第6章・波紋
壱
「揚北!!押し出せ――!!晴景を討ち取れ!!褒美は思うままじゃ!!」
「オオオ!!」
上条上杉勢は槍の穂先をズラリとそろえ、怒りにまかせ雪をけって突進してきた。間近にせまる彼らの大地を揺らす怒号をうけて、味方の金津たち槍衆が今か今かと打って出ようとする。しかし栖吉の爺さまの怒声がとぶ。
「金津――まだじゃ、まだ出るでないぞ!!引き付けて一人もあまさず討ち取るんじゃ!!」
「承知!!」
爺さまの怒声にすぐさま応え、闘牙をはらんだ金津の声が飛ぶ。その目は、決意を秘め泰然として、まるで狩りで獲物を選ぶように敵を見る。
その頃、迫りくる敵に虎千代も雑兵にまじり、弓をかまえ次々矢を放っていた。怒号をあげて近づく敵めがけ、とくに鎧の隙間を狙って射つ。その目は、戦況の機を伺うように用心深く煌めいていた。
「やった――若さん!俺逹も負けちゃいられないぜ」
「俺だって――やる!!」
子供ながらに近習たちも恐れを知らず、負けじと矢をはなつ。上条上杉勢が雪をけたて本隊に突入しようとする寸前、みなが思いもしない方角から敵が次々と矢をうけ、足並みが乱れ隊列が崩壊し綻びが見えた。
「……な、何が起こったあ――!!」
「う、後ろです!!山から矢が――」
「ひきょうな!!取り乱すな揚北――!!立て直せ――」
崩れる上条上杉勢をみていた虎千代は、栖吉の爺さまと目を見合せてうなずいた。それを受けて栖吉の爺さまは、すぐさま声を張り上げ、軍杯がグウンと水平に空を切り裂く。
「そりゃ槍衆出番じゃ、金津――追い討ちをかけよ!!」
「おう!!いくぞ栖吉――!!押し出せ!!」
ウオオオ―――
待ちかねた合図にニィと獰猛そうに犬歯を見せる金津は、槍をもった手をオーと高々にあげ怒声を放つ。槍をもつ栖吉の軍勢が放たれた猟犬のように、雪をけたて群れをなし敵にくらいついていく。
「うあ――」
「蹴散らせ!!栖吉」
押し出してくる栖吉の軍勢と、うしろから風にのり容赦なく飛来する矢に、敵兵は雪にまみれ転がって四方に散り散りになり、立て直そうとする敵の指揮系統は乱れに乱れた。
「……逃げるな、立て直せ!!揚北の意地をみせるんじゃ――」
「させるか!!いけぇ――」
弐
「柿崎隊行くぞ、遅れをとってはならん!!押し出せ!!」
オオオオオ――――
新たに、懸命に雪をけって駆け付けてきた柿崎は、隊を整列させるやいなや、栖吉に負けてならじと、果敢に突撃を開始させる。その頃少し遅れて直江隊も到着する。
「うぬう……なせじゃ、なぜ柿崎まで!!」
「本庄殿――お早く、お早くお引きくだされ――」
山手から降る矢嵐と栖吉の突撃に、すでに上条上杉勢は瓦解し、本庄が柿崎の登場にうろたえる。数で上回り勝つと決めてた対陣に、引かねばならぬ悔しさに唇をかむ。
「色部殿、この場は引き上げじゃ――!!本陣で立て直す!!」
「おう……、伝令引き上げじゃ」
躊躇いのあと敵は引き上げの合図をだすが、時すでに遅く多くの兵を討ち取られ、将みずから命からがら逃げ出した。
「ぐわあ……」
「大将首が逃げたぞ――!!」
敵の引き上げを知った虎千代は、すぐ爺さまに駆け寄り、追い討ちを促した。
「お爺さま、すぐさま上条上杉勢を追って下さい!!おそらく本陣にも軒猿の撹乱が入ってるはずです!!」
「合い分かった、我らは追い討ちをかけつつ上条本陣をうつ!!直江殿葬列を頼む!!」
「承ります。御大ご武運を!!」
栖吉の爺さまは直江に葬列の守りを頼み、新手を加え上条上杉勢の本陣にむけ進撃を開始。虎千代は爺さまの出撃を見送ると、グラリと傾き崩れるように、膝から雪の中に倒れていった。
「……若さん?おい」
「若君!!シッカリして下さい。誰か――若君が倒れた」
虎千代が倒れた事に長実が気が付き、異常を察した景資が助けを呼ぶ。駆けつける直江、慌てて青岩院を呼ぶ声、入り乱れる人逹でその場は騒然となる。
「静まれ――!!皆の衆、虎千代は大丈夫じゃ。きっと緊張がほぐれ倒れたのじゃろ」
混乱をいち早く鎮めたのは、青岩院の鋭い一喝であった。青岩院は、静かになった皆々を一度見渡すと、僧衣のすそをひるがえし虎千代の元へと歩みを進める。そんな時、今まで何処へ隠れていたのか晴景が現れた。
「な、なんじゃ。戦はどうなった!!ええい……誰かおらぬか、そうじゃ直江は来ておるのか?」
