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第4部・林泉寺編☆第1章・迷走

○―――第4部・林泉寺編―――○


第1章・迷走


 第1章は回想部分が入るので独白形式の一人称になります。第2章からは、もとに戻します。


PS・ただいま、帰りました有坂です。今後とも宜しくお願いします。更新は2〜3日のペースの予定ですが……しばらくは、早めるかもしれません。



※脚注


○ 謙信公の宗派は真言宗と史実にあります。あの頃は高野山と比叡山は、宗教人にとって一種別格の位置付けにあったと思われます。なので有坂的には、謙信公は禅の曹洞宗や臨済宗を手始めに学ばれ、最終的に高野山で仕上げられたように思っています。解釈は色々ありましょうが、このように有坂の小説では書いて行こうと思ってます。


○ 峨山禅師(宗九)様は有坂のオリです。史実に宗九様が越後に来た記録はありませんので鵜呑みにされないようご注意下さいませ。




 まったりとした空気が私を包んでいた。かつて馴染んでいた様な、心が澄みきり静まってゆく様なそんな心境だった。柔らかく揺らされて初めて目にしたのは、心配そうに覗きこむ娘の顔だった。


「……お……母さん。お母さんてば。こんな所で眠てちゃダメだって!」


「……み、美佐子?」


 見慣れた娘の顔をみて、私は理解が追いつけなくて呆然とするしかなかった。そうするうちに込み上げてくる、アンバランスな可笑しさに、お腹の筋肉が意図せずけいれんする。


「うあ……人がせっかく起こしてあげたのに、笑うなんて失礼しちゃうわ」


 腰に手をあて肩を怒らせて、拗ねた美佐子の表情に、かっての幼い娘の姿を眩しく重ねてみてた。なんだろう、妙な安堵感がジワジワと私を侵食して、笑いを堪えることさえ出来なくなった。


「母さん、風邪ひいたって、もう知らないんだからねえ」


「……ご、ごめん……でも……ちょと、美佐子ってば!!」


 美佐子は今までいたリビングから離れ、対面式のキッチンがある方向へ、怒りのままに踵を返す。私が上半身を無理に起こして、娘の後ろ姿に声を掛けると、彼女は振り返りアカンベ――と舌をだした。


 変わらない娘の態度に、ますます笑い声が止まらなくなってしまう。ひとしきり笑いおさまると、頭が冷えてきたのか始めて私自身が置かれている状況を、理解できるようになった。


―――なんで、ソフアなんかに寝てしまったんだろう?何か夢見が悪かった気がするけど、思いだせない。


 私が寝ていた場所は、美佐子の家だった。よく見慣れたリビングには、娘のお気に入りなアリーアメリカン調の家具が並んでいる。真向かいの飴色したリビングボードの上には、仲良く写った家族の写真がいくつかあった。


「……お母さん、紅茶飲むよね?」


「……ん、お願い」


 娘の訊ねる声と一緒にカタカタと鳴る食器の音、水道の蛇口をひねる音がキッチンから聞こえてきた。なんだか拭えない違和感に、顔を両手で包み込んで、こめかみを軽くおした。


―――何か、忘れているような気がする。大切な何かを……。……、……



 何か現実感がおいつかないような、違和感の正体はわからなかった。そして諦めたようにソファーの背もたれに体重をあずけ、私はボンヤリと天井の照明をながめた。するとクリームイエローぽい天井の色が、しだいに煤けた茶色に変色する。


 悲鳴をあげる声は、キッチンに居る娘には届かないらしい、身動きすら出来ないほど身体中が硬直し、身体を受け止める柔らかなソファーの感触は、硬いゆかのような感触にかわって行った。


「あああ――――」


 悲鳴をあげて、瞳をめいっぱい見開き目覚める。そして見上げた天井は見知らぬものだった。私は美佐子の家にいたはず、あれは何時もの夢だったのか?私は誰なの………?


―――そうだ、私は虎千代!!たしかに虎千代だったはずだ。じゃあ、ここはドコ?


 何が何だか解らないまま、私は薄暗い室内に視点をうつす。そして軋む身体にムチをうち上半身を起こし、名を呼んでみた。


「……し、新兵衛、居ないのか?安実は……?長実……?……景資?誰か、誰か居ないの」


 いつも返される返事はなく、し――んとする独特の静けさが広がって、言い知れぬ怖さが這い上がる。いったい何が起こったのか?ふらつく身体を起こし、状況を確認しようと立ち上がる。


 私の立ち上がる動作につれて、虎千代の記憶も目覚めていった。そして、戦の緊張感が身体をかけ抜ける。まず最初に考えたことは、みんなが無事でいるかどうか……だった。


 見知らぬ場所にいる怖さもあって知っている人の名を、順番に叫びながら廊下にでると、見たこともない庭先の風景が広がり私を慌てさせる。


「……何が起きた?」


 庭先に続く廊下の冷たさが足の裏を痺れさせ、力がすべて抜け落ちるように、その場所に崩れ落ちた。人は理解が及ばない現実に直面すると、笑いがこみあけると言うが、それは本当のことだなと頭の中で、自分自身に問いかけた。


