第2章・粛正
壱
林泉寺に居る虎千代の落胆は深い、軒猿がいまだ警護する意味すら理解出来ずに、混迷のただ中にいた。もう、何を言われようが気にさえしない、心を深く閉ざしてしまったようです。
さてさて、一方の府中春日山城では晴景による、あらたな人事の刷新が行われていました。目の上のたんこぶである青岩院には、手を出すことは無かったが、栖吉の兵は確実に居なくなる。
そして気に入りのオベッカ使いを側に置き、昔気質な工部の親方から、虎千代びいきだった者逹を端から端まで暇をだす。心ある国人衆からは、あきらかな春日山離れが起こりだし、今日も今日とて、渋い顔つきの直江が、右往左往と国人衆の機嫌を取りに回るのだった。
「実城さま、無理でございます。これ以上、城内に居宅をかまえる国人衆は追い出せませんぞ」
「何を弱気な、国人衆など恐れるな。なに、ちょっと城下町に、居宅を移せば良いだけの話しじゃ」
「みな、こたびの戦でお味方下された方々ばかり。お目障りでしょうが、我慢なさって下さりませ」
もともと武辺一辺倒の者逹と、晴景は折り合いが悪かった。なにかと言えば青岩院の肩を持つ彼らが目障りな存在なのは、仕方がないのかもしれないが……少し度が過ぎていた。
城内に居宅を持つのは譜代国人衆における、一種のステータスシンボルでもありました。おいそれと居宅を移せとは言えない直江は、頭を掻いて困り顔をする。
「直江、なにか良い知恵はないのか?あんなむさ苦しい連中は、わしの目の届かぬ所に押し込めておけ。分かったな」
「はあ、考えてみますが……」
生返事を返し、その場をあとにした直江は、青岩院の二の丸郭まで足を運んでいた。虎千代が居た時とはうってかわり、兵の影さえみえず閑散とした番所を抜け、直江は郭の玄関口に入って声をかけた。
「お頼み申す」
「ああ、これは直江様。今取り次いで参りますけえ、そちらへ」
あまり、表には出てこない小男の下男が出て来て対応する。直江はよほど手が足りないらしいと下男の後ろ姿を眺めるが、足の運びがいやに軽いものに気がつき、軒猿の守りが入っていたかとひとりごちる。
弐・直江side
通された客間は、こざっぱりとして仏道に入った者らしい内装に変わったと、わしには思えた。やがて衣擦れの音にまじって足音が聞こえ、片膝を立て頭を深くさげて青岩院を待った。
「ようこられた直江殿、楽になされよ」
「はっ」
現れた青岩院は、血色もよく尼僧姿にも覇気があった。やがて彼女が上座にあがると、わしはゆっくりと座り直し再び頭を下げた。
「ほほほ……礼など尼僧には必要なかろう」
「相変わらず青岩院さまには、かないませんな。ましてご不自由をおかけし、面目次第もありません」
「さて、今日は何の困り事かのう。晴景殿におかれては、またぞろ我が儘放題なのか?今度は何と言っていやる」
この方には何もかもお見通しらしく、わしはひきつる頬を掻くしかなかった。そして、ゴホンとひとつ咳払いをして話しを続ける事にする。
「はあ……武辺自慢の国人衆が目障りらしく、実城様は居宅を春日町の方へ移せと、仰せ付けられ申した。如何取り計らえば良いのかと、わしも四苦八苦してる次第なのです」
「うつけが、一度痛い目に合ってもらおうか。柿崎殿が、河合親子から謀反を持ちかけられたと、いたく憤慨して来ておったが、使えるのではないか?」
「あ、あの実城様にベッタリの河合親子がですか?」
「そうらしい、中々の策士ぷりよな」
呆れ果てて物も言えないとはこの事よ。実城様にとって、一番頼りにしている忠臣みずから謀反とは……実城様も実城様だが、河合も余程のうつけと見える。
―――類は友を呼ぶとは、これいかに?しかし乱など起こされては、反乱分子のおもうツボ。さてはて、どうするか?