参
かたや上条上杉勢の本陣では、矢を受けて傷だらけの伝令が駆け込み、先駆けの本庄・色部隊が崩れた事を報告している。
「ご注進!!ご注進!!お味方総崩れ、先駆けは本陣へ退却、長尾勢が追い討ちをかけています。すぐさま救援を――」
「総崩れだと!!馬鹿な、何が起こった!!」
予想の範疇をこえる事態に上条はうろたえ、庄棋を蹴倒す。本陣に詰めていた宇佐美が、すぐさま対応に立ち上がった。
「上条殿は、救援のご指示をお願いします!!わしは中条殿を引き留めてまいりましょう」
「……た、頼んだ。伝令!!本庄殿と色部殿の救援を伝えよ!!」
上条は悪夢を振り払うように頭を振ると、すぐさま伝令を走らせる。宇佐美は足取りもはやく本陣を出た。しばらく歩みを進めると、あの澄まし屋の中条が取り乱し蒼白な顔をして、本陣目指して駆けてくる。
「中条殿!!如何された?!」
「う、宇佐美殿!!丁度よいところへ……あの為景が生き返ったと叫ぶ者が現れて、私のところの雑兵が逃げ出しているのです」
中条に本陣への注進を頼むと、宇佐美はグッと眉間にシワを寄せて中条の陣へ向け走りだす。たどり着いた先は、思いがけない光景が広がり、武器を投げ捨て小荷駄を倒して、逃げる雑兵たちがいた。
「うわあ――、逃げろ」
「どー―した。ええい逃げるなどならん!!」
業を煮やした宇佐美が慌てて雑兵をとめに入る。しかし逃げる雑兵は、みな話しなど聞かずに必死でにげるだけ。
「戦鬼為景が生き返った!!先駆けは敗走じゃ!!今に戦鬼が来るぞ!!命の惜しい者は、はよ逃げ―――」
「……助けて――!!」
大声で雑兵を煽る男をみつけた宇佐美が、怒りを募らせ歩みよる。男はニヤリと笑うと後ろにとびすさり手を振った。
「ふふん……残念だったな宇佐美の旦那。もう皆逃げてしまったあとだぜ」
「為景殿が生き返ったなどと謀りおって軒猿が……。おぬしは名は!!」
「ほう、良く解ったな!!確かに軒猿の加藤段蔵って者だ!!旦那もさっさと逃げた方が無難だぜ。フン今頃前線はガタガタだろう」
宇佐美は地団駄をふみ、自軍の退却にそなえ戻っていった。すなわち上条上杉勢破れたり。あっけないほどの幕切れとなった。
四
雪原を血にそめるほどの激戦は、上条上杉勢からさしたる抵抗もなくあっけないほど短時間で終わる。残兵は、小荷駄を引くまでもなく、武器を投げ捨て逃走したらしい。
上条上杉勢の大半は逃げだし、主だつ武将も又難を免れ命からがら逃げ去り、残された兵はみな物言わぬ骸と成り果てていた。合戦の勝敗は、わずか7歳の虎千代の策により明白に明暗を分ける。
葬列の陣中は、あっけない上条上杉勢の敗走に勝ち戦の歓声でわき返える。さて、本日の立役者.虎千代は、如何しておるのでしょうか。
おやおや未だ眠っているようですよ。その口元には安心しきったような、何事か成し遂げた安堵の微笑みを浮かべ、すやすやと寝息を立てています。
やがて葬列は動きだし、虎千代はいつもの仏頂面を緩めてニヤつく傅役に、大切そうに抱き抱えられ近習逹が取り巻いて葬列と共に進みます。通りかかった武将逹は、それぞれ眠っている虎千代の顔を覗き込み口々に声をかけ、勇姿を称えていきました。
「さすがは戦鬼為景公の子、戦のために生まれたような若様じゃ。長じればさぞ素晴らしき武将になられるだろうのう吉江殿」
「ははは……そうとも柿崎殿、若様がおられる限り越後は安泰じゃ!!あの弓さばき、並みではないぞ!!息子も良き主を持ったものよ」
みなの注目が虎千代に向けられ、数々の称賛が与えられると、晴景は爪をかみその光景を苛々と眺める。その表情は陰鬱として、腹には何か謀があるような素振りだった。
さきの戦以来、晴景の様子がおかしいと敏感に気配を察した直江は、墓所に行くまでの道中何くれとなく晴景を持ち上げ、甘い言葉をかけていた。
「あっけない勝ち戦でしたな、さすがの上条らも実城様のご威光に、逃げ去ってしまいました」
「あたり前じゃ、わしは国主ぞ!!わしの威光の前では、武勇ある揚北衆じゃとて形無しよ」
偉ぶる晴景に、葬列に加わる武将逹が顔をしかめた。戦の間、国主として何の働きもせず縮こまって隠れていたくせに、勝ったとなると出て来て大威張りをする。誰の目にも嘲りがうかびあがり、晴景を嫌悪の表情で見ていたのでした。
第6章・波紋