第4章・臥龍
壱・直江side
ああは言いはしたものの、わしはどうしても納得がいかなかった。段蔵を見送ると再び広間に戻り、栖吉の御大に声をかけた。それは戦の手配りもあったが、栖吉の考えも知りたかったからだった。
「栖吉の御大お待たせしましたな、ところで手配りは如何様になり申したか?」
「ああ直江殿、そなたは後詰めをたのんだ!!先発は柿崎殿が名乗りを挙げよったから、ワシャ本陣に詰めようかと思うての!すでに勝ったも同然じゃ」
士気の上がった広間を見回して、御大は満足そうに頷いた。わしは慎重に言葉をえらび真意をさぐった。
「つかぬことをお聞きしますが、御大はお孫様をどの様に考えておいでですか?」
わしの不躾ともとれる発言に、気軽に応えチョイチョイと片手をふって手元によび小声で耳打ちをした。
「実はのう直江殿、皆には言うなよ虎千代は戦ギライでな、戦になったら連れて逃げろと傅役に言っておったそうじゃ!あいつめ心配をかけよってジジイ不幸な奴じゃわい」
―――あれが、戦ギライだと……何の冗談だ。分けがわからん、わしは虎視眈々と次代の主を狙っているものと思っていた。
そんな弱腰にはとうてい見えない、いやかえって覇気のあるたのもしい少年に見えた。だからこそ城中の者も勝機がみえて、協力しようと一丸となったのだ。
―――ならば、いつたい若様は何を考えているのだ?
栖吉の御大との話しもそこそこに、戦の下準備のために倉へと向かっていった。直江の持論は『戦は下準備で決まる』であった。単に猪武者では戦に勝ち目などない、色々な可能性を追求して端々に目を向け丹念に戦の備を立ち上げる。
そうして直江は、米や炭薪の残りを確認しようと倉に入ると、戦に沸き立ち人気のない倉には件の虎千代がいた。
「わ、若様!!供もつれずこんな所で何をなされています」
「あわわっ、直江さん?新兵衛が戦支度に忙しくしてたのでつい……すいません勝手に倉へ入らせて貰いました」
若様は頭を掻きながら決まりわるそうに上目遣いでわしを見上げた。あの広間での覇気はどこへ行ったのか?と目を疑った。ましてやさん付けでわしを呼び気安い雰囲気に拍子抜けしてしまった。
弐・直江side
「いやいや、若様は主家の方、直江とお呼びくだされ」
「はあ、直江って……やはり無理ですよ私には呼べません。さん付けで我慢して貰えませんか?」
若様があんまり下手に出られるので、わしもどうすれば良いかあぐねていた。だいたいさん付けうんぬんの話しをしたい訳でもなく、あろうことかつい吹き出してしまった。
「ぷっ……まあ人目がないところなら直江さんでも、何でも結構です。しかしなぜここへ来られたのか教えて頂けませんか?」
「ああ、それは簡単なことです。葬列と共に撃って出て、もし敗戦したときに物質が保つか調べにきました」
―――それは子供とは思えない危惧だと驚いた。それ以上に穢れを知らぬ澄みきった目が印象的で、偉ぶらない態度が何より気にいった。
「なかなかの慧眼でございますな。草葉の陰から亡き為景公も喜んでおられましょう」
「慧眼だなんてとんでもありません。私は越後の民と家族、家臣、春日山に住まいする者を守ると父に約束しました。だから信頼にかけて己にできる最善を尽くすのです」
言いきった若様の決然とした態度が、わしの凝り固まった心を打ち砕いた。この者を我が主と頂けるなら、苦労のしがいがあると図らずも頬を弛めてしまった己を笑う。わしが、夢をみるようになったら終わりだろう、価値観さえ塗り替える若様の影響力に憧憬をおぼえた。
「信頼に応えですか……いやはや若様は、わしの予想の遥か上をいきなさる」
「……はあ」
意味の分からない顔つきをする若様の肩をバンバン叩いて、こちらはわしに任せておきなされと倉から追い出した。
「では、直江さん。後はよろしくお願いします」
そう言って敬意から軽く頭を下げていった若様に、笑いが込み上げてきた。なんと無欲な子だろう……あれならば必ずやよき主となろう。
―――険しい道だか、越後には天翔ける龍の雛がいる。いまはまだ地に臥龍として眠っているが、いつか必ず越後の龍となって、天高く飛翔し雲さえも掴んでしまわれるだろう。こ度の戦、越後の未来のために勝たずばなるまい。
参
さてところ変わりまして上条上杉軍の方は、この時期とくゆうな突風が山側から吹き下ろす高台に、いまだ宇佐美が立ち尽くしておりました。
う――んと唸ると、宇佐美は凍りついたカンジキをトンと払い、考えをまとめながら、自陣へもどる道をたどって行きました。
―――不可解としか言いようがない。あの猛将『栖吉のお虎』が、晴景をおしのけ陣営を仕切ったか?
