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第5章・闘神

壱・本庄実乃side


 拙者は、伸びやかに山野を駆けまわる、僧衣を纏った少年に出会った。少々細っこいが、凛とした清々しい受け答えは、殺伐とした世にあって胸ときめかすほど、長閑かで清涼な新たな風を感じた。


―――だから、つい城へ働きに来ぬかと誘ったのだ。


 だが、その少年は首を縦には振ってくれなかった。そして、斬った張ったのお武家の暮らしは嫌じゃとぬかしおった。腕っぷしはなかなか強いと、一緒にいた吃りの少年が自慢してはいたが……果たしてどれ程か拙者には分からん。


 その少年に会ったのは、友の新兵衛に頼まれて、若様に会いに行く道中の事であった。拙者が、雪解けで緩くなった道を踏み外し、崖下へ落ちそうになった所を助けられた。


 なかなか腰の低い、気持ち良い少年だったな。さてさて件の新兵衛自慢の若様とは、どの様な方だろう。春日山帰りの兵逹の噂では、戦のために生まれたような猛々しさ、軍略においては為景公ゆずりの奇才の持ち主、なお寛容さを持ち合わせ末は名君と謳いあげ、皆は熱狂的な答えをかえす。戦場での気丈さもあり、弓の腕もかなりなものよと新兵衛が自慢しておった。さて、どんな偉丈夫(いじょうぶ)な若様か、会うのが楽しみよ。


―――武勇兼知の若様か……さぞ逞しく威厳のある方なんだろう。新兵衛にあんな顔させる位だから期待外れでは無かろう。


 若様は越後の王か……楽しみじゃ。しかし、期待の若様が出家したいと言い出して、家中が取り乱したのが始まりで、拙者まで借り出され、なんとした事か林泉寺まで行く羽目になったのだ。説得するのが拙者の勤め、さて何と言おう。


 この頃までは、拙者も楽観しておった。しかし林泉寺に着きはしたものの、若様はお出掛け中と、光育和尚に伺った。先に人をやっておればと悔やんだが、光育和尚も泊まって行けと仰るので、気長に待つ事にした。


―――我らを避けておいでか、一向に姿を現してはくださらぬ。


「これは出家も、春日山を睨んでのハッタリでは無いのかもしれん」


 栖吉の殿が取り乱し、新兵衛を苛つかせ、何ほどの事かと軽視しておった。戦鬼為景公の秘蔵っ子と言われている若様が、越後の覇権を狙って、虎視眈々とされてるだけじゃと思い込んでいた。迂濶だった、もう少し新兵衛から話しを聞いて来るのであった。


―――若様に会うまでは、拙者はここから動かんぞ。このままじゃ皆に顔向け出来やせんわ。


弐・虎千代side


 あの者が栖吉の重臣であることは、少し話しただけですぐに気がついた。見掛けは熊のような大柄な偉丈夫で、それに反して目は可愛らしいつぶらな瞳だと思った。


 どこか、愛嬌のある男で性格は生真面目、小坊主のなりをした私にも丁寧な口調で話しをする。傅役の新兵衛と同じ栖吉の者とは、到底おもえない温厚そうな人だ。また栖吉の重臣であることにも鼻を高くするでなし、高潔な人柄に好感がもてた。


―――しかし、栖吉のお爺さまの使いに間違いはなく、おそらく出家志願を止めにきたのか?何故だろう今更……


 符に落ちないから、知らぬふりを通していた。しかし相手もさるもの長期戦のかまえを見せている。あの母上からは、長尾家の息子だと忘れぬなら、出家志願も認めようと文まで貰っているのだ。


 今更、出家志願を取り下げない。だってあの母上が心良く許してくれたんだ。まして僧衣まで手づから縫ってくれて、すごく嬉しかった。いつか必ずこの恩返しはするつもりでいる。


 それに長尾の家督は兄上が継いだのだから、私は末っ子だし自由にしても良いじゃないか。もし戦となれば僧になっても駆け付け、光育様と同じく軍師として働けば問題ないと思う。


