


「光育殿、お呼びでありましたか?峨山でございます」


「峨山殿、お待ち申しておりました」


 峨山禅師の巌のような武骨な顔には、意外な事に柔和な笑みが見えました。


「そろそろ、呼び出される頃だろうと思っておりましたよ。光育殿」


「何ゆえ、そのように」


 ゆっくりと流れる水のような動作で、光育の前に座ると丁寧な一礼をする。


「ほんに善き教え子に廻り合い申した。光育殿にはさぞ、ご心労をかけた筈、申し訳ない」


「なんと、若様は善き教え子ですと?拙はその様に、峨山殿が思って下されているとは……気付かず相済まぬこと」


 いやいやと、峨山禅師は顔の前で片手を振った。光育は、その時はたと閃くように気がついた。


「峨山殿……いえ宗九様は若様の本質を、試されておいでか?」


「さよう。神憑きの神童ならばこそ試させて頂き申した。しかしながら毎晩、闘神が襲ってきおって難儀も致しましたが……何とか生き永らえてございますよ」


「ほう、それほどですか?成る程、当代一の名僧と呼び声高き宗九様でこそ、出来た離れ業。有難いことです」


 林泉寺は曹洞宗の禅寺でしたが、臨済宗の流れをくむ名僧と名高い宗九に、特別に若様の手解きを頼んだのは、光育から見て彼の精神の成長には、禅に主眼をおく曹洞宗より、なにより考案に重きをおく臨済禅の心を学ばせる方が、良いと決心したからだった。


「いえ、名僧などとんでもない。あのような逸材に会うのは初めてにござります。誉れなこと。何とか一念を自在に操る(すべ)を覚えて下されば、あとはシメタもの修行は進みましょう」


「勿体無いお言葉、この光育ご恩は忘れません」


 床に頭をすりつけて、礼を言う光育和尚に、お顔を上げて下さいと峨山禅師が声をかける。


「若様は光育和尚のような、賢明な師匠を持たれた……光育和尚は今伯楽にござろう」


「その様に仰いますな。宗派は違えど、曹洞宗の教えも学ばれた貴方に教えて頂き、若様も果報なことですな」


「光育和尚、暫くのご辛抱お願い申し上げる」



 修行はますます厳しさをましてゆくのです。その一つが廊下の雑巾がけでありました。日に何度も同じ場所をやり直しさせる峨山禅師に、さすがにお虎も怒りを現わにする。


「もう、こちらは雑巾がけが済んでおります。そんなに何度もやり直す必要がありますか?」


「渇――ッ!!お前の目は節穴かあ――!!まだ終わっておらぬ、今一度やり直せ!!何事も心眼じゃ、心眼でとらえよ!!」


 峨山禅師は、わざと水桶を足で蹴って廊下を汚す。せっかく研きあげた廊下を汚されて、お虎も頭にきた。そして体躯の違いも、気にするでなし、峨山禅師に掴み掛かっていくのです。