宇佐美は曇天の空のように鬱々とした気持ちをひきづりあるく。やがて自陣近くにつくと、間者を束ねる物見頭が駆けてきた。
「だ、旦那さま大変じゃ」
いまだ地元なまりがある小男の物見頭が、泡をとばして話し出す。宇佐美は、とつじょ閃いた悪い予感に戦慄をおぼえ、物見頭を陣幕のうちに引き入れた。
「なにがあった?」
宇佐美はいつになく緊迫した様子で問いかけ、物見頭の肩をつかんで揺さぶっている。そんないつもと違う宇佐美に不安を感じとったのか、物見頭もあわてて話し出した。
「今になって城中へ放った間者が、誰一人帰ってきとりませんのじゃ」
「一人もか………やられた軒猿の奴らか、退き陣になるやもしれん。そちは数名をひきつれ退路の索敵をたのむ!!間者とて、ただで育て上げた訳でなし、何ということをするんじゃ」
額のあせを拭いながら見る物見頭に下がって良いと手で示した宇佐美は、憤慨する心のまま絵図をおいた机を殴り、ひとつ深呼吸をして心を落ち着かせると、普段通りの足り取りで本陣へと向かった。
さても厄介なことに!軒猿が本腰をいれたということは、杞憂が現実になった証。お虎が仕切ったとて晴景と亀裂を生むだけだと思っておった。
―――誰だ?
誰が、為景の軍勢を再びまとめあげた!!天道は、あちらに軍杯をあげ、地の理、人の理はすでに城方に有利に動いた。もはや勝ち目は薄い。
―――奇策を弄せば……あるいは。このような寄せ集めではそれも無理な話し。
「功にあせる上条殿に、なんと言おう?おそらく、うるさい奴と遠ざけられような」
宇佐美は困りはて手を後ろで交差し天空をにらんだ。その彼の胸中をかけるものは何か?余人には将たる器を渇望する宇佐美の口惜しさなどついぞ解るはずもない。
―――ああ、一を言えば十を知る将の将たる器に巡り会いたいものじゃ。
四
宇佐美は、さっそく注進のため本陣へと向かった。しかし功に焦り、晴景をばかにしている上条は、宇佐美の忠告に素直に従おうとはしなかった。
「いや私も、僭越ながら宇佐美殿のご意見、おとりあげ願わしゅう存じます、こたびは退き陣のしやすき陣形が、宜しかろうと思いますが皆様いかがでしょう」
「な、中条。そなた臆したか?晴景ヅレに何ほどの事が出来よう!!」
「まあまあ、長尾の晴景ごときに臆したわけではございません。関東菅領・上杉様の肝いりで参戦された宇佐美殿を、あたら無下にはできますまい。ここは総大将として、上杉様の顔を立ておかれるが肝心でござりましょう」
老練の揚北にあって年若い中条藤資が、利を諭して柔らかく上条をたしなめる。この男、いっけん女が好みそうな役者顔の優男にみえるが、猛者ぞろいの揚北衆にあって、異彩を放つ策士の一面を持ち、武勇に於いても猛者にひけはとらないと最近評判の目端のきく男である。
「むう……ならば致し方ない宇佐美殿の申す陣立てをとろう、こたびは関東菅領の顔をたてる!!」
「正気か上条殿。この兵法者くずれが余計なことを言いおって!!わしの申す挟み撃ちの策が上策じゃ」
揚北衆の猛者・本床繁長が、鬼瓦のような顔を赤く染めてドンと床棋をけ倒して立ち上がる。続いて揚北の色部も立ち上がる。