―――なんだか、符におちない気分だった。


「会うだけでも、会ってやりなされ」


 そう光育様に諭されても、何だか会う気になれなくて、逃げている。実はあんまり良い気分でもない、あの男が、温厚で良い人そうなのが罪悪感をつのらせる。


「はあ……早く諦めて帰ってくれないかなぁ。気になって仕方ない」


 ちょっとだけ、ほんのちょと覗いてこようか?私が若様だとバラさなければ、大丈夫だろう。茶でも持って行ってやろう。


 そして私は、厨に行って茶の準備を始める。そう、彼が新兵衛や安実、長実と同じ栖吉だから気になっていた。彼らはどうして居るのかと、最後の挨拶すらせずに別れた事が、なおさら心に掛かっていた。


 あの時目覚めたら、既に誰も居なかった。光育様から事情は聞いて、察することは出来たが……あの頃は、手酷く裏切られたと思い込み、自棄になった。けれど、これで良かったんだと、今では納得もしている。


 彼らは武士、進む道が違う。あたらの武勇を、私と共に腐らせてはいけない。別れは時には必要な事、そんな事わかってるつもりだった。人の心は複雑で、頭で分かっても、心は悲しがる。時が解決のカギ、本当にそうだ。


参・虎千代side


 私が茶の用意をしていると、光育様が厨に顔を覗かせた。そして、私に何も問いかけず、また厨をそっと出て行かれた。


 最近は、もう小坊主のふりも板についた。まだ師匠は来られてないが、見習いとして他の小坊主と一緒に作務をこなしている。光育禅師に、頭を下げるのもケジメだと思って自然と頭を下げていた。


 ちゃんと光育様とお呼びし、殊勝な行いをしてるつもりです。初めては気恥ずかしく照れてもいたが、周りも慣れてくれて落ち着いてきた。今では私の真剣な願いを皆受け入れてくれて、ありがたいと感謝している。


―――もう、若様に戻るつもりはない。ただの林泉寺のお虎で充分だ。


「失礼します、お茶をおもち致しました」


「入りなさい」


 光育様の答えを聞いて、賓客を応接する広間へ入って頭をさげた。そして作法通り、栖吉から来た武士の前に茶を置き頭を下げた。


「粗茶ですが、どうぞお召し上がり下さいませ」


「これはありがたい。おや、あの時の小坊主ではないか?いやいや奇遇だな」


「はい、奇遇でございますな。ところで足のお具合はいかがですか?」


「おお、もう痛みも引いた、大丈夫じゃ」


 はっきり言って、私の顔を見て気がつかない方がどうかしてる。私は母上と目元がソックリで、おそらく母上を知ってる方なら、間違いなく虎千代だと判じる筈。この男、すこぶる抜けているのか?


 まともに小坊主だと信じきっている男が、哀れに見えて、込み上げる可笑しさを抑えきれず、クスッと微笑んだ。ましてや、城に働きに来ないかと真顔で言っていた。


「なんだ、何かおかしかったか?」


 あれえ、と周りを確かめたり頭を掻いたり、とんでもなく頓珍漢な反応を返す。これが栃尾城の城代か、人の良い男これなら皆が付いていくだろ。


「いえいえ、何もおかしくはございません。ご無礼を致しました」


「ほほっ……もう宜しかろう。正体をみせてさしあげなされ若様」


 あんまりにも、この男が可哀想だと思ったのか、光育様が種明かしをしてしまった。


「なっ……まさか?」


 唖然として私の顔を見つめ直す男に、私はひとつ溜め息を吐いて光育様を睨んだ。もう宜しかろなんて勝手な事を、やはり出て来るんじゃなかった。


四・虎千代side


 恐縮して頭を深く下げたままの男、仕方ないもう偽らぬ。喰えないジジイだ光育様も、わしゃ知らんとすました顔をする。


―――ジジイは鬼門。


 私が動かなければ、この場は納まらないだろう、仕方なく立ち上がり上座へと座り直した。


「よう来た長尾虎千代である。栖吉栃尾城代、本庄実乃面をあげよ」


 威厳を持った顔つきで、白々しくも若様ぶって話しだす。こうでもしなきゃ、顔を青くして床に頭をすり付けている男の顔が、立たないだろと配慮した。


 むろん初めて会った時に名前も役職もすでに聞いて覚えていた。これもなにかの縁か、袖すれあうも何とやら腐れ縁だな。本庄実乃は恐縮しきった面持ちで、ながれる汗を拭きつつ面をあげた。