「それはそうと上条や揚北衆はどうしてる?」
「謝り状を持って来たので、たっぷりと賠償金を吹っ掛けてやりましたわい」
「そうか、戦に勝ったればこそじゃな。虎千代の元服もあと6〜7年は掛かろう。それまでは、何としても長尾の権威だけは保っていかねばの」
「しかり、大変な大仕事になりそうですな」
―――これからは、用心深く政を為さねば為らぬ。多少の劣勢は覚悟のうえ、それもこれも、若様が帰られるまでの辛抱と言うもの。
参
大人逹の思惑など預かり知らない虎千代は、淡々と無為な日々を過ごしていました。表情も極端に冷たいものへと変貌をとげ、林泉寺の蔵書の類いを読み耽っては日々を過ごす。
林泉寺に住まいする者逹は興味津々と、あたらず触らず虎千代の動向を、遠巻きにして伺っていました。そんな視線に、虎千代は苛々をつのらせ蔵書を読む気も失せ、庭先に近い廊下に出る。
そして庭先に降り、人目も憚らず胸の焔のおもうがままに、暴れたおす。この前は、貴重な石塔まで壊してしまい、光育にため息を吐かせていた。
なんと乱暴な若様じゃと、あれが神仏がえらびし、定めの神子かと白い目で見られていた。虎千代にとってそれさえ、鬱陶しいと思う気持ちで一杯だったのか、いっこうに鎮まる気配さえなかった。
そんな日々を過ごす虎千代にも、転機は訪れるのか?いや、あちらから運命が転がり近づいてきたようです。虚しさに狂わんばかりに暴れ終わり、虎千代が雪にまみれて大の字になって寝ていると、恐る恐る近づいて来る影がみえた。
「……な、なんすけ……い、痛いか」
怖いものしらずなのか、子犬と一緒に覗き込む子供が声をかけた。子犬はクンと匂いをかぎ、ペロリと虎千代の頬をなめあげる。
「ああ、くすぐったい。大丈夫、どこも痛くない」
「……ひ、冷えるろ……おめ……おめえさ」
「なんだ心配でもしてくれるのか?大丈夫だ、死にはしない……いや死ねないかな」
そう言うと、虎千代はやおら立ち上がり雪をパンパンと払いだす。まあお互いに意味の通じ会わない会話を、成り立たせていた。
「おいで、可愛いなこの子の名は?」
「……た、た、太郎」
「そっか、子犬は太郎って言うんだ」
「ち、ちがうら……じ、次郎ら」
虎千代がいったいどっちなんだと子供をみれば、子犬と自分自身を交互に指差すのが見えて、ああと納得するのだった。
「子犬が次郎で、そなたが太郎か?『太郎次郎』まるで猿回しみたいな名だ」
「……さ猿じゃ……ねえろ……こ、小吉」
なにを誤解したのか、山の方へ指差した太郎か『小吉』と言った。また林に指差し『明石』と言い、次々とあちこち指差し名前を教える太郎。
四・虎千代side
どうやら太郎の友達は皆が猿や小鳥、はては狼のような獣逹であると気がついた。やがて私達の距離は近くなり、彼も友達と認めてくれてるようだった。友の証にと、どこで拾ってきたのか綺麗な小石を渡される。
彼は寺男の養い子で六歳になる。小さいなりに朝早くから昼すぎまで、寺の雑務を手伝って、空いた時間は私を色々と案内してくれるのだ。行き先は、しれたことに彼の友人の住み処だったりするが、太郎と居ると心が穏やかになり、こんな生活も悪くないと想像している己がいた。
―――出家するのも悪くない、戦だからと言って命を奪う、そんな行為をした己を許せない。だから弔い位、私の手でしてやるのだ。
春日山城には大好きだった姉上や母上もいるが、しょせんもう会えないのだから……幸せで居てほしいと祈れば良い、父上の弔いも出来るんだから良い事づくめの気がしていた。
「よし、出家しよう」
「……な、なんら?」
「私が、お寺の坊さんになると言ってるんだよ。太郎も良い考えだと思わないか?」
ずっと一緒に居られると太郎は喜んだ。まあ、理解してもらうには、手数を踏んだが嬉しくなって太郎に飛び付いた。
「……うあ――な、なんらろ」
「んっ……お前クサイぞ。何だか匂う。身体ちゃんと洗っているのか?」
「……さ、さむいけ……洗ってねえら」
そういえば、私だって風呂に入ってないと気がついた。風呂といっても城でさえサウナのような岩風呂だし、ここではどうしてるのかと気になった。いいとこ水浴びだろうか、寒いからズッーと入ってないとか……あまりにも不潔過ぎる。
「よし、湯を沸かすぞ!!風呂だ風呂を作るんだ」
「……ふ、ふろ?」
「わあクサ〜、もう風呂でも入らないとやってられない!!いくぞ、太郎」
人とは面白いもので、心を閉ざしている時には、不衛生とか想像もしなかった。出家して僧となるとなったら、生きる希望が湧いてきて、不潔な環境にいたことに我慢ならなくなっていた。
第2章・粛正[完]