「何ゆえですか?私を苛めて楽しいか?」


「渇――ッ!!その性根歪んでおるわ!!歪みある一念では掃除さえロクに出来ぬ。良く考えよ!!馬鹿者!!」


 体躯の違いもあって、簡単に投げ飛ばされ、汚れた水に僧衣を濡らし悔し涙さえ、飲み込もうと峨山禅師を睨みあげ、胸には憤怒の焔が猛々しく燃え盛る。


「その目が気にくわぬ!!そこか邪念め!!邪念ある邪な一念、それが抑え切れねば修行など無用!!今一度やり直せ!!」


 そう言い放つと、お虎に背中をむけ立ち去ろうとする峨山禅師に、お虎は熱き焔の狂うばかりの心をのせて、重心を低く移動させてバネをつけ拳をふりあげ背中に殴り掛かる。


「うわああ――!!」


「渇――ッ!!みえたり邪念!!」


 気合いと共に、お虎の拳を受け取ると、右足を低く外側に出し流れる水の如くに力を受け流す。峨山禅師は合気道に通じる受け流しの要領で、お虎の力を封じ込めた。


「修行が不服ならば、いつなりと打ち込んでまいれ!!」


「ああ、打ち込んでやるとも。こんなのは修行なんかじゃない!!私を苛めてなんになる!!」


 フンと鼻でお虎を笑い、蔑む目をして挑発する峨山禅師。かくて、二人の争いは始まった。お虎は、隙あらば師匠に一本打ち込もうと虎視眈々と伺って、その悉くが返り討ちにあうのだが……お虎も負けず嫌いな性格、執拗に何度も拳を打ち込もうとする。


―――この二人の攻防は3年あまりも続き……お虎も強く大きく成長してゆくのでした。


五・お虎side


 なにより峨山禅師の教えは私の心に響いていった。一念の自己管理から、自在に操る術まで手解きをうけた。


―――いまだから解りもする。峨山禅師の仰る意味が……さぞ、生意気な子であったろう。


 三年たっても、まだ打ち込むことさえできぬ。そして、なお山伏逹の棒術も会得させて頂き、得がたき師匠でありました。落ち着いてみれば、かの方は柔和な笑みでいつも私を見て下された。


「おや、お虎何をしているんだ」


「はい、母上から頂いた。かつての僧衣を見ておりました。さぞ、峨山禅師様もお辛かったでありましょうな」


「何程もなかったわい」


 言葉少なく照れたように見て見ぬ振りをなさる。そのような控えめさに頭がさがる。そして小さくなった僧衣を大切に行李にいれて、今日1日も修行三昧。


―――このような静けさが私のものに為った。この時代に生まれて、光育和尚さまや峨山禅師さまにお会い出来て良かった。生まれた事さえ呪っていたが、修行出来て良かった。出家の道は遠いけど、たしかな道を歩いてゆこう。


「托鉢に出る。用意をたのむ」


「はい、承知しました」


 明るい声がはずんで返され、峨山禅師も目元のシワを刻まれた。二人の師弟に残された時間は短い、峨山禅師には臨済宗のかつての法壇に戻る時が迫っていた。


―――そして、お虎にも新たな風が吹き始め、生涯の友と出会い、そして容赦ない運命の歯車が回り始める音がする。


 春もさかり、お虎はひときわ大きく成長していたのでした。そして少年は、大人への階段を登りはじめる。かの「聖将」上杉謙信はいまはまだ、林泉寺のお虎でしかない。


―――運命は回る、乱世の風は容赦なく彼に牙を向け始めた!!


第6章・修練[完]


 いつも臥龍転生を読んでくださりありがとうございます。ここで第4部・林泉寺編を終わりと致します。


 第5部・絆編は、あらたな無二の友との出会いを書いていきます。腹心鬼小島弥太郎や蔵田との出会い。そして新たな飛躍。お虎は大人への階段をかけあがる。出来たら初恋なども織り込んでいければ良いなと思います。


 正直、この章は駆け足すぎて心残りも多々あります。有坂の未熟でしかありません、お詫び申し上げます。もう少し私に文才があれば納得いく物語も書けたのにと後悔がつのります。本当に文才のない有坂で申し訳ないです。


 ツェット様いつも、励ましのメッセージを有り難うございます(生き返ります)。鵺様のアドバイスも嬉しく身にしみました感謝いたします。



 宜しければご感想など頂けましたら嬉しく思います。またご意見ご指摘も大歓迎でございます。有坂は未熟者ですが、なんとか頑張りますので、長い目で見て下さると有難いですm(_ _)m。



 読者様に感謝を。私ごときの未熟な文章でも、読んで頂けるのが有坂の幸せです(は〜と)


※追記

第21部分・第4部・林泉寺編の前書きに、謙信公の宗派について脚注加えました。峨山禅師についても脚注加えました。宜しければ参考にして下さいませ。




2009/5/1記

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