「さよう、あの戦鬼が亡くなった今こそ我らの好機でござる。腰の引けた賢しい策など必要ござらん!!」
気炎を吐く猛者たちに中条が、怯むことなくおっとりと仲立ちをした。
「流石は武勇でならすご両所、この中条感服つかまった。ご両所ならば、どの様な陣立てであろうとも、武勇これなしと長尾の晴景も、きっと尻尾をまいて逃げましょうぞ!!いや結構な事でござりますなあ総大将殿」
「まこと中条殿の申すことは的を得ておる。小賢しい陣立てじゃが、お頼みもうしたぞ本庄どのに色部どの!!」
と言うわけで、上条も中条のしり馬に乗り二人を持ち上げ、その場はなんとか納まった。上条もいらぬ気をつかわす宇佐美に、冷たい視線を浴びせる。
「気がすんだか兵法者きどりの宇佐美殿……そなたのお陰でわしも散々じゃ!!」
あしざまに罵りを受けた宇佐美は、冷静にその場を辞した。しかし内心の落胆は予想してあまりある。
五
さて戦支度に騒々しい通夜の晩も一夜あけ、ここ府中春日山城では、山降ろしの風がゴーゴーと旗指物をなびかせる。そして黄泉路からまかりこした戦鬼と詠われし為景公の軍勢が、今か今かと打ちそろう。
―――まさか、このように意気揚々と林泉寺へ葬列がだせるとはおもわなんだ。主為景公もご覧あれ、あの軍勢の頼もしきことよ。
軍勢でごった返す千貫門を見下ろして直江は満足そうにうなずいた。そこへ晴景が出ばって一騒動が起こり、直江は静かに事の推移を見守った。
「わしは馬に乗る、天朝さまより許されし毛氈鞍覆、賊徒どもに見せつけるのじゃ」
晴景は、天皇家の威信を借り、位の違いをみせつけようとの魂胆だったが、この大雪で馬が乗れるわけもなく虎御前……いや仏道に入った青岩院に、一蹴されて渋々あきらめ白傘袋を小姓に持たせた。
「戯けが、我が殿ですら大雪の時には馬には乗らぬ。カンジキ姿に徒で出陣しておったわ」
尼僧すがたで裾をひるがえす青岩院に、かっての女武者をみたように、誰もが頼もしく注目した。そして彼女は軽く腕をふって、先陣をきる柿崎に出陣の合図を送った。
「よし先陣承った!!柿崎隊これより進発!!出陣じゃあ――!!」
オオオオォ―――
ときの声があがり、春日山城をふるわせた。まさに亡き為景公の軍勢よとみなその勇姿を称えた。先陣を見守る虎千代は、固い決意にあふれグッと拳を握りしめておりました。
「昨日の広間での一件、若にしては珍しく上出来だ」
「傅役の鼻は高くなりすぎてだよね、若さん」
怖い者知らずか傅役の話をまぜっかえす長実に、虎千代はクスッと笑みを溢す。戦場のけはいに少し緊張していたのか肩の力がぬけた虎千代と近習たち。
「長実、金津殿に失礼だそ!!」
兄の安実や傅役の金津に本気で殴られ、長実は頭をかかえた。
「もう許してやれ!!新兵衛こちらに。私は戦をしらぬ若輩者ゆえよしなに頼む」
「承知!!金津新兵衛この無双の槍にて、若をお守り致たす!!」
続いて安実が長実が、景資が口々に、我が剣にかけてと唱和する。虎千代は胸に宿る、青白い焔が静かに燃え猛るのを感じた。
―――そうだ絶望と恐怖をあたえる青白い焔に飲み込まれ私は『戦さ人』になる!!
第4章・臥龍[完]