「数々のご無礼、まことに申し訳ござらん」


 なんだか今にも切腹とか何とか、言い出しそうな生真面目な雰囲気に負けた。だから気にしなくて良いと、声をかけた。


「……しかし、そう言う訳にもいきません」


「実乃、もうよい私が言わぬのが悪かった。許せ」


 はっきり言って白旗を上げたのは私の方、この雰囲気に謝るほかなかった。お爺さまも人が悪い、なぜこんな男を使いにだした。ああ新兵衛の鉄拳制裁のほうが、なんぼかマシだよ。


「ははあ、すでにお会いしていたのに……気付かぬのは拙者の不徳でござる。よう見れば青岩院さまに生き写し、いや参りました」


「ああ、もう良い。して私に何か用があったのではないか?」


「はい、何とぞ出家志願はお取り下げ願わしゅう存じまする。栖吉の殿も心配してござる」


 汗を拭いながら、必死の覚悟で言いつのる実乃に、説得されそうになる。しかし、今更決めたことを覆す謂われはない。


「話しはそれだけか?私の気持ちは変わらない。お爺さまも体を悪くされてるように聞く、お大事にと申し上げてくれ」


 もう関わりになりたくないと、言うだけ言って部屋をあとにした。落胆してるのだろうか、すまない決めてしまったのだ。


―――胸の奥の焔が、いとわしげに揺れる。ひどく後味が悪かった。どうせよと言うのか?私の進む道は出家しかない。それでいい、それで良いんだ。


五・実乃side


 ああ、この方が新兵衛自慢の若なのだ。上座に付かれると極端な変貌をみせられた。あの威厳、たしかに主と仰ぐに相応しいお方。


 主にとって不足ない人柄、なにより情け深い心。拙者の目は節穴だったわい。皆の申す噂をうのみにして、若様の人物像を誤解して捉えていた。だから本物が分からなくなっていた、申し訳ない限りだ。


 冷や汗か何の汗だか分からないものが、タラタラと額から流れ落ちる。それを必死に拭うて説得を試みた。しかし、若様は言うだけ言うと部屋を出ていかれ、もう駄目だとガックリと肩を落とす、最初から負けていた。


「ほほっ……そう気落ちなさいますな。若様とて、本庄様のお気持ちは、痛いほどお分かりの筈」


「しかし……このままでは栖吉に戻れませぬ」


 光育和尚が、拙者を労り慰めてくださるが、心が晴れやしない。新兵衛に何と言おう、栖吉の殿はさぞ落胆なさるだろうな。グルグルと同じ事を考えては、途方にくれた。


「実はの、青岩院さまから明かされた秘密がございまする。余人には漏らすなとのご指示ゆえ、すべては申せませんが……すこし耳を拝借いたしますぞ」


 そう言って光育和尚が伝えて来た内容は、驚くべき話しだった。恐らく若様は神憑きであると、それも強力な闘神が憑いてるのではないかと申された。ゆえに、苛烈なご気性はそのせいであろうと……信じられない話しに目を剥いた。


 だから仏道を修めることは、若様の為にも善い事なのだと申された。仏道の精神修養は必ず益となり、越後の王となるのは、若様の定められた運命。誰も本人でさえ覆すことは難しいと諭された。


「それは真実(まこと)でござるか?」


「はい、おそらくは真実でございましょう」


 もう、これで思い残すことはない。若様の出家志願は、とりあえず静観しようと決意した。この事、いち早く栖吉の殿と新兵衛に知らせなくてはならん。


「くれぐれも余人には漏らされるな本庄様。みな心に留められ秘匿されよ」


「はい、承知しました。光育和尚ありがたい。さぞ、栖吉で待つ皆も安堵しましょう」


 そうして拙者は、林泉寺を後にした。まだ心残りもあったが、胸に大きな秘密を携えて足取りも軽くなり、いつかあの方と一緒に戦場を駆ける夢をみながら栖吉へ帰える。


―――あの若様の、越後の王になられたお姿が早く見たいもんじゃ。さぞ凛々しく麗しい事だろう。


第5章・闘神[完]

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