「ふふふ……あはは……」


 口をつく笑い声は自嘲するように、己の置かれた現実を認めたくなかった。誰も居ない現実が、ひどく裏切られたような切なさに支配されていた。



 そうして、私は心を閉ざす。廊下を走る人の声やざわめきさえ、遠くのさざ波を聞くように感じてた。丸まる身体には、凍る樹氷が垂れ下がり雪の中ですら暖かな眠りの世界が広がって私をおし包んだ。


―――もう、眠っても良いよね。


 ゆるやかな眠りがすべてを洗い流す。重く苦い思いでさえ、なにか幸せのひとつになって行くのだ。父との約束は守れたか?守れたなら皆が無事でいるはず……もう解放されても良いよね。


―――ありがとう、楽しかったよ。新兵衛のバカ、嘘つきだよお前。ずっと一緒に居ると約束したのに……なぜ今は、居てくれないの?


 閉じていく瞼は雪の結晶を写し出す。綺麗だ、雪の結晶ってこんなに綺麗だったんだ。ごめんね、私は人を殺しちゃった。手には血がベットリと付いているんだろうな。雪原を染めるほどの血飛沫は私を狂気の世界に染め上げる。


―――戦なんかキライ。この世界の命の重さは、軽く儚い淡雪のようだ。あの人にも、大切な譲れないものがあったのかな?


 瞼の裏に映りだす光景、コマ送りの様に矢の軌跡を追うと、額に吸い込まれるように刺さる瞬間を思い出す。そして眼前には、鮮血を撒き散らす兄の近習の姿が映りこんだ。込み上げる吐き気に目眩がし、むせかえる鮮血の匂いがまとわりついて私を苦しめる。


―――もう、終わりにしよう、私は罪をおかしたんだ。これは罰なんだ、そう罰なんだ。


「……虎千代さま、お気をたしかに!!」


「……若様が――」


 誰かに抱えられた気がする。何かしら言葉がかけられるが、何を言われたかは分からない。でも、生ある人の温もりが嬉しくて嬉しくて、口元が綻んでゆくのが最後の記憶だった。


「……虎千代さま、なんでこんな所に……」


「あちゃ……この坊主死ぬつもりだったのかい?とりあえず暖めたほうが良い。お扇姐さんは、和尚を呼んできな坊主は俺が……」


「わ、分かった。若様を頼んだよ」



 再び目覚めた私の視界には、見慣れたお扇の顔があった。なぜ、彼女がそんな痛々しそうに私をみるのか分からない。


「……お扇?」


「はい、ここに」


「……戦はどうなった?」


 本当に聞きたい事でも無かったが、私は抑揚もない声の調子で彼女に問いかけた。『勝ちましたよ』と返された声に安堵のため息を吐いた。


「……そうか」


 見上げる天井は、相変わらず知らない天井で、感覚のない指先に、お扇の温もりがジワリと広がった。彼女が私の手を取り上げたのだと気がついた。


「虎千代さま、お気が付かれたか?光育にございまする。雪の上に倒れておられ、お身体が随分と冷えておりましたが、如何ですか?」


「そうか雪の中に……。世話をかけたな光育殿、私は大事ない」


―――死ねると思った。だが、まだ生きなくてはならないのか?


 胸の焔は、ここに今だ留まっていると青白く灯っていた。そして、私は他人事のように眠っている間に起きた事を聞いている。すこしも現実感が湧いてこない……魂が枯れはて、この林泉寺に留め置かれている事実さえ、受け止めかねていた。


「虎千代さま、今は心の整理がつかないかもしれませんが、どうかお力落としなさいませんように」


「……ん、光育殿にも迷惑をかける」


 光育に答える言葉さえ、本心からの言葉ではなく、上滑りする言葉の羅列だった。すべてがどうでも良くて、春日山に戻れないという現実に、悲しみさえ浮かんでこない。反って変な解放感が湧いてくるのだった。


「……もう、私は頑張らなくて良いんだな」


「馬鹿め……まだ若いくせにジジイみたいな事を言う坊主だぜ」


 知らない声が頭の上から降ってくる。視線を向けると忍び装束の男がいた。彼は、ニタリと人を喰ったような顔をして私を見ていた。


「……えっと、誰?」


「軒猿。軒猿の加藤段蔵!!」


「ちょと段蔵あんたねえ……もうちょと説明したらどうなのよ。若様、こんな行儀悪い奴だけど、こいつも今日から護衛にはいるから、覚えてやっとくれ」


 ああと頷いた。頷いたけど何かが引っ掛かり、お扇を見つめた。


「……私の護衛?」


「そうですよ護衛ですがなにか?」


―――いやいや、明らかに可笑しいだろ。なんで軒猿が護衛に……もう城を追い出された私など、護衛する価値があるのか?


第1章・迷走[